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道路レポート 国道257号三尾河バイパスの未成部 第1回

所在地 岐阜県高山市
探索日 2023.10.02
公開日 2023.12.21

最新の探索&記事で、国道の未成道を取り扱ったが、書きながら、そういえばこれもあったなと思い出した。
度の舞台は、中部山岳地帯の深ーいところにある、国道の未成道だ。《周辺地図(マピオン)》

国道257号(浜松市〜高山市)には、現在も車が通れない交通不能の区間が1箇所ある。
場所は岐阜県高山市内で、全長200kmを越える長い道のりの最後のピースとなる場所だ。
岐阜県が公表している資料によると、高山市清見町の麦島地内から、同市荘川町三尾河地内に至る交通不能区間の長さは3kmだそうだ。


この画像は、通行不能区間の清見町麦島側の(ほぼ)端部の様子。(2009年撮影)
道自体はまだ続いているが、国道の指定はここまでで、進んでも車で峠を越えることはできない。

そしてこの車道未開通の区間に、建設が途中で休止されたバイパスがある。
その名は、一般国道257号三尾河(みおご)バイパスという。
計画全長7.5kmの完成2車線道路で、平成11(1999)年に岐阜県が国庫補助事業で事業着手したが、それから12年後の平成23(2011)年に県は事業の休止を発表し、令和5(2023)年現在も再開はされていない。

ところで、私は平成21(2009)年11月に一度この場所を訪れている。
その時は、TEAM酷道のよごれん氏を誘って、あるトークイベントで発表するために交通不能区間そのものの突破を目指した。
試みは成功したが、そのレポートは今回の本題ではないので省略する。ただ、当時この地でバイパス工事が盛んに行われていたことを、上の写真のように確かに目撃している。
それが結局完成しないまま、10年以上取り残されてしまっているらしい。

悲しくも儚い、作りかけのバイパス……。
最近の地図上での表現も、そのことを物語るようなカオスさを纏っているので、見て欲しい。
冒頭の地図にピンク色の枠を示した範囲を拡大したのが、次の地図である。



まず見てもらいたいのは、最新の地理院地図だ。
この地図には、国道の色で塗られた太い道と狭い道が、絡み合うように描かれている。
太いのが新設されたバイパスで、狭いのが従来の国道であることは一目瞭然だが、全線開通していないために旧道も国道の指定を解除されていない状況を表現していると思う。 しかも、奥の方に進むと、道の広さが太くなったり狭くなったりをくり返しているのが見える。建設途中らしい継ぎ接ぎな整備状況を感じさせるのである。

そしてチェンジ後の画像である2023年版のスーパーマップルデジタルver.24は、さらにカオスである。
私が付した5つの赤矢印の位置に、地理院地図にはないバイパスと見られる道が、既に完成して開通しているもののように表現されている。
この地図を見た人は、当然この道があると信じるだろうが、実際は……。


……というのが、今回の探索のテーマである。
まあ、グーグルマップで航空写真でも見れば、概ね答えは分かるかと思うが、分かったところでこの探索の醍醐味は損なわれないので安心して欲しい。
この未成道、ちょっと普通ではないのである!
今回私は、未踏の“道路島”を目指すぞ!



 3本の国道の歴史が絡み合う、三尾河の終点


2023/10/2 16:07 《現在地》

ご覧いただきたい。
ここは高山市荘川町三尾河(みおご)で、国道沿いに20軒ほどの民家が並んでいる。三尾河集落という。
足元の幅広の道が国道158号で、ここから50mほど先に国道257号の終点がある。
が、国道同士の分岐だというのに、青看はおろか交差点の存在を窺わせる標識や道路標示もない。
国道158号の線形が良くてスピードが乗りやすく、かつ分岐の存在感が乏し過ぎるので、注意していなければまず通り過ぎるだろう。

敢えて拡大画像は用意しないが、50mほど先の右側に小さな看板が立っているのが見えるだろうか。
あそこが、国道257号の分岐地点なのである。



この「魚帰りの滝100m先」の矢印に従って右折する道が、国道257号の「新道」である。
そしてこここそが、国道257号の終点だ。遠く離れた起点はといえば、太平洋に面した静岡県浜松市、日本の大動脈である国道1号浜名バイパス上に存在する。200kmを越える長い中部山地横断行路の最後の一欠片であるこの奥に、たった3kmだけの通行不能区間があり、そのためにこの国道は中央分水嶺を越すことが出来ていない。(この三尾河は日本海に注ぐ庄川水系の源流地である)

しかし、改めて見ても「新道」と呼ぶには頼りない1車線道路だが、これでも後述する「旧道」と比べればマシだったりする。
前説でも述べたとおり、新道未開通のために、未だ旧道部分の国道指定が解除されていないようだ。
この後の区間でも度々「旧道」が登場するが、基本的に全ての旧道は国道指定のままである。



2009年撮影

10:12 《現在地》

一方、こちらは旧道側の入口の様子だ。
写真の季節が違うのは、平成21(2009)年11月23日によごれん氏と探索した時に撮影したものだからである。
おそらく今の入口が出来たのは平成11(1999)年の三尾河バイパス着工当時とみられ、少なくとも昭和52年に撮された航空写真では、ここで道は分れていた。

そしてその証しはいまも残っている。
岐阜県標準形式の起点終点標柱(岐阜県が管理する国道と県道の起点や終点に設置されている)が、破損しながらも、ここに設置されているのである(2023年現在も現存)。



2009年撮影

さらにこの旧道三叉路の内角には、見るからに年紀を感じさせる石碑が建っており、建立年は記載がないが(あるいは、あったかも知れないが判読不可能)、正面に大きな文字でこう刻まれている。

“左 たか山 右”

明らかに道標石であり、おそらく碑の下側部分が欠損して補修したために、「右」の行先は書かれていない。
また、左の行先が高山であるのは、国道158号を辿っていけば高山市街地へ向かうので現状に適合しているが、実は永冨謙氏が以前この碑の設置者の子孫に直接お話を伺っており、当初の設置場所はここではなかったとの証言を得ている。(敢えて碑の案内が一致するようにここに設置しているが、当初の設置場所は明らかでない)

そして、ここからがややこしいところなのだが、実はこの分岐を右折するのが、高山への最短経路だったことがある。
その道は、今はもう繋がっていないのであるが……。
これについては、図を使って説明を補足しなければ理解され辛いだろう。次の図を見て欲しい。



@
A
B
C
D

この図は、当地の周辺における、現行道路法下の国道の変遷を、@〜Dの5つのフェーズに分けて図示したものだ。

@昭和28(1953)年に二級国道158号福井松本線が指定された当初の国道158号は、この三尾河で右折して、その先で軽岡峠を越えて、高山側へ通じていた。
実はこの経路こそが江戸時代以前からの長い歴史を有する白川街道の一つであり、軽岡峠には明治36(1903)年に貫通した隧道が存在している。

だが、A昭和34(1959)年に、国道158号は現在地を直進して「新軽岡峠」を越えるルートとなり、そのまま@のルートは廃道化の道を辿ることになった。
さらに、B平成元(1989)年には「軽岡トンネル」が開通し、国道158号はおおよそ現行のルートとなった。

ここまでが国道158号としての変遷であり、@の僅か6年ほどの期間は、「現在地」を右折する道が国道158号だったはずである。

そして、我らが国道257号の登場は、その番号のイメージ以上に遅い。
国道257号自体は昭和38(1963)年に二級国道257号恵那浜松線として初めて指定されたが、当時は恵那市に北端があり、三尾河が終点になったのは、昭和57(1982)年4月1日のことである(同時に起点と終点の向きも入れ替わった)。現在地を右折する道が再び国道に返り咲いたのは、このときだ。

Cはその状況を表現している。
@と比較すると分かるが、現状の国道257号のいわゆる「旧道」と呼ばれている部分(すなわち平成11年の三尾河バイパス着工以前の道)は、軽岡峠への分岐までは@と重なっているのだ。

そして最後のDは、平成5(1993)年に国道472号(富山県射水市〜岐阜県郡上市)が指定された際に、同国道が国道158号および257号と重用するようになった状況を表している。
国道257号の不通区間やそのバイパスは、今日では国道472号の不通でありバイパスでもあるわけだ。
参考までに、国道257号と472号の経路をまとめた地図を掲載しておく。



16:08 《現在地》

……といった具合に複雑な過去を有する道だが、今回のテーマはあくまでも国道257号の未成道なので、ここからは基本的にその話に集中する。

新道と旧道が最初に合流する地点の写真がこれだ。新道経由だと入口から50mほどのごく至近である。
ここに早速、「国道257号 4Km先 車両通行不能」と書かれた大きな予告看板が設置されており、本国道の救われぬ現状を伝えてくる。
また、この位置から4kmが岐阜県による冬季通行止区間になっており、冬期は普段脇に寄せてあるA形バリケードや工事看板が出て封鎖される。



これがその普段は裏返しで隠されている冬季閉鎖を伝える看板だが……

なんというか、汚い……。何度も手書きで内容を貼り替えた形跡があり、表題からして「緊急通行止」を「冬期通行止」に貼り替えた形跡がある。内容は冬季閉鎖を伝えてくるだけなのだが、「車両・人の進入はできません。無断での進入は通報?????(剥がれてる) ★パトロール実施中」……などとも書いてある。そして、解除予定日が「未定」である辺りも、出来るだけこの行き止まりの国道にコストを使いたくない管理者の本音が見え隠れするようだ…。
まあ、探索日は冬季閉鎖前だったので、大手を振って入れたが。



2009年撮影

そしてこれは、2009年当時の同じ場所だ。
このときは11月下旬だったので既に冬季閉鎖が始まっていたが、奥では盛んに工事が行われていた。
だから工事看板が立っている。
工事看板に書かれている工事期間は平成21年9月18日〜平成22年3月20日となっているが、正式に岐阜県が工事の中断を決定したのが平成22年度末らしいので、看板の次の年度の工事が、おそらく最後の工事になっているかと思う。


今回は、入口しか紹介しない前代未聞のショートレポになってしまったが、次回はもちろん奥へ進むぞ。




 カオスな国道


2023/10/2 16:09 《現在地》

「車両通行不能」を予告する看板を越えると、直ちに旧道が右に分れる。
今も国道の指定が残っているようだが、旧道は特に理由や期間の明示もなく封鎖されている。
ただ、「通行止」の看板に、この国道の道路管理者である「高山土木事務所」と書いてあることが、国道指定が残っていることを窺わせる。

なお、2009年当時も、この旧道は既に封鎖されていた。【写真】
だが当時は封鎖も簡単で、実際まだほとんど荒れてはいなかった。
今回は旧道ではなく、新道というか未成道がテーマなので、ここは直進する。



新道を直進すると、まもなく1本の橋に差し掛かる。国道257号へ入って約200mの地点である。
新道とはいえここまで1車線しかなかった道路が、この橋の上で初めて国道のフル規格を感じさせる真っ当な2車線道路となる。
ここまでの道は新道の予定地上に作られた暫定の道路に過ぎない感じだったが、この橋は完成形である。

銘板によると、橋名は「魚帰り橋」といい、竣工は「平成8年10月」と刻まれていた。
国道257号の三尾河バイパス整備事業は平成11(1999)年着手なので、橋はそれより前に完成していたらしい。この事情ははっきりしないが、平成8年時点には既に三尾河バイパスの事業構想があったのだろう。



国道の入口に、唯一その行き先として看板に案内されていた「魚帰りの滝」は、この橋の上が最良の展望台である。
交通量がほとんどないため、気兼ねなく橋の上から庄川の源流に落ちる秀麗な滝を観察できる。
実際私がここを通りがかった際も、一組の老夫婦が橋上に車を駐めて滝を見てから帰っていった。
三尾河バイパスが本来の機能を発揮するようになれば、さすがにそのようなことはしづらくなるだろう。

ちなみにこの滝は旧道からも見ることが出来るが、向こうは滝上より見下ろす感じの眺めとなる。【写真】



魚帰り橋を過ぎると、道は再び1車線に戻ってしまう。

が、ここがまた違和感猛烈にアリアリで、土工自体は既に完成2車線のものが出来ている。

なんと、2車線幅の切り通しの片側半分だけに路体が作られている状態だ。

早くも、未成道にありがちなチグハグな整備状況を隠そうともせず見せて来やがる。これは美味い。ウマい。ヨッキの大好物だ!
線形は完成したバイパスのものなのに、道幅は旧道同然に狭いままなんてことは、地図もさすがに表現しづらいらしく、地理院地図もSMDもここは普通の二車線道路として描いている(苦笑)。



16:13 《現在地》

土工2車線路面1車線ゾーンを行くと次に現れるのが、庄川を再び横断する2本目の橋だ。
今度の橋は1.5車線くらいの幅しかなく、明らかに前の橋より狭い。
親柱も銘板も無く、新しい橋なのか古い橋なのか、即座には察知しかねるような、奇妙な雰囲気を纏っている。

実はこの橋の正体は……

チェンジ後の画像で、「正体みたり」に成功した人もいるだろう。
ズバリこの橋、工事現場の大定番、みんな知っている「ヒロセプレガーダーⓇ」である。
通常は、工事現場の迂回路や工事用道路、災害復旧時の仮設道路など、仮設的な目的に使用されることを念頭に置いた構造物だが、なぜかここではまるで永久橋のような顔をして国道上に収まっている。

ヒロセ失礼! このポニートラスタイプの仮設橋は、ヒロセはヒロセでも、プレガーダーではなかったので訂正する。正しくは、ヒロセKD橋Ⓡだ。まだまだ俺はヒロセを知らなすぎる。



2009年撮影

ちなみにこれは2009年当時の同じ橋の様子。
この頃は確かに工事中の道路であったし、ここにあっても違和感はなかった。
それに当時は路面に敷鉄板が露出していて、いかにも仮設橋っぽかったのである。

だが、2023年時点ではアスファルトが敷かれていて、一見すると仮設橋っぽくなくなっているのが意味深だ。
本来は、この場所にも魚帰り橋のような橋を建設する計画があるはずだが、着工する前に工事休止となってしまったのだろう。
いずれ工事が再開するその時まで、この名前を持たない仮設橋が国道の代わりとなって頑張るつもりのようだ。そうでなければ、旧道を甦らせなければならなくなるからな…。



2本目の橋(仮設橋)を渡ると直ちに旧道と再会し(こちら側も旧道は封鎖されている)、一旦両者は1本になる。
ここも地図上では2車線の道路っぽいが、実際は1車線しかなく、おおむね旧道時代のままの道だと思う。舗装だけは綺麗だが。

ちなみに、本編が採り上げる区間の国道257号の沿道には、起点の三尾河集落を除いて人家や集落は全くない。
このことも、本区間の車通りが慢性的に少ない大きな理由だ。
だから、バイパス工事もあまり人目に付かないところで人知れず行われていたような印象を2009年の私は持った。
そしてそれが、人知れず中断されているということも、ごく最近まで知らなかったのである。
おそらく、工事中断がニュースとして報道されたことはあったと思うが、私はそれを把握していなかった。
(最近、きっかけがあって、そういえばそろそろバイパスが完成するのではないかと思い出し、それで調べたことで工事中断を知った。)



16:17 《現在地》

入口から約900m地点で、国道は三度庄川を渡る場面を迎える。
この場所まで来ると、川の上流の木々の合間からチラッと東海北陸自動車道の高架橋が見えるようになるが、それからみれば地べたを這いつくばるような小さな存在である悲しき行き止まりの国道257号は、ここでも酷くカオスな表情を見せる。

ここから下、一気に読むと少しややこしいと思うので、面倒でも一段落ずつ咀嚼して欲しい。

まずこの場所は、軽岡峠へ行く道と、麦島峠へ行く道の、分岐地点である。
軽岡峠は前回説明した通り、国道158号がかつて越えていた由緒ある白川街道の峠越えで、高山方面へ通じたが、今は廃道だ。
写真左に使われていない感じの旧橋が見えるが、かつてはこの橋を渡って軽岡峠に向かっていた。

一方、ここで初めて名前を出した麦島峠は、国道257号の不通区間部分にある峠の名だ。
地形図や道路地図には名前がないが、昭和50(1975)年発行の『荘川村史 下巻』にその名を見つけた。
やはり近世から往来はあったようだが、主要な街道ではなく間道だったらしい。
その麦島峠を越えようとしている国道257号は、昭和57年に指定された当初、ここを右折していた。だがいまは旧国道となって封鎖されている。

で、平成11年に不通区間解消の夢を乗せた待望の三尾河バイパスが着工したことで、「旧橋」の右隣にある橋が架けられた。
したがってこれが国道257号としての新道であるのだが……(怪しく続く)。

ところで、三尾河の旧道入口の三叉路に置かれている【道標石】が、元はここにあったのではないかと私は想像している。その場合、碑面に残る「左 高山」の表記が整合し、かつ欠落している「右 ○○」の部分には、例えば「萩原」のような地名が入っていたのではないかと想像できる。(国道昇格以前、ここは県道三尾河萩原線の不通区間だった時代がある)。



ヒロセプレガーダーⓇ再び!

ここはヒロセのショールームかと思わんばかりのヒロセっぷりだ。
国道の新道かと思いきや、この橋も2本目の橋とは別タイプのヒロセプレガーダーⓇだった。

橋の上の様子も、最終的に行き止まりであるせいもあるのだろうが、国道の新道という感じは全くしない。むしろ、渡った先の鬱蒼としたカラマツ林の圧迫感から、このまま軽岡峠の廃道へ連れて行かれそうな悪寒がする。
そして例によってこの橋も仮設橋なので橋名などはない。



一方、仮設橋にお株を奪われた小さな旧橋は、このように、橋の上と草原の区別が付かない廃橋状態である。
親柱はあるのだが、銘板は1枚も取り付けられておらず、長らく名無しと思っていたが、全国Q地図が公開している全国橋梁マップのお陰で、橋名、竣工年、路線名が判明した。光賀(こうが)橋、昭和49(1974)年竣工、市道六厩桐ケ洞線だそうだ。竣工年的に、国道158号だった当時(昭和28〜34年)の橋ではないようだが、廃道になった軽岡峠が今なお高山市道としては路線の認定を存続していることが分かった。



で、仮設橋を渡った直後の国道(新道)の様子がこれ。

無理矢理に付け足した感が半端ない右折路があるが、実はこれが国道の順路である。
道なりにまっすぐ行くと、今度こそ軽岡峠に連れて行かれることになるので、ここが国道257号の旅を死守する最後の分岐である。つうか、こんな夕方から軽岡峠へ向かったら、恐ろしい六厩川林道の二の舞いになる。(軽岡峠の向こうにあるのが、六厩川の名前の由来である六厩集落だ)

というわけで、この取って付けた分岐を直角に右折すると…



直後に今度は直角に左折して……



ようやく本当の意味での、三尾河バイパスの開通済区間が、その(未成道っぽい)雄姿を現わした!

入口から約1km入ったこの地点から、おおよそ2.3km地点までのおおよそ1.3kmの区間が、工事中断までに供用開始できた三尾河バイパスの全てだ。全長7.5kmのうち、1.3kmだけが供用開始済なのである。

そして、もう先に見えているが、ちょうどこの区間内で東海北陸道と交差している。
この部分の東海北陸道は平成12(2000)年開通なので、平成11年に事業化した三尾河バイパス工事よりも先に最盛期を迎えているが、無関係ではなかっただろう。
というか、東海北陸道の工事用道路として、入口からこの辺りまでの国道257号が盛んに利用されていたはずで、魚帰り橋などはその段階の整備だと思う。国道の工事用道路としての活用と、三尾河バイパスの建設は、事業主体こそ異なるものの、連続した関連性を持っていたと想像している。



ここで振り返ると、これがまたなんとも、新設の国道とは思えぬ酷い線形でして……。

前述した取って付けた感のある丁字路に向かって、2車線の直線道路が、狭くなりながら直角に折れている。
道路管理者もさすがにこの線形は危ないと思ったのか、随分と大きな「減速」を促す警告板や、沢山の矢印反射板がカーブ外側に取り付けられているが、まあ安心してくれ。今のところ、この道を知らない人は、まずここを通らないから……。

で、察しの良い方なら当然もうお分かりだと思うが、この酷い線形も、国道の完成した姿ではない。
先ほど登場した仮設橋が、仮設でなくなった暁には、ここを直進する完成したルートがお目見えすることになっている。

なお、2009年当時のここは、本当にまだ完成したてという感じで、すごく見通しの良い中に、不自然な線形が強調されていた。【写真】



いま紹介した部分のカオスな状況を、改めて地図上で確認する。
地理院地図に描かれているのは「仮橋」であり、描かれていない「旧橋」が隣に存在する。
そして本来計画されている「完成ルート」は、緑の破線で描いた位置である。

一方、チェンジ後の画像は2023年版のSMD24(スーパーマップルデジタル ver.24)で、こちらの地図だと、まだ作られていない「完成ルートの橋」と、「旧橋」が描かれている。
どちらの地図も、ちょっとずつ不完全なのがホントおかしい。


といったところで、今回はここまで。
スケールの小さな話に終始した感はあるが、この道は本当にカオスの種が沢山埋まっていて、掘れば掘るほど際限なく未成道由来のカオスが噴出する感がある。それが楽しくて掘っているので、次回もこの調子でいくぜ! ヒャッハーー! 混沌的道路大好きッ!!






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