道路レポート  
秋田県主要地方道12号線 黒森峠と笹峠 最終回
2004.10.28

 
 本来は深い藪に包まれていたであろう秋田県側笹峠の道だが、いよいよ迫る県道の新設工事に伴う測量士達の踏み跡が、私の峠越えを強力にサポートしてくれた。
そして、県道の終点から2kmを超えた頃、美しき切り通しが現れ、そこが峠であることを、それとはなしに感じるのであった。

いざ、下りである。
果たして、通り抜けは叶うのか?


笹峠の二又  
2004.10.7 7:54


 車道だったのかと期待を抱かせるほどの、広い切り通し。
しかし今は、中央部以外は張り出した木々によって塞がれている。
足元には、基準点と思しき石柱が、控えめに頭を出していた。

私は、タバコを吸わない。
だから、「一服する」と言う言い方は、好きな言い方なのだが、誤解を招く恐れもあると思って使わない。
どういえば良いんだろう。(ちなみに、茶も飲まない)
一休止?
一休み、かな?
でも、やはり一服という響きが好きなんだよな。
いかにも、和む感じがして。

とりあえず、一休みして、下りに転じる道を追った。
だが、ここで問題が発生する。


 笹峠にて、道は二手に分かれていたのだ。
真っ直ぐ進む道は、そのまま稜線から下りに転じ、北方向の沢筋へと降りていくように見える。
だが、些か狭く、しかも作業者達も余り利用していないのか、雑草が目立つ。
おそらくは、こっちが本道と思うが、不安だ。

一方、右へ向かう道は、多くの作業者が歩くのか、しっかりとした踏み跡であるばかりか、写真のような謎の白いポールが立てられている。
ブナ林の中の、小さな凹地の底を経て、先は再び稜線の向こうへと戻っているようだ。

やはり、街道筋は真っ直ぐ下って行くに違いない。
直進だ。



 だが、下りは案の定、酷い道のようである。
ついさっきまでは、車道幅も有ろうかという道だったのに、この下りはどうだ。
もはや、人一人が歩くが精一杯で、しかも、急な森の斜面を、凸凹を繰り返しながら強引に下っているではないか。
本当に、これが街道なのか?
まさか、山人達の利用する山人道ではないか?
或いは、北側を流れる下前沢へと降りる釣人道ではないのか?

不安だ…。
めちゃくちゃ不安。


 うひー。

やばいな、この展開。
…峠の岩手県側は、全然手つかずってことか?
たとえそうだとしても、これが本道であればまだ良い。
まさか、道間違いだとしたら…。

私は自分の気質を良く心得ている。
こんな道に入ってしまうともう、引き返しの決断をするタイミングを逸して、手遅れになる可能性が大いにある。
前も、もっと低山だったけど、嫌な思い出がある。
その時は、写真も撮っていなかった頃だけど、とにかく杣道が県道だと勘違いして、どこまでも行った結果、数時間も山中を彷徨い、這々の体で麓の田圃に脱出した。
途中、滝からチャリを落として進んだり、淵をチャリごと突き進んだり、まあ、生きた心地がしなかった。

あのときも、峠からの下りで、道を誤り、遭難しかけたのだ…。


辞めておこう。
この道は、確信が持てぬ限りは、入りたくない。



 山上逍遙 
7:54

 さてさて、我が身の可愛さ故に峠に戻り、足跡のはっきりしている道へと進む。
そこには、白いポールの他に、無数の木杭(先端の赤い奴)やら、林班界標(白い金属製)などが、設置、または設置の準備をされていた。
そして、穏やかな稜線上の森の木々を真っ直ぐ繋ぐ、白いビニールテープ。
これは、どう見ても県道の予定線だよな。
マジで、このブナの稜線を真っ直ぐ貫くのかよ…、すげーな。

そのまま鮮明な踏み跡を進むと、稜線を越え、杉の植林地に戻った。
少し位置は違うけど、最初に峠にたどりつく直前に通った杉林の延長上らしい。
峠も、まさか植林地だったとは…、これも意外。
すっげー山奥だとばかり思っていたのに。



 そのまま、下りに転じ、勢いを増しながら稜線を離れていく。

むむむ!

これは、明らかにおかしい。
明らかに、下りは南に向かっている。
この方向は、目指す湯田町ではなくて、沢内村の方だ。

ああっ、道間違いっぽいぞ。
だれか、止めてクレー!
(冗談ではなくて、本当に下り始めてしまった山チャリストを心変わりさせ、さらに引き返させるのは大変なことでなのである)


 午前8時5分、めちゃくちゃ急だけど、一応車道に脱出した。
こんな山上まで、車道が続いていたというのも意外だったが、植林地へのアプローチは、この道であったのか。
なお、地図によってはこの道も描かれている。
沢内村大松川の赤倉沢に沿って登ってくる作業路で、もの凄い九十九折りでここまで来ているようだ。

この時は、この道の描かれた地図はなかったので確信は出来なかったが、やはりこの道は間違いだろう。
となると、あの下りが正解なのか…。


一応決心は付いたけど、なんか嫌だなー。
とりあえず、不安を抱えながら、二度目の引き返しである。
チャリが重いぜ。



湯田への下り 
8:21

 なんか、行ったり来たりで疲れるぜ。
おおよそ、南側の道へと片道500mほど入ってしまった。
こんなことなら、峠にチャリを置いて偵察しておけば良かったな。

再び峠に戻って、今度こそ意を決して急で狭い歩道に入る。

ここで私が無駄な時間を過ごしているうちに、いよいよ工事関係者が現れるかと思ったが、そうはならなかった。
槌音が山中に谺するでもなく、静かなまま。
ただ、峠の木々の一部には、死の宣告であるビニールテープが結わかれていた。
峠が車に蹂躙される日も、そう遠いことではないのだろうか。



 山襞に沿って、下前沢に落ち込む沢の縁をゆく。
稜線のすぐ傍まで、沢は深く切れ込んでいた。
地図上では、湯田側に描かれている県道までは、僅か1.5km程しか無さそうだが、地形的な難しさは秋田側の比ではない。
高低差も秋田側の終点から峠までは50mも無いのに対し、岩手側は100m以上有る。

難しい部分は無理をせず、細い場所はチャリを押して進んだ。
今落ちたら、笑えない状況になる。



 マジですか。

これは、恐いなー。

どうしちゃったのよ。
道路は?
先行者達は、どこ歩いているの?

目の前の斜面の、あの地肌が出ている場所が、道だって言うのですか?
冗談は、やめてくださいよ。
あんな所をまじめに通ったら、私は落ちます。





 その斜面が、大マジで道路であるらしく、私も冷や汗をかきかき、それに従った。

従うより他はなかった。

チャリを担ぎ上げ、引き摺って、なんとか突破の見通しが立った。
例によって、いっちゃん危険な場所での撮影はない。
この写真の斜面ですら、かなりキモが冷えたが、ここは終わりに近い部分である。



明治から平成の道へ 
8:27

 流石に難所が続くものの、徐々に状況は改善していた。
勾配も緩まり、チャリに跨って進むことも出来た。
稜線は後方に消え、前方には下前沢の対岸の女神山を前衛にした、奥羽山脈真昼山地の山々が連なる。
まだ、沢底からはえらい高低差があるが、確かに人が歩いている気配はあり、不安は薄れてきた。
これが、不通の点線県道に間違いなさそうだ。



 さらに行くと、轍が再び現れた。
ここまで来れば、大丈夫だと言う気もしてきた。
あとは、どんな風にして現道にぶつかるのかと言うことだな。
変な接続はしないでくれよ。
工事現場のまっただ中とか、最悪。



 どんどん下る。
陽当たりなど、藪の濃い場所もあるが、足元ははっきりしている。
楽勝楽勝。





 下前沢の深い浸蝕谷の向こうには、初めて湯田町北部や沢内村の平地が見えてきた。
目指すはこの方角だ。
奥羽山脈を、本当に超えようとしている実感が湧いてきた。
燃える。
嬉しい。
県内では、おそらくもっとも難しい点線県道だと想像していた。
結果は、楽ではないものの、楽しくもあり、なかなかにチャリ向きだ。
チャリで超えてこそ、と言えば言い過ぎだろうか。(言い過ぎだ)
そんな楽しい峠越えも、賞味期限は迫ってきている。




 峠から僅か13分くらい下ると、突然ブナの森の底に、白い太い帯が現れた。
それは、真新しい県道であった。
ちょうど、すぐ下に飯場があり、工事員達の車が停めてある。
どうやら、もうすぐ合流らしい。

下りもなかなか楽しかったので、少し物足りなかったが、やはりホッとした。



 そして、私は県道を見下ろすこの場所で、チャリを停め、荷物を脱ぎ捨て、ひとり突破の余韻に酔ってみた。

久々に、思う通りに事が展開したような気がする。
ちょっと峠で迷ったのは、苦しかったけど、それにしても、この県道を一度で攻略できたとは、幸運だった。
同じ県道の、かの「中山峠」にも通じるが、山上のブナ林は、掛け値無しに美しい。
心も体も和らぐ、まさに癒しの景色である。
かいた汗以上に、得る物の多い、そんな峠ではあった。




 足元にある県道の行き先を目で追うと、ほんの数百メートル先が、いまの終点らしい。
足元の飯場より先は砂利道で、終点はそこから九十九折りを一つ経た山腹のようだ。
やはり、今私の下ってきた北側斜面の元来の峠道は棄てられ、新しく南側斜面を割って道を作っているのだ。
あと、直線では峠まで1kmも無い。
秋田側の不通区間と合わせても、残り3km程だ。

ところが、まだまだ開通しないのかも知れないと考え直す光景を、ここで見た。
見たところ、終点部で作業している車が、ショベルカー一台と、ダンプ一台しか見えないのである。
あんな小さなショベルカー一台では、これだけの山肌に道形を築くのに、どれほどの時間が掛かるというのだろう…。

それに、この県道には、長く不通であると言う前歴がある。
たしか、1996年頃の段階で、あの1年で開通とか新聞報道されていた記憶があるが、実際はこの有様である。
整備緊急度の低い峠であることは否めず、これからも、問題山積みの地方財政下では、遅々として工事は進まぬ気もするのだ。



 さて、人目に付かないように、速やかに県道に降りよう。
私の走ってきた峠の下り道は、新設中の県道の法面にぶつ切りにされ、まともな接続箇所は一カ所もなかった。
この様子では、反対側から登ってきて、この道の入り口に気が付ける可能性は零だった。

良かった。
秋田側から来て。



 この草の法面を、下らねばならない。

チャリと共に転げるように滑りる。

あと僅かで攻略完了かと思うと、心中は穏やか。



 程なく下りきって、快適なアスファルトに降り立った。

この先の下り坂の激しいことを見越して、黒森峠の下りでは全くと言っていいほど用を成さなかったブレーキパッドは、全て再調整した。(先ほど県道を見下ろしながらネ)
本当は、新しいパッドが欲しいが、最近は生活でお金を余計に使ってしまい、緊縮財政なのである。
森吉でデジカメが壊れたり、森吉のために沢装備一式を買ったりしたし。

森吉ばっかりじゃねーか。
とお思いのあなた、それは間違いで、実は久々に行ったパチスロで…。

それはさておき、写真の奥の法面の上に、峠への道が隠されている。
こちらからのアプローチは、限りなく難しいだろう。特に発見が。



平成から昭和の道へ 
8:51

 飯場の傍の県道に降り立つと、私は一目散に下り始める。

1.5車線から2車線の素晴らしい舗装路が、峠の南側に開いた左草川の浸蝕谷の縁を、ゆったりと、ときにトリッキーに下っていく。
数年前、笹峠の4kmほど南にある、同じく奥羽山脈越えの萱峠林道を湯田町の左草へと下ったときに、この道を遠目に見た記憶がある。
唸りを上げる重機の響きが山間に谺していた。
或いはそれが記憶の脚色だったとしても、えらい山肌の険しいところに、真っ白な道を作っている様子が、鮮明に思い出されるのだ。
それは、景色的に恐らくこの写真の辺りであろうか。



 県道を1kmほどくだるのは、本当にあっという間であった。
そこは、長い下りに一度だけ短い登りが混ざる小ピークとなっており、通行止バリケードが開放されていた。
バリケードは寄せられているけど、工事関係者立入禁止の看板は、しっかりと麓方向を睨め付けていた。
振り返ると、その看板の向こうには、現在の県道の終点である工事現場の露頭が妙に白々しく見えていた。
こう言うのを見ると、道路が傷なのだと言うことを、意識せざるを得ない。

さらに、下る。
まだ下りは長い。



 所々に待避所が設置された、1.5車線の下り坂。
六郷町側のような急な九十九折りではないが、それでも途中何度か、九十九折りがあった。
全体的には、稜線が緩やかに左草沢と下前沢の間に先細って行くのに程度を合わせて下っていくので、安定した道であると感じる。
そのせいで、非常な高速走行を余儀なくされる。
まず、登って来る車はないと考えられたが、相変わらずブレーキ性能には大きな不安があったので、ある程度セーブしながら下ることになった。

私が重力に逆らって蓄えた位置エネルギーが、今は運動エネルギーとして、開放されていく。
背中に鳴る風に、峠の余韻を一つ二つ、落としながら。
徐々に、まわりは里の景色に移り変わっていく。




 合流から2.5kmを下ると、海抜も370m程度にまで下がっている。
そして、道が二車線に戻るとほぼ同時に、二度目の通行止が現れた。
今度は、立派な据え置き式のゲートで、閉められていれば車輌交通を容易に遮断できるだろう。
だが、今日は開放されている。
それだけ、地元では不通の道というのが定着しており、ゲートが開いていても敢えて入ってくるものもないのかも知れない。
辺りの舗装路は、古い造りでは決してないものの、そのアスファルトの様子などから、舗装から20年くらいは経過しているように思われた。
沢内・花巻間の中山峠は花巻市側の光景と、重なる景色だ。

このゲートより下方には、牧草地が点在しており、村民の生活道路になっているようだ。




 年季の入った、通行止案内看板たち。

そう言えば、どのくらいの間、県道標識(ヘキサ)や青看を見ていないだろうか?
岩手県には、秋田県のようなタイプの県道距離標はなく、国・県道とそれ以外の道を見分ける、もっとも豊富な手がかりは、道路脇のデリネーター(反射板柱)にペイントされた県名である。
ここまでにも、無数のデリネーターが設置されており、そこには確かに「岩手県」の文字が記されていた。



 また、ゲートの脇、牧草地の片隅に、雑草に埋もれかけた石碑が立っていた。
自然石を利用した質素な石碑と、取り巻くススキのありのままの姿が、何とも言えぬ美観を演出している。

峠区間の終わりにあって、無事に脱出を迎えた私が顕彰したい人物は、ただ一人である。

その人物の名が刻まれていることを期待して、碑に近づく。
だが、そこには、おおよそ予想していなかった人物の名が刻まれていた。

明治時代を代表する文学者の一人、正岡子規である。
彼は、明治26年8月16日、この峠を越えて、六郷町からこの湯田温泉郷に投宿したという。
そして、ちょうどこの辺りで夕暮れを迎え、詠んだ。

  蜩や 夕日の里は< 見えながら


 2車線の直線路をさらに300mほど下ると、最後の通行止バリケードが現れる。
ここからは、下前沢沿いの白糸の滝などの景勝地へと向かう林道と道が分かれており、実質的な峠の入り口はこの辺りだろう。
海抜は350mほどである。
時刻は、9時9分をまわっていた。

地域の未来を念じ、私費を投じて道を築いた畠山翁の功績を知るものは、ごく僅かである。
県道の工事進捗に合わせて、出身地であり町長職をしたこともある六郷町では、改めてその功績を顕彰する動きも起きているようだが、今後も語り継がれるかは微妙である。
一方、そこを開通から10年の後に通った正岡子規、
石碑だけではなく、日本の文学史にも、この「湯本(湯田)温泉投宿」は記されている。

彼の随筆の、一部を抜粋すると。

『明治26年の夏から秋にかけて奥羽行脚を試みた時に(中略)秋田から横手へと志した。
その途中大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事が棒杭に書てあった(中略)
人の通らぬ処と見えて、旅人にも会わねば木樵にも遇わぬ』
どうやら、当時からかなり、寂しい道であったようだ…。
でも、六郷の人々は、翁の道を少しでも広めようと、街中に「近道があるよ」なんて看板を出していたのかと思うと、なんかほほえましい。
今日では、想像できない景色だ。



 下前集落にて、久々のヘキサと対面した。
思えば、黒森峠の登りに入る前に、六郷町の町内で見たのが最後だった。
今思ったけど、県道標識に限らず道路標識が全然無い道だったな。
無標識区間は、峠を挟んで相当の距離にのぼる。

この先、10数分間も走れば、湯田町と沢内村の境付近にて、主要地方道1号線に合流し、県道大曲花巻線の独自区間は、しばしなりを潜めることとなる。
再び県道が中山峠へと別れるのは、沢内村を15kmも北上した川舟地区である。

何はともあれ、このたびの奥羽山脈との闘いは、私の突破で終戦を迎えた。
一言感想としては、「とにかくのんびりした県道だな。」

 以上。








6年後(平成22年)に岩手県側を再訪しました

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