平成16年10月に探索した岩手・秋田県道12号花巻大曲線(主要地方道花巻大曲線)を覚えていらっしゃるだろうか。
いや、ほとんどの方が忘れていることだろう。
なにせ、もう7年も前のことだ。
そのときの探索レポート(全3回)。

花巻大曲線は、路線名の通り岩手県の花巻と秋田県の大曲(現在の大仙市)を結ぶ、全長約90kmの長い主要地方道だ。
必然、途中のどこかで中央分水嶺である奥羽山脈を越えねばならないが、当路線では海抜620mの「笹峠」【位置】がその位置にある。
笹峠を越えて仙北郡と和賀郡を結ぶ道は、かつて荒川街道と呼ばれ、明治16年に元六郷町長の畠山久左右衛門らが2000円ほどの資金で切り拓いたとされる。
大変険しい道だったが、平和街道(横手〜北上、現在の国道107号)の近道として当初一定の利用があり、明治26年には、かの俳人正岡子規もここを越えて湯田温泉郷へ向かっている。
モータリゼーションの進展とともに、この山深い細道はすっかり忘れ去られていたが、秋田市が新産業都市の指定を受けた3年後の昭和43年、笹峠は主要地方道花巻大曲線の一部に指定され、翌年昭和44年には六郷町(現:美郷町)から沢内村(現:西和賀町)へ向け、全長25kmにも及ぶ脊梁越えの山岳道路が着工された。
長い工事の始まりだった。

工事ははじめ秋田県の単独事業として始められたが、11年後の昭和55年からは岩手県側でも着工した。
当初工事は順調に進んだらしく、平成の初頭にも全通する目論見だったというが、平成16年10月に探索を行った際には開通しておらず、峠の前後約3.5km(秋田県側約2km、岩手県側約1.5km)は、明治以来の旧道らしき道を辿って、なんとか完抜することが出来たのだった。

前回撮影した、秋田県側の新道風景。
黒森峠附近から笹峠を仰視する。
手前の矢印のあたりまでは、砂利道ながら、新道の道形が完成していた。

平成16年当時の県資料によると、笹峠に残された自動車交通不能区間は、
秋田県側が2030m、岩手県側が1460mで、合計3490mとなっていた。
写真は秋田県側の自動車交通不能区間で、工事用の小型重機が通行していたおかげで、
自転車でもそれなりに探索が出来たのだった。

古い堀割の笹峠を越えて、やがて古道は岩手県側新道の末端近くに下り着いた。
写真はその接点から見下ろした新道で、ちょうどここより奥(峠側)が工事中だった。
写真中央付近から奥が未舗装であることに注目して欲しい。

そして、こっからが今回久々の再訪を行った動機に関わる部分だが、
このとき岩手県側の現場では、さらなる延伸のための工事が続けられている様子が見て取れた。
おそらく“ラインの通りに”道が建設されていて、それは“矢印”の部分まで進んでいた。

末端部の拡大写真。
いままさに重機が山肌を削り、新たな道を作っているように見えた。
もっと現場に近付いて確かめたかったが、流石に工事中の現場であり、
この探索では、古道合流地点より奥にある新道の状況が謎として残った。

今回の目的は、笹峠の岩手県側の新道末端部の調査だ。
全通したというニュースは寡聞にして聞いていないが、意外にひっそりと全通しているかも知れない。
昭和44年に着手された工事は、平成21年で40周年を迎えていて、探索時には41年目。
…いくら使ったか知らないが、いい加減開通しても良いだろう…。