道路レポート  
国道283号線 仙人峠 その1
2004.8.22


 「山行が」のレポート“釜石三部作#2”(なお#1として「山手東隧道」を公開中)は、国道283号線として現役で供用中の仙人峠である。

岩手県遠野市と釜石市とを結ぶ仙人峠は、昭和34年に現在の道が開通するまで、車輌交通を阻む険阻な峠であった。
全長2500mという、完成当時には道路トンネルとして東北第一位の延長を誇った仙人トンネルが峠に風穴を開けてから、間もなく半世紀。

そして現在、次世代の仙人峠が開削中であり、2007年の供用を目指している。
その主トンネルは全長4485m、再び東北最長の道路トンネルとなる予定だ。

私は、道が好きである。
それも、長く使われている車道が一番好きだ。
廃道が一番好きだと思われているかも知れないが、“老道”というべき、現役の古い道が、一番好きなのである。
やはり道は、活躍している姿が、一番美しく、カッコイイと思うのである。

そんな私が、一度通っただけで虜になった仙人峠。
とくと、ご覧あれ!



岩手県遠野市 上郷
2004.8.11 9:26


 今回初めて仙人峠に挑む私であるが、気楽であった。
というのも、道は現役の国道であり、いつものように「旧道の入口を捜してピリピリしたり」「藪に阻まれてヒリヒリしたり」する心配がないのである。
ただのチャリストとして、峠を漕ぐことに専念すれば、今回の目的地である釜石へと私を運んでくれるはずなのだ。
これは、気楽だ。
それに仙人峠は、以前から通ってみたい道でもあった。

峠の入り口である遠野市上郷の国道340号線との分岐点で、私のテンションボルテージがアップし、秋田県横手市からの徹夜走行の倦怠感も、しばし息を潜めることとなる。
仙人峠へは、直進だ。
目指すは、釜石。


 国道283号線というのは、岩手県釜石市を起点とし、遠野市を経由し、花巻市に至る路線だ。
全長は100km足らずの短めの路線だが、北上山地を直線的に縦断して内陸と太平洋岸を結ぶ、岩手県内の重要な幹線である。
この仙人峠以外には、峠らしい峠もなく、年中大型車の比率が高い道だ。

全国に名だたる民話と文学の里である遠野と、かつては東北最大級の重工業都市であった釜石。
この対照的な二つの都市の間に壁のようにはだかるのが、仙人峠のある標高800m前後の険しい山嶺だ。
国道沿線の景観も、峠の前後では180度異なり、この点もこの峠の大きな魅力である。



 上郷から間もなく上り坂が始まるが、これはまだ仙人峠ではなく、その前衛を成す新平田峠である。
ピークまでは約3kmで、終始緩やかな登りが良いウォーミングアップとなる。
その登りの最中、広いロードサイドパークがあり、そこには大きな看板が設置されていた。
内容は、現在建設が進む仙人峠道路の広報であった。

この新道については、ネット上にも多くの有用な情報があるので、ここでは割愛する。
2007年頃に開通した後も、新道は国道283号線の自動車専用道路となり、現在の国道は引き続き利用される予定だ。
さらに、新道はゆくゆく、東北横断自動車道秋田釜石線の一部(釜石自動車道)となる予定だ。



足ヶ瀬 〜最終集落〜
9:43

 あっけなく下りに転じると、程なく早瀬川沿いの桑畑集落に出る。
ここから先の遠野側の登りは、峠までこの早瀬川に沿う。
道幅は余裕を持って2車線が取られており、峠を間近に控えているムードでは、まだない。

ペース良く進む。



 早瀬川を挟んで対岸には、一直線に長大な盛り土がなされ、まるでミニチュアのようなダンプやショベルカーが見える。
これが、現在建設中の仙人峠道路の事業地である。

しかし、やや進めば、この姿は槌音と共に消える。
まだ、峠までは 早瀬川添いから早めに見切りを付け、わざわざ長いトンネルをもって山一つ隔てた住田町上有住へと逃げたのである。
仙人峠道路は、その主トンネルの延長4485mに目が行きがちであるが、ほかにも二つ1kmを越えるトンネルが掘られる。
現国道が2500mのトンネル一本で峠を貫いているのに対し、新道は合計3回も稜線を貫く経路を取っているのだ。





 この大胆なトンネル主体の峠越えルートは、新道オリジナルのものではなく、昭和25年に国鉄釜石線が初めて峠を越えたときのルートに近い。
釜石側のトンネルの連続による半ループなど、鉄道ならではの高度対策を必要とした鉄道線を、車道規格に練り直して、さらに直線的にしたのが、新道の路線と言えるだろう。
だから将来の地図上では、鉄道と新道は並走し、一方で一本だけ離れて北側の山中を越える道が、本来の仙人峠に近い道(すなわち現在の国道だ)という、事実上の峠の遷移が起きるかも知れない。
はっきり言って、鉄道や新道の新仙人トンネルが貫通している場所は、本来の仙人峠よりも、、県道の細々と通う箱根峠に遙かに近い。
こんなの、新箱根峠じゃねえかよと、私はツッコみたい。

新道の工事現場が南に消えると、それがあった場所には、鉄道だけが残る。
そして、鉄道もまた、足ヶ瀬駅を過ぎるとすぐに南の山中に消えていく。



 最終集落足ヶ瀬で、いよいよ国道の表情は変化する。
これまでは鉄道と並走して東南東へと早瀬川を遡ってきたが、この先いよいよ谷は狭くなり、沢に沿って進路も北東へと変わる。
事実上の、峠の入り口はこの辺りだろう。
そこには、写真のゲートが立つ。
冒頭では「重要な幹線」と述べているが、峠を前にして、イメージを壊しかねない高さ制限の出現である。
しかも、制限は高さだけではない。
細々とした制限が、ゲートに併記されている。





 右の写真の通りである。

まあ、この制限内容を見る限り、大型も大型、超大型の一部車輌以外は、問題なく通行できるようではある。
この程度の制限ならば、書く必要もないのでは? とも思われそうな、ハイスペックな制限ではあるが、
実はこれはかなり無理をしているのではないかという疑惑が…後々、沸き上がってくるのである。

話は変わって、このゲートの先が、ロードサイドパークとなっており、「峠の茶屋」の看板のあるお店が併設されている。
しかし、お隣秋田県の仙岩峠の茶屋が今でも現役なのとは対照的に、ここは廃業近しというか、自販機しか稼働していなかった。




有料道路時代の名残り
9:56

 はっきりと痕跡はないが、ゲートのある広場が、おそらくは料金所の跡ではなかったか。
実は、この仙人峠の国道は、開通当初「仙人トンネル」という名の、有料道路だった。

早瀬川を渡る足ヶ瀬橋は、上り線と下り線が分離されているが、地形的には、この様にする意義は、ちょっと薄い気がしないでもない。
これなども、“らしさ”の演出だったと考えるのは、穿って見すぎだろうか?



 この橋だけでなく、このかつては有料道路だった区間にある幾つかの橋は、不思議な位置に銘板が埋め込まれている。
ちゃんと4枚存在するが、いずれも、橋の欄干ではなく、欄干の基礎の部分に、空に向けて埋め込まれているのである。
この意匠は、未だかつてこの道以外では見たことがないものだ。





 ゲートから峠のトンネル坑門までは約5kmで、高度差は100m強に過ぎない。
総じて、道幅に余裕はないが、拡幅が難しいほど地形が難しいようには見えず、カーブなど要所要所はしっかりと拡幅改良された痕跡がある。
歩道がないのは、有料道路時代のままと言うべきか。

有料道路として利用されていたのは、約10年間。
昭和34年の開通から昭和44年までは、乗用車250円(乗合450円、自転車20円!)を徴収する、全長10240mの有料道路だった。
建設・管理主体は、日本道路公団だったので、おおよそ山中の国道には似つかわしくない、こーんなポールも、残っているのだ。(写真右)
これには、思わずニンマリしてしまった。
しかも、写真は状況が悪いが、もっとまともなのも沢山あった。

ちなみに、昭和34年の開通当初、前後の道はまだ国道ではなかった。



 また、有料道路時代の名残として、起点からの距離表示がある。
擁壁などに、約700m刻みで設置されていた。
これも、トンネルを越えて終点近くまでつづく。

今では高速道路でしか見ることのない物体が散在している仙人峠は、現役ながら廃道の趣もある。




 登っていく最中に一カ所、早瀬川の砂防ダムがある。
このダムには、思いがけない“鉄道の痕跡”がある。

水位の低いときにだけ姿を現す築堤と、早瀬川を渡っていた橋台の跡。

遠目に見ても、風化は著しい。



 相当に長い間水が蓄えられているはずだが、いまだニョッキリと水上に苦しげな姿をさらす枯木達。
そんな寂れた景色に包まれて、まるで廃なるものの王のように威厳ある、小さくとも重厚なお姿。

国鉄釜石線に先駆け、明治45年には花巻と沓掛(現仙人トンネルの西口)とを結んだ「岩手軽便鉄道」の痕跡である。
同線は後に、仙人峠を挟んで釜石から峠東側の大橋まで開通していた釜石鉱山鉄道と共に国鉄によって買収され、峠の索道連絡(ただし索道で運ばれたのは荷物のみで、人は峠を歩いて3時間かけて越えていた。)と一体となった、岩手県内初めての内陸と沿岸を連絡する鉄道の開通を見た。
さらに、現在の峠越えのトンネル群や半ループが完成し、索道を廃止したのは、昭和25年。
釜石線の誕生であった。
と同時に、不要となった足ヶ瀬・沓掛間が廃止されている。
この遺構も、その時のものなのである。




 これ以外の遺構は、残念ながら国道からは見えない。
深い藪に阻まれて見えないだけなのか、或いは、国道と重なり合ってきえてしまったのか。
おそらくは、この橋台よりも上流については後者であろう。
下流は、今後の調査で何らかの発見を見る可能性もあるが、何せ廃止から時間が経っており、困難が予想される。

ここを過ぎると、一段勾配は増す。
峠のある稜線も一望の下となる。



 この辺りから、1km置きに合計3回ほど、「釜石まで○○km」という看板が、異なる絵柄で現れる。
まだまだ全然釜石らしいムードではないが、峠の近いことは感じさせる。
○○には、「25」「24」「23」が入ったと思う。
峠の先もまだ、結構遠いな。





 いよいよ道よりも狭い沢となった早瀬川に、右に左にと蛇行しながら追従していく。
そして、眼前に目を瞠るような大断崖が現れると、峠は近い。




 これは、片岩という。
古い地図には、名勝としてマーキングされていたりもするが、たしかに、なかなか見ることのないものだ。
古い時代の採石場かとも思ったが、天然のものらしい。
石灰石の露頭か。

一山挟んだ上有住には滝観洞(鍾乳洞)があり、また釜石鉱山は金属鉱物の産出をやめても、なお石灰石を採掘し続けている。
一帯には、石灰質の大岩盤が存在しているようだ。





 10時17分、労せずトンネルが見えてきた。
東北の名だたる峠の一つというイメージがあった仙人峠だが、こうもあっけなく峠のトンネルに立てるとは、予想外だった。
しかし、拍子抜けかと言えばそうでもなく、面白みはあった。
むしろ、峠を通して見たとき、この穏やかな遠野側の道は、峠全体の印象をより強くする効果があるとさえ思う。




そして、ますますヒートアップ必至の仙人トンネル内部へ、次回突入!
そこは、チャリにとって日本一(?)デンジャラスな場所だった!!!

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