道路レポート 滋賀県道130号 岩室神線 後編

所在地 滋賀県甲賀市
探索日 2016.10.15
公開日 2017.11.28

かつての村境を越える、知られざる山道あり


2016/10/15 8:25 《現在地》

起点から終点までの全長が4.1kmと公称されている県道130号、現在起点から1.6km付近まで進んでいる。
直前には、この県道にとってはおそらく最大の障害物で、越えねばならない絶対的な線である新名神高速道路を、想定外に巨大なアーチカルバートで、あまり迂回することなく越えることが出来た。
今は再び側道を経由して、尾根の上に取り残されているであろう“県道の続き”へと近づいている最中だ。
ここは無理矢理な急坂なので、自転車だと一瞬で息が上がる。




坂を上りきると、新名神の路面よりも少しだけ高い、見覚えのある高さになった。
そして、ちょうど側道が終わる地点には期待通り、先の県道の続きと見られる道が、南側の山中へ入っていこうとする姿を見つけた。

結局、幅50mほどの新名神を横断するために、激しいアップダウンのある側道を含む、約300mの迂回を要した。
しかし、一応は県道を通しで通行できるように道が用意されていることが確認されたのは、興味深い収穫だと言えるだろう。
こんなんでも一応は県道だから無下には出来ないのだと、そう思いたい。



さて、ここからが後半戦と言ったところか。

距離のうえではまだ半分には達していないが、気分の上ではもうそんな感じだ。
この先の山越え区間も、事前情報の全くなかった区間である。
しかも、最新の地理院地図では途中で道が途切れている。それが大きな不安材料であった。

まあ、実際に行ってみなければ始まらないな。行こう!



あら〜。良い感じ。
新名神にぶつかるまでに走っていた尾根道の続きということが感じられる、しっとりとした気持ちの良い山道だ。
静かで、風通しが良くて、勾配も緩やかで、木漏れ日があって、MTBで走るには理想的な快走路である。

道から見て左の低いところにため池があり、太陽を反射する水面が明るくきらめいているのも、景色の良いアクセントだった。



8:30 《現在地》

側道を出発してから5分後、突然道は小さな広場に突き当たって、行き止まりになった。
ここまで明瞭な轍があり快走していたため、あまりに目立たない分岐は見逃していた可能性もあるが、尾根伝いに道なりに進んできた結末が、ここである。

ここに至ってGPSを確認すると、既に私は地理院地図には道が描かれていない領域へ深々と進入しており、新名神から500mほど南にある佐山丘陵越えの最高地点(和田川と大橋川の分水嶺)である東西方向の尾根の直前まで、達していることが分かった。

自動車が通れる道は、この広場で行き止まりだが、左奥へ続く踏み分けがある(矢印の位置)。
まだ道が続いているかもしれないので、進んでみたところ…




なんだこれ?

確かに地理院地図だと、この尾根状には徒歩道が描かれているのだが、その様子が予想外だった。
コンクリートで舗装されているが、車道というのはあまりに狭い。整備された遊歩道にも見えない。
しかも、部分的にはコンクリートではなく鉄板が敷かれている。

外見的な印象は、蓋をされた水路である。
とはいえ、こんな尾根伝いに水路があるのも、謎ではある。
誰かこの構造物の正体を知っている人がいたら教えて欲しい。

この謎めく“舗装路?”は尾根に沿って東西に延びており、その進路を確かめたい気持ちも全くないではなかったが、ここは県道探索を優先したい。

私が広場から上ってきたのとは反対側、すなわち南側(矢印の方向)に視線を向けると…


切り通し、発見だ!

“謎の舗装路”によって寸断される以前は、私をここまで連れてきた道が、この切り通しにまっすぐ続いていたのだと思う。
そして、紛れもない廃道だ! ここまで(起点から約2.1km)来て、ついに私の十八番がポロリンチョ!

なお、この切り通しになっている部分が、かつての村の境である。
昭和30(1955)年までここは甲賀郡佐山村と同郡大原村の村境であった。
その後は仲良く甲賀町、そして甲賀市の一員となった。現在は同市の大字岩室と大字大原上田の境になっている。



浅い切り通しを突破し、旧大原村内に乗り込んだ。
自転車ごと来ているので、まさに乗り込んだという印象だ。
切り通しは標高260mの最高地点であり、過ぎるとすぐに下り坂が始まった。
スギ植林地の明るい地面に、時代がかった浅い掘り込みのグネグネ道が続く。
路面には木っ端が堆積していて、廃道なのは間違いないが、下りに任せて自転車を転がしていく。幸い大きな障害物はなく、順調に進んだ。


果たしてこの道が県道なのかどうか。
用地杭も何もないので、はっきりしたことは分からない。
ここが県道であるにせよ、微妙にずれたところを通っているにせよ、この場所に古くからの道があったことは間違いなさそうだ。

こんな里山のよく分からない廃道を自転車で走るのは、目的のはっきりとした探索が多くなったために長らく味わっていなかった、素朴な“山チャリ”の味を彷彿とさせるものがあった。
この県道は全体にぼんやりとしていて存在感が希薄なだけに、あの名神高速を潜る立派すぎるカルバートの存在感が、一層際立っているように思う。



でけぇ!! な、なぜに、こんなデカいの?! …な、キノコと戯れたり(←)

謎の金属ボトルを見つけたりしながら(→)、
車道というのはいささか素朴すぎる仄かな山道を下っていく。



やがて、笹藪が濃くなってきた。
道も藪に覆われはじめ、不鮮明になってきたので、自転車同伴の私は、忠実にルートを辿ることよりも、麓へ無事に辿り着くことを優先しなければならなくなった。

最短距離の移動を志しながら、道がありそうな谷底目指して少し進むと、田んぼが広がる谷底が見えてきた。
最後は道なのかそうでないのか分からない感じになったが、位置エネルギーを武器に強引に笹藪を突っ切って…




8:40 《現在地》

脱出!

写真左には道らしい場所が見えるが、私はそこではなく右側の笹藪から出てきた。
自転車があったせいで雑な突破にはなってしまったが、これも昔の山チャリ風である。こういうプレイングも許されるのが、危険な崖や岩場が少ない、嫋(たお)やかな里山の味というものだろう。



こうして私は、佐山丘陵の主稜線を越えて、大原上田地区の田んぼの奥まった辺りに抜け出した。
県道130号が越えるべき約1.5kmの山越えを、これが県道ではないかと思われるルートで走り抜けてみたわけだが、新名神以外は適当に動いていても突破出来そうな長閑な里山であったといえる。

この間、「南平橋」と新名神のカルバートくらいしか、間違いなく県道だろうと思われる場所はなく、その正確なルートが分からないのは、完璧なトレースを目指すものとして多少心残りだが、そもそも道形がないものを辿っても実りは薄いものである。今回通ったルート以上に「道らしい」山越えは周囲になかったと思われるし、古そうな切り通しなども味わえたので、良しとしよう。




とはいえ、私以上の“完璧トレース主義者”へのフォローもしておこう。

今回私が越えたルートは地理院地図にも描かれていないものであったが、さらに高縮尺で詳細なインターネットの地図サービス、例えばGoogleマップgoo地図には、右図に青破線で描いたような道が描かれている。
私が辿ったルートとの分岐地点もはっきりしないこの道こそが、本当の県道130号であるのかも知れない。

とはいえ、それは図面上だけの県道である可能性も、なきにしもあらずだ。
“その道”の入口とされている場所まで行ってみたが、ご覧の通り、そこは私が辿ったルート以上に、道がなかった。



はじめは軽トラすら通行困難なくらいな畦道だったが、下流へ進むにつれ
谷は広がり、田も広くなり、畦道も農道と呼べるくらいに育っていった。
依然として、県道を知らせるものは何もない。



8:47 《現在地》

脱出地点から約500m、標高230m辺りで、大橋川沿いの舗装された道に出た。新名神の側道以来の舗装路である。
そして、地理院地図はこの地点から先を県道として描いている。
起点から2.6km、終点まで残り1.5km地点である。

チェンジ後の写真は、同地点で振り返って撮影した。
「赤い矢印」の辺りに、私が越えてきた切り通しの峠があった。
分岐の右の道は市道源田中野線に通じており、これが現状、県道の不通区間を最短にて迂回できる車道である。
そしてこの道は、県道とも密接な関わりを持っていたことが、机上調査(後述)で発覚した。

……さて、“神”へのラストスパートと行こう。




やっとだ!ヘキサが登場!!

この県道を起点から辿り始めてから、ついにやっと初めて、県道の象徴たるアイテムが現れてくれた。

道路標識ではないが、ガードレールに取り付けられたヘキサのシールだ!!
このシールタイプの県道(や国道の)標識、他県だと三重県に別のデザインのものがよくあるが、全国的には珍しいと思う。しかし、滋賀県ではこの日何度も目にしているので、ありふれたものであるようだ。
いわゆる“道路の地域色”の一つである。

ようやく県道が自己主張をしてくれた。今までの存在感が希薄さを思うと、泣けてくるぜ…。

なお、ヘキサのすぐ先に大橋川を渡る橋が見えるが、これは4枚とも銘板があり、「庄司田橋」「しょうじたはし」「大橋川」「昭和53年3月竣功」とあった。
この橋は、「前編」で紹介した滋賀県の橋梁点検一覧表にも、南平橋とともに本県道に属する2本の橋の1本として数えられており、点検結果は問題なしの「I」だった。おめでとう。



長閑だと言っておけば大抵は許されるのであるが、まあ地味ということでもある。
県道らしいものがどっと出てくるなんてこともなく、“シールヘキサ”が出てきたっきり。
どっこにでもありそうな、1.5車線道路である。
それが今、大橋川から大原川の谷へ移動すべく軽ーい山越えに挑んでいる。
路上の比高は20mにも満たない、ささやかな山越えである。
(しかし、この区間には県の道路改築計画が存在している(後述))




8:52 《現在地》

小山を越えて、大原上田の集落に到達した。
久々に目にする人家だ。角には「ハローバス」のバス停もある。だが運行頻度は岩室集落よりもさらに少なく、平日のみの1日2便であった。
佐山丘陵を越えたことで辿り着いたこの新たな土地を彩る背景は、そう遠くない三重県境に聳える鈴鹿山脈の青い稜線だった。

県道はこの角を左折し、それからすぐに右折するという、クランク状の路線認定になっている。
今さらもう驚きもしないけれども、どちらの角にも案内標識はない。ここまで地味だと、さきほどの“シールヘキサ”の存在がむしろ奇跡のように思える。



8:57 《現在地》

県道130号全線走破の小さな旅は、出発から約1時間を経過した現在、いよいよ最終コーナーを曲がり終え、最終ストレートをひた走っている。
最終コーナーから先は、はじめて真っ当な2車線道路であった。

そして、終点まで残り250mのこの場所に、県道が跨ぐ二度目の大字境があった。
それは当然、目には見えない地図上のラインであるが、私にとっては今回特に意識を傾けたいものであった。

正直、この件についてはもはや私以外誰も盛り上がっていないのではないかと不安になるが、大字大原上田から、大字神へ、ここで遷移する。

県道は、ついに“神”の領域へ!

前に見えるのは、神の集落だ。



神に入った途端、こんなものが現れた。

一つは、「一生分の松茸が食せる伝説の店」の看板だ。
人によって一生で食べる松茸の数はだいぶ違うと思うが、どうやってその人が一生で食べる松茸の本数を測定するのだろう。私はまだ1本も食べたことがないので、その場合は入店しても1本も松茸が出てこない可能性もあるということか。そんなんだったら、「あばれ食い!」しちゃうぞほんと。

もう一つは、初めて目にする道路標識だ。
図案としては見慣れた「自転車及び歩行者専用」なのだが、その標識板が四角い。四角い標識板は指示標識や規制標識で使われているが、「自転車及び歩行者専用」は本来丸い標識板なので、初めて見る。
補助標識に「自転車歩行者優先道路」「自転車・歩行者以外の通行は自粛願います 甲賀町」などとあるのを見るに、これは町が独自にデザインしたオリジナル標識であるようだ。専用道路ではなく優先道路というのが面白い。道路交通法や道路法には歩行者や自転車の優先道路という概念はない。



県道岩室神線、終点に到達!

最後は番号一つ違いの県道129号南土山甲賀線に、丁字路で接続していた。
県道129号は真っ当なそれなりに交通量のある県道であるが、交差点周辺に青看などはなく、本当に最後まで日陰を貫いたな、オイ!(笑)

起点と終点の両側で、こんなに地味な扱いの県道も珍しいぞ!
本当になんのために昔から県道してるんですかと、そう質したくなる。
好き!

ああ、終わった終わった。
終わったんで帰ろうかと思いながら、最後にもう一度交差点の周辺を見回しているとき、はじめは植え込みの影になっていて見えなかった1本の標柱に気が付いた。

ん? これは…。



こ、これはっ!

うん、正式名称が分からないが、県道標識ならぬ“県道標”とでも呼んでおこうか。

一見すると道路元標を思わせる大きさと形をした白御影の石柱で、四面のうち二面に文字が入っている。
県道129号側の面に「滋賀県」、そしてその裏側の面に「県道岩室神線終点」の8文字が、後の二文字を半ば地中に没しながらも、はっきりと刻みつけられていたのである。

「県」の文字が旧字体の「縣」でないことや、この路線名で県道が認定されたのが昭和34年とされていることなどから、それ以降に設置された標柱なのだと思う。見た目ほど古いものではないということだ。

都道府県道の起点には、各都道府県ごとに異なるデザインの「ゼロキロポスト」が設置されているケースがあるが、終点で見ることはあまりないし、このようなオリジナルの終点を示す標柱があるのは珍しい。
だが、滋賀県内では別の県道の終点でも同じものを見ているので、これまた滋賀県道の地域色であるのだろう。ナイス!滋賀県!
終点だけでなく、起点にもありそうだが、今回は見当たらなかった。

いやはや、最後まで地味な終わり方だと思ったら、最後の最後で“老舗県道”の意地を見せやがった!
撤去されない限り未来永劫残るであろう立派な石標に、私の胸はときめいた。


県道岩室神線、完!



オマケ: ここは神!

県道130号の終点に達した後の私は、県道129号と市道源田中野線を経由して、スタート地点に戻った。
途中、神地区をしばらく通過したので、その中で目にした風景を紹介しておこう。

写真は、説明不要だね(笑)。
そうそう、こういうのを求めていたのよ、私は(ニコニコ)。

ここは甲賀町  Kami Koka-cho

直球でいいね〜。

なお、行政が設置した看板ではこのように「かみ」と呼ばせているが、地元では「かむら」と呼ぶ人が多いという情報もある。これは、江戸時代から明治22年までの村名が神村(かむら)であったことに由来するようだ。「かみむら」というのは違和感が拭えないので、昔の日本人の感覚としてもそのほうがしっくり来ただろうと思う。
でも、時代が進んで地名が変わり、「神」から村の字を取り払われて大字となったとき、大字「か」では困る… といったところだろうか。

「角川日本地名辞典」によると、「神村」の由来は、「年代は不詳だが、当地域は、かつて野中村といい、戸数8戸ほどの集落であったが、諏訪某が諏訪明神を勧請して氏神とし、開拓を大々的に進めてから神村というようになったと伝える(甲賀郡志)」ということだ。
現在も県道129号沿いに諏訪神社が実在している。
また、同書に収録されている全国の地名(基本的に大字レベル以上)に「神」は3件あった。
一つはここで、残りは現在の広島県尾道市御調町神(かみ)と、岡山県真庭市神(こう)である。


岩室に続いてここにもいた、飛び出し忍者少年。
ボディに書かれた文字に「区」は余計だったかな。
「神」だけだったら、シュールさ神がかってただろうに(笑)

その後も県道沿いに神を名乗るものが色々とありはしないかと探しながら進んだが、バス停名に「神倉庫前」と「神公民館」があったくらいで、珍しい地名だから挙って名乗って楽しもうというような不真面目さはなかった。行儀が良いというか、理性的というか、むしろ自制的でさえあるかも知れない。
それだけ住人は地名に対して真摯だということか。失礼しました。
県道沿いではないが、地区内にあるゴルフ場が「大甲賀CC神コース」を名乗っているのは、なかなかインパクトがあると思うが。

とまあ、珍しい地名なのでつい弄ってしまったが、景色自体は長閑な良いところです!




机上調査編


最後はいつものように机上調査の成果を述べて締めたい。

まず、今回探索した滋賀県道130号岩室神線の始まりについてだが、滋賀県における現行道路法下での一般県道認定の第一陣として、昭和34年に認定されていることは、レポートの冒頭で述べた通りだ。
当初は現在に較べて県道の路線数も遙かに少なかったわけだから、それだけ少数精鋭というか、当時重要視された(将来整備すべき)路線として狭き門を潜ったことであろう。であれば、昭和34年に突然出てきた路線とは考えにくく、然るべき“前史”のようなものがあったはずだ。

そのような考えから、さらに古い時期の地形図を確認してみたところ、昭和25(1950)年に調製された地形図(右図)には、岩室を起点に和田川沿いを南下する1本の県道が描かれていた(図中の青線)。
今回探索した現在県道に認定されているルート(赤線)とは、岩室を出た後のルートがまるで異なっており、現在の市道源田中野線に近いルートになっている。また、この県道は(少なくとも地図中の表記において)“神”までは続いていない。
一方、現在の県道ルートについては、それと近い位置に「町村道」の記号(「―」は幅員1〜2mの区間と、「二重線の片側破線」は幅員2〜3m)が描かれているが、重なっていない部分も少なくないし、当時から山道程度の道であったのだろう。

さらに古い明治末の地形図も見てみたが、岩室から和田川沿いに南下する道は里道であり、県道としては描かれていなかった。
そのため、大正の旧道路法制定以降に当時の「府縣道」として認定された可能性が高い。
だが、残念ながらこの旧県道の名称や認定の経緯などは不明であるし、そもそも岩室と神を結ぶ道路にどのような由来や活躍があったのかも、それを述べた資料が未発見であり、分からない。
総じて、この道の古い時期の話は、何も分からないというのに近い。



右図は、昭和34年に県道岩室神線が認定されてからだいぶ経った、昭和61(1986)年の道路地図帳(ユニオンロードマップ)である。
この地図中の黄線は一般県道を示している(凡例より)のであるが、ここには奇妙なことに、岩室と神を結ぶ県道が2本絡み合うように描かれている。

このことをどう解釈するか私なりに考えたのであるが、(チェンジ後の画像に)オレンジで着色したルートが、県道としてのより古い道ではないかと考えた。
これは、昭和25年の地形図に描かれていた和田川沿いの県道を神まで延伸したルートになっている。やや迂回はあるが、古くから開かれていた道ではないか。

対して(チェンジ後の画像に)青で着色したルートは、今回探索した、ほぼ最短距離で佐山丘陵を横断する現行の県道ルートに近いものであると同時に、新名神に未成のカルバートを準備している将来の県道計画線にも近いものである。どちらかというと、後者により近いか。(参考:こちらに掲載されている管内図)

はっきりしたことは分からないが、このような道路地図帳の制作者は、各県から集めた管内図などの地図データを参考に調製しているとみられる。
そのため、当時の管内図には(県道岩室神線として)2ルートが描かれていた可能性が可能性が高いと思う。
そしてこの2ルートの関係は、1本が供用中のいわゆる現道で、もう1本は将来の計画線として未供用(未開通)ながら、県道の認定だけが存在していたのではないだろうか。

その後、和田川沿いのルートは市道源田中野線などに降格させられ、山越えの県道計画線沿いにある(今回私が探索した)山道が、改めて県道に認定されたのではないだろうか。
将来作りたい道の近くに無理矢理な感じで現道が認定されている状況は、よく見る道路の景色である。
現地の山道には、県道として管理されている証しが何もないので、そもそも未供用ではないかという疑惑もあるが。(関係者に問い合わせ中)



最後に、このなかなか咲けない“老舗県道”の将来の見通しについてであるが、平成29年7月に甲賀市道路整備基本計画策定委員会が作成した「道路整備プログラムの検討について」という資料(pdf)を見ると、最新の状況が分かる。

右図は同資料に掲載されている路線図の一部であるが、県道岩室神線については、図中の凡例において「整備済」とされる線が起点と終点の両側から描かれているが、なぜか新名神との交差地点の北側500m(南平橋辺りまで)が描かれていない。(この区間だけ未供用?)
この表記は謎であるが、それでも今回探索した山道を含む大半部分が「整備済」の扱いであることには驚かされる。
あれでもう「整備済」というのならば、今後新たに整備される見通しなどほとんどないのではないかと絶望する。

また、よく見ると、この県道の南寄り区間に、「地-4」と書かれたオレンジ色の点線が並行しているが、これは県の事業の「未整備区間」であるという。
本編で紹介した【ここ】から終点までの区間に、県の改築事業が存在するということを意味している。

はっきり言って、こんな既に1.5車線のそれなりの道がある区間ではなく、山道しかない北側の区間の整備をドカーンとやってやってくれと思うが、多分そっちは本格的に予算が必要なので難しいのかもしれない。

そもそも、このささやかな事業でさえも、進展は全く期待できない状況だ。
「滋賀県道路整備アクションプログラム2013」の甲賀土木事務所分(pdf)を見ると、この改築事業(岩室神線 大原上田工区)は、平成25〜34年度において、「事業化検討路線」であるという。
事業化検討・・だぞ……。

おそらく、この事業の先にようやく、例の未成カルバート(→)を活用する「岩室工区?」の改築事業が考えられるのである。
それは何年後になるのか…。
新名神は半世紀後も健在だと思うが、未成カルバートの中は……、うん、何も変わらなそうだ。

やはりこれは、岩室にも【促進看板】が立っていた、そして上に掲載した甲賀市の計画図にも出ている、地域高規格道路「名神名阪連絡道路」に期待するしかない気もするが、こちらは甲賀土山ICで新名神と接続するらしいから、未成カルバートとは少し位置がずれるのだよね。
機能として県道の代わりにはなるかも知れないけど、そのものとして整備される可能性は低いかも。


ついでに、滋賀県議会と甲賀市議会の議事録を、WEBで公開されている範囲について検索してみたところ、滋賀県議会では平成11(1999)年に言及があった。

平成11年11月定例会において、高井議員の「特に第二名神との結びつきの強い、甲賀土山線、岩室北土山線、岩室神線、和野嵯峨線、小佐治甲南線、水口甲南線、柑子塩野線、国道307号の信楽中心部などの整備状況や方針についてお示しいただきたい」という質問に対し、県土木部長が答弁をしているが、岩室神線についての個別の言及はなく、「その他の路線につきましても、第二名神の供用時期と整合が図られるよう、引き続き事業の推進に努めてまいります。」と述べるに留まっている。
当時盛んに工事が行われていた「第二名神」(現在の新名神)との関わりの中で、甲賀土山ICへのアクセス道路として、検討の壇上くらいには上がったようだが、その先には行けなかった模様。

甲賀市議会では、平成18年と24年に言及があった。
平成18年3月定例会では、甲賀土山ICへのアクセス道路として、他の県道とともに岩室神線の整備が議論されている。
以下、抜粋して引用する。

○村山庄衛 議員
 甲賀・土山インターへのアクセス道路について建設部長に質問いたします。甲賀・土山インターにおいては、第1工区と言われる国道1号線への取りつけ道路は、工事も進み、間もなく完成の予定と聞くところであります。しかし、インターから南側の地域においては、計画された路線や地元の要望路線があるものの、現在、見通しのない状況が続いております。そのため、野洲川の南部地域である甲賀、甲南、伊賀、阿山の住民にとって、1号線へ迂回しなければならない使い勝手の悪いインターとなります。県も市も財源の厳しい中であり、建設部長も県当局との折衝においていろいろとご苦労とご推察いたしますが、以下の路線につきまして格段の配慮を望むものであります。
 まず第一に、県道甲賀土山線であります。これは第2工区と呼ばれるものです。佐治新田からインターへ直線で結ぶ道路であり、甲賀町の南西部、甲南町からはなくてはならない道路であります。
 第2番目、県道岩室神線、幻の県道と言われ、現在、農道でありますが、計画されている名阪名神連絡道と一部並行する線であります。
 3番目、市道源田中野線、コムウッドから岩室地先までの拡幅、約500メートルであります。この線は伊賀方面から油日、檪野を経由し、コムウッドまでは2車線が確保されており、あと500メートル拡幅すれば、当面のアクセス道路として最適であります。
 4番目、県道岩室北土山線、これは岩室地先の山口理容店から大沢地先の拡幅であります。これが約500メートル。これは岩室と大沢を結ぶ道路であり、大沢地先は拡張済みであり、よりこれが拡張されると甲賀と土山が近くなります。

私の大好きな“幻の県道”というワードが出てきたので思わず赤字にしてしまった(笑)。
昭和30年代の路線認定からずっと未完成だったとしたら、こう呼ばれるのも不思議ではない。
現在、農道ではありますが」というのは、先ほど掲載した昭和61年の道路地図帳に掲載されていた、今は県道ではなくなっているルート(【ここ】の右の道)が現在は農道であるようだから、そのことを言っていると解釈した。
ほかにも、レポートに登場した県道24号、県道539号、市道源田中野線それぞれについて、改良計画があることを言及している。

これに対する建設部長の答弁は、以下の通り(抜粋)だった。

○建設部長
 県道3路線の今後の見通しでありますが、まず県道甲賀・土山線第二工区につきましては、平成14年度に用地測量、補償調査まで終えていただいているところでございますが、その後の財政事情等により、今年度末、供用を予定されている同線の第一工区を優先すること、また路線延長が非常に長く、事業も長期にわたることから、現在のところ事業の再開が見合わされている状況であります。当路線は南部地域から(仮称)甲賀・土山インターチェンジにアクセスするための重要路線であり、各地域からも早期着手を望む声が多くある路線であります。このことから、市といたしましても今後施工区間を分けて部分的にでも事業着手いただくなど、第一工区に引き続き、早期効果が望めるよう強く要望を重ねてまいりたいと考えております。
 次に、県道岩室神線並びに岩室北土山線につきましては、いずれも整備計画の対象外路線であり、優先順位も低いことから、具体的な路線計画の樹立まで至っておりません。このことからも、両路線につきましても、今後引き続き県に対して要望を行ってまいりたいと考えております。
 最後に、市道である源田中野線についてでありますが、当路線の整備につきましても、既に旧甲賀町におきまして、地元地域に対し道路計画の詳細説明を終えているところでございます。一部権利者のご理解が得られず、前向きに進んでない状況でもございます。当路線につきましては、県道甲賀土山線第二工区と相まって、南部地域から(仮称)甲賀・土山インターチェンジへのアクセスするための関連道路であることから、両路線の施工時期等の整合を図り、優先路線として進められるよう、今後も強く要望を努めてまいりたいと思います。

にゃーん(涙)。

整備計画の対象外路線であり、優先順位も低いことから、具体的な路線計画の樹立まで至っておりません」とのことだ。 絶 望 的 !

6年後、平成24年の9月定例会で久々に県道岩室神線の名前が登場した。が、県の道路整備計画における事業継続路線であるが「用地の課題や県の財政事情により休止状態が続いている路線」として、他のいくつかの路線とともに名前が列挙されただけだった。整備計画自体は中止されることなく、現在も生きているようである。


昭和30年代、来たるべきモータリゼーションを担う有力な路線として期待されていたからこその早い県道認定であっただろう。だが、並行する県道で、主要地方道でもある甲賀土山線が優先され、整備は思うように進まなかったと思われる。
昭和60年代以前には、佐山丘陵を直線的に横断して岩室と神を最短で結ぶ県道バイパスが計画され、長らく県の管内図に破線の計画線として居座ってきた。
平成10年代には、新名神の整備という地方の予算規模を無視しうるビックプロジェクトに接する機会を得、ICへのアクセス道路として期待されたことはあったが、最終的にはこれも逸してしまう。
ただし、未来への投資か、一縷の望みか、高速を潜る立派なカルバートだけは用意された。
平成30年代以降、名神名阪連絡道路の議論が本格化するかもしれない。
県道岩室神線が「この道は神!」と絶賛される未来が来るのか。
たかが4.1kmの道のりが果てしなく遠く感じるが、“神”への道は一朝一夕に成らないものだし、それでこそ有り難みもあるのだ。生きてる限りは見守ろう。