道路レポート 静岡県道416号静岡焼津線 浜当目トンネル旧道 中編

所在地 静岡県焼津市
探索日 2017.6.17
公開日 2017.7.02

崩れた道路をもっと近くに感じたくて、私は一歩を踏み出した


2017/6/17 16:32 《現在地》

この写真は、前回最後のシーンのほんの少しだけ手前の“クズ”のエリアだ。
これまではこんなにクズが路上にはびこっている場面はなかったのに、末端の予感が近づくこの場所で、急にこうなった。
そして、路上に現れた障害物は、このクズだけではなかった。

無造作な感じに置かれた3台の木製A型バリケードがあった。
真っ当に国道を封鎖していたものではなく、工事現場の一角といった雰囲気だが、それらに取り付けられた太陽電池式の発光器が一つだけ生き残っていて点滅を続けていた。工事関係者さえいなくなってしまった現場で、それは健気な姿だった。




さて、改めて前回最後のシーンだ。
旧道北口から500m。逆算して南口まで残り400mという地点で、前方の道が寸断しているのが見えた。

本当に寸断なのかはまだ分からないが、少なくともここからはそう見えた。
はっきり言えるのは、20mほど先で2車線の路盤が全幅にわたって陥没していることだ。ガードレールも引きづられるように、への字に折れ曲がっていた。

そしてそんな絶対的異常である陥没の縁までの間で私の進路を塞ぐものは、申し訳程度に設置された土嚢の一山だけであった。
それが最後の「understand?」
普段は過保護な道路だが、今はとっくにそんな保護の外にいる。それを実感させられる眺めだった。



先を見たいと逸る気持ちを抑えて、手前にあるものから順に確認していく。
(←)これは上写真の矢印の位置に立っていた、1本の木製標柱である。
正体は工事標だ。工事現場ではよく見るアイテムだが、本来なら完工時に撤去される一時設置物なはずである。
標柱の道路に面した3面に、次のような内容の細かな文字がびっしりと書かれていた。

平成26年災害 (一)静岡焼津線  査定第2号
工事位置 焼津市浜当目地内 申請額1.540.835千円
道路災害復旧工事 復旧延長L=62m 頭部排土工15174m3 法枠鉄筋挿入工3297m2
●●●工209本 モタレ擁壁工1376m3

内容からして、この道を襲った災害に対する「災害復旧工事」の記録物だ。
62mの道路を復旧させる工事に約15億円の工費が予定されていたことが分かる。
また、「頭部排土工」や「法枠鉄筋挿入工」などと書かれている数量は、道路と一緒に被災した道路構造の内訳であると思う。



ここまでは、平穏でした。最後まで守り抜きました。

そんな最後の振り返りである。

そしてこれは、新旧の写真を重ね合わせる努力の自信作でもある。

季節が違うのがちょっと惜しいが、9年の歳月の変化だけでは語り尽くせない、説明不能な変化が主に路面に生じている。
別に崩れているとかそういうわけではないのだが、車が数年通らないだけで、こんなに道の周りは緑まみれになってしまうのだなぁ。
逆に言えば、生きた道に行われる維持作業の細やかさがよく分かる新旧比較だと思う。

そしてまた、これからまた10年後、20年後にどうなっていくのか、その変化も楽しみだ。

さて、前方に目を向けよう。




これは酷い。

事前に情報を得ていたとおり、道路は陥没していた。

路面は足元で1mほど落ちてから一旦は平坦を取り戻していたが、20mばかり先でさらに壊滅的な陥没を起こしていた。
しかも陥没は路面だけでなく、その山側の巨大な土留め擁壁も一緒に落ちていたのである。

写真には手前の陥没の上下を連絡する流しそうめんをするのに良さそうなパイプが写っているが、被災後にひずみ計などの計測器械を設置していた名残とみられる。
だがそれらの機材は既に撤収されていた。
ここはもう、工事関係者や研究者からさえも見捨てられた、完全な廃道だった。



久々に、“現代廃道”の凄いのに出会った。

ここは廃道というか、まだ被災地の生々しさの方が勝っている気もするが、

ゾクゾクする。

でも、素晴らしく良い景色だ…… すっごい萌える。
特に奥に見える当目隧道が、死に神の落ちくぼんだ眼窩のようで、恐ろしくも、とても良い味を出してる。
一度は制した隧道なのに、新たな美貌を身につけたようだ。私への吸引力がひたすら凄い。



地面の1mの陥没が、道路にどんな壊滅的被害を与えるのか。
私のような門外漢には、この景色以上の何をも伝えることは出来ない。

まるで地震で地盤が動いたかのような光景だが、陥没した状態で静止している長さ20mの路盤は、
全体的に舗装に亀裂は見られるものの、粉々にはならず、一つの平らな面を保っている。
これだけの広さの路面を乗せるだけの大きな地面の塊が地滑りを起こしたのだと分かる。



はっきり言って、現場は私が事前に予想していた以上の惨状だった。


私は2013年にこの災害が発生した当時、読者さんからの情報提供によってほぼリアルタイムにそのことを知り、それからしばらくオンタイムでニュースで追いかけていたのだが、当初はこれほど激しく崩れていなかったように思う。ニュース映像は見ていないのではっきりしたことは言えないが、「静岡新聞」の過去記事を振り返っても、そう感じられる。

「静岡新聞」において、前回も紹介した2013年10月16日の初報では、「長さ50メートル、幅6メートルにわたり約40センチの深さで」陥没したとあるが、翌年2014年6月7日の記事では、「約50メートルにわたって約1.5メートル沈下し」とあり、沈下量がだいぶ増えているのである。
そしてそれ以降、沈下量についての情報のアップデートは止まっていたが、現実には1.5mどころでもなく、路面が欠落するところまで進んでいた。

しかも、この現場には復旧のための治山工事が行われた気配がない。見た感じ、崩れっぱなしである。
被災状況の調査は行ったのに違いないが、復旧は早々に断念されたのだろう。
これについても、過去記事にはそれと窺える流れはあった。
道路管理者の県がトンネルによる復旧の検討を開始したことは、前出の2014年6月7日の記事に初めて出ている。
被災から8ヶ月後のこの段階で現道の復旧ではなく、新道(トンネル)による復旧へ計画が向かっていたことが窺える。
そしてその3ヶ月後の同年9月18日の記事では、「県は17日、抜本的な対策と して新たなトンネルを整備する災害関連事業が国の事業採択を受けたと発表した。県は15年3月にも工事請負契約を結び、早ければ17年3月ごろの供用開始を目指す」とあって、正式にトンネルによる復旧が決定した。

この廃道の誕生は、かなり早い段階で決定していたと思う。



2008年の探索は進行方向が逆だったのだが、1枚だけ、少し離れた位置から当目隧道を振り返って撮影していた。
偶然にもその1枚のために立ち止まった辺りが、ちょうど崩壊の場所になっていた。

これは新旧の比較画像である。
背景からだいたい同じ場所だと分かるが、足元の路面は変化が大きすぎて、いまいち現実感が湧かないのである。
この先の路面は、まさにえぐり取られたというように欠落してしまっている。




これを通り抜けられるかどうか。

通り抜けても、自己満足程度の意味しかない。それをしなくても、おそらく当目隧道側からも旧道へ入れるだろうから、廃道の全貌を確かめることは可能だろう。
そう分かってはいても、やはり廃道を通り抜けるという行為には、最短距離ということ以外にも冒険心を満たせるという大きな魅力がある。

それに、私はもう目の前の素晴らしい廃道に心を絆(ほだ)されていて、もっと深く体験したいという気持ちが、とても強かった。



16:34 《現在地》

崩壊現場から直下の海面までの落差50mにも及ぶ急斜面は、まさしく死屍累々というべき惨状を呈していた。
単に道路が崩れ、その残骸が散乱していたというのではない。

この場所が昔からなんと呼ばれてきたか。ご存じの通り、大崩海岸と呼ばれてきた。そしてここはこうも呼ばれていた。大山崩と。
そんな因果な土地に、昭和9年から80年近くも東西交通の要路として維持されてきたのが、この道だった。
長い時間に積み重ねられた道の守りは膨大で、近年では道路から海岸線の間に自然の地面は少しもなく、斜面を抑えて道を支える様々な人工物によって覆われていた。それは道路の上部も同様だった。

にもかかわらず、それらの守りの手が届かないほど地中深くに滑り面を持った巨大な地滑りは、道を斜面ごと…山ごと……、“大山崩”としてしまったのである。
十全と思えるくらいには道を守る努力をしていたのに、それでも力及ばず崩れてしまったというのは、林道のような脆弱な道の崩壊とはまた違った印象を与える出来事だと思う。

もしも、この累々と屍を晒す道守りたちに言葉があったなら、

 「ごめん。守れなかったよ……。」

って、言うかも知れない。

ならばこう応えてあげたい。

 「ううん。 今回は守ってくれたよ。ありがとう。」 と。

この大崩海岸では、昭和46年の石部洞門崩壊によって無辜の通行人が亡くなっている。
だが、その反省によって道の守りをさらに堅固にし、連続雨量100mm以上時の通行規制という制度の守りをも固めた結果、今回の台風26号による崩壊では、誰も命を失わずに済んだのだから。
道が守るのは人の暮らしである。



だが人の中には、普段は道に守られながら、時々にその守りの外へ自らはみ出そうとする「オブローダー」がいる。

ああ、この道の末端は、なんと私の心をゾクゾクとさせてくれるのか!

まるで道が透明にでもなったかのように、その一部の残骸だけを地表に残して消えた光景は、異次元的で扇情的な魅力に満ちていた。
わびさびとはまた少し違うのかも知れないが、完全が不完全へと零落していく様は美しい。(誰だ、悪堕ちサイコーとか言ってるのは…笑)

ここまでは、問題なく来られた。
問題は、ここから先である。
見たところ、路面は完全に欠け落ちてしまっているが、巨大なコンクリート擁壁のために高巻きは不可能で、下巻きもよほど手前から海岸線へ降りられる場所を探しでもしないかぎり、不可能だった。
いまこの限られた時間で突破出来る可能性があるとしたら、それはもう路面の高さ付近での“正面突破”しかない。




これは…



行けそうだ…!


遠目には、不可能かとも思ったが、

近づいてよく見ると、法面の擁壁と同程度の堅牢性を誇る“最後の道”が残っていた。

この“最後の道”の正体は、写真をよく見れば分かるが、側溝の蓋を支えるための段差である。
側溝そのものは道と共に奈落へ消えているのだが、その残骸にこれほど便利な使い方があったとは!
しかし、側溝の蓋はかなりの荷重に耐える構造物であるから、それを支える段差部分も堅牢さは疑いがなく、
私は「これなら行ける」と、だいぶ安心して命を預けることが出来たのだった。



人が通るくらいなら、堅牢性には不安を感じない“最後の道”だったが、

唯一の問題は、とても狭いことだ。

靴幅よりも狭いのには、ちょっとだけ閉口した。



幅5cmの“最後の道”から、50m下にある海岸線を見下ろす。

こう書くと正気を疑われそうだが、実際は別にどうということはない。
上半身を堅牢な擁壁にもたれさせているので、バランスが取りやすくてとても助かる。
ただし腰に着けている大きなウエストバッグが壁と身体の間に入ると怖いので、取り付け位置を崖側に変えた。

それにしても、足元から消えた路面は、海まで落ちたのだろうが、どこにも見当たらない。
未だ小規模な崩壊が続いていそうな崖の表面からは、地盤改良や補強のために差し込まれていた鉄筋やら支柱やらが、
無残に引きちぎられた残骸を無数に晒していた。崖をどれだけ補強していても、山ごと動いては守りようがなかっただろう。



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だが、最新の道では究極の対処として、“大山崩”の地上を棄て、全長905mの浜当目トンネルで地中へ迂回したのである。
あたかもそれは昭和46年に大崩壊した石部洞門の復旧に、海上へ進路を取る未曾有の石部海上橋(全長360m)を設けたことの
橋とトンネルを入れ替えた再現のようである。

大地が道を排斥しようと躍起になるなら、我々も土木の力で応戦するよりほかにない。

この地に道を必要とする限り、土木の戦争に終わりは来ない。



16:38 《現在地》

針穴の如し極狭の通路を踏破して、崩壊の対岸へ到達した。

なんだかとてもすがすがしい気分だが、やり残したことがあるので先へはまだ進めない。

次にすべきことは…



自転車の回収だ!

たぶんこれが、一番の難関。

でもせっかくなら、車道の廃道には車両の通行でお応えしたいのぜ!

対岸にザックやウェストバッグを下ろして身軽になって、すぐさま通ったばかりの極狭通路へ戻った。