道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 導入

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2017.10.13


ついに行ったった、青ヶ島あおがしま!!

青ヶ島は、東京都心から南へ遙か360km、黒潮の絶海に浮かぶ、伊豆諸島における最南の有人島である。
緯度的にも長崎市より南であり、私の訪問地における南極を圧倒的に更新する存在。
私は初めての島旅を同じ伊豆諸島の新島と神津島に得た2013年当時から、この地の訪問を夢見ていた。
これまでに行った全ての島旅は、ある意味において、この離島ビギナー向けではない島へ挑むためのトレーニングであった。そんな大仰な気構えさえ持つほどに、青ヶ島は私にとって“高嶺の花”だと思える存在だった。
それは旅人として、あるいは、オブローダーとしてもである。

このわずか約6km2(河口湖と同程度)、外周9kmの小さな島には、土木を愛するものを惹きつける魅力がある。
私はそのことを、この島を体験した幸運な数人の情報提供者によって、ここ10年ほどの間に何度か唆された。
そのために、私はいつか自転車と一緒にこの島へ渡ってみたいと思うようになった。
私が初めて行きたいと思った島は、実はこの青ヶ島である。

多くの特徴に彩られたこの島の一般的なプロフィールについては、既に多数の情報が巷にあるから、ここでは簡単に箇条書きで触れるに留める。詳しく知りたい方は、別途この島の名前を検索すると良い。でも、敢えて知らないまま読み進めるのも一興かもしれない。

《 青ヶ島についての “ごく一般的な” 情報 》
  • 都心から南へ約360km離れた太平洋上に浮かぶ、面積約6km2、外周約9kmの小さな島。
  • 最寄りの島は八丈島だが、約64km離れている、文字通りの絶海の孤島。伊豆諸島では最南端の有人島。
  • 東京都青ヶ島村を一島のみで構成しており、人口は約170人。同村は日本で最も人口の少ない自治体。
  • 世界的にも珍しい二重のカルデラを持つ小型の火山島で、固有の生物や植物もある。
  • 江戸時代の天明5(1785)年(今から230年ほど前)に最後の大噴火があり、多くの住民が焼死。生き残った人々は八丈島に避難し、以後数十年無人となった。
  • 島には旅客船が発着する港と、ヘリポートがあり、海路と空路で訪問が可能。本土からの直通便はなく、船もヘリも八丈島との往復である。
  • 有人島としては、日本でも有数の訪問が難しい島として知られる。(後述)

さて、私にとって青ヶ島訪問の最初にして最大の関門となったのが、渡島自体の難しさだ。
青ヶ島村公式サイト内の「アクセス」を見て貰えば分かる通り、船とヘリコプターという二つの手段が用意されているのだが、私の場合はどうしても自転車を持ち込みたかったので、後者は最初から除外した。(また、このヘリも1日1往復で9人乗りなので満席のことが多く、相当前から予約しておく必要がある(空席照会)を見ると、大抵いつも満席の「×」が並んでいるのが分かる。)

船で青ヶ島へ行こうとすると、「アクセス」にもはっきり書かれていることだが、「天候不良等による欠航もあり、就航率は50〜60%」という、欠航の多さが難題なのだ。しれっと書かれているが、就航率50〜60%というのは、日本の離島でも相当に低いはず(最低?)。
就航している船は決して貧弱なものではなく、太平洋の荒波にも耐えうる460tの立派な中型船だが、青ヶ島の港湾施設の貧弱さもあって、未だ就航率の低さを克服できないでいる。

しかも、もともとの運行頻度が毎日2〜3便もあるならまだしも、基本的に週4〜5便なのである。
ある日に欠航すると、その日はもう渡島の手段がなく、翌日を待つしかない。その翌日がもともとの運休日だったりすることもざらにあるので、これは青ヶ島を紹介する人がよく述べるが、大袈裟ではなく、1週間くらい連続して島に渡れない(または戻れない!)ということが、船を使おうとする限りは現実的に起こるのが青ヶ島である。
このことが、しばしば“洋上の楽園”とまで賞される絶景の青ヶ島をして、年に900〜1800人ほどの観光客しか訪れない理由になっていると思う。
この島と外界を結ぶ交通事情は、ヘリの存在を無視してしまうと途端に前時代的なものとなり、これは忙しい現代人にとってなかなかハードルが高い。

また、地味に青ヶ島への訪問を難しくしているのが、ヘリも船も八丈島から出ているということだ。
八丈島へは飛行機でも行けるが、自転車を持ち込みたいなら、ここでも船一択となる。
東京竹芝桟橋から八丈島まで約11時間、そして八丈島から青ヶ島まで2時間半、合計すれば半日を優に超える長い船旅が“片道”となる。



さて、このような渡島事情の難しさを述べたが、今回初めて青ヶ島行きを企てた私が、その洗礼を免れ得たかと問われれば、答えは「△」だ。
このレポートを書いていることからも分かると思うが、訪問自体は果たされたのである。
しかし、洗礼は受けた。

私は、春の気象海象の穏やかさと、探索に適した涼しさを考えて、2016年3月を決行の時期に選んだ。(余談だが、この前年も計画していたが、スケジュールが調整できず断念した) 右図は、2016年3月の「あおがしま丸」(八丈島〜青ヶ島)の運行予定表に、私の計画を書き込んだものだ。そして画像をタッチ(カーソルオン)すると、実際の行動を表示する。

簡単にまとめると、当初の予定では3月2日の12:30から4日の13:30まで49時間青ヶ島に滞在して堪能するはずが、不運にも2日の船が欠航となったため、4日の12:30から翌5日の13:30までの25時間へ、滞在時間が半減したのである。
本来、私のような金欠な旅人は、移動賃のコストパフォーマンスも大切にしたいところだが、そんなことを言っていられない状況だった。
表に書き込んだ就欠航を見て貰えば分かると思うが、この「4日に渡り5日に戻る」というのも、なかなか綱渡りの訪問だったのだ。
仮に現地で5日の船を見送って7日まで滞在しようと企てたとしたら、9日まで島に閉じ込められる形になっていたのである。
当然、船が欠航するほどヘリも満席になるので、飛び込みで利用することなどは、ほとんど不可能である。そういう島と割り切るよりない。

まあともかく、私は25時間だけ青ヶ島を探索できた。



そろそろ、青ヶ島の“道”の話、本題に入ろう。

左図が、最新の地理院地図に描かれた青ヶ島の全体図だ。
右下にスケールを表示したが、やや南北に細長いココナッツ型の島影は、長径3.5km、短径2.5kmほどである。周囲に広がる海と較べるまでもなく、ごく小さな島だ。

そして、等高線の粗密から如実に分かる、圧倒的火山島感!
それもそのはず、本島は水深1000m近い海底から立ち上がる巨大な成層火山の山頂付近である。七合目より上くらいが海上にある。

島の南側半分は、「池之沢」という名の大きなカルデラ(凹地)になっており、その中央に中央火口丘としての「丸山」がそびえている。
カルデラをぐるりと外輪山が取り囲んでいるが(最高峰「大凸部(おおとんぶ 423m)」もそこにある)、外輪山の外側斜面は北側を除く三方が海まで直接落ち込んでいる。
残る北側にはやや広い北向きの緩斜面があり、島唯一の集落(西側の「西郷」と東側の「休戸郷(やすんどごう)」がほぼ繋がっている)や役場がそこにある。
島を囲む海岸線は、激しい海食のため全方位とも絶壁で、そこに入り江や砂浜、流出河川、沖積地はなどは全くない。
その海崖絶壁の南西側に、青ヶ島で現在使われている唯一の港である、「三宝港(さんぽうこう)」がある。

島には青ヶ島村が管理する多数の村道と、東京都(八丈支庁)が管理する1本の都道が存在する。
その名は、一般都道青ヶ島循環線。東京都が定めた愛称は「青ヶ島本道」。管理番号(路線番号)は236。(どうでも良いが、自宅の最寄りJR駅前を通る豊田停車場線のネクストナンバーだ) この都道は昭和42(1967)年に認定されており、平成25年度時点の総延長は6347m。起点終点がともに青ヶ島三宝港にある、路線名通りの循環路線である。



ところで、これ(↓)を見てくれ こいつをどう思う?


すごく…旧道です…

そしてたぶん…、廃道です。


ただでさえ、情報の多くない青ヶ島の都道。

だが、島の玄関口である港の目の前には、地図を見ればどんな初心者オブローダーでも気付けそうな、あからさまな旧都道が!

(しかもなぜか、地理院地図は今なお都道の色を塗っている)

その攻略こそ、島へ上陸した私が最初になすべき訪島の挨拶に他なかろう!




青ヶ島上陸までの長い島路 〜前編〜


2016/3/1 21:10 《現在地》

入念に荷造りを終え、禊気分の入浴をしてから、19時前に東京都日野市のアパートを、自転車に乗って出発した。数分後、自宅から1kmほどの所にあるJR豊田駅に到着。乗ってきた自転車を輪行バッグに収めてから、一緒に中央線上り列車に乗車。この時間、都心から吐き出されてくる人波と逆行するように進む私は珍しく座席にもありつきながら、何度か改札とドアを出入りして、21時10分に定刻通り、この長い船旅の始まりの地、オシャレなベイサイドのネオンに潮香も薄れた、竹芝旅船ターミナルに着いた。

ここは東京諸島とも総称される伊豆・小笠原両諸島の本土における総玄関口のような場所だ。これらの地へ向かう全ての大型客船の出発地であり、おおよそ2万6000人の東京島しょに住む人々との交流の要である。
しかし、私がここを訪れるのは今回が初めてだった。これまで三度伊豆諸島を旅してきたが、二度は伊豆半島にある港から出発し、一度は(DVDの撮影のために)調布空港からの空路を採っていた。なんだか、緊張した。



まずは窓口で予約していた八丈島までの大型客船「橘丸」の乗船券を購入した。出航は22:30だから、あと1時間ある。
なお、ここで買えるのは八丈島までだ。八丈島から青ヶ島までは会社が違うし、まだ船が出るかも定かでない。それが決まるのは明朝7時であるという。その頃の私はまだ洋上にいるだろう。

なお、ここで購入した乗船券には、以前も見たことがある赤いスタンプが押印された。そこにはこう書かれている。「天候状況により、運航できない場合がございます」と。
いわゆる、「条件付き出航」(着岸できない可能性を了承の上、出発すること)というやつだった。

この3月1日(火)の関東地方は良く晴れており、そのまま旅が終わる週末まで安定した晴れの日が続いた。それは300km南に離れた八丈島や青ヶ島を含む「伊豆諸島南部」の気象区についても言えたのだが、29日から1日にかけては付近の海上を爆弾低気圧が通過していた。天気こそ大きく崩れなかったが、海況はやや荒れていた。そのため29日と1日のあおがしま丸は、2日続けて欠航していた。自宅でそのことを確認していたのだが、天候は回復傾向にあり、2日は出航するだろうと考えていた。翌3日はもともと運休日なので、2日にも出ないと6日連続の欠航となる。それはないと踏んだのだ。

…話があおがしま丸に飛んでしまったが、それより12倍くらい巨大な橘丸(5700t)であれば、たとえ条件付きといわれても、利用者が多く港も立派な八丈島ならば、まず大丈夫だろう。
この船は途中で三宅島と御蔵島にも寄港するのであるが、同じく条件が付いている御蔵島は港湾施設が貧弱なためしばしば欠航すると聞くから、もしかしたらやばいかもしれないが…。

やがてアナウンスが流れ、埠頭で待つ橘丸への乗船が始まった。
その名に似合う、柑橘色の船体だ。
アナウンスを合図に、それまで広い待合所にばらばらにいた人々が動き出す。乗る人と見送る人が分かれていく。
やはり平日、あまり観光客らしいなりをした人の割合は多くない。

この日の橘丸の運航は、寄港先全てに「条件」が付いていた。
だから私を含む全員が少なからず不安を抱えての乗船だ。深夜らしく人波は静やかに進む。私もその波に入り込んだが、船が大きいだけに改札口から歩く距離が結構長い。いつものことながら、巨大な輪行袋が肩に食い込んで痛い。ほかに60リットルのリュックがパンパンである。さっそく額に汗をする。

船内に入ってからは、自転車を荷物置き場に納め、与えられた2等和室(という名の雑魚寝の場)に残りの荷を下ろして、私もそこに収まった。



22:30

ドラの音が合図になった記憶があるが、定刻通り船は出航。
その巨体がネオンの岸辺を発った。

これで私のなすべきことは当分何もない。ホッとした。
人影まばらな船内を歩きデッキへ出ると、そこは見たこともない光の名所だった。
海から見る東京港の美しさに、寒さを忘れてしばし酔いしれる。


東京都心は交通路が発達していて、川はおろか海岸さえ無視して移動できるから、地形としての東京湾を実感することがあまりなかった。
だが、海上から見れば、なるほど地図で見るのに違わぬ大きな湾入だ。

船は1時間以上もかけて、この大きな湾を南航する。やがて向かって左手の千葉県側の岸から光源が減っていったのを見た。だが、途中でいい加減寒くなってきて船内へ引っ込んだのと、消灯時刻が来て眠りに落ちたので、その後しばらくのことは語り得ない。
ただ、ある頃から緩やかな動揺が船に起こり、それで外海へ出たのだと夢見心地に思ったことを覚えている。



次に目が覚めたのは、日が変わって朝4時半頃に船内アナウンスがあったときだった。
定刻通り5時に三宅島に接岸するという案内がなされた。
しかし、同室の乗客に下船する気配はなく眠ったままだ。

私は眠い目を擦りながらデッキへ出てみたが、まだ辺りは真っ暗で、身を切る冷たい風が波頭を駆けていた。沢山の海鳥が船と遊ぶように飛翔していた。
そして、そんな彼らの向こうの海上に、細長く並ぶオレンジの光の列が見えた。
それは三宅島の埠頭や岸辺を通る道路の街灯だった。
眠る前に見たネオンの海が嘘のような、淡く寂しげな光であった。

既にこの時点で船は海上を200km以上移動した。青ヶ島までの海路は残り半分だ。



2016/3/2 6:09 《現在地》

三宅島への接岸を見届けてから、再び消灯した船室へ戻って眠った。
次に目が覚めたのは、御蔵島に近づいたときであった。例によってアナウンスの声が目覚ましだった。

が、御蔵島へは接岸せずに素通りした。
港内の状況が悪いので接岸を断念して八丈島へ向かうのだという。
写真はようやく明るくなってきた海上に見る、立ち寄らずに離れゆく御蔵島の雄々しき姿だ。後方に見えるのは三宅島だ。

「ま、マジか…。」
接岸しないという現実に、私の心が動揺した。
ちょっとした島が動いているような大型船の上にいると、特別に海が荒れているという印象は受けないが、海のプロが接岸困難と判断したのである。
決して良くない海況なのだろう。
果たして、青ヶ島は大丈夫だろうか?
急に不安になってきたが、不安はだいたい的中するようになっている。

ちなみに、御蔵島も船の就航率が極端に悪く、2016年は2月21日から3月4日までの12日間で2月29日しか東京からの行きの船は接岸しなかった。八丈島からの戻りの船は3日接岸しているが…。この島もやはり信頼できる足はヘリである。私も行ってみたいとは思っているが、島内自転車走行禁止のルールがあるので、まだ二の足を踏んでいる。



8:40 《現在地》

それから約2時間後、八丈島には無事接岸することに決した。
御蔵島を素通りした(ちなみに戻りの便もこの日は接岸を断念した)せいで、定刻の8:50より10分ほど早く着いた。
昨日竹芝で乗船した人数の大半が、航路の終着地であるこの島に下りたと思う。私も自転車を担いで長いタラップからノソノソと11時間ぶりの陸地へ。
降り立ったのは、八丈島の東海岸にある島内最大の港、底土港(そこどこう)だった。

ウェーイ! 八丈島へ来たぜ!!

ここは「東京」からはるばる290kmも離れた「東京」だ。
八丈町の人口約7500人(これは伊豆大島にある大島町に次いで伊豆諸島第2位)が、山手線の内側に匹敵する73km2ほどの島内(面積も伊豆大島に次いで諸島内第2位)に住んでいる。
八丈島と青ヶ島を管轄する東京都八丈支庁がある、伊豆諸島南部の中心的な島であるから、交通の便も良く、八丈島空港に就航するジェット旅客機を利用すれば、羽田空港から約50分で来られる。

今回の5日間の島旅(今日が初日)では青ヶ島が最大の目的地だが、残りの時間は全て八丈島で過ごすことになる。
だが、八丈島にも多くの探索すべき道が存在しているので、退屈の心配はないだろう。
とはいえ、今この島ですべきことは、一つしかない――



青ヶ島行きの船便の確認だ!

予定通りなら、9:30にさっそく今日の便がこの底土港から青ヶ島へ向けて出航する。

運航の可否は朝7時に決定するらしいので、もう決まっているだろう。

私は今日一番にドキドキしながら、八丈富士を背負う旅客船ターミナルの建物へと足を踏み入れた。



旅人がたむろするターミナル2階のチケット窓口へ行くと、使い古されたホワイトボードが、
私の知りたかったことを真っ先に教えてくれた。

青ヶ島
青ヶ島丸 欠航

未練を残す予知もなく、すっぱりと断言された。

なんとなくだが、条件付き出航となった昨夜から、悪い予感はあったのだ。
こうなっては、ジタバタしても仕方がない。
今日は駄目だ。そして明日の3日も駄目。明日はもともとの運休日(本土まで航海して荷を運ぶ日)なのだ。
次のチャンスは明後日の4日だが、その日がもしも駄目なら、今回は青ヶ島上陸を断念せざる得ない。
先行きへの不安に焦燥を覚えたが、落ち着こう。このくらいの不運は想定していたからこそ、
二度の渡島チャンスを持てる(しかも二度目はより天気が万全そうな)スケジュールを練って、旅程を決めたのである。
今は自分の判断と天運を信じるしかない。

今日と明日は気分を切り替え、八丈島を目一杯楽しむことにしよう!



2016/3/3 5:17 《現在地》

時は一気に飛んで、翌3日早朝。
私は八丈島滞在中の潜伏地に定めた雑木林で目を覚ました。
結局前日は、南北に細長いひょうたん型をした八丈島の北半分を薄暗くなるまで探索した。
そして今日は日の昇らない内から起き出して、島の南半分を探索するのである。
八丈島での道路探索の成果も、今後紹介することがあると思う。

ちなみにこの日は雲一つない快晴で、風もいよいよ弱まった。
今日があおがしま丸の運行予定日でないことが悔やまれたが、このままの陽気で明日を迎えられれば、就航は間違いないと思った。
運命は、明日朝7時に決するだろう。




11:17 《現在地》

これはこの日訪れた、八丈島の南端に近い、洞輪沢の海岸風景だ。
そして、この場所から私は初めて、目指す青ヶ島の姿を肉視した。

古くから青ヶ島は八丈島の属島の扱いだったが、64kmという彼我の距離は、
諸島内における他の主属関係を持った島々の間よりも大きく離れている。
空気の澄んだ晴天の日にだけ、海上に小さく見通せるに過ぎない存在だ。
見えていても遠い存在。海面付近が垂直に切り立っていることもあり、
まるで蜃気楼に見まがうばかりだが、実際にこんなシルエットの島なのだ。

明日こそは、明日こそは渡らんと、心から願った。



2016/3/4 6:00 《現在地》

そして運命の日、2日ぶりとなるあおがしま丸就航の予定日、八丈島上陸3日目となる3月4日(金)の朝が来た。
目覚めは昨日の朝と同じ場所だ。
港の近くのこの潜伏地は、私にとって青ヶ島上陸に最も近い橋頭堡であった。

今日も穏やかな朝。
天気予報も海況予報も、申し分はないと思う。
この後の朝7時以降に「04996-9-0033」の案内ダイヤルへ電話すれば、録音ボイスによって私の行く道が決定されることになる。
今日こそ大丈夫だと信じているが、待ちきれない私は朝一で底土港の様子を見に行ってみることにした。

何かしか、望ましい方向の変化が起きていやしないだろうか。




既に見慣れた感のある、3日目の底土港。

暁天の空気は透き通っていて、突堤に糸を垂らす釣り人の姿がくっきり見えた。

橘丸もまだ来ていない埠頭へと目を転じると……


あっ!



あおがしま丸が来てるっ!

これはマジで良い予兆!! だって、欠航した一昨日は、この場所にこの船はいなかった。
昨日ももちろんいなかった。それが今日はここ、この旅客船埠頭にいる。 その意味するところは!

この後、案内ダイヤルにて正式に吉報を得た私は、大変な歓喜に埋もれながら、
9:00の乗船手続き開始までの時間を、やはり八丈島内の軽い探索に費やしたのだった。
(ほんの少しの時間も、島では無駄にしたくないニャンコ。)

(あと、この朝は妙に多くの島ぬこが底土の街頭に出ていた。理由は不明。)



2016/3/4 9:04 《現在地》

青ヶ島
青ヶ島丸 就航

薄汚れたホワイトボードに、今は光が満ちて見える!

これでようやく道が開かれた。
我が力ではどうにもならぬ、海路という名の道が。
すぐさま窓口で心中の動揺を隠して平静を装いながら、青ヶ島までの乗船券を買い求める。
そして遂に――




お金だけでは手に入らない、時間も使って手に入れた、“プラチナムチケット”が、この手中に!!

東海汽船のシンプルでオシャレなチケットとは違う、どことなく古き良き「スカイライン(観光道路)」の通行券を思わせる、濃い風味のチケットだった。
これ見よがしに青ヶ島の空撮写真がカラープリントされている。

自宅を出てから既に60時間あまりを経ているが、ようやくここに至った。
あと20分で船は出る。
そうしたら、3時間後には青ヶ島だ。



9:20にまず橘丸が東京を目指して出航した。
それまで旅客船ターミナルにいた人の大半はいなくなり、残った人は10人ほど。
彼らはこの6日ぶりの青ヶ島渡島を同道する仲間たちなのだろう。見たところ釣り道具を持っている人が多い模様だ。なんとなく歴戦の釣り人感が出ている気もする。

それから間もなくアナウンスがあって、9:25頃に我々は埠頭へ出た。
すると、朝一には接岸していたあおがしま丸は、埠頭そばの海上に停泊していた。
さっきまで橘丸が接岸していたので、場所を譲るために停泊していたのだろう。
そして出航予定時刻とされる9:30を過ぎて、ようやく接岸の動きを始めた。


9:34

いよいよ接岸しようかという頃になって、突然雨が降り出した。
それも南国っぽい大粒の雨。屋根もない埠頭にいるから、たちまち身体が濡れだす。
周りの乗客たちも次々にヤッケのフードを被ったりして、表情が見えなくなる。直立不動で船の接岸作業を見守るさまは、まるで修行僧のよう。

なお、左端に写っている迷彩の人物が、私とよく似た似姿だった。なんとデカリュックに加えて輪行袋も持っている。年格好も自分に近い気がするが、より精悍な雰囲気がある。
シンパシーを感じるが、島旅には孤独を楽しみたい人も多い気がするし、敢えて声はかけない。

なにより今は早く船が出航して欲しい。そして安心したい!
朝の好天や予報からしても、これはただの通り雨だと思うが、旅に出てから初めての雨である。これをきっかけに突然海況が悪化して、運航が取りやめられたりしないだろうかと、気が気でなかったのである。


9:39

接岸したあおがしま丸に、すかさず乗船した! 嬉しい!!

そして、乗客が座席に落ち着く間も惜しむように、すぐさま船に動力の宿った気配があった。
エンジンが唸りを上げて、約10分遅れの出航となる。

雨脚に追い立てられるように速力を強めながら、叢雲に圧せられた底土の港を後にする、我らがあおがしま丸。

ゆけゆけ、あおがしま丸!! 寡黙な旅人たちを連れてゆけ!



私が青ヶ島へ上陸するまで、あと3時間!