道路レポート 徳島県道254号田方穴吹線 最終回

所在地 徳島県美馬市
探索日 2023.02.12
公開日 2024.07.11

 この県道を辿りきれるのは人間だけだ


2023/2/12 17:40 《現在地》

地蔵と丁石に別れを告げて前進を再開すると、これまでほぼ平坦だった道が急に登り始めた。
険しい岩場を横切るように道は付けられており、道幅は過去最少級の2m程度まで切り詰められている。
変化は道幅の減少だけではなく、区間の前半では頻繁に見られたコンクリート擁壁や工事標といった現代的なアイテムが全く見えなくなった。地蔵や丁石を見た直後だからなおさらそう思うが、先ほどまでの“現代車道”が、“近代車道”(自動車以前の車両を対象とした車道)へ退化したように感じられた。

全体的に、区間ごとの整備状態に大きなばらつきがあるこの県道だが(普通に車が通る区間と、廃道同然の区間が混在している)、廃道同然の区間内に限っても、道としての規格は一定しない。
これはおそらく、ある時期(平成初期?)までの道路管理者は、災害復旧などの機会を得るごとに、その部分の改良も同時に行っていたせいだろう。
そんな根気と時間の要る、まるで子育てのような整備計画で、ゆくゆくは県道を車道として完成させようと考えていたのではないかと思うが、残念ながら途中で力尽きたのだろう。

……そんなことより、もう薄暗くて何が撮っているか分からないって? 


すまん。



17:41

ひ〜〜〜!!

この後に及んで、一番恐れていた事態が……!

路盤が全幅決壊し、ほんの数メートルだが、路面は完全に途絶えていた。
この暗さの中、歩きならばまだしも、自転車を持ってここを突破することには危険を感じる。
とはいえ、それをやるか、引き返すか、選択を迫られるなら、答えは一つ。
自転車を右肩で担ぎ上げてから、左の山側斜面にへばり付いた。

なお、謎の塩ビ管が、まるで吊橋のように崩壊地を跨いでいた。
おそらく本来なら路面に埋設されていた“何か”である。
崩れたならば、道を元通りに復旧させてくれれば良いのに、それは面倒とばかりに、ホースだけを越させる奇策に出ていた。
道路管理者の仕業ではなさそう。



17:42

かなり怖かった!
でも、なんとか転げずに超えることができた!!
森の鬱蒼とした雰囲気によって険しさが幾分カモフラージュされているが、実際かなり危機感を覚える場面だ。
自転車を持って通るのはオススメしない。ホースを整備するのもきっと命がけだったと思う。
既に終盤である本県道の完全踏破における最大の難所と言って、おそらく差し支えないと思う。



17:43

ああ〜〜! 助かった!!

怖い森の出口が見えてきた。
出口の向こうには、救われそうな明るさと、集落の存在を予感させる瓦屋根もある。
先の見えない廃道は、間もなく終わる。助かった〜〜。



やっと開けた所に出る。ここは、知野(ちの)集落だ。
昭和30年まで口山村(くちやまそん)の役場所在地だった宮内集落の対岸にある。
集落へ入るなり、思いのほか多くの瓦屋根が、路面の下からせり上がるように近づいてきた。
県道の方は直前に坂を上り詰めて平坦であり、今は集落の方が川沿いの低地から山際の高地に登ってきている。県道が集落を待つ形だ。

屋根の高さを行く道は、依然として2mジャストの激狭で、県道らしからぬ旧時代の風体である。車の轍もない。
だが、地理院地図から抹消された2つ目の区間を突破することが出来たのなら、ゴール(県道としては起点)は間近だ!
今回の県道、出発した最初こそ平穏な街並みの平凡な道だったが、一度山に入ってからはずっと穴吹川の際どい川岸に押しつけられる窮屈が続いた。
県道に面した人家の出現は、仕出原外れの一軒家以来、実に3kmぶり。この間、ラッキー橋手前のほんの一瞬を除き、概ね廃道状態であった。



ここで地理院地図の誤りを正したい。
同地図では、知野橋の袂から県道が復活するような表現がされている(SMD24も同様)が、これは現地や道路台帳の記述に照らして正しくない。
正しい県道のルートは、チェンジ後の画像に示したとおりである。
もとの地図で“ひげ”のようにちょっとだけ伸びている道が、実は抹消された県道の名残であったのだ。



17:45

この県道、市井に生きる人々からは既に“化外のもの”の扱いらしく、集落に迎えられる直前で、防獣フェンス扉を通過する方法による人の証しを要求された。本県道上で防獣フェンスを越えるのは“一軒家”以来であり、まさしくあそこからここまでの一連の区間が、“化外の県道”だったことが象徴的に示されている。

しかし、ワルニャンとはいえ当然に人間ではあるので、防獣フェンス扉通過の流儀は心得ている。

……いるんだよ。

いるんだけど、開かねーよこれェ! 

どうなってんだよ!
なんか、複雑なパズルみたいにフェンス同士が噛んでしまっていて、まるで開かないのである。
しかも薄暗くなりすぎているために、どこをどうすれば開くのかが、もう分からない。
それじゃ獣と一緒じゃねーかと言われそうだが、とにかくここで人間界のセキュリティを突破しないと、私は山に帰るしかなくなってしまう。真剣だ。



17:48

3分近くガチャガチャと格闘した結果、やっと集落へ入れた。やっぱりワルニャンは人間だった。
写真は、県道を通せんぼするフェンスを振り返って撮影。最後まで開け方は分からなかった。
左奥に赤い欄干を持つ橋が見えるが、あれが市道の知野橋で、対岸に見えるのが国道492号である。

チェンジ後の画像は、私というか、県道を出迎える気があまりなさそうな、知野の家並み。
右の茶畑の掘り割りにあるのが、知野橋から登ってきた市道487号線である。
県道は間もなくこの市道と合流する。



県道なんですけれどもね、ここ。

なんか、民家の庭先と区別がない所を通過せざるを得ない。
県道を走行しているだけなので何も後ろめたいことはないが、家人に見られたら夕闇に乗じた空き巣と間違われそうだから、まるで後ろめたい者のようにさっさと通過した。

ほんと現状はこの県道にとって冷たいの一言だが、こんな状態になった一番の原因はなんだったろう。
もともとの道が悪かったのか、洪水に負けたのか、対岸の今の国道である道と、どこでこんなに差が付いた。
というかそもそも、こんな道を早くから県道に認定していたのは、理由があったはずだ。
知りたいことが、まだたくさんある。



17:49

出発から約6.3km地点のこの場所にて、本県道の事実上の不通区間、その完抜を達成した!!
仕出原の“一軒家”からここまで約3kmの不通完抜に、自転車を利用して約1時間15分を要した。
廃道なのだとしたら特別悪い道ではなかったが、現代を生きる県道としてみれば間違いなく酷すぎる、まさしく“険道”であった。

なお、本県道の全長は7067mである。
残り700m強は、この知野から隣の田方(たがた)集落までの最終区間である。
前進継続! と、行きたいところだが、さすがにちょっと暗くなりすぎたか。




17:51

瓦屋根の落ち着いた家並み県道の両側に続く知野の集落風景。
街灯が疎らに灯っているが、出歩いている人の姿はもちろんなく、よくここまで来たな、でももう店じまいだと言われた気分。
写真は集落の中心附近にあるお堂の前で撮影したが、道は相変わらずの激狭だ。
結局のところ、この県道の広さは車通りの有無とはほとんど関係がないようで、単にこれまでに改修を受けたかどうかの違いだと思う。



17:55

集落内の“ある角”を右折して少し下って行くと、新宮神社を過ぎて穴吹川に架かる1本の潜水橋に辿り着く。向こう岸は宮内集落だ。
グーグルマップには「穴吹川潜水橋」の名前でピンが打たれており、四国らしい川の原風景として愛されている様子。
現地には銘板など橋名を伝えるものが何もないが、資料によると落久保橋というのが正式名で、市道穴吹494号線、全長54m、幅1.5m、竣工年不明である。

え? 県道を最後まで辿らないのかって?



18:02 《現在地》

近くに止めておいたベースキャンプ代わりのエクストレイルへ帰還。
探索を終了する。

さすがに暗くなりすぎたので、最後の区間を残して県道から離脱したが、もちろん探索済みであるから、ご安心くだされ!




 時を遡って、最終区間を探索する


2023/2/12 15:34 《現在地》

これは私が闇の帳に包まれた車へ戻る、その2時間前の出来事だ。
2時間前の私は、そこに停めた車から下りて探索をはじめたところだった。つまりここは穴吹町宮内の国道492号の路上。
探索はいま始まった。これから、県道254号田方穴吹線の起点である田方へ向かう。といっても自転車ならばあっという間の距離だ。



知野の対岸にある宮内は、かつての口山村の中心的集落。
村役場こそ消えて久しい(昭和30年に穴吹町と合併)が、郵便局や農協、商店、小学校など、なじみ深い集落機能が主に旧道沿いに集まっているほか、国道沿いにはガソリンスタンドもある。また、集落名の由来ともなった白人(しらひと)神社があり、様々な伝説をもって近隣の信仰を集めてきた。おそらく、私が県道上で(後で)出会う【九丁石】の行先だったと思う(距離も合致する)。



15:36

白人神社を過ぎると間もなく、国道は穴吹市街を出て以来初めて1.5車線に縮小し、これより先まだまだ延々と続く穴吹川の旅が決して完成された道ではないことを告白する。と同時に、行く手にはいままで見えなかったような高い山々のシルエットも現れ、四国の屋根領域へと踏み込んでいくドライバーの覚悟を試すのだった。

が、そこは我らが県道254号田方穴吹線の生き残れる世界ではない。
「田方穴吹線は置いてきた。はっきり言ってこの戦いにはついてこれそうもない」と、ここまで川挟みに添い遂げた国道492号なら言うだろう。
県道254号の起点である田方へ行くには、ここに架かる白人橋へ左折する。
白人橋は昭和46(1971)年の竣工で、市道穴吹9号線の要である。



ここで、再び地理院地図の誤りを正したい。
同地図では県道を、この白人橋の袂で国道から分岐するように描いているが、これは道路台帳に照らして正しくない。
また、チェンジ後の画像はSMD24で、地理院地図とは異なる微妙な地点から県道を塗り始めているが、これもやはり正しくない。

正しい起点の位置は、これらの画像に示した通り、田方集落内にある無名の丁字路である。
そのため、国道492号上には、県道の存在を示すようなものは何もない。
両者は終点(穴吹市街地)だけで接し、そこから約7kmにわたって穴吹川をサンドする間に、これらを直接結ぶ天神橋、ラッキー橋、丸山橋、知野橋、落久保橋、そして白人橋の計6橋を設けたものの、それらは全て市道だった。



15:36

田方集落は、知野や宮内のように道沿いに密集して家並みが続く感じではなく、畑の中に人家が点在している。メインストリートだと感じられる場所がない。
はっきり言えるのは、突出した特徴や繁栄ぶりを感じない長閑な土地であることだ。なぜここが県道の目的地になったのかと問われても、答えられる人はいないんじゃないだろうか。

今いるこの道は、まだ市道だ。
この先、前方の山際に突き当たったところにある丁字路が、県道の起点ということになっている。
なんかもう、もうこの段階で、ひ弱な道なんだろうなと予感ができてしまった。
探索時の私は、皆さまがこれまでの回で散々目にした風景を、まだ一つも知らないのだが…。



15:38 《現在地》

突き当たりの丁字路、ここが道路台帳に示された県道田方穴吹線の起点だ。

国道からここまで私を運んできた市道穴吹9号線は、この突き当たりを鈍角に右折する。
我らが県道は、ここを左折したところからだが、その道幅は市道よりもだいぶ狭い。
道路台帳には詳細な図面があるので、交差点のどの位置から県道が始まるのかも分かるが、チェンジ後の画像に示したとおり、交差点内は全て市道だ。領地が少ないのである。

そして、当然のように案内標識などは見当らない。
たまたま車でここを通りかかったとして、敢えて左折してみようと思う人がなさそうな、いかにも地味な始まり。
せめて何か県道だと知れるものがないかを探してみたが……



見つけました!

といっても、これはずっとあるものではないので、ちょっと反則か。
たまたまこの先の県道上で工事が行われているらしく、時間通行制限の工事看板が掲示されていたのだが、その路線名の欄に書いてあった。「(一)254号線 田方穴吹線」と。
さすがに工事関係者は、この道が県道であることを把握しているようで、安心したぞ…。

それだけだな。他に県道らしいアイテムは全く見られなかった。
まあいい。
さっそく左折し、県道の旅をはじめよう。
15:38 突入!



県道突入直後の道路風景はこんな感じ。

地味である。
その辺にある集落の小道と変らない。いつ終わっても不思議に感じないだろう。
そして、川下へ向かっているので初っ端から下り坂だ。舗装はあるが、幅は1車線ギリギリ。
しかし100mほど進んで穴吹川の畔に出ると、道は唐突な変化を見せた(↓)。



17:39 《現在地》

急に道幅が広くなり、ガードレールや護岸の壁も真新しいものになった。護岸とセットで川側に拡幅されたようだ。
本県道の改良が最近も行われていることが分かる。(過去の航空写真をチェックしたところ、2015年から2021年の間に拡幅されていた)
ただ、拡幅区間はとても短く、すぐ先に見える小屋のような建物に突き当たって終わっていた。

また、この先では「管渠埋設工事における舗装工事」が行われていた。入口の工事看板はそれを伝えていた。
そのため路面の一部の舗装が剥がされていたが、幸いにして通行は出来るようだ。



ついでにこの場所からは川を挟んだ対岸の宮内集落、白人神社の辺りがよく見えた。
正面右寄りにあるいかにも本殿な建物が白人神社で、左端に見える赤い橋が先ほど渡った白人橋だ。
橋と神社の中間辺りにコンクリートの主塔が建っている。隣にある2階建ての民家と比べても大きな主塔である。

これは吊橋だった旧白人橋の遺構だ。
主塔は左岸だけに残っており、こちらの右岸には見当らなかった。河川工事や護岸工事で撤去されたのだろうか。ちょうどこの日も河川敷内で慌ただしく重機が動き回っていたが。

この主塔は国道上から間近に見ることが出来た。→【全景】【銘板】
主塔には銘板が残っており、橋名とともに、昭和26(1951)年8月の竣工を知られる。
昭和46(1971)年に現在の白人橋が架かるまでは、こんな古風な吊橋が田方と宮内を結んでいたのだ。

昭和56(1981)年に刊行された『新編美馬郡郷土誌』に、在りし日の旧白人橋の写真を見つけた。→【写真】
案の定、伝統的なルックスの木トラス補剛吊橋だったようだ。手前が今の国道側だ。



17:40

田方集落の外れにやって来た。起点から約200mの地点。
県道はこの先600mほどで知野集落に至る。
拡幅を露骨に邪魔しているように見える目の前の小屋だが、この県道に限ってそんな事実はたぶんない。小屋の持ち主に風評被害があったら気の毒だ。

小屋の軒下の道は再び最初の狭さに戻ったが、なんとそこは予想外の未舗装だった!
今どき未舗装県道かよと思ったが(まあ後に“それどころ”ではなくなることを読者諸兄は既に知っているだろうが)、2021年の航空写真には真新しい舗装があるので、管渠埋設工事のために舗装を剥がしていただけのようだ。道幅が狭すぎて、一部でなくて道全体の舗装が剥がされていて草だ、草生えてしまうw



17:41

シケイン状に屈曲した狭路の先に、古ぼけた小さな橋が現れた。
向かって右側の親柱に取り付けられた銘板によって、大内谷橋という名前を知ることが出来た。
そしてこの大内谷橋の高欄や親柱の形状は、後に出会う岩成橋と全く一緒であることを、この時点で知る由はなかったものの、敢えて言及したい。
共通したデザインを有する2つの橋は約2km離れており、途中に荒廃した廃道区間があるため現状では関係性に注目しづらいが、これらの橋が整備された当時にはそのような断絶がなく、名実ともに一連の県道の橋として共通の外観を与えられたのだと思う。



また、向かって左側の親柱には、これまた岩成橋と同じく、県庁所在地である徳島までの距離が刻まれていた。
「徳島へ五〇粁」とあるのだが、約2km先の岩成橋は「徳島へ四四粁」だったので、距離の変化が少々不可解だ。なぜ誤差が生じているのか分からないが、徳島までのルートの取り方に違いがあるのかも知れない。

さらに、岩成橋にあったのとは微妙に形状や表記内容が異なるものの、やはりエキストラ銘板が埋め込まれていた(チェンジ後の画像)。
「橋歴鈑」という題字の下に、「橋長×幅員 13.0M×3.5M」の行から始まって、さらに設計荷重、架設年月日、型式、施行者の行が続く。
岩成橋のエキストラ銘板は縦書きだったが、これは横書きだ。また、架設年月日の表示は、昭和39(1964)年9月24日になっていた。

比較対象である岩成橋の架設年月日は銘板からは読み取れなかったが、別資料より昭和33(1958)年竣工と判明している。
つまり、非常に近い外観を持つ2本の橋の間に6年の完成時期のズレがある。
おそらく道自体はもっとずっと前から存在していたが(明治30年以前からあった説が私の中では濃厚だ)、そこに架かる橋を木橋からコンクリートの永久橋へ架け替えるような改良が昭和30年代に順次進められた。そんなことを推測させる6年のズレである。



大内谷橋北詰の直角カーブを左へ折れて進むと、こんな寂しい道が延びている。

チェンジ後の画像はさらに進んだところで、埋設工事が終わって新しい舗装が打たれたばかりだった。
舗装が綺麗だと不釣り合いな道の狭さが余計強調されて見える。
待避所もほとんどなく、典型的な狭隘険道な区間である。
というか、道幅自体は知野以北の廃道化区間と大差ない。

ここは隣り合う田方と知野の集落を結ぶ最短経路の車道にはなっているが、通行量はとても少ないのだろう。
対岸に真っ当な国道があるお陰で、集落と関係のない通過交通が誤って(橋を渡ってまで)迷い込むこともない。
この区間を通ったよそ者は少ないんじゃないかな。この県道自体が(道路ファンの中でも)マイナーな部類だし。



15:43

森を抜けると、その向こうの川が見通せるようになった。
同時に沿道に民家がぽつぽつと現われはじめ、知野集落へ入ったことを知る。
川の中に橋のミニチュアみたいな不思議なものがあると思って目を凝らしたが、それは後に私も通る潜水橋だった。
見慣れている人には普通の景色なんだろうが、私には新鮮な眺めだった。



15:44

後で何度も登場するアイテムとの初遭遇もあった。
路肩に設置された災害復旧工事の工事標柱である。「路側整備工事(路肩復旧)」「昭62.6竣工」などの文字が刻まれていた。
今は廃道同然になってしまった区間内にも多く残っている標柱で、昭和60年代頃までは全線の各所で盛んに工事が行われていたことが窺われる。



15:45

田方と比べると遙かに密集度が高い知野集落のメインストリートが、この県道だ。
が、どこまで行っても道が狭い。こんなに家があるのだから通行量はそれなりにあるはずだが、拡幅はされていない。
まあ、観光客のような道に不慣れなドライバーが立ち入ることはほとんど想定していないのだろう。ヘキサとか案内標識の類が全くないのも、道に不案内な人を想定していない証しだ。

そんなこんなで、2時間後にまた再会する家並みを逆に辿って……



15:46 《現在地》

……皆さまは見覚えのある場所に到達。

知野の県道分岐地点であるが、この初遭遇時は私もしっかり驚かされた。
先に道路台帳を見ていた私は、この右の道が県道であることを知っていたが、現地にある右の道があまりにショボいんで、本当にここかと疑ったのである。でもここしかなかった。

だがショボいとはいえ、こうして存在する“出口”を知っていたことは、後で森の中ですっかり暗くなってしまったときも、弱気にならずここを目指し続けられる励みになった。辿り着けるゴールが先に分かっていたのは頼もしかった(防獣フェンスが開けられないトラブルは予期しなかったが…)。


これで、県道254号田方穴吹線の全線7067mを全て見ていただいた。
時系列と進行方向が途中で入れ替わる変則的なレポート構成になったが、ここからの私の行動も簡単に紹介すると、まずこの分岐を直進して知野橋から国道へ出る。そのまま国道を北上しつつ、途中で対岸の県道を何度もチラ見(撮影)した。30分ほどで穴吹の県道終点の交差点に到達したところが、本編初回のスタートだ。

現地探索編、完結。






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