道路レポート 和歌山県道228号高瀬古座停車場線 月野瀬不通区 後編

公開日 2015.03.03
探索日 2014.03.27
所在地 和歌山県古座川町

不通県道の中枢部 


2014/3/27 15:10 《現在地》

県道228号の地形図には全く描かれていない不通区間中枢域へと立ち入っている。

道は描かれていなくても、この先にはいくらかの水田の記号がある。
道があること自体は当然だったが、その道の入口に、ご覧のような「県道である」ことを認める看板が出ていることは、全くの想定外だった。

その内容を読むと、ここから「才ノ谷」という場所までの道路は、水道管埋設のために特に地主から協力を得て建設した県道であり、幅1.5mの外は全て私有地だという。
幅1.5mって、激狭である。いわゆる軽トラ専用道というやつか。
そして、「水道管敷設のため」というのは、この道の舗装の下に水道管が埋設されているということなのだと思うが、詳細はわからない。
とにかく、「才ノ谷」まで県道であるという言質を得た! 参ろう!




看板の所から150mばかり杉の植林地を走ると、山が川縁に押し出すように迫ってきた。
両者の隙間にある県道も自然と傾斜の中に置かれるようになり、いよいよ1.5mという道の狭さを実感するような景観に変わっていく。

県道だと思えばこそ、この先の展開が楽しみで仕方なかった。
一体何を見せてくれるだろうか。




うわー…

えげつないカーブだな。

県道として道路管理者が掲げた規制標識などはないものの、完全にこれは普通車も無理だろ。
山側の地面にタイヤを乗り上げて、何とか曲がりきれるかという感じ。
余りに狭いが、ガードレールなんていうものはない。すぐ下は、さほど落差はないものの、古座川の川岸である。



危ういカーブを切り抜けて、再び平穏な場面に。
古座川峡の風景が美しい。対岸に月野瀬集落が長閑に広がっていた。

しかしどう見てもこれは、束の間の平穏だ。

前方には、直前のものとは比較にならないほど高く切り立った崖が、ガコンと突き出しているのが見えた。
直前の小さな出っぱりでもあんな道だったのに、次の崖は、一体どうなってしまうのか。

ともあれ、自転車ならばどんな狭さも安心だ。だから純粋に楽しみだ。
万が一クルマでここに来たとしたら、気が気でないどころか、進退極まること明白。
ここまで一度も待避所のようなものがない。
定規で丁寧に幅1.5mを測って敷かれたのであろうコンクリート鋪装だけが、道の全てであった。離合は不可能。
対向車が来たら絶望的だが、その可能性がないわけではもちろんない。



この道幅で、小刻みにグネグネするのだけは、ヤメローー!wwwww

笑いが止まらなくなってきた。
カーブくらいは1.5mより少し広げないと、脱輪しちゃうよ!
あんまり小さいカーブくらいは、拡幅して短絡してもいいじゃないの? (地主との約束だから無理です)

私はまた一つ、県道の極致に触れている気がする。
これより狭い県道はもはや車道ではないだろうから、四輪車が通行する車道としての“限界”の姿ではないか。

単なる“不遇県道”ではなかった。こいつは“限界直撃県道”だ。



15:12 《現在地》

またも、束の間(momentary)の平穏が訪れた。

看板の地点から、400mほど進んでいる。
この間に道幅が変動することは一切無かった。

そして、おそらくこの次に見えている岩場の張り出しが、本道のクライマックスになるだろう。
ここを抜ければ、水田の記号がある支流の谷が待ち受けている。多分そこが看板にあった「才ノ谷」ではないかと思う。

なお、これまでの写真でも何か所か目に付いたかと思うが、沿道の所々にサクラの幼木が植えられていた。(中でも写真の斜面には相当数が植えられていた)
これはおそらく、対岸から古座川峡を観賞したときの価値を高めるための施策だと思う。
たぶんだが、この道を通って観桜する事は考慮されていないと思う。



さあ! カーブの先へ!
















さらに間髪を入れず…



こ、これはいい石垣道ですね…。



路肩の大胆にオーバーハング!!

さすがに、この急カーブを道幅1.5m厳守のままでは、曲がりきれる車がないと思ったのか、
道の拡幅が行われていた。 たぶん、50cmくらいだけど、他より広い。
ただし、地面は地主のものなので道に出来ない。だから、ちょっと路肩を張り出させてみました?

…実際にはそこまで厳密に考えたわけではなく、単に車が曲がれないからこの幅で鋪装したのだろう。



なんという、手作り感のある県道だろう。

おもわず手の温もりが感じられそうな、“ふれあい県道”などと名付けたくなる。

路肩の下は深い瀞のような流れで、さすがに車ごと落ちたら助からないだろうが、誰もが慎重に運転するので落ちる事はあるまい。
それでも、脱輪一つが命取り(救出車両の進入が困難)となる現状から、申し訳程度の脱輪防止装置が取り付けられていた。
塩ビ管の駒止めという、他では見たことがない手作りアイテムだ。




左に見えている木は、その位置がまるで合成写真のようだが、実際にここに生えている。
とにかく、あらゆる地物が幅員1.5m厳守を守らせようとしてくる。
それ以外は認められていない。

先ほどから軽トラ専用道などといい、軽トラならば通れるなどと書いている。確かにその通りだが、しかし、度胸と技術がある軽トラドライバーしか通れないのが実態だろうと思う。
突然その辺のホームセンターから駆り出してきた荷運搬用の軽トラで来たって、通行不能だと思う。



全ての難関が終わり、再び林の中へ。
今までの「束の間」とは違う奥行きを感じたが、しかしこの林の終わりも案外すぐだった。




鋪装が突然途切れた。

そしてすぐ先には、林の外の明るい世界が見えた。

また、ここでは次の物を見つけた。



立木に取り付けられた小さな板きれ。

才の谷 190番地」という文字に、「川」と書かれた川のイラストが添えられていたが、後者の意味はわからない。
しかし、冒頭の「県道である」ことを記した看板にあった「才の谷」の地名が、この辺りを指すものだと確かめられたのは大きな意味がある。

すなわち、水道管敷設のために地主の協力を得て建設された幅1.5mの県道敷の終点が、この才ノ谷である。
鋪装の終焉は、県道自体の終焉を直前で予告する物であったと思う。




15:14 《現在地》

軽トラの法則が発動!!
しかも放置車両などではなく、すぐ近くに乗ってきた人たちがいる。
ここまでの道が軽トラ走行可能であることのこれ以上無い証明者達だ!
毎度まいど、本当に軽トラは私のレポートの助けになってくれる…。

そして、軽トラが止まっている場所の周りには、地形図に描かれた水田記号が現実の光景となって、案外に広々と展開していた。
それだけではない。向こうの山裾には、家屋のようなものもある。ここは集落跡っぽいぞ!



だが全く唐突に、私の前進は、終止符を打たれてしまった。

軽トラから降りた人たちがしていたのは、才ノ谷を渡る

橋を架け替える作業だった。

H鋼を組み上げて小さな橋を架けている最中であり、自転車はおろか、徒歩であってもこの先へ進む事は出来なかった。

否。 私にどうやっても進みたいという意志があれば、工事中の通して貰うか、無理矢理川を渡るなどして進めだろう。
だが、先の看板や、ここから見える前方の光景から、この地点が県道探索の終点と、そう判断したのだった。



仮に橋を渡ったとしても、その先に待つのは軽トラの轍さえ無い草道である。
奥に見える古民家までは間違いなく辿り着けるだろうし、地形図を見ればもう少し先にも水田がある。
そして、対岸からその辺を眺めれば(写真)、多くのサクラが川縁に植樹され、風景に趣を加えているのも知っている。
水田の耕作や、周辺の植林地や、サクラの植樹や、その他諸々の仕事のために、この先へ立ち入っている人がいるのは間違いないが、
私としてはここで引き返す事にしたい。橋があれば進んでいたと思うだけに、いま思えば心残りだが、県道としてのハイライトは体験したと思う。

なお、この才ノ谷の橋は、対岸の県道からも見えた。→(写真)



後は来た道をのんびりと帰還し、県道228号不通区間探索を終了した。




歴史解説編というほどでもない、ちょっと解説編


この道について知っている情報は少ないが、まずは旧版地形図を見てみることにしよう。
昭和28(1953)年版と現在の地理院地図との比較である。

昭和28(1953)年版には、今回探索した古田〜才ノ谷間の古座川右岸の道が、破線(徒歩道)として描かれていた。
しかも道は才ノ谷では終わらず、現在水田になっている平地を抜け、最後は古座川を渡って古座街道(県道38号)へ出るようになっていた。
もっとも、川を渡る部分に橋の記号がないので、徒渡りかもしれない。

才ノ谷周辺に集落は描かれていないものの、実際に古民家がある辺りは「座」の大きな文字に隠されているので定かではないうえに、後述する資料によって、かつて才ノ谷に集落が存在した事が判明している。

旧版地形図のまとめ。
不通県道区間の才ノ谷以東には古くから道が存在していた。しかし才ノ谷から高瀬までは達していなかった。




道と直接関係する話ではないが、今では道のせいで辿りつきにくい場所になっている才ノ谷に関わる、古いエピソードを少し紹介したい。
ソースは「KEY SPOT 紀伊すぽっと」というサイトに現代語訳が掲載されている「紀伊続風土記」(江戸時代後期の風土記)である。

これによると、検地帳に月野瀬村の小名(地名のこと)として、斎谷(さいのたに)の名があるという。確かに才ノ谷は現在も大字月野瀬の一部になっている。これは才ノ谷にも古くから人が住んでいたか、少なくとも耕地があった証しであろう。

また、才ノ谷には温泉が湧いていたという。
名前が凄くて、「与古呂倶須温泉」。
与古呂倶須温泉― 才の谷漆淵の下にある。岩の間から少しずつ出る湯はぬるくて沸かさなければ浴し難い。近村の者が小桶に取って浴す。中風脚気を治すという。」というが、現在もあるのだろうか? 或いは川向かいにある月野瀬温泉は、この与古呂倶須(よころくす?)温泉を引湯しているのだろうか?

県道が尋常でない隘路で回り込んでいる写真の山も、才ノ谷の古くからの景勝であった。
十七ヶ嶽少女峰と呼ばれており、昔17歳の女子がこの峰から落ちたたことに因むという。
この昔話は有名らしく、和歌山県の公式サイト「和歌山県ふるさとアーカイブ」にも、「少女峰物語」として収録されている。
現在は対岸から観賞することが専らである古座川南岸の山々も、かつては人間生活との交渉が密にあったようだ。

今後県道がここに完成すれば、失われた交渉を取り戻す助けにはなるだろうが、現代の道路は巨大であるから、景観を大きく変えてしまうだろう。
当地が古座川峡として宣伝されている現状を見限り、道路の整備が実現する可能性は限りなく低いと思う。
遊歩道くらいは、あり得ると思うが…。



最後に、こんな道の有り様でも確かに県道だという証しを、もう一つ。
和歌山県公式サイトの「平成22年度道路交通センサス調査結果」がソースである。

道路交通センサスとは、道路交通量を観測して集計したもので、将来の道路計画などの基礎データとなる公的な資料である。

平成22(2010)年に和歌山県が行った交通センサスの結果によると、図に水色の線で表現されている県道228号上にも3箇所の計測箇所が設定されていた。
そしてそのうちの1箇所は、破線で描かれている不通区間内である。

具体的には、不通区間内にあるのは「交通量推定箇所」の「62240」番で、その名の通り実際の交通量の測定は行われず、推定値が計算されている。
例えば同じ路線内にある「交通量推定箇所」の「62250」番は、「340(平日12時間)/439(平日24時間)」台の交通量と推定されている。

見ての通り、「62240」番には推定値が書かれていない。
その理由を確認する前に、「62240」番がどこにあるのかを、地理院地図と照らして確認したのが、下の図だ。



「交通量推定箇所62240」番は、微妙に今回私が探索した範囲外にあると思われた。

その上で、次の図を見て頂きたい。


これは各観測地点別の詳細な交通量が書かれた一覧表の一部であるが、県道228号の「62240」番は、見ての通り、あらゆる交通量が空欄で集計されている。
これは実測値ではなく推定値であるが、「0」でさえない空欄というのは、検討さえしなかったと言うことなのかどうか。
いずれにせよ、まともな検討に足るような区間ではなかったらしいことが分かる。
だからこそ、先ほどの地図の上でも、交通量の数字が書かれていなかったのだ。

だが、本当に重要なのはそこではない。
青い枠で囲った範囲に、各計測地点の道路状況が書かれているのだが、「62240」番の距離や幅員などのデータが、ちゃんと記録されているのである。
しかもその幅員の値は、驚きの1.10とキタ!
「代表車道幅員」という表現をされているが、これは凡例によると、「車道の合計であり、中央帯及び路肩の幅員は含まない」であり、
果たして1.10mの車道をどんな車が通れるのか?
2輪専用か?
それは果たして車道と呼べるのか?

…などという疑問が湧くが、とりあえずそういうことなのである。



高瀬橋〜宇津木橋の間の3.4km区間には、幅1.1m程度の現道が、存在する。

↑↑↑
少なくとも和歌山県は、この考えに基づいて
道路政策を行っていることが判明した!


そして、

私が今回探索しなかった、高瀬橋〜才ノ谷間に、

現実に幅1.1mの車道が存在するかどうかは、今後探索の予定である。