隧道レポート 金沢市御所町の廃隧道 前編

所在地 石川県金沢市
探索日 2018.11.13
公開日 2019.03.22


今回の探索は、当サイトの掲示板が発祥地である。

具体的には、平成26(2014)年10月27日に、ぶるにゃん氏によって立てられた、「御所隧道?」というスレッド(書き込みNo.8599)だ。

ぶるにゃん氏はそこに次のような隧道の情報を投稿した。

御所隧道? (2014/10/27 04:10:34)

HPいつも楽しく拝見させていただいております。
私が父から聞いた情報なのですが、金沢市御所町の星稜高校・中学の横を入って行くと加茂神社がありますが、そこから山の方へ向かった農道のつきあたりに古いトンネルがあるというのです。

そのトンネルは軽自動車が一台やっと通れるほどの大きさで結構長く、通り抜けた先は福光が見下ろせる場所なのだそうです。
父は御所町で生まれ育った弟から聞いて、実際に一緒に小型トラックで通ってみてきたと言っています。
その父の弟である叔父が調べたところによると、加賀藩が秘密裏に掘った近道だとわかったらしいです。

私は最初、夕日寺隧道じゃないのかと思い入口の写真を見せたところ、こんなきれいに舗装されたものじゃなく、岩盤素掘りの状態だとのことです。
わたしはどうしても気になり先日見に行ったのですが(今年の6月頃に人がクマに襲われた場所なので怖かったのです。捕獲用の檻もありました)、道を進むと堰堤に突き当って行き止まりでした。只途中左側の山肌に車一台分の大きさでブルーシートをかぶせた部分がありました。この山は御所八塚古墳なので、古墳の入口なのではないかとも思います。

私が調べてみて思うのですが、福光を見下ろせるというのは位置的に無理があると思いますので(父と叔父を信用しないわけではないのですが)、父が通ったのは、コンクリートで舗装される前の夕日寺隧道ではないのかと。夕日寺隧道でも福光を見下ろすのは無理だと思いますけど。
どなたか他に情報を知っている方はいらっしゃらないでしょうか。よろしくお願いします。


上記の情報でピンときた人はいるだろうか?

情報の舞台は、石川県金沢市内である。
その中にある御所町は、県庁などがある市街中心部から北東に4kmほど離れた山沿いの地区である。
ぶるにゃん氏の御尊父によると、御所町の星稜高・中学校あたりから始まる農道の突き当たりに、古いトンネルがあるという。
そのトンネルは、軽自動車一台がやっと通れるほどの狭さだが、結構長く、潜り抜けると、福光が見下ろせる場所に出るという。
福光(ふくみつ)は、隣県である富山県南砺市にある地名だ。御所町からは県道を20kmほど東へ走った山の向こうであり、ぶるにゃん氏が訝しがっているように、御所町からは少し遠い。

そして、ぶるにゃん氏はこの情報を頼りに御所町の隧道を探しに行ったそうだが、発見に至らなかったという。
そこで彼は、情報の隧道は御所町にあるのではなく、そこから2〜3km東の東長江町と夕日寺町の境にある隧道(夕日寺隧道)のことではないかと考えたようだ。


この書き込み、私は当然読んでいるが、当時は金沢市を一度も訪れたことがなく、隧道情報に興味は感じつつも、現地調査へ赴くことはなかった。
また、スレッドを読んだ読者から新たな情報が書き込まれることもなく、氏の期待に反してスレッドは塩漬けとなり、私もいつしかこのことをすっかり忘れてしまっていた。

だが、最初の書き込みから4年が経った平成30(2018)年5月、彼はこのスレッドに二つ目の書き込みを行った。

Re: 御所隧道? (2018/5/24 22:09:38)

場所が判明しました。
左・1994年 右・1970年の地図です。
今度現場に見に行ってみたいと思います。

たった3行、だが急展開!

【周辺図(マピオン)】

このときにぶるにゃん氏が掲載した新旧2枚の地形図を、私が勝手に重ね合わせたものが右図である。
さすがは石川の首都たる金沢の郊外だけあって、二十数年の間で地図風景は大幅に変わっていた。ひとことで言って都市化が進んでいた。
そしてその変化のなかで、1本の隧道が、ひっそりと消えていた。

隧道が描かれていたのは、昭和45(1970)年発行(=昭和43年修正版)の2万5千分の1地形図「金沢」だ。
この図では、最初の書き込みの通り、御所町の星稜高・中学校(図中の「経済大学」の隣にある)付近から山へ入る破線の道(=徒歩道)の行き止まりに、意外に長い1本の隧道が描かれていた。
だがその場所は、平成6(1994)年修正版の地形図では「御所町一丁目」という新市街地に呑み込まれかけており、隧道の表記は消えていた。

ぶるにゃん氏は、「今度現場に見に行ってみたい」と書き込みを結んでいた。


果たして、1ヶ月後、彼は成し遂げた。



Re: 御所隧道? (2018/6/22 22:02:48)

写真撮ってきました。


今度はたった一行の書き込みである。

これまでこのスレッドが味わってきた孤独を思えば、ぶるにゃん氏としても長文をしたためる気にならなかったとしても不思議はない。
だが、彼はいかなる長文よりも心に響く現物を手にしていた。
当然、このときからスレッドは孤独ではなくなった。数人の読者が書き込みを行うようになった。
そして現金な話だが、その書き込みの第一番手が私だった。

私はここに至って初めて情報提供への謝意とともに、
「金沢を訪れた際には、ぜひ探索したい」
ことを表明した。彼はそれに対し、
「(前掲の)写真は東側の入り口になります。住宅地のすぐそばにもかかわらず近年熊がよく出没する地域ですのでくれぐれもお気を付けください」
と、親切なレスを下さった。

いただいた1枚の写真からは、内部の様子はうかがえない。だが、そこにもぶるにゃん氏の愛情が込められているのかも知れなかった。これでは、気になって仕方がないのである!
私はこの年の11月13日、自身初となる金沢市訪問において、探索を決行した。
今回はいつにも増してお膳立ての揃ったうえでの探索であるが、たまには楽をしたってバチは当たらないはずだ。
ましてやこの日、前哨戦のつもりで訪れた夕日寺隧道(未執筆)では、散々な難行を強いられたのだから……。



ニュータウンの片隅に残る素掘り隧道


2018/11/13 9:11 《現在地》

はじめまして、金沢。

奥に見えるひときわ高いビルは、石川県庁だ。その背後は日本海。
ここは人口46万を抱える金沢市の一角を占める、御所ニュータウンだ。
その中でも高い位置にある、さくら公園という所に来ている。さすがに眺めがいい。



これもさくら公園からの眺めで、目指す隧道の在処とされる北西方向を見ている。
眼下の低地にニュータウンの住宅がたくさん建ち並んでいるが、目指す場所はその向いの山裾である。

といっても、この風景からは、わざわざここに隧道を掘った意味が感じられないかも知れない。
それは当然で、冒頭の新旧地形図比較で見たとおり、眼下のニュータウンは山を掘り下げた土地に作られている。
かつては、このさくら公園がある高みと、あちらの隧道上にある高みは、一繋がりの稜線であったようなのだ。

このように山が大きく失われている現状で隧道が残っているというのなら、幸運である。




さくら公園を脱出し、いつもの自転車でニュータウンへ侵入した。

それはいいのだが、問題は私の風体だ。
この直前に探索した夕日寺隧道が思いのほかやんちゃであったために、私は酷く汚れてしまっていた。
夕日寺からここまでは人気の無い尾根伝いに移動してきたから問題はなかったが、さくら公園から先はどうしても市街地を走らねばならなかった。

村では許されそうな私の姿も、平日朝の端正なニュータウンではどういう風に見えるのか、不審者として通報されやしないだろうか不安だ。
基本的に、小さなニュータウンは幹線道路沿いではないから、いろいろな旅人が往来することには慣れていないし、部外者である私にとっては苦手な探索地である(単純に古いものが余り残っていないというのも苦手の理由だが)。



9:19 《現在地》

忍者のように素早く街を横断し、目指す山の側へとやってきた。
この正面方向に、掲示板に画像が掲載された東口はあるはず。
こうして見ると、隧道擬定地の直上には十分な稜線の高さが残っていることが伺えた。
これならば、隧道の現存も頷ける。

次の写真は、まっすぐ行った突き当たりである。




9:20 《現在地》

東口擬定地付近へやってきた。
本当にニュータウンの隅っこであり、写真の左半分は内、右半分は外である。
隧道はちょうどこの境界付近に残されているらしく、ここから見てもいかにもそれっぽい奥行きが感じられた。
しかし、まだ見えてはいない。

隧道へ通じる入口(ニュータウンから見れば出口)にはチェーンが架けられていたが、さほど積極的な封鎖には見えなかった。



ずーん。

半端なく影の濃い通せんぼに一瞬気圧されたが、目を合わせないようにしてこれをスルー。



チェーンの先の道は、すぐさま隧道擬定地に背を向けて北へ下って行くが、これはかつて隧道へ続いていた道そのものだろう。
隧道が役目を終えた代わりに、ニュータウンの隅と接続されることで、働きを続けているのだ。

したがって私が進むべきは、この逆方向(矢印の方向)だ。




ずーん。 完全な廃道である。

だが、ここなのは間違いなさそうだ。
まだ隧道こそ見えないが、奥行きが感じられるし、何よりこの左側に写っているコンクリートの壁は、【ぶるにゃん氏の写真】にあったものと同じである。間違いない!




あった!

素掘り隧道だ。

天然の穴倉ではない隧道だけあって、坑口には結構な大きさが感じられるものの、
周囲が酷く荒れた竹藪と化しているために、ラストワンマイルならぬラスト数メートルが
物理的にも心理的にも遠く感じられた。とはいえ、強引に突破出来ない藪ではない!

ぶるにゃん氏の執念により発見された、名知らずの隧道へ、いざ金沢!!



踏み込みの瞬間、

「入山禁」なんとかとか、「山菜採り等一切の立ち入りを禁」なんとかとか書いた看板が

目に入ったが、藪が濃すぎて、そのいわんとする内容は確認できなかった。



もの凄い、枯れ竹の蓄積だ。

目線の高さに見えるのは、坑口の天井より上にある壁面であり、それだけ大量に堆積しているのである。

したがって、進もうにも地面には足は届かず、破竹の音をけたたましく響かせながらの前進を余儀なくされた。

ニュータウン内からみるこの状況はおそらく、犬や猫より大きな野生動物……熊……の接近を予感させるものになっているだろう。



9:21 《現在地》

とはいえ、もとよりすぐ近くに見えた隧道だ。

2分足らずのうちに、いよいよ内部を見るところまで接近すると、入口と同時に出口の光も確認され、

隧道の貫通が確定した!

なお、これ以上前に進むと隧道内部であり、坑口の全体像を引きのアングルから障害物抜きで写真に収めることは不可能だ。
なので文章の説明だけになるが、枯れ竹の隙間に見るこの坑口には、何ら意匠的なものは見られず、
いかにも時を経て角が落ちた素掘りの丸っこい坑口であった。



当然、ぶるにゃん氏はこの景色を見たのだろう。

そして、喜びのうちに貫通を果たしたのだろう。

だが私にとっては未体験隧道。出口は見えるが、途中が見えない。

恐れを抱かせず、期待を高める、高度な采配。 ……楽しめそうだ。


つづく


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