国道49号 本尊岩隧道  

公開日 2006.07.16
周辺地図

 国道49号は太平洋岸のいわき市と日本海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。
都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。
だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。
それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。

 そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた本尊岩(ほんぞんいわ)であった。
場所は新潟県東蒲原郡阿賀町(最近まで津川町)で、ここは阿賀野川が細く屈曲し海抜400m前後の山間を貫流しており、元もと道を通す隙間に乏しい場所であるが、その中でも本尊岩という大岩が水際に迫り出した一角があり、この基部を隧道が貫いて、辛うじて陸上交通を確保している。
この地の隘路としての宿運を初めて断ち切ったのが、平成8年に津川ICまでを開通させた磐越自動車道で、阿賀野川対岸の焼山直下に全長3kmを超える焼山トンネルを開通させた事によった。




難所を色濃く残す現道

埋められた三方道路時代の隧道

 細く入り組んだ宿場町の風情を残す津川町の南縁をバイパスで通り抜けた国道49号は、少し狭い麒麟橋で阿賀野川右岸に取り付く。
そこから本尊岩隧道までは西進すること約3.5km、ほぼ一本道である。
道はずうっと阿賀野川に沿っているが、進むにつれ両岸の山並みは険しさを増していく。
対岸は早々に沿う道もなくなり、緑茂る斜面が直接水面に触れるようになる。
やがて此岸も似たような景色になっていくのだが、その入口に、元一級国道らしからぬ交通規制表示が現れる。



 本尊岩隧道を間に挟む揚川ダムまでの4km区間の通行規制の表示である。
現在は磐越自動車道という有力な迂回路があるものの、数年前まではこの通行止めは県経済に事あるごとロスを与えていたものである。
この阿賀野川沿いの国道の両側を挟むように、南に越後山地、北には飯豊山地という、いずれも海抜2000mを越える高山が控えており、実質的に迂回路は存在しない。
このような交通規制箇所が、国道49号線若松〜阿賀野市間には何箇所かあるものの、迂回路の少なさはこの本尊岩がダントツである。



 今は大人しい阿賀野川だが、流域に恵みと脅威を共に与え続けてきた大河である。
まるで水墨画のような景色の中に、ちょこまかと車が往来する国道がいやに目立つ。
自然の風景としては道路は邪魔なのかも知れないが、道路好きの目にはむしろ、その存在感が嬉しくもある。
雄大な景色の中、あくせくした日常を詰め込んだ小さな車が、忙しなく走りすぎていく。
まさに現代の道の風景ではあるまいか。



 やがて、赤い鉄橋と共に岩棚にぽっかりと口をあけた本尊岩隧道が現れる。
どうやっても迂回できなそうな、この強烈な存在感を持つ岩脈が本尊岩だ。
昔の人には何か神々しく、ご利益のあるような岩に見えたかも知れないが、今日交通にとってはまさに鬼神・悪神の如き障害である。

 特に交差点でも何でもないにもかかわらず、トンネルの100mくらい手前に信号機が設置されている。
岩盤に何らかの異常があれば、即座に通行止めとなる。



 一面の落石防止ネットに覆われた大絶壁。
その麓には2つの坑口が並んでいる。
向かって左が国道49号本尊岩隧道、右はJR磐越西線の隧道である。
この両者に挟まれ、立ち入り禁止の細いコンクリート橋がある。
橋は国道橋に近接しているが、歩道橋というわけでもなく、渡りきっても何所に通じているでもない、不思議な存在である。
これらの橋の下には阿賀野川を堰き止めた揚川ダム湖があるのだが、橋が並んでいるために水面は見えにくい。



 用途不明の橋を対岸へ向けて歩いていくと、いよいよ本尊岩の袂に近付く。
見上げると、そこには冗談のような足場が見上げる限り続いており、まるで積木崩しのように崩れては補強が繰り返された本尊岩と交通との苦闘の歴史を物語っている。
工事用足場なのに、工事が終わっても取り外されていないというのは、また使う事を予期しているのか……。

 『sunnypanda's ROADweb』の調べによれば、この本尊岩付近での落石や土砂崩れによる国道及びJRの通行止めは、この道が一級国道に指定された昭和39年の新潟地震による被害に始まり、近年まで6回以上も発生している。
幸い死傷者こそ出ていないものの、落石によって通行中の自動車が破損しているケースもあり、いつ人死にが起きても不思議はない状況なのである……。
現在はセンサーを稼働させ、24時間態勢で僅かな土壌の動きも監視しており、突発的な崩壊にも備えているが、ここにこの大岩がある限り、そして道がここを通る限り危険は絶えないだろう。



 橋の行き止まりには、何本かのチューブが引き込まれた、トンネル型の坑口がある。
一部にはこれを旧本尊岩隧道の名残だとする考えもあるようだが、見たところこれはそのような謂われのものではない。
暗がりの中を覗き込んでみると、ものの2mほどで岩盤に遮られ行き止まっており、そもそもこの坑口は何ら掘削によるものではなく、ただ岩盤にセンサー類を取り付けるためだけの鉄の覆いと考えられるのだ。



 それでも穴好きとしては立ち入らぬ訳にもいかず、路面より1mばかり低い足場へ滑り込んだ。
背後は凹凸の乏しい灰褐色の地肌があるばかりである。
こうしてみると、この用途不明の橋はまさしくこの穴(センサー所?)に達するためのものであり、地形険阻なるためやむを得ず架けられた贅沢な橋だという結論になる。
実際、この橋には銘板など、一般の利用を想定したような一切は備えられていない。



 それでは、この場所にあったという会津三方道路時代の本尊岩隧道はどうなってしまったのだろうか。
周囲を見渡してみても、それらしい坑口はおろか、そこに繋がるような道の存在も窺えない。
まるっきり現道と重なって消滅してしまったのであろうか……。

 実は、その痕跡はすぐ傍にあった。
だが、夏場などはまず人目に付かない状況にある。
道路橋と鉄道線の間の、写真に写る僅かな緑の隙間に、それはあったのだ。



 そして、崖にへばり付くようにして、草木を掻き分け接近したその場所には、残念無念、頑丈に塞がれた坑口の跡が眠っていた。
明治15年頃に三島通庸によって初めて拓かれた本尊岩隧道の、今日見られる唯一の痕跡である。
『東北の道路今昔(東北建設協会発行 1989.3)』には、まだいくらか奥行きを持ってこの地に残存していた同坑口の写真が記載されており、悔やまれるところだ。
なお、その記述によれば、隧道は幅3.6mほどのものであったといい、現存するものはその上半分だけと言うことになる。
また、内部は現・本尊岩隧道にぶつかっていたために閉塞していたという。
おそらくコンクリートの壁が内張されていたのだろう。
少なくともそこまで20mくらいの奥行きはあったと想像され、なお悔やまれるところである。



 短い落石覆いの先に石組みの重厚な坑口が控えるJR磐越西線の隧道。
この隧道もまた、本尊岩が吠える度に被災し、特に坑口部分は繰り返し補修されている。
 磐越西線は東北でも古くから建設が進められた鉄道であり、大正2年にはこの隧道を含む馬下〜津川間が信越線の支線として建設されている。
坑口付近を見た限りでは、内部は竣功当時の姿のままのようだ。

 なお、現在は崖に直接その坑口跡を向けている旧・本尊岩隧道であるが、明治当初の道形は当時の絵図を見る限り、崖にへばり付くようにあったようだ。磐越西線の線路によって旧道路敷きは掻き消されているかのようだが、現隧道が完成する昭和39年以前の自動車交通がどのような道を通っていたのか興味深い。この僅かなスペースで平面交差をしていたのだろうか?



蜀の桟道を彷彿とさせる…


 さて、最大の目的であった明治期の本尊岩隧道には門前払いを喰ってしまった。
そのガードの堅さは、さながら街道に立ちはだかった本尊岩の如きであるが、旧道は当然としても、現役の道路構造物も大好きな私としては、今なお難所の名を欲しいままにする現・本尊岩隧道が、ことのほか気になってきた。
かつて、その内部では旧隧道と接していたはずの、現隧道にも、山行がの好奇の目を当ててみよう。



 本尊岩隧道とはセットで往来を支えているのが、短いが重厚なこのトラス橋。
昭和39年竣功の芦田橋である。
重厚な親柱には、一級国道として初めて整備された道の矜恃が満ちているようだ。
また、前述の通り南北100km以内にまともな迂回路がないような交通の要衝でありながら、交通弱者を全く顧みないこの狭さ!
歩道はおろか、路側帯も10センチ!
ドライバー達に道の狭さを余計に意識させる、重線となった点線が、そのままさらに狭い隧道へと誘う。
この光景から感じられるメッセージは一つ。

  「さっさと通り抜けろ」 だ。



 とにかく、車通りが途切れない。
じっくりと撮影しながら渡っている場合ではない。
乗用車単体なら大きめに避けてくれるからまだいいが、数台に一台は大型車で、しかも反対からも車が来たりすると、たちまち私のせいで渋滞になるに違いない。
少しでも車の切れた時を見計らって、通り抜けた。

 別に人が歩いちゃいけない道を歩いているわけでないのに、 なんなの、この肩身の狭さ!!!



 『全国隧道リスト(昭和42年)…山形の廃道サイト内』によれば、この本尊岩隧道も昭和39年の竣功で、その延長は39.5mとされている。
だが、現在ここにある隧道は、見るからにそれよりも倍くらい長い。
かといって、掘り直したものでもないであろう。
考えられるのは、反対側の坑口を延伸させたということか。

 控えめな意匠の本尊岩隧道。
銘板もあるにはあるが、交通の隘路として嫌わ続けたせいか、橋の上の私同様、妙に肩身が狭そうである。
そして、橋と隧道が直接繋がっていることが、路面を見ればお分かり頂けよう。
一見、少し古びた狭いトンネルに過ぎないが、その内実を知れば誰もがもう通りたくなるなる事請け合いである。
この後出会うことになる ある人物 をして、この隧道をこう言わしめた。

日本一危険な隧道だと。



 坑口と橋に挟まれ、普通は誰も見ないような銘板にも、しっかりと自己主張があった。
「一級国道49号線」。
今は無き、誇りに満ちた呼称である。
完成当時には、永代の難所本尊岩にも近代的な風穴が開いたものと、誰もが歓迎したに違いない。




 気がつけば私は隧道を迂回し、工事用の足場によってこさえられた湖上の道へ!
ついつい足が自然と……。

 下を見下ろせば、高くはないが風の抜ける足場。
何とも凄いところに歩道を設けているものだ。
もっとも、工事関係者以外立ち入り禁止である。



 意外だったのが、桟橋のような工事用足場を進んでいくと、やがてしっかりとした道跡?にたどり着いたことである。
本尊岩隧道以前の道の跡なのだろうかという気もするが、前後の地形はあまりに険しく、確証は得られない。
単に工事用足場の土台として切り開かれたものだという可能性は俄然高いわけだが。



 すげーなーおい。
細せ〜。

 で、言うまでもなく右のコンクリ体の中身は本尊岩隧道の落石覆い延伸部分である。
やはり隧道は後補の延長を受けていたようである。



 (右の写真)
 これ、もしかしてプーさん?

 この狭い場所で会いたくないな。



 で、やがて現道に脱出。
本尊岩隧道を迂回するルートは従来存在しないと考えていたものの、意外な事にそれは実在していた。

 さて、今度はいよいよ、隧道内部への侵入だ。
え、現役隧道の何が面白いのかって?

 結構好きだよ。現役も。



日本一危険な隧道!

 新潟側坑口はなぜか扁額がない(周囲には本尊岩の名を示す物なども一切無い…)。
若松側の坑口とは明らかに断面積が違うので、後補であることは一目瞭然である。



 新潟方面に何事もなかったかのように国道は続いている。
だが、もしあなたが自分の目でこの景色を見れたのなら、無事に隧道を通り抜けられた幸運を天に感謝すべきである。



 左上の写真には、一見良く整った近代的な坑門が写っているが、その山側には視界を遮る茶褐色の鉄壁が構えている。
この壁の裏側は、普段誰の目にも触れない場所ではあるが、万が一、旧本尊岩隧道の新潟側坑口に繋がる発見があるかと思い、忍び込んでみた。
結果、そのような道形は一切見られず、それどころか、膨大な量の崩れた土砂が坑門の側壁によって支えられている状況に遭遇。
図らずも延伸された坑門の有り難さと、この崖の危険さを同時に見ることが出来た。
あとは、この坑門を押しつぶすような致命的な崩壊が起きないことを祈るばかりであるが……。



 それでは、来た場所へ戻るため、現・本尊岩隧道へと進んでみよう。
内部は大きくカーブしており、明らかに両側の坑口の断面積が異なっているなど、内部の状況が興味深い所である。



 あっちいな。

 4段階で隧道断面が半分近くに切りつめられてるよ…。

 かなり強引な手腕である。
で、往来する車に戦々兢々としながらも車道に出て写真を撮影していると、一台の乗用車が私の後から来て通り過ぎていった。
よく見ると、その車は白黒のツートンカラーで、てっぺんには赤いランプが付いていた。
パトカーじゃん。関係ないけど。



 強引に断面を切りつめられている本尊岩隧道。
この先の40mが元々の隧道部分であろう。
扁額は見られず、代わりに埃にまみれた高さ制限3.5mの標識が取り付けられている。
こんな所で制限を食らっても、もうどうしようも無さそうだが…。

 写真に注目。
前方で繰り広げられている大型車と小型車の離合でさえ、殆ど余裕はない。
こんな所を歩く身にもなって欲しいよ、まったく。



 本来の坑門部分に付属する翼壁部分は、元々が素堀であったのか、或いは一度取り壊されたのか、コンクリートの吹き付けられた岩盤のようである。
おそらく明治期の本尊岩隧道の坑口はこの辺りで接していたものと思われるが、当然のように隧道内にそれを思わせる痕跡はない。

 それにしても、みな当たり前のようにこの隧道を通り過ぎていくが、車以外の者にとっては命懸けだぞ結構。



 で、満足して隧道を出て、傍に置いていた車に戻ろうとすると、さっき通り過ぎていったパトカーが駐まってるじゃん。
え、俺に用なの?
怪しくないよ別に。俺。

 感じの良いポリスマンであった。
免許証拝見とはなったが(っつーか、職務質問だね)、とりあえず平日の日中にこんな所をうろついていた私の言うことを信用してくれたらしく、世間話などした。そして、この本尊岩隧道についての感想を色々と聞かせていただいた。
隧道内部の写真を撮っているので、事故でもあったのかと思ったらしい。
それに、私のような趣味者がいるとは思わなかったとも。そりゃそうかもね。
彼はここに明治期の隧道が埋められて存在することも知らなかったが、現・本尊岩隧道がいつ瓦解するか分からない「日本一危険な隧道なんだ」と語っていた。
市民の安全を守る警察官であっても、こればかりは手をこまねいてみているしかないのだろう。

 無論、国土交通省はそんなことを百も承知で、今や対岸に全長2.7kmの焼山トンネルを含むバイパスを建設中であるというが。

 通行する皆様も、くれぐれも、  ね。
ご武運を……。