国道49号 本尊岩隧道 あの穴の正体編  

公開日 2011.7.7
探索日 2007.5.9


本尊岩隧道の災害歴 『土木学会論文集No.722/III-61,315-330,2002.12
一般国道49号本尊岩地区岩盤斜面の安全性評価と防災対策』より転載

国道49号の本尊岩(ほんぞんいわ)隧道(昭和39年竣工)をここで紹介してから、既に5年が経過した。

本尊岩隧道といえば何と言っても忘れられないのが、現地でたまたま知り合った警察官が、「ここは日本一危険な隧道だ」と口にしたということだ。

何が危険って、右の図を見て貰えば一目瞭然である。
隧道がその基部を貫いている「本尊岩」が、ことあるごとに崩れているのだ。
そして、やがては致命的な崩壊に至る危険性が指摘されている。

無為に放っておけば北海道の豊浜トンネルで起きたような惨事が再現される可能性があり、5年前も既にそうだったが、全力での落石警戒態勢がいまも続けられている。
国道49号という東北と北陸を結ぶ幹線国道は、喉元に匕首を突きつけられた状態で働き続けているといっていい。

だが、このような危険で不安な状況も、ようやく終わりが見えてきた。
平成21年に着工された別ルートのバイパス「揚川改良工事」(揚川バイパス)の完成が平成24年度内と予定されており、順調にいけば2年以内に本尊岩隧道は旧道になることだろう。

…その後は、どうなるのか。
おそらく、隧道は通行止めになるのではないかと思う。
もしかしたら、岩盤を安定させる目的で、コンクリート充填のうえ完全密閉されてしまうかもしれない。



そんな余命幾ばくもないかも知れない本尊岩隧道には、前回のレポートでは解明せずに終わった、いわゆる“謎の遺構”が存在している。
ここから先をご覧頂く前に、前作を軽く一読されることをお勧めしたい。
何が“謎”だったのか、お分かりいただけると思う。

そして今回は、“謎”の答えが分かったというお話しだ。
“謎”を抱えたまま廃道になったら“浮かばれない”と思うので、ここに明かしておきたいと思う。




まずは何が“謎の遺構”なのか をはっきりさせよう。


右の写真は本尊岩隧道の福島側(東側)の風景で、正面奥に見えるのが現在の隧道である。
左はなみなみと水を湛える阿賀野川、正面にはまるで屏風のように切り立つ本尊岩であり、隧道無しでは決して突破し得ない地形である。
さて隧道はワーレントラスの芦田橋に接続して一連の道路となっているのだが、橋を含めて幅員には余裕がほとんど感じられない。
磐越自動車道が出来ていくぶん緩和されたといえ、まだまだ元一級国道に相応しい大型車の通行量なので、そういう意味でも危険でドライバーに気を遣わせる場所になっている。

問題はこの芦田橋の隣に架かっている、ちょうど1車線分のシンプルな橋である。
銘板も取り付けられていないこの橋が、“謎の遺構”のひとつめである。
一般の交通に供されていないと言うだけで“遺構”と決めつけるのは早急かも知れないが…


安心してくれ。


こいつは正真正銘の遺構でした。



(なお隣接して明治15年頃開通の旧隧道があるが、その現状は前作を確認して下さい)


“謎の橋”の路面はコンクリートが剥き出しで、タイヤ痕のような車が通っていた形跡もほとんど確認出来ない。

それもそのはず、この橋を渡ってもどこへ行くことも出来ないという、行き止まりの無為なる橋。

世間一般的には“トマソン”と揶揄されるような存在である。

古いなり(昭和39年生まれ)に黙々と活躍を続ける隣の芦田橋よりも僅かに高い位置に架かりながら、その存在感はまるで空気のようである。

いま数人の男たちが橋の上にいるが、彼らは平成19年秋にNHKで放送された「熱中時間」「廃道熱中人の回」の撮影スタッフの皆さん。
放映を覚えている方もいるかと思うが、番組中ではまったくこの本尊岩隧道は使われなかったと記憶している。
だが、この無為なる撮影時に私はこの無為なる遺構の正体を知ることになった。



上の位置から少しだけカメラを引くと…

撮影の様子を心配げに見つめる、ヘルメット&作業着姿の“仕事人”の姿が!
彼の心配の先にあるのは、スタッフの挙動というよりも、その背後にそびえる本尊岩にあるようにも見える。

そんな彼の正体は、国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所の担当者さま。
スタッフによれば、この本尊岩隧道の旧隧道を撮影する許可を打診したところ、彼の立ち会いを条件として許可がされたらしいのだが、はっきり言って探索がどうのという雰囲気ではなくなっている(笑)。
“熱中人”の私が後陣に位置していることからも、それは明らかだ(重笑)。

もっとも、この藪の深さだと旧本尊岩隧道の坑門は完全に藪に覆われており、映像が没になったのもやむを得ないのだが、そこで気を利かせたスタッフは、私に予想外のテーマを与えた。


“廃道探索者”として、“道路管理者”に聞いてみたいことはありますか。」


言いたいことは分かる。 対談しろと言うのだろう。

だが、道路管理者と廃道探索者とは、言うなれば水と油ではないか。

柵を作りし者と、破りし者。

弁解の余地もなく、私は嫌われているはずですよ。
だって、最初に「廃道熱中人」だって紹介されたとき、彼はにこやかに苦笑してたもの……。


だが、確かにコレはまたとないチャンスである。
まさにいま我々が立っているこの橋。
これが何なのかを、知らないはずがない当の人物。

対談の内容がスタッフが期待していたのとは異なっていたこともあり、重ねてこれも“没シーン”になったのだが、私にとっては大変に有意義な質問タ〜イムになった。
もちろん、最初にこういうやり取りはありましたけどね。

 私 :「…すみません。 いつも、大変ご心配をおかけしています…。 安全第一でやっていきます。」

 管理者 :「(苦笑) がんばって下さいとはいえないですが…。立入禁止の場所には立ち入らないようにお願いします…。」



さて本題。

この橋は、なんなんですか?




先ほど、橋には行き先がないと書いたが、厳密には違う。

そこには以前のレポートでも紹介しているが、本尊岩の基部に穿たれた幅2m高さ1m奥行き1mほどの小さな穴がある。
これが橋に次いで現れる“謎の遺構”のふたつめ であり、このセットが“謎の遺構の全容”となる。

前回は、この穴の中に何かセンサー状の物が取り付けられていたのを見て、本尊岩の動静をチェックする為の設備ではないかと推定したが、確かに現状はその用途で使われているようであるが…

本来はそういう目的の“橋と穴”ではなかったということが、管理者氏の口頭で判明した!





↓この橋と穴の正体は↓






大断面隧道への拡幅工事の未成遺構。



なるほどな。

と思ったよ。



(だって その1)

前のレポートでも紹介したとおり、

反対の新潟側坑口はとても大きいし、新しい。

どう見ても福島側坑口とは不釣り合いで、不思議に思っていた。

工事用銘板などがないので、いつからこの形に変わったのかは分からずじまいだが、当初(昭和39年)の物でないことだけは確かだ。




(だって その2)

両側の坑口の大きさが違っているということだから、当然内部には断面の遷移区間が存在する。

全長僅か40mほどに過ぎない本尊岩隧道にあっては極端に不自然な存在で、前もこれには大いに驚いた。

なにせ新潟側は9mもあろうかという全幅が、福島側に近付くと「グググッ」という感じで切り詰められ、最後はたった5.5mという2車線ぎりぎりになってしまうのだ。
大型ドライバーならずとも驚きの縮小である。




だが、これも本来は、
こんな大きさの坑門に変わる手筈だったのだ。




私が管理者氏から聞き出し得たのは、時間的な都合もあり、あまり詳細な情報ではない。

ただ、北陸建設局新潟国道事務所が、現在進行中の別線による「揚川バイパス」建設という選択をする以前、現道の本尊岩隧道および芦田橋の拡幅というカードを切りかけ、途中まで工事が進められたことは間違いない。


なぜこの拡幅工事は途中で中止され、遙かに大規模(全長7.5km)のバイパス建設に計画が変更されたのか。
また、その時期はいつであるか。
これらの疑問については、当サイト掲示板の常連であるアンパンマン氏がまったく別途に調査しており、次のような情報を下さった(平成23年4月着信)。




(芦田橋の隣に)もう1本橋がかかっており気にかけておりました。本日、関係事務所にお尋ねしたところ「R49の拡幅のために架橋したところ平成2年頃、落石事故があり危険と判断された為その後の工事が中断されたままになっている」と調査していただき、2時間後程でご丁寧な電話返答いただきました。

アンパンマン氏調べ



冒頭に紹介した既往災害歴のリストにには記載がなかったが、平成2年頃にも落石事故が起きていたのだろうか。

その規模は不明で、リストにないところを見る限り国道本線の交通には影響が出ないレベルだったのだと想像出来るが、おそらくそれを受けて、もうこれ以上「本尊岩の機嫌を害するようなトンネル工事は無理ッ!」という判断になったのだろうか。
そして気を取り直して抜本的な解決を図ろうとしたのが、対岸への「揚川バイパス」建設の発端ではないだろうか。




少しだけ推測を交えつつの、謎の遺構に関する「結論」。

まず橋の正体は、拡幅工事のために建設された仮橋である。
国道の一部として使うには作りがちゃちだし、1車線分にしても幅が狭い。

その先にある小さな穴の正体は、隧道の拡幅部分の掘りかけて止めたもの。
すなわち、小さな未成隧道だった。

しかし、仮に落石事故を発端とする計画の中止が無くても、難工事になったと思う。
さしあたっては、国道の迂回路をどうするのかという問題について、どんな解決を目論んでいたのだろう。
阿賀野川に長い桟橋を架けて隧道を迂回させる意外に方法はないように思うが、平成2年頃に現地を通った人の証言が欲しい。
新潟側の拡幅についても、活線のまま行えたとは思えないのだが。




謎の遺構は、終末に近付いた隧道が延命への足掻きを見せた痕だったのである。

有史以来長らく奥羽と越後の関門となってきた本尊岩。
その意義も、遠からず等閑に付されることになる。

だが、私はこの阿賀野川と国道49号と本尊岩が織りなす風景は、わが国にある美しい交通風景の十指に入る物と思っている。
最後にその景色を見ていただきたい。
これは国道上にいたのではダメで、近くを通る林道からがベストアングルだということに取材時偶然気づいた。




道路はやはり、車がたくさん通っていると映える。

普段は廃道ばかり持て囃している私でも、それは疑わない。

美しい旧道も廃道も棄てがたいが、頑張り抜いている現道が、一番だ。