隧道レポート 掛川市の岩谷隧道 後編

所在地 静岡県掛川市
探索日 2011.3. 4
公開日 2011.3.30

日本百奇洞 ノミネート出来そう



2011/3/4 12:40 【現在地(マピオン)】

山の土手っ腹にぶち抜かれた、コルゲートパイプ。

おおよそ「トンネル」や「隧道」っぽくないこの「穴」だが、出口は既に見えている。

…見えている出口。

……前後編に分ける必要あるのか?


あなどるな!(穴だけに…プププ)

まだ、岩谷隧道は始まったばかりだぞ!!





中身も変だった。



コルゲートパイプはとりあえず、囮(おとり)だった。

変態な中身を少しだけ隠す、皮だった。




おお、これは美しいヒカリゴケ(天然記念物)ですね。


って、そんなばかな!

こいつは、車輌(或いは通行人の頭も?)衝撃防止用の、蛍光スプレーだ!

一瞬でもありがたがって、すげー損した(悲)!


つかさ、スプレーする前に、
どうにかしようよ!
この【出っぱり】を!!

遠目には直線に見えた隧道だけど、でっぱりのせいもあって、中心線が蛇行してるぞ!

しかも、「もうそれでイイです」といわんばかりに、蛇行にあわせてコンクリート舗装が敷かれているし…。




つかさ、スプレーする前に、
どうにかしようよ!

↑前言撤回!

 申し訳なかった、掛川の人よ…。


頑張ったんだな!
何か棒のようなもので、一生懸命出っ張りの付け根を突いた痕があった…。

でも、この出っぱりはマジで堅固だったらしい…。 これは仕方がないよな。




同じ出っ張りの反対側にも、やっぱり頑張って穴を突いた痕があった…。
見た感じはそんなに堅く見えなくても、実際はもの凄く堅いんだろう。

でも、ぶっちゃけこんな風に一部が出っ張っているせいで、周囲をここまで掘り広げた意味が、ほとんど無いんだよな…。

少なくとも、自動車の高さ制限は、この出っ張りによって規定されている。
入口にあった「高さ制限1.7m」も、この出っ張りに対してのものだろう。
コルゲートパイプの部分より、更に20〜30cmほど天井が低いのである。正確に計ったわけではないけれど…。



そんな苦闘と不格好の出っ張りも、ちょうど隧道のまん中くらい(入口から30mくらい)のところで終わる。
目立って出っ張っていたのは、全部で3箇所だった。
この先も少しの間は天井が低いものの、その奥は今度は妙に縦長のシルエットになっているのが分かる。
そういえば、この隧道に近付いてくるときに見たのは、こんなおかしげなシルエットだったっけ…。


出口の光はここから見ても大変眩く、その向こうの地上の事は肉眼で窺い知ることは出来ないのだけれど…。

 …え? 

ちょ、ちょっと?! 


ちょっとーー!!!




どうやら、

私はとても恵まれているらしい。

だって、こんな場所で出会ったんだから。



対向車!←動画でGO!】




ネタと見紛うばかりの 好・展・開!

洞内を探索していたら、反対側から軽トラが来たでござる!

洞内で離合することも考えたが、すぐに無理と悟って入口に戻ったでござるよ!


…それにしても、地元車は早かった!
私が自転車をひっ連れて猛ダッシュで逃げたのに、悠然と追いかけてきた。
例の出っ張りがあって微妙に直線じゃないはずの洞内でも、全然減速してないし!


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…よ、よし。

もう来てないよな。 


12:46 気を取り直して第2回戦だ。




そういえば、さっきは前方の景色に気をとられてスルーしてしまったポイントを、チェックしておこう。

コルゲートパイプと素堀隧道の、連結部分の処理なんだが…

おもいっきり、テキトーすな。

素堀隧道の内径に合わせたコルゲートパイプを設置して、隙間は土砂を充填した感じっぽい。
これらの施工が、たぶん竣工年として記録されている、平成6年の出来事なんだろう。





隧道はだいたい中間地点を境に、天井の高さが倍近くも違っていた。

ここまでは2mあるかどうかくらいなのに、中間のところで、
ガクガクッ
って感じで、急激に天井の高さが変わっているのだ。

舗装された洞床の平穏さとは相容れない、不自然な状況といえる。



このように隧道の内部の天井に大きな段差がある場合の原因は、主に次の2つが考えられる。

ひとつは、両側から隧道を掘り進めてきたが、何らかの理由でその邂逅点が上下にずれてしまった場合。
測量や掘削の技術が未熟だった昔の隧道では、ときおり見られるパターンだ。

もうひとつは、本来なら隧道全体を一定の高さに掘り揃えるつもりであったが、岩盤が固いなどの理由で、途中で掘削を諦めて、工事の規模を縮小した場合だ。

こういうケースはあまり見たことはないが、当隧道に関しては、おそらくこっちではないかと思う。
隧道の中央部を境に岩盤の堅さに相当の差異があることが、素人目にも見て取れたので。

なお、当隧道は結構な片勾配が付いている。今までその事を書かなかったが、図で明らかになったと思うので、補足しておこう。




横穴まで完備かよ…。

超小さいくせに、なんぼ盛りだくさんなんだよ…。

しかも、こんな横穴があれば誰だって入りたくなると言うことを、ちゃんと掛川市役所は把握している。
それで先手を打ってきやがった。

市名義の立て札が立っている。

もっとも、文字がかすれていて「危」しか読み取れなかったうえに、なぜか塞ぎはしないという、「分かってる」っぷりだが。
ほんと、掛川市は分かってる!




まあこれは順当に考えて、防空壕だろう。
これで、いよいよ戦前生まれの隧道である可能性が高まった。

3畳ほどの狭い一部屋で、天井は立って歩けないくらいに低い。
そして、天井には空き缶を利用したカンテラが2つ、取り付けられていた。
自分が子供の頃にこの場所を知っていたら、同じようなことをやったかも知れない。
ただ、ろうそく程度の炎でも、これだけ天井も低く狭い空間だと、「いっさんかたんそ中毒」になる可能性が0ではないようにも思うので、やめた方が無難かと。




この横穴に入っている最中、本坑に残してきた自転車のことが気になって、落ち着いていられなかった。

一度来た以上、またいつクルマが現われるか知れたもんじゃない。
我ながら臆病だと思うが、この狭い洞内でクルマに追い立てられるのは、一瞬でも心臓に良くないのである。




というわけで、横穴からすぐに本坑に戻って先へ進むと、数メートルも行かないうちに、また横穴…。

だが、今度は“入口”だけで、その奥がなかった。

もうひとつ掘ろうかな〜、どうしようかな〜とかやっているうちに、終戦になったのかも知れない。
…そんな長閑なもんでもないだろうが。




私が入ってきた東口とは、全く様子の異なる西口。
こちらは違和感ありありの鉄管など存在せず、手堀のままの開口部である。
出口に連なるカーブの様子、そこから見える緑と空の配分、日の射し込み方。
どれを取っても、好ましい。

最後に洞内を振り返る。
わずか64m。
歩きでも1分とかからない短小隧道ながら、その風味の濃さは、掛川名物の茶ではなく、「ドクターペッパー」並だった。
うまうま。




12:50 

脱 出!

この西口…地名でいえば掛川市下垂木(しもたるき)に口を開けた坑口もまた、コルゲートパイプとは違った威圧感を、遺憾なく発揮していた。
まず、見るからに土山なのが、崩れてきそうで気持ち悪い。

そして、やっぱり高さ制限1.7mの標識だけが立っているわけだが、この西口に関していえば、むしろ幅の狭さに目が行くのである。
少なくとも円形をした東口より遙かに狭いし、軽トラでもなければ、ちょっとここにクルマで入ろうとは思わない。
ほんと、挑戦しなくてイイからね。たまに対向車来るから!




隧道を抜けた先にも、軽トラサイズの舗装路が緩やかな谷地の中に続いていた。
周囲には茶畑やら野菜畑やらがあって、隧道が耕作路として健在なのも頷ける。




小さな水神の祠を過ぎると、谷地の底は藍鼠(あいねず)の水を湛えた溜め池になった。
地図を見ると、この池の名前が「岩谷池」というらしい。
水神碑の存在といい、溜め池に敢えて池と名付けられているところといい、かなり歴史のある灌漑用池かもしれない。



12:56 【現在地(マピオン)】

上西郷のスタート地点から、下垂木のこのゴールまで、距離にして700mほど。
あとは道なりにしばらく行けば、県道原里大池線に呑み込まれる。

隧道は奇抜だったけど、しかし無駄なものは何も無かった。
人の血が通っている。そう思える隧道だった。
そして、それが今も生きている!

さっそく、掛川市のファンになりそう。






最後に、これまで全然触れなかったこの隧道の“歴史”について。

…なんだけど、大したことは分かってません。
せいぜい、歴代の地形図を見較べてみると、右の昭和27年版以降に描かれているなーということくらい。
大正や明治の地形図も見てみたけど、同じところに道は描かれていても、隧道の記号は無かった。
(でも、尾根の上に旧道があった様子もないので、隧道は明治時代からあったかもしれない…掛川周辺は明治隧道が多いから…)

あと、この隧道が掘られた経緯というか目的についても、「掛川市史」に記述は無く、現地でも聞き取りをする前に軽トラがいなくなってしまったので、不明である。

まあ、そんなに特別な隧道というわけでもなくて…
ちょっと便利になったら嬉しいな。この辺りは地質が軟らかいから結構簡単に掘れるでしょ。
そんな風に考えて掘り始めてみたら、意外に途中から岩盤が固くてムキーッ!
…ま、いいや、ちょっと計画より狭いけど、軽トラ通れるし…。 完成だ〜。

↑みたいなストーリーを想像して、お開きにしよう。