隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線 鷹の巣トンネル旧道

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.05.28
公開日 2013.11.15


佐渡島の南岸にある廃隧道を紹介したばかりだが(←隧道レポ「野崎トンネル旧道」、今日は佐渡シリーズの“第二弾”として、北岸の外海府海岸にある廃隧道をまた1本紹介しようと思う。

外海府海岸の広がりは相川から鷲崎まで約50kmに及び、この海岸線に沿って県道佐渡一周線が通じている。
この海岸線は、海の風景には事欠かない佐渡島の中でも、雄大な海蝕海岸が見せる奇景・絶景に関しては、他の追随を許さない。
当然、佐渡観光の重要な舞台ともなっているが、長らく陸路の発達に恵まれなかったため、観光客がその全貌を把握しうるようになったのは、昭和も終わりの頃である。

また、海岸沿いには多くの集落が点在するが、かつて佐渡県庁や佐渡郡役場が置かれたこともある相川だけが別格の都会で、他は全て漁村や農村という表現が相応しい小村である。
しかも相川から離れるほどに集落出現の頻度が減っていく。

今回紹介する鷹の巣トンネル(と旧道)がある場所は、この外海府海岸の中ではだいぶ相川寄りの位置(相川の中心部から約9km)で、県道佐渡一周線を相川からスタートした場合、最初に出会うトンネルである。
つまり外海府海岸にある隧道群の中では最も南に位置している。


上記の説明からして私がこの隧道を“外海府海岸隧道群の初級編”に位置付けようとしている意図が感じられるかも知れないが、それは確かに間違っていない。
だが、現実の探索の順序は全く逆であったことも書いておきたい。
私は平成25年5月末に行った佐渡島2泊3日探索の2日目に、外海府海岸を岩谷口から相川近くまで自転車を漕いでいる。
だから私にとってこの隧道は、ほぼ一日中見続けてきた外海府海岸の奇景と絶景を締めくくるという、“初級編”とは真逆のポストにあった。


結果、

私の外海府海岸の印象、全く思いがけない意外な“形(カタチ)”で締めくくられることに…。




奇岩を貫く、佐渡外海府隧道群の初、あるいは終


2013/5/28 14:20 【位置図(マピオン)】

私が今回の佐渡島一周探索計画(実際は寄り道しすぎて3日間の行程では一周出来なかったが…)を実行するにあたっては、事前準備として旧版地形図と『道路トンネル大鑑』の突き合わせを行い、『大鑑』に記載されている佐渡島内のトンネル24本全ての現状を確認することを目標に据えていた。
そして現在、2日目の行程である外海府海岸における残トンネルは、以下の1本。

北狄隧道
きたえびす
路線名:一般県道 両津外海府佐和田線  所在地:相川町北狄
全長:22m  車道幅員:3.2m  限界高:2.5m  竣工年度:大正6年

戸地(とぢ)集落から1.3kmほど南下したところで小さな岬が見えてきた。
そこには、遠目にも大口を開けているコンクリートのトンネルが見えた。
予想はしていたことだが、やはり改修済みのようだな。
『大鑑』のデータとは、明らかに大きさが違って見える…。




はい、ありました!!

旧隧道である。

岬の突端に口を空ける小さな坑口が、現道からもよく見えた。
見えすぎるくらい見えるので、これを見逃す事は夜でもなければ極めて難しい。
初歩であるな、これは。
今日見てきた旧隧道の中でも、これはとびきり分かり易く、隧道の規模も小さそうだった。

しかし道が通じていないようなので、廃隧道のようだ。

スペック的にも位置的にも、あれが『大鑑』に記載された「北狄隧道」であると見て間違いなさそうだが、隣にある現道のトンネルは全く違う「鷹の巣トンネル」の名を掲げていた。
この改名の理由は定かではないが、地図を見ると岬は前後とも大字戸地に属し、大字北狄は200mくらい先からである。
つまり、ここは北狄という地名ではない。
案外、そんなことが理由かも知れない。




巨大なテトラポッドが海面を隠しているが、ここは波打ち際である。
そして旧隧道(北狄隧道)に続く短い旧道は、海面からほとんど離れない岩場を30mほどトラバースして、岬の突端間際まで辿りついてから90度向きを変え、素掘の隧道に刺さっていく。
まさに陸海の境界に無理やりねじ込んだ感が満載である。
その中でも私の目を惹いたのは、路肩に築かれた石垣の素朴な姿である。

この路肩の擁壁は、よく見ると前半と後半で作りがまるで違う。
前半部分は見慣れた(珍しくない)谷積みだが、後半は布積みを用いている。
石材を煉瓦のように積む布積みは、道路の擁壁としては谷積みと較べれば圧倒的に採用例が珍しく、希少性を感じるのである。
ここの谷積みは後生の修復の手により、布積み部分こそが大正6年生まれのオリジナルではないかと想像した。

また、これらの立派な石垣と、隣り合う素掘隧道との対比も面白かった。
見た目を整える為の坑門などは作りもせず、波よけ擁壁という道路にとって真に必要なものだけを作った感じが、代々の地方道として誠に好ましい。




うわっ! こんな意地悪しなくても…。

別に意地悪のつもりはないのだろうが、こちら側からの旧道アプローチには一手間要した。

路肩からテトラポッドに乗り移り、一旦磯に下りての岩場経由か、そのままテトラポッドを乗り継いでアプローチするかで悩むのが基本だが、よくよく見ると、その必要は無かった。
ヒントは右写真の矢印の部分。
ここに顔を出している排水用の鉄管が“隠れステップ”になったので、テトラポッドを使わずに横断出来たのだった。

左の写真に写る鷹の巣トンネルの坑門には、何か表札のようなものが取り付けられていた痕跡があった。
工事銘板にしては小さいが、反射板を取り付けるにも中途半端な位置だ。
ここには何があったのだろう?
ちなみに鷹の巣トンネルには工事銘板が見あたらず、現地で竣工年を知る手立ては用意されていない。
したがって、北狄隧道が旧道となった時期についても、現地では解決出来なかった。



良いカーブだ! 険しくも美しい線形に、興奮ス。

北狄隧道を含む北狄〜戸地間に県道(車道)が開通したのは、大正6〜7年であるという。(『佐渡相川の歴史 通史編 近・現代』(平成7年・相川町)より)

そして現在使われている鷹の巣隧道は、昭和50年に完成している。
(『平成16年度道路施設現況調査』(国土交通省)より)

したがって、この旧道は約60年もの長期間にわって、外海府方面へのほとんど全ての陸上交通を担った事になる。
(外海府北部の岩谷口〜鷲崎の車道が全通したのは昭和44年で、それまで冬期間は相川経由以外で外海府へ行く陸路はなかった)



(→)このように、ガードレールなど取り付けられていた気配が全くない、車1台分の崖道。
しかも、海がひとたび荒れれば為す術なく波濤に呑み込まれるしかない、磯道でもある。

これが、外海府住民数千人の暮らしの道であった。
奥に集落が一つだけあるマイナーな道ではなく、国道の次に偉い県道(しかも主要地方道)でさえこれ。
いくら海路という選択肢もあったとは言え、いざとなれば陸路というのが現代人の感覚。
そしてこの道が解消された昭和50年といえば、現代の範疇に他ならないだろう。現代だよね?

なお、旧道は最後まで未舗装だったようだ。土を締め固めた優しい感触があった。
今コンクリート鋪装されている部分も、新道工事の際に何らかの目的で鋪装されただけのように思われる。



登場! 北狄隧道!

離合スペース皆無の狭隘な崖道から、ブラインドの90度カーブを介して、
さらなる狭隘かつ、素掘かつ、無点灯の隧道に接続するとは……

どうしょうもない悪線形! 

弁護不可能のクソ線形と言わねばなるまい……。



しかも、この天井の一部が落ちたような、巨大クレバス状 天窓 を装備…。

別に通行上の妨げにはならないが、この存在が数分後、 “外海府の最終的な印象” をキメることになるとは…。




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海と岩と道とここにある全てが、精巧なミニチュアのように互いを尊重しながら合作した景観を、
ただ道という一線から眺めただけでお仕舞いにするのは、少し勿体ないような気がする。
だから、簡単に道を逸脱できる場合は、道を客観視出来る視座を探すのもオブローディングの一興だ。

これは、そんな道路の欲張り者が見た風景。



荒磯のジャリジャリした岩場を適当に這い上り、クレバスのように割れた坑口を見下す位置へ辿りついた。

この微妙な高さから見下ろす道が新鮮だった。
道が現役だった当時は、ここから走り去る車の荷台に飛び移るような、今なら大問題になりそうなイタズラが、ワルガキたちによって伝統的に誇られていた可能性もある。
なんとも冒険心がくすぐられる、単なる拒絶に終始するではない、楽しいアスレチカルな地形が好印象だった。

しかし、このどこまでが自然の風や波の作った地形で、どこからが人工的なものなのかは、今ひとつ判断出来なかった。




また、せっかく隧道の上に登ったので、ここから隧道を介さずに岬の反対側へ抜ける道(旧旧道)があるかを簡単に探してみた。

だが、明確な道の跡は見あたらず、仮にあったとしても車道ではあり得ないと判断。
もっとも、道を作らなくても地形的にはなんとか越えられそうだったので、大正6年以前には、磯伝いの往来もあっただろう。


そして、私はここで西の海上へ寂しげな視線を投げかける、一人の老人の顔面に出会った。

純粋な天然地形だと思うが、超リアルで驚いた。


北狄隧道が誕生する以前の地形図(大正2年測図版)を確認したところ、当時の歩道(旧旧道)は岬の前後は海岸線を離れて段丘の上を通過していたことが分かった。
その道は昭和28年応急修正版の地形図にも破線で描かれている。




それでは北狄隧道の内部探索だ。


……が、見ての通りである。

語るべき事は、そう多くない。




土被りのごく少ない隧道内には漏出する地下水も全くなく、乾ききっていた。
また、完全な素掘である壁面にも崩れたような欠けはなく、隧道には理想的な地質であるようだ。
洞床には外の路面と同じように土が敷かれており、これも乾いてよく締まっていた。

『大鑑』によると、隧道の長さは22m、幅3.2m、高さ2.5mということだったが、現実にもこの数字の通りであろう。
少なくとも『大鑑』が編まれた昭和40年頃以降には、少しも手が加えられずに廃止を迎えたようである。
自動車が通る道としては、ほとんど限界に近い狭隘隧道なので、大正6年の完成当初から少しもカタチを変えていない可能性も十分ある。

短い廃隧道でも、前後が暗い森だったりすると、それなりに不気味なオーラを纏うものだが、この隧道にあるのは、明るさと、潮風と、潮の匂いだけだ。
ここは平和に満ちていた。




14:25

北口とは打って変わって、小規模ながら草原的な景観を見せる南口。
すぐ先には現道のトンネル坑門が見えており、新旧道合流地点は目と鼻の先である。
そして、これはもはや定石になりつつあるのか、やはり旧道の入口に駐まっている車。
はいはい、おサボりね〜。イインダヨ〜。




これが南側坑口。
やはり意匠的なものはまるでなく、それどころか角などが妙に円みを帯びていて、天然の海蝕洞の入口みたいに見える。
或いは、そういう凹みを利用したものなのかも知れない。
だが、こういう漏斗の口みたいな狭小断面は、初心運転者にプレッシャーを与えそうだった。



こっち側からも磯伝いの抜け道を探してみた。

なんか写真中央の部分が道っぽく見えるが、おそらく天然の地形なのだろう。
辺りの岩場を見回すと、こういうテラス的な小平地が無数に存在していた。

奥の岩場を回り込むと、例の“老人顔面岩”の裏側(今ひとつ不鮮明)を見上げる感じになったが、帰りも北狄隧道を通りたいと思ったから引き返した。

そしてこの何気ない決断が、驚くべき景観への気付きを生むのだった……。




相川方面の海陸遠景。

中央の海辺に見えるのが北狄集落で、左の高まりは大佐渡山地、右の陸の果ては尖閣湾の景勝地で知られる大崎だ。
相変わらず佐渡は大きく、どんな風景を切り取っても離島であることを感じさせないものがある。
また、この先の県道佐渡一周線にはもうトンネルが1本もなく、外海府海岸の険しさもここまでという感じの眺めであった。



14:30 《現在地》

っていう配列がちょっとツボったわけだが、なかなか絵になる新旧隧道居並びの風景である。
「これが旧道ですよ」と言って、今まで道路になんてまるで興味のなかった人にも即座に了解して貰える眺めは、結構貴重である。
まさに、教科書&入門的風景。
しかしそれでいて、あの素晴らしい石垣のような初級以上の楽しみもあるところがまた素晴らしい。

なお、ここが外海府海岸の入口である印象を深くするアイテムが、鷹の巣トンネル脇にあった。
それは佐渡市(旧相川町)岩谷口から同市(旧両津市)願(ねがい)までの10.9km区間にあるトンネルの高さ制限情報である。
だが、岩谷口はここからまだ26kmも先の集落だ。
そんなずっと先の交通規制情報がここにあるのは、交通“網”と言うほど道路(迂回路)が存在しない外海府の限界を感じさせた。




さて、帰ろうかな。
もう一度、トンネルではなく隧道を潜って。

ちなみに、トンネル前後に車止めや通行止めの掲示はなく、自動車でトンネルを通り抜ける事も出来ると思う。
すっかり消えてしまった自動車の轍を、隧道の乾いた路面にもう一度刻む事には、些かのロマンがあるかも知れない。

ただ、それをした後はバックで戻ってくるハメになるが…。
佐渡の人たちはみんな地元民であり、そんなこと百も承知だから、車止めは不要なのだと思った。
別に塞がねばならないほど危険な場所も無いしな(たぶん晴天時限定だが)。


で、次の最後の写真が、冒頭からさんざん予告した“私の外海府海岸の印象の締めくくり”の風景である。

これがまた、意外な印象で締めくくられてしまった…………クックックッ……。



南口から隧道へ侵入すると……。

↓↓↓


この カタチ は…



(………とり……さん?)


佐渡外海府の初、あるいは終の隧道は、

世にも可愛らしい、ヒヨコ形隧道だった!!

でも、冗談抜きで佐渡の皆さんは毎日のように、
「ひよこ〜」って思いながら、ここを通行したんだろうな〜。
まあ、次第に気にならなくなりそうだけど。慣れすぎて…笑。