隧道レポート 大沢郷の小戸川隧道(仮称) 第2回

所在地 秋田県大仙市
探索日 2018.11.21
公開日 2018.12.04

沢を塞ぐ砂防ダムの奥へ


2018/11/21 12:24 

秋通と小戸川を結ぶ無名の峠道に、未発見の隧道を探そうとする試みは、肝心の峠道へ踏み込む入口の段階で、予想以上の障害にぶち当たった。

峠道が通じている無名の谷は、その入口が砂防ダムによって塞がれていて、地図に描かれている道は欠片ほども感じられなかった。

意外に険しい両岸は、濃密な笹藪になっており、砂防ダムを高巻きしてまで上流へ侵入しようとする者の意思の堅さを試すようであった。
だがそうなれば、我々3人の隧道を求める意思は、この上ない武器であった。気勢を上げて、道なき斜面を突き進んだのである。



取付いた笹藪の中から振り返る、旧河道とそれを横断する畦道。
ここまでの道は極めて鮮明だったのに、山に取付いた途端、ここまで道形が見えなくなるというのは、予想外だった。
徒歩道とはいえ、最新の地理院地図に普通に描かれている道だけに、なおさらである。




数分後、砂防ダムの天端に辿り着いた。
ここを過ぎれば、谷沿いの道が復活してくれるだろうか?

なお、堤体に取り付けられていた金属製の銘板によると、この「治山堰堤」は、「秋田県林務部」が、「昭和57年度」に設置したものであるようだ。
ここに道があることとの両立を完全に放棄した構造物が、35年も前から設置されていたのである。
これから歩こうとしている峠道は、地図上での印象以上に忘れ去られた存在らしかった。

……ますます、楽しみだ。

この奥に、誰も現状を確認していない廃隧道がひっそりと眠っている期待が、一層高まってきた。



堤体上から眺めた上流の風景。

堰き止められた水の量は多くなく、すぐ先には自然の谷があった。
湖底から忽然と道が現われることを期待していたが、そうはなっていない。
実に平凡な谷が通じているだけで、歩くことはできるが、道には見えない。
少なくとも、自動車が通うような道があったようには思えなかった。

本当に峠に隧道があったとしたら、それが徒歩でしか通れないような小径とだけ結ばれているのは不自然な気もするが…。





砂防ダムから50mほど進むと、微かに道形を匂わせる平場が、谷底に現われた。
谷底が全体的に狭く、水が流れている部分は幅1mくらいしかない。
その片側に、幅1mくらいの段のような平場が、断続的に続いている。

しかし、これが本当に道形なのかは、まだ分からない。
堆積物がこのような段差を自然に作ることも、珍しいことではないからだ。

いずれにしても、この谷から人通りが途絶えて久しいようだ。
山仕事道の目印となるようなピンクテープもないし、空き缶のような往来の形跡もない。
ここが道だったとしても廃道で、そうでないなら、ただの渓である。



12:32 《現在地》

谷の両岸は一面の土山で、笹と雑木が生い茂っているものの、谷底は綺麗な一枚岩で、水流が滑らかに走っていた。
もし水量が多かったら、この雨の中で強引に遡ることは極めて困難であったろうが、幸いにしてここは無名の小渓であり、水深が長靴の丈に届くこともない。

さらさらと流れるナメを踏みしめて、少しのあいだ上流を目指すと、谷は二股に分かれていた。
地形図に照らしてみると、右の谷が本流であり、道もそちらへ付けられているようだ。
ここは迷わず右の谷へ進路を採った。




道だ! 道がある!

砂防ダムによって塞がれていた谷の入口から奥へ進むこと約150m。
これまでは断続的な出現であり、、自然地形との見分けがつかなかった谷底の“平場”が、明らかに土木工事の結果と断定できるような形で現われた!

我々のテンションは、ここで一段とヒートアップした。
仮に、道を見つけられないまま強引に尾根(峠)まで突き上げたとして、そこに隧道だけがぽっかり口を開けていることを期待するのは、さすがに勝算が薄い。
だが、道を辿って峠に至るならば、探すべき隧道の位置はほぼ一点に絞られるはず。

隧道が現存するにしても、しないにしても、あるいは(悲しくも)それが地図の誤りであったとしても、隧道のあるべき位置を特定することは、最も重要な目的だった。



一度尻尾を捉えたこの道を、絶対に逃すものか!

そんな強い意志を持って辿り始めた道だったが、意外にも大人しかった。
それは道が谷底を離れて、斜面に取付くようになったせいだ。
笹藪の斜面は、道にとって、谷底のように水流に壊されることのない安定した環境だった。

おかげで我々は、とても幸福な時間を過ごした。

「この道を辿れば、未知の隧道が待っている!」

そう考えながら歩く時間は本当に幸福であり、オブローダーの至福だった。




谷を離れてからの道は、一転して快調だった。
少しばかり笹藪がうるさいものの、道幅や勾配や周囲の景色は、現役時代からそう変わっていないのではないかと思われた。
そして、そこから想像しうる往時の道の姿は、車道ではなさそうだった。

道幅は1.5m前後であり、この時点で通常の四輪自動車はほぼ通行不可能だ。路肩や法面の補強なども全く見られず、本当に土を削っただけ。つまり、重量が大きな自動車(バイク含む)の通行には向かない。さらに勾配も全体的に厳しく、馬車や荷車であっても、荷を付けての登攀は相当困難なように思われた。

ひとことで言えば、これは歩行にのみ適した道のようだった。

これは意外性の大きな事実といえる。



歩きの峠に隧道があるのは、ゼロではないが珍しい。
この事実は多くの人がご存知だろう。
峠を貫く道路用トンネルの大半は、車道に必要な勾配の緩和を目的として建設されている。歩行者に楽を与える目的でのみ建設されることは、とても稀なことだ。

ではなぜこのようにトンネルの常識からして稀なことが、平凡を絵に描いたような、この秋田の丘陵地でなされたのだろう。
いや、そもそも本当にこの道の先に、隧道がある(あった)のだろうか?
柴犬氏や私が目にした旧地形図の単純な誤謬ではなかっただろうか?

その決着は、もう遠くはない。
歩き始めたスタート地点の段階で、目指す「峠」までの距離は、たった1.2kmしかなかった。
いまとなっては、残りの距離は200mを切っていた。




12:47 《現在地》

入山から約25分を経過した現在、ハンディGPSの画面上に表示された「現在地」は、越えるべき尾根の直下といえる位置に達していた。

我々が有している隧道の情報は、【旧地形図の隧道記号】だけであり、そこから隧道の正確な長さが読み取れない以上、既にいつ隧道が現われても不思議ではない状態である!

なんだけど、ここに来て急に、笹藪が超!元気になった。

隧道はあるのか?! ないのか??!!

全視線を前方地面に集中させよ!




脱した!

笹藪地帯を脱したが、道はまだ終っていない!

そして、いよいよ稜線が見えて来た。
スギ林の背後に白く見えるのがそれである。
隧道があるとしても、短いものであろうと思う。

周囲のスギ林は、大木に育っているわけではないので、そう古いものではないだろうが、
植林しっぱなしなのか、下枝が払われておらず、手入れされている様子がない。
尾根が近い割りに、陰鬱とした森だった。




だが、この薄気味の悪い森の中にあって、我々の期待感と興奮は頂点に達していた!

上の動画は全天球動画である。対応しているブラウザで再生すると、グリグリして360度を見ることができる。

興奮の絶巓を駆け上がろうとする探索者たちの空気がここにはある。(細田氏の20秒あたりからの発言にも注目だ!)



そして!




12:50 《現在地》

……ここだ。


道が覚悟を決めたように稜線へ向き直ると、その先には一層の急坂が待っていた。

しかし、これはどう考えても尾根を乗り越えられるほどの勾配ではない。

地面に突き刺さる方向だ!

しかも、すぐ隣には、古い隧道の特徴である、ズリ山らしき人工地形まであった。


隧道擬定地点だ!




探索の動機発掘人、柴犬氏のこの表情の意味は――




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