隧道レポート 島々谷のワサビ沢トンネル 第1回

所在地 長野県松本市
探索日 2014.10.28
公開日 2020.09.15


今回久々に《旧安曇村の廃道たち》に列せられるべき新作を公開したい。
とはいっても探索自体は2014年と少し前で、でも今まで公開しなかった理由が特にあるわけでもない、しかしここに、なかなか刺激的なトンネルがあるのは事実だ。


右図は松本平から上高地までのかなり広い範囲の地図だが、今回紹介したい道は、松本市安曇の島々(しましま)集落から北に6kmほど入ったところ(図中「探索区域」枠内)にある。
路線名をいまは敢えて書かないが、それには探索のきっかけに関わる理由がある。まずはそれを説明したい。

少し壮大な話をしよう。
平成17(2005)年まで松本平の西の端に安曇郡三郷村があった。現在の安曇野市の三郷地区である。
ドライブブームが列島にセンセーションを巻き起こしていた昭和40年代、この村の人々は、村名を冠した“三郷スカイライン”という名の観光道路の建設に奔走したことがある。
三郷スカイラインの目的は単純明快。日本有数の観光地である上高地と三郷村を最短距離で結ぼうとした道路だった。

右図を見れば一目瞭然だが、三郷と上高地は山を挟んで隣り合っている。直線距離なら……(という書き出しなら近い距離を想像するだろうが…直線距離でも……)18kmほどであるが、そこにあるのはアルピニストに愛された常念山脈の2000〜2600m級の峰々だ。これを文字通り真っ向から乗り越えて上高地へ辿り着こうとした。

こう書くと荒唐無稽のようだが、一時は長野県も大いに加勢し実際に工事が行われた。まず第1段階として、村はずれ(海抜750m)から約8kmを整備して、終点の海抜1400m付近に登山基地を兼ねた「展望台」を開設することに成功した。その後は休日に登山バスを走らせるなどの需要喚起に努め、将来のスカイライン延伸の布石となる常念山脈縦走による上高地登山ルートを一般化させようとした。

やや勇み足気味に第二期工事もスタートし、九十九折りのパイロット道路が海抜1650m付近の国有林と民有林の境まで延ばされた。
だが、そこに立ちはだかったのが、国有林の分厚い壁だった。言わずもがな、上高地を核心部に据えた北アルプスの高山は、多くが車道新設の難しい保護林だ。特に核心部は厳重に保護された国立公園による保護地域である。もちろん、村や県は陳情によってこうした幾重もの保護の壁をぶち破ろうと考えていたが、一番外側の国有林の壁さえ越えることが出来ず、計画は敢えなく挫折。結局、開通したのは第一期工事分だけだったというのが、三郷スカイライン(現在の長野県道319号と495号の各一部)である。詳しくは私の『廃道探索 山さ行がねが (じっぴコンパクト文庫)』(Kindle版もあるよ!)をご覧下さい。



この三郷スカイラインの探索が、なぜ今回の島々谷での探索と結びつくのかという話を次にする。
私は2008年と2009年の2回にわたって三郷スカイラインの探索を行ったが、1回目の時に、スカイライン(第一期区間)の終点である「展望台」で、次の写真の分岐を見た。

未成に終わったスカイライン第二期区間の入口(左)は完全に廃道状態であり、常念山脈縦走の登山コースは右の道を行くことになるのだが…。

チェンジ後の画像は、その右の道の入口に立つ、お馴染み国有林林道の林道標識だ。
そこには、「島々谷(鍋冠)林道」と書いてあり、延長の欄と竣工年の欄は空白であった。

私は、三郷スカイラインとの関連を調べたい思惑があり、この一般車通行止めの林道へ侵入したところ、地形図にも描かれている通り、展望台から2.7kmで海抜1722mの「峠」(次の写真)に達した。

かつてスカイラインが国有林保護の壁に遮られてついに辿り着けなかった峠に、国有林林道は簡単に辿り着いていたところに、道を作ることのバックボーン的な難しさを感じたが、その話をここで長々としても仕方がないので、本題へ近づいていく。

松本市(旧安曇村)と安曇野市(旧三郷村)の境である峠は、またも分岐地点であった。
今度は右に行くのが常念山脈縦走登山道であり、かつての三郷スカイラインの構想ルート(未着工区間)でもある。
そして林道は今度は左だった。

この分岐にも林道標識があった。チェンジ後の画像がそれ。
「島々谷(島々)林道」とあって、やはり竣工年と延長は空欄だった。

林道は、深い切通しで峠を越えると、路線名が示すとおり、直ちに島々谷の源頭谷へ入り込み、険しい山壁を大きく削りながら南へ下り始めた。
トラバース基調ではあるが着実に下り続け、やがては島々の集落まで下りきるのではないかという期待と不安が湧き上がった。

だが、やがて大きな崩落(右写真)を境に激藪の廃道状態となり、自転車を担いでの奮闘を余儀なくされた。
廃道化した区間に入ってからも、昭和57年の設置年の書かれたガードレールを見ており、その年代に新設された林道であろうことを伺わせた。
途中の眼下に広がる島々谷は厳かで、雲霧に煙る奥山の神秘に心を奪われた。

結局、峠から数えて3.0kmキロの標柱を合図に、左写真のような明確な行き止まりが現われて、苦しい探索は終わった。
単独では発表する機会もなさそうだから、ここで駆け足に紹介してしまったが、島々谷林道はこういう行き止まりの廃林道である。

改めて、島々谷林道の終点は、峠から3km(展望台から5.8km)海抜1580mの位置にあって、これは最新の地理院地図上に描かれた道路終点位置通りだった。

私は三郷スカイラインの探索をしに行って、成り行きから島々谷林道の終点を極めたが、この時に強く感じたのは、島々谷林道は島々集落側の道に繋がる計画を持っているのではないかということだ。 そう考える強い根拠があるわけではないが、その方が美しいではないか。(←おい!)




……で、ここまで長々と話して、実はあんまりこの話は本編と関係がないことに気付く。(←おいおい!)

これはあくまでも、なぜ私は島々谷に興味を持ったかというきっかけの話であって、しかもおそらくこの探索がなくても、いずれ行くことになったとも思う。
というか、前から気にはなっていたのだ。
島々谷の奥へ……今度は島々集落がある下流側から道を辿っていったときの奥のことで、普通はそちらを思い浮かべるはずだ。島々を起点に島々谷を遡って徳本(とくごう)峠越えで上高地入りするルートは、常念縦走よりは遙かによく親しまれてきた上高地への登山ルートである。もっとも、近年の利用者は昔ほど多くはないだろうが……登っていく道の先に待つ、
次のような“地形図上の風景”は、だいぶ前から気になっていた。 ↓↓↓



二俣トンネル

鈴小屋トンネル

ワサビ沢トンネル

即行止り!!!


これはいったいどうなっているんだろう?


(やっぱり、未成道っぽいよな……?)


わざわざ3本ものトンネルを掘っておきながら、即座に行き止まりなるとは面妖也。


見に行かねばなるまい!

(長い前置きはなんだったんだというシンプルな探索動機だ……笑)





島々谷沿いの林道で二俣を目指す


2014/10/28 5:55 《現在地》

本日の探索を、ここより始めます。

ここは松本市安曇の国道158号旧道島々橋の袂で、島々谷川沿いに徳本峠を目指す道は、ここを左折するところから始まる。
入口の看板に、「信濃路自然歩道 徳本峠入口 上高地へ二〇キロ」とあって、ここが上高地へ通じる国道158号ではないもう1本の道であることを伝えている。

登山家ではない私でもウォルター・ウェストンの名前は知っているし、彼が明治20年代にこの徳本峠を越えて上高地より穂高連峰へ登って、日本人の大半もまだ知らなかった日本の優れた風景を世界に紹介したことも知っている。というかむしろそのくらいのことしか知らないが、とにかく一度でも上高地を訪れた者ならば彼の名前や徳本峠の名をどこかで耳目にしたと思う。




自転車で出発しているが、どこまで車が入れるのかは事前情報を得ていない。
当面の目的地は6km先にある、島々谷が南谷と北谷の分かれるその名も「二俣」と呼ばれている地点であり、入口の看板の様子からしても道は荒れていないと思うが、車が通行できるのか分からなかったのと、じっくりと景色を見たいと思ったので、敢えて最初から自転車である。

まだここは集落内だが、上流には一戸の家もない島々谷川の清らな流れは、始まりかけの紅葉の下にせせらいでいた。
この水の最初の一滴が生まれる「峠」は二つあって、一つは南谷の徳本峠、そして残る一つは北谷の最奥にある、6年前に訪れた島々谷林道の越す無名の峠である。
後者の峠道は現状行き止まりだが、実は繋がろうという足掻きがあったのではないかという疑いがあり、そのことを確かめることが今回の探索の重要な目的である。



6:00 《現在地》

500m地点で集落の末端に達し、そこに道を塞ぐゲートがあった。
しかしこれは獣避けのゲートで、人は自由に開けて通行してよい。自動車でも通行可能だ。
私と自転車を通り抜けさせてから、またゲートを閉め直して先へ進む。
だがその前に、なぜかしめ縄を掛けられた大きな大きな案内板に目を通す。




現在地から徳本峠を越えて上高地の明神池畔まで続くこの道には、「島々明神線歩道」という塗り分けがなされていた。しかしこれはあくまでも登山道としての名前であり、二俣までの車道化されている区間には、おそらく林道としての別の名前があるはずだ。
そしてきっとその名は、三郷スカイラインの外れで見たのと同じである「島々谷林道」だと疑っていなかった。これほどその名が相応しい位置はない。

私は探索スタート地点の島々橋のたもとや、いかにも林道の起点らしいこのゲートの周囲などで、あの見慣れた白い【林道標識】がありはしまいかと念入りに探したのだが、見当たらなかった。

また、案内板の「二俣」(画像中央)辺りには、今回探索しようとしている3本のトンネルを以て北谷を溯上しようとしている道は全く描かれていなかった。



6:03 《現在地》

入口には獣避けのゲートしかなかったのを見て、「な〜んだ。やっぱり車でも通れたか」と思った矢先の出来事だ。
ゲートからおおよそ250mの地点に小さな広場があって、その先にごく簡単な作りながら施錠をされたチェーンゲートが張ってあった。
その脇を抜けられるのは二輪の車だけだ。

事実上の車両通行止めとなっている理由は特に掲示されていないようだが、とにかくやっぱり?マイカーでは二俣を目指せないことが判明した。




その先も道が荒れている訳ではなく、概ね未舗装ながら(写真の所は珍しく舗装済み)、島々谷川の水面に近い一定の高さに一定の勾配でずっと道は延びていた。

なんか林鉄を彷彿とさせる道だったが、事実、そうなのである。
この島々谷に沿ってかつて松本営林署の梓川森林鉄道が存在していたことは、以前『安曇村誌』を読んだときに出ていたし、『全国森林鉄道』巻末の路線リストにも記載がある。
ただ、この路線の大部分は昭和20年という早い時期に水害のために廃止されており、昭和30年代まで残っていたのは僅か1.5kmほどの区間だったというから、それがどの辺りなのかは不明だが、林鉄遺構の現存にはあまり期待できないと考えていたし、現にここまでずっと「林鉄っぽい」線形ではあるものの、石垣その他、当時の構造物は一つも見つけていなかった。



スタート地点から1.6kmで、対岸に無人の発電所が現われた。
これは東京電力の島々谷発電所で、運転開始は昭和初期だというから、上高地に釜トンネルが誕生し、徳本峠を通らず車で到達しうるようになったきっかけである梓川水系での電源開発と時期を同じにする古い発電所であった。

また、これと前後して、路傍に石仏や木の小さな鳥居などが散見された。
徳本峠への道はかのウェスタンが開削したわけではもちろんなくて、江戸時代には存在していたという。




スタートから3km付近、ちょうど二俣までの中間を越えようかという辺りで、突然道が川底を離れて登り出した。
明らかに林鉄跡を外れたと分かったが、明瞭な分岐は見当たらず、また今回の探索は林鉄が主ではないので深く追求しなかった。

地形図を見ると、この先にわざわざ「砂防ダム」と文字での注記がなされたダムの記号があるので、そのための迂回コースに入ったものらしい。
しかし、ふだん「砂防ダム」と言われて想像するような高さを迂回しても、なおもしばらく登りは止まなかった。




6:31 《現在地》

ほぼ3.5kmにて突如登り終わると、目の前にぐわっと空が飛び込んで来た!

錦に染まったV字谷の正面に、我ぞ盟主と言わんばかりの峰が快晴の朝空を背にしていた。

常念山脈の主稜線上に座する大滝山(2614m)の初めて南から見た姿である。

幻の三郷スカイラインは、あの稜線を右から左へ横切ろうとしていた。



(→)
登り終わったこの地点、やはり砂防ダムの直上だったのだが、路肩から眺めた眼下の石河原の広さにまず驚いた!
たくさん登らされたのも納得の本当に巨大な砂防ダムであった。

(←)
しかも、この巨大な砂防ダム、砂防ダムとしては珍しいアーチ式だ。

チェンジ後の画像は、堤体に据え付けられていた銘板の望遠写真だが、堤高31.0m、堤長114.5mなどのスペックが読み取れた。
完成は昭和53年度、建設主体は……、北陸地方建設局ではないか。
当時の建設省による国直轄の砂防事業だったのか。さすがは仕事がデカイ…。

なお、この砂防ダムの完成によって、上流1kmほどの河床は埋め立てられたとみられ、その辺りにあった林鉄跡も一緒に埋没したと推定された。




6:34 《現在地》

砂防ダムを過ぎていくらも行かないうちに、また広場があり、そして道が塞がれていた。
0.5km地点の獣避けゲート、0.7km地点の施錠されたチェーンゲートに続いて、3.2km付近での3回目の封鎖だった。

広場には移動トイレを乗せた軽トラが停まっていたが、人影は見られない。
そして、今回の封鎖はこれまでにも増して、“多弁”だった。


見よ! この鉄扉の一面を覆い隠さんばかりに取り付けられた、看板の数々を!
しかも扉のすぐ奥にも標柱やらなんやらが立っている。

探索中の文字情報は、一番明確な情報源であるから大好物だが、こんなに一挙に文字の洪水のように押し寄せてくると、さすがに面食らう。

とりあえず、この画像からでも読み取れそうな「頭上注意」や「開放厳禁」がまずあって…、あとは「島々谷をきれいにする会」が設置した懐かしい感じの【標語看板】自然と仲良く。取っていいのは写真だけ。残していいのは思いでだけ。と…、「松本営林署上高地松本事務所」が設置した「このゲート前は駐車禁止します!」【など】ゲート奥には国有××××××砂防ダム工事取水設備保守のため工事用車両が通行いたしますので、ゲート前の駐車は禁止します。とある特にボロボロで文字が半分消えかけた看板と…、そしてやはりボロボロになった【登山者向けの案内の看板】が鉄扉にくっついている。

このうち最後の看板の内容をまとめると、登山者は通っていいけど、この先には災害による損壊個所があるから自己責任でねということだった。



ゲートは施錠されていて、登山者は脇をすり抜けていく形になっていた。
そしてすぐ先にまた左写真のような看板類があり、そこに初めてこの道路の素性についての内容があった。

1枚は、明確に「通行禁止」を表明する、中部森林管理局中信森林管理署が設置した新しそうな看板であり、「1.この林道は国有林の専用林道です。関係者以外の車両等の通行を禁止します。 2.許可なく通行したときは事故等があっても一切の責任は負いません。」とあって、このゲートから先は国有林の専用林道なので一般車(者も?)の通行を禁止しているということらしい。

もう一つは標柱で、国有林の一時使用に関する内容だった。
曰く、「国土交通省北陸地方建設局松本砂防工事事務所」は「島々谷工事用道路敷」として「34557平方メートル」を使用するという内容。
国有林内で砂防工事をするために工事用道路を開設したのだろう。それがどこを指すのかは標柱から読み取れなかったが、専用林道とは別の道と考えて良いと思う。

(……普段ならこんな標柱の内容にまでは踏み込まないことが多いが、敢えて説明したということには意味が……)



専用林道区間に入っても道の状況は劇的に変化せず、必要な通行のための最低限度のメンテナンスは継続されているようだ。
砂防ダムで高度を一挙に稼いだおかげで、ほぼ水平移動が続き、自転車だとペースを稼ぐことができた。

そして、砂防ダムから1kmほど進むと、再び道は谷底に。
この頃まで頭の中にはまだ林鉄のことが残っていたが、やはり林道周囲にそれらしい気配…レールや枕木の残骸も見ることはなく、印象はいよいよ薄れていった。
その一方、ここへ来た本題の“3本のトンネル”の始まりである二俣が近いことを景色から察しており、頭の中はそのことに集中していった。




スタートから5km地点付近で単独行の男性登山者1名を追い越した。
まだ朝早い時間だが、上高地を目指すならば必要な時間なのだろう。

……ここまでは、私も一緒。
だが、もうすぐ私は伝統的登山の正道を外れようとしている。
そして、 よく分からない道 を究めようとしている。

5.5km付近には、写真の句碑と解説板があった。
戦国末期の天正13(1585)年に、飛騨から信濃に落ち延びんとして哀れこの地で討ち取られたある武将の奥方を悼んでの句碑とあり、それほど昔からここに国境を跨いだ交通路が開けていたのだ。(→解説板の画像)




6:55 《現在地》

計ったように出発からぴったり1時間後、着いたぞ二俣!

いや、厳密には違う。本来の二俣は南谷と北谷の出合のことで、ここはその250mほど手前の分岐地点。

ただ、私には分岐の方が目に見えて二俣の印象が強いので、早まって二俣と表現してしまった。

でも大差ないからこのまま二俣として話を進める。入口からちょうど6km、二俣到達!

そして、探索のターゲットは、もう見えている白いガードレールの橋の奥!




おぉ…

さっそくお出まし1本目のトンネル!

しかし、轍がはっきりと見える左の道が上高地への登山道であり、分かり易い矢印の看板があった。

私が行こうとしている道は右の道で、特に封鎖はないが、それほど古くもなさそうな橋の上には、

全く轍が見えないですね。(ゴクリ)


それに、ちょっと目立っていないが、右側にも看板のようなものがある。↓↓↓



上半分が欠けてしまった木製看板…

読み取れるのは……

登山者進入禁止

……の赤い文字。

橋の先は、やはり真っ当な道ではないらしい。


だけど私は登山者じゃないから。





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