隧道レポート 太郎丸隧道(仮称) 第4回

所在地 新潟県長岡市
探索日 2012.06.01
公開日 2012.12.16

今日は、ツイていた


2012/6/1 15:31 《現在地》

一時はどうなることかと思ったが、全ては私の思うがままだった。

やっぱり今日は、ツイていた。

太郎丸隧道を自転車に乗ったまま通過することが、出来たのである。
しかも、事前の情報にあったとおり、ここから先の道は決して困難では無さそうだ。
というか、ここから見る限り、そこはまるでエデンの園のようではないか。


いい眺めだ。




太郎丸隧道(仮称)、西口。

赤錆色の泥水が、緩やかに流れ出ていた。

洞内ほとんど勾配を感じなかったが、その水位の変化をみる限り、中央付近が高い“拝み勾配”になっていたようだ。
坑口付近の洞床には10cmほどの厚さで泥土が堆積しており、汚れる覚悟が無ければ全く立ち入る事が出来ない状態だ。

丑松洞門とは異なり、こちらの隧道は両方の坑口がコルゲートパイプで施工されていた。
しかしその事から来る無機質的な冷たさは、今回この坑口に限っては、かなり薄らいでいた。

地表からのコルゲートパイプの突出が短いことや、他にも理由があるのかも知れないが、6月の勢いを得た青草は鉄の坑口を大部分覆い隠し、ツタやシダの造形はお洒落な観葉植物園のようであった。

それだけに横たわる自転車の場違いさ、特に泥をめいっぱいぶちまけた車輪まわりの汚らしさは、目を引いた。
だが思い出せ。
正当性はむしろ私の方にある。 ここは道路で、私が通行人だ。



西口には、西日と呼ぶにはまだ眩しすぎる日光が、燦々と照りつけていた。

小さな坑口の上にある尾根との比高は地図の上でも30m足らずに過ぎないが、それなりに切り立っていて、目測100mほどの隧道が与えた利便は、前後の道さえ無事であるなら、十分納得出来るレベルだろうと思われた。

隧道自体にはほとんど崩れが無いにもかかわらず、泥に埋もれ、土に埋もれつつあるのを放置されているのは、なぜだろう。
この隧道を積極的に利用しようとする人は、もう消えてしまったのだろうか。
せめて、丑松洞門のように存続させる道は、模索されなかったのだろうか。

――この隧道はいつ、誰が、どのような目的で掘ったのだろう。

丑松洞門と、太郎丸隧道の間には、何かしかの関係があるのだろうか。


……。

隧道は攻略したけれど、

なんにも、分かってないなぁ……。



ふ〜ん。

  …良い道じゃん。


これがこの道の、本来の作りであり、姿なんだろう。

確かに激藪だった東側にも、このへんとか、少しこんな雰囲気があった。

路肩無し、ガードレール無し、側溝は単なる堀溝。
でも、間違いなく車道であると分かる勾配と、道幅。
轍の薄さがむしろ心地よい、明るい地道。

こんな道だったら、ずっと続いて良い。



…と思ったけれど、やはり人里が近付いてくると、当然のように轍も現れて来たのだった。

もちろん、がっかりするわけはない。

これで今回の探索成功は確約されたな。

西口から、最寄りの太郎丸集落の入口までは約1km。
下りの高低差が80mほどあるが、全般的に勾配は緩やかで危険な箇所も見られない。
また、路上にも立入禁止を示すようなものは何もなく、土道に深い轍を刻む事が躊躇われないならば、普通車でも坑口間際に接近できるかと思われた。

…躊躇って欲しいけれど(微笑)。


そしてこの土道の途中に、気になるアイテム“1号”を発見。




恐るべしは、豪雪地小国の冬だ。

廃軽トラをここまでプレスしたのは、雪の重みに違いあるまい。

これを見て、“アレ”に初めて共感を持った。
隧道内のコルゲートパイプを“木柱”で支保しようと思った、そういう気持ちに。

実際に効果があったのかは知らないが、何となくコルゲートパイプは薄っぺらで弱そうに見えるし、冬の間だけ支保工を設けておいて、夏場の車が通行する季節には取りはずしていたのではないだろうか?(後に通行人が減ったので、取りはずすことを止めたのか)

…なんの裏付けも無いが、これを書いている今になって、初めてその可能性に思い至った。



15:34 《現在地》

300mほど下ってきたところで、振り返る。

赤い矢印の尾根の下に、太郎丸隧道は穿たれていた。

道はこの辺で休耕田と思しき原野が連なる谷底と同じ高さに下り、勾配も一層緩やかになった。

振り返り終え、また進み始めた私の前に、気になるアイテム“2号”が出現した。





路傍に突き立てられた、工事区域の木標。

この場所で長岡市による災害復旧工事が行われた証のようであったが、注目すべきは木標に記された、路線名だ。
こういうものが無ければ、路線名を知る機会は無かったことと思う。

曰わく、市道小国159号線。

それが名前。

長岡市では市道の命名に合併した旧町名を冠した整理番号を用いているようだ。
合併は平成17年であるから、最近のことである。
間違いなく最近…というか、きっと現在もこの道は現役の市道として、市の道路台帳に記載されているのだろう。
隧道とその東側についても、おそらく法的には現役道路なのだと想像される。

合併直前にもこの道が小国町の町道として管理されていたのであれば、平成16年に調製された『平成16年度道路施設現況調査』の「道路トンネル調書」に太郎丸隧道(仮称)が掲載されているのではないか。

そんな仮説を立てて調べてみたところ…。


当時、旧小国町の町道にあった隧道として登録されていたのは4本であった。
その掲載名は、「ハチオウジトンネル」「シナザワトンネル」「ミズヨシトンネル」「サクラマチトンネル」であり、所在地が判明している1本目と4本目を除外する。
すると残りは「シナザワトンネル(昭和34年竣工、全長91m、幅3m、高さ―)」「ミズヨシトンネル(竣工年不明、全長130m、幅2m、高さ2m)」となった。

規模的には後者の「ミズヨシトンネル」が太郎丸隧道(仮称)の正体としていかにも相応しい気がするが、この後に太郎丸集落で行なった聞き取り調査では、「隧道の名前は分からない」という回答を2人から得ており、長岡市が管理する道路台帳を直接確認する必要がありそうだ。
この件は今後の課題であり、なんらかの進展があれば追記する。



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このような真新しい砂防ダムが沿道にあり、その関連であろう。
道路の規格もそこを境に「現代的な砂利道」となった。

こうなると後は消化であり、太郎丸隧道探索のゴールとなる太郎丸集落の出現を待つだけとなった。




15:36 《現在地》

隧道西口を出発して、たった5分しか経っていないが、早くも太郎丸集落に到着した。

しかも、さっそく人影ハケーン!!
「スミマセーン」




情報収集、お一人目。 65才前後かなぁ。

<証言の内容>

※以下の茶文字部分は私の感想コメントです。

  • 私が生まれた当時から、隧道はあった。
    (隧道は戦前からあったということか)

  • 隧道は田んぼへ行く通路として使われていた。

  • 隧道を掘ったのは、この集落の住人達と聞いている。
    (やはり手堀の隧道だったみたいだな)

  • 法末の隧道は法末の人達が掘った。2本の隧道は別々に作られたと思う。
    (丑松洞門をご存知だった。しかし、2本の隧道を一連の道路として掘ったわけでは無いような感じだ)

「アリガトウゴザイマシタ−。」



もうお一人、行ってみまーす。


情報収集、お二人目。 70才前後かなぁ。

<証言の内容>

※以下の茶文字部分は私の感想コメントです。

  • 現在の隧道は、昭和36〜37年頃に2年くらいかかって町内の人達が掘った。失業対策事業だったのではないか。
    (おおっ!いきなり随分と具体的な数字がこぼれてきたぞ! 失業対策事業と言えば、昭和6年頃に全国で盛んに行われたものが有名だけど、戦後にもあったのかな。いずれ、一人目の証言よりは少し完成時期が遅いっぽいな。    
    …それはそうと、「現在の隧道」ってわざわざ前置きした。
    ??? そこんとこ聞いてみよう。)

  • 古い方の隧道は、馬車が通る道で、幅が6尺くらいあった。
    !!!!!
    ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って
    ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってちょっとヤバイ。
    そんなもの、見てないぞ。 見逃しだとっ?!  ←偉そうだけど見逃しましたね。



    「…あぅあがとっ ござまスタ¥−。」






おい、ヨッキれん!





やりなおし!

戻って旧隧道を探してこい!

見つけるまで下山禁止だかんな!





























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