橋梁レポート 三好市池田の巨大廃橋跡(池田橋) 第2回

所在地 徳島県三好市
探索日 2024.02.26
公開日 2024.03.31

 微妙に孤立状態にある左岸橋台へ侵入


2024/2/26 15:32 《現在地》

県道のすぐ脇にある左岸の橋台であるが、前回最後の画像でご覧いただいたように、本来なら橋台へ通じる路面があるべき位置の地面が失われているために、素直に正面から立ち入ることは出来ない状況だった。
それが、長年の放置で自然に土砂が失われてそうなったのか、人が立ち入らないようわざとそうしたのかは不明である。
現状、この障害のほかには、橋台への接近を邪魔するもの(フェンスや立入禁止の表示物)などは見当らない。まあ、県道のガードレールは普通に邪魔しているが…。

これから、障害を回避して橋台へ侵入してみたい。
まずは、少しだけ下流側に回り込んだ。
写真はそこから橋台のある場所を見ている。樹木に上手く隠れているが、この中に橋台がある。
この位置からガードレールを跨ぎ、草を踏んで橋台へ近づくと……。



この通り。

これが密生したツタ藪に隠されている、下流側の親柱である。

まともな状態の橋であれば、チェンジ後の画像の“赤線”のように橋へ入るところだが、本橋はこの部分にあるべき土砂がなく大きな段差が生じているため、このルートは使えない。
そこで、“黄線”のようなルートを使う。
これは珍しい構造だと思うが、なぜか高欄の外側に靴を片方置けるくらいの僅かな平面が用意されており、そこを歩くことが出来る。この謎のステップを数メートル進んでから高欄を跨ぐと、やっと本来の橋の床板を踏むことが出来る。



橋に立ち入る前に、橋の顔ともいえる親柱に挨拶した。

本橋には、橋台の入口(橋頭)の左右に、腰より高い大きな親柱がある。
上流側、下流側ともに健在だが、上流側のそれは正面より近づける地面がない。
写真は下流側の親柱で、近づけはするが、イバラ混じりのツタ藪に覆われていて、やはり状況は良くない。

私は邪魔なツタを手で払いながら、銘板の有無を確かめたが、見当らない。
取り外されたのか、そもそも取り付けられなかったのかも不明である。
橋の素性を現地で知りうる最大の情報源が機能していないことは、とても残念だった。
なお、上流側の親柱も望遠で確認したが、やはり銘板は取り付けられていなかった。



この写真は、親柱の上面を中心に撮影したものだ。
橋としての規模や、昭和戦前であろう完成時期に照らしてみると、この親柱はあまりにも質素な感じを受ける。
だがよく観察すると、現状の親柱の上面に、ビスのような金属製の突起物がいくつか(数えなかったが)あることに気付く。

おそらくだが、現状の親柱のうえに、照明塔のような大きな飾りが取り付けられていたのではないだろうか。
例としては、このレポートの最後の画像のようなものだ。
だとすると、この質素さも不自然ではない。見当らぬ銘板もまた、そこに取り付けられていたような気がする。



おそらく不完全な姿である親柱への挨拶を終え、高欄の外側というイレギュラーな位置から“橋の上”へ乗り込んだ。
いや間違った。正しくは、まだここは橋台の上だ。
早くも周囲の地表は20m下の水面に向けて崖のように落ち込んでおり、高欄を手摺りにして空中へ踏み出していくと、完全に橋の上にいる気分になった。

画像は、親柱の少し先から高欄越しに見た橋台上の路面の様子。
親柱から数メートル先までは、そこを埋めるべき土砂が喪失していて、宙ぶらりんである。
このため正面から踏み込むことが出来ないのだ。

チェンジ後の画像は、進行方向を撮影。
この直後に高欄を跨いで、橋台の路面へ初歩を刻んだ。



15:34

じゃーーん。 ここが橋台の上だ。

が、まだ盛り上がりはいまひとつ。
予想していたことだが、藪が濃いめに繁っているため、見通しは良くない。
この橋の通行人の気持ちをなんとか自分の中に再現して感情を高めていこうと思ったが、視覚情報がこれだと少し厳しい。
橋台の先端まで行ければ、また違った眺めがあると思うので、期待したい。

足の下はコンクリートの堅い踏み心地である。
アスファルトによる舗装ではなく、コンクリート橋台の“地”が露出している。この点も廃止時期の古さを物語っている。(現代の橋の多くは、床板上にアスファルトの舗装面がある)



これは橋台側から振り返った左岸の陸地。
県道のガードレールがピシャッと橋との往来をシャットアウトしているが、実はそれだけでなく、県道の路肩から数メートル下の位置に高いコンクリートの擁壁が設置されていることに気付いた。
これを作設する際に地面が掘り下げられ、橋台と県道が意図的に分断されたことが想像できる。

かつて池田の街の発展に全力を尽くした旧橋に対するものとしては、なかなか冷厳な印象だ。
橋台を撤去していないことが、愛情や惜別に由来する保存の一環と見なせるかは、微妙だ。
これだけ巨大なコンクリートの構造物を撤去するのは大変である。だから撤去はせず、しかし県道整備の邪魔にならないように土を退かし、擁壁を建て、県道が橋台の老朽化の影響を受けないよう対処したように思う。



おっと! これは!
廃道のどこにでもあって、ヨッキれんを先回りすることに命を懸けている例のアイテム。ハニーボックスだ!!
という冗談はさておき、どこかの養蜂業者が設置した養蜂箱に間違いあるまい。
訪れにくい橋の上に、ポツンと一つだけ設置されていた。現役であるかどうかは不明だが。

そしてこの写真の左端奥に見える高欄がブロック状に大きくなっている場所が、橋台の先端である。
この橋台は、四隅に親柱状の構造を持っている。
なお、こちらの親柱にも銘板は見当らなかった。

さあ、欠けた世界の末端へ!



あと3メートル

2メートル…

1メートル……!!




15:35 《現在地》

末端到達。


……うん、怖い。

頑丈そうな橋台だから、底が抜けたりする心配はないんだろうけど、この高さは普通に怖い。風も結構強いしね。
それに、すっぱりと切れ落ちた人工物の端に立ったとき特有の怖さもある。
それは本能的な転落への恐怖とは少し違う、自分が属する人間社会への後ろめたさのようなものだ。まともな人間はこんな場所に立ってはいけないという、私の(人よりは乏しそうな)社会性に根ざした恐怖が、足をより竦ませるのだと思う。そんな怖さ、皆さまにも心当たりがないだろうか。確かめるためにビルの屋上に立ってとは言わないけれど。



この時の私の姿を、もし対岸から観察する者がいたら、チェンジ後の画像のように見えたであろう(大きさも出来るだけ再現したつもり)。

ぶっちゃけ、凄く気持ちわるい眺めだ。誰かがここにいる姿を、私なら見たくない。



全天球画像。

この画像が最も、高い川面に臨む末端という感じを味わえると思う。

あと、他のどの写真よりも橋の幅が分かり易い。
目測だが、5mくらいある。
年代や、地方都市という立地を考えれば、たいへんに立派な幅だと思う。普通乗用車が行き違える幅があった。
長さだけでなく、この幅であることは、本橋が地域交通の主役を担うに足る真に重要な橋であったことを伺わせた。



対岸橋台と、河中の橋脚跡らしき構造物は、この場所の正面に連なっている。

望遠で橋脚跡を覗いてみると、なんとも言えない姿であった。
おそらく円形の橋脚だったようだが、元のコンクリートの風合が失われ、異形化している。
あんな川の真ん中で何十年も洗われ続けているのだろうから、どんな変化があっても不思議ではないと思うが。
むしろ、あの立地で完全に基礎まで洗い流されることなく残っていることが、河底の岩盤まで到達する堅牢な基礎工事の成功を想像させた。

まあ、手前にもう一基あって然るべき橋脚については、全く痕跡が見えないのだけれど…。
もしかしたら本橋は、穏便な寿命ではない絶滅的な結末を、迎えていたりするのだろうか……。
洪水による橋脚の倒壊と、それに伴う橋の流出という………。
先ほどの“空爆説”に続いて、悲惨な結末を想像してしまう。橋脚が1本だけ見当らないという状況は、1本も見当らないよりも不穏な気がする。



上流方向の眺め。
約1km先に池田ダムが見える。
橋台とはいいながら、私がいる場所は前後の川岸よりも完全に川中へ突出しており、景色も橋の上のようであった。
実際、この橋台にはアーチ状の開腹部があるから、短いアーチ橋が橋台になっているとも表現できる。



15:36

左岸橋台は一通り見たな。

撤収開始。

陸へ戻る。




……これで終わったら、この橋のとびきり個性的な姿に対して、あまりにも普通じゃないか?


大丈夫。ヨッキれんの探索だよ。



 巨大橋台の特異かつ不思議な構造に迫る


15:42 《現在地》

橋台しかない、架かっていない廃橋の探索というと淡泊になりがちだが、今回は残されたこの橋台ともう少し“濃厚”に戯れたい。いわば、橋台探索の第二部だ。この橋台、ただ道の突端まで行って川面をのぞいてヒヤッとしたり、辿り着けない対岸に思いを馳せるだけで帰ってしまうには、少々惜しい逸品だと思う。

まず単純に大きく、高さがある橋台というだけでなく、構造にアーチを盛り込んでいる(すなわちそれ自体がコンクリートアーチ橋ともいえる)点に大きな特色がある。
この特徴は、古い時代の鉄道用鉄橋に時折見られるもので、道路橋でも類例はあると思うがすぐには思いつかない。当サイトで採り上げたものとしては、廃線跡だが、奥羽本線の第一下内川橋梁などがそうだった。(これもいまは現存しない)

しかもこのアーチ橋台には、過去に目にしたアーチ橋台にはなかった(と思う)さらに特異な構造がある。
見ての通り、アーチの中腹(正しくは、アーチとその下の垂壁の境目の高さ)に、まるで橋のように架け渡された床板がある。
この部分だけを見ると、まるで二階建ての橋のようだが、周囲の地形を見る限り、さすがにそれは突飛すぎる想像だろう。
たぶん、この“中二階部分”は構造的に必須のものではないが、アーチの見栄えに変化を付けるためにそうしたのか、ちょっと類例を見いだせない珍しい構造だと思う。
(ただこれについては、私の橋への知識が地方山間部に極端に偏っていて、都会的なシャレオツな橋の経験値が非常に不足しているので、ぜひ詳しい方の見識を伺いたい)



ところで、そそり立つ橋台を良い感じに側面より撮影した画像を先に出したが、実はこの撮影が困難のあるタスクだった。
山峡を横断する橋の橋台というのは、少しでも橋長を節約するために、だいたいが厳しい地形……たとえば川面に突出した岩山とか……に建てられがちだ。軟弱な土斜面よりも強固に地盤に設置できるというメリットもある。

本橋左岸橋台の立地も、まさにこの特徴に合致しており、下流側に隣接して岩肌が露出した急斜面がある。
そして、私が橋台をよく観察するために入り込んだのもこの岩混じりの斜面だった。
地形と藪の状況から、ここ以外には橋台の下端である川岸にまで降りられるルートを見いだせなかったのである。

この全天球画像は、先の橋台画像を撮影したその場所で撮影した。厳しい斜面にへばり付いている状況が分かると思う。
で、さらにここから降りていこうとしている。



水面の近くまで来ると、もはや完全に岩山の険しさだったが、まあそれは当然で、洪水のたび激流に直撃されて土が付かない。ただでさえ吉野川といえば、“四国三郎”のあだ名がある日本三大暴れ川の一つである。

しかしともかくこんな多少の苦労のすえに、おそらく普段まず人が寄り付かないだろう橋台下部に到達出来た。
それはこんな場所であった……(↓)。



じゃーん!

実際の水面はもう数メートル下だが、増水で容易く水没する高さであることを大量の流木の存在が教えていた。
この流木が貯まっている空間が、橋台アーチ直下の空間である。
なのでここから見上げると……(↓)。



ジャジャーン!!

そそり立つ橋台アーチの偉容を、最も迫力の感じられるアングルより堪能できる!

さっきまであの突端に立っていたのだが、改めて見上げるとその大変な高さを実感する。
鉄筋コンクリートの校舎を見上げるくらいの高さ感だから、4階分くらい? そしてその“3階”くらいの高さに、見慣れない“中二階部分”が存在する!

最初はただの飾りかとも思ったが中二階の部分だが、下に回り込んで見ると、意外や意外、縦横に桁材が渡されており、普通に橋桁そのもののような印象だった。さすがに車が通る部分としては厚みが薄いが、人が大勢乗るくらいは造作もない作りだろう。鉄筋が入っているも見えるしね。(これは見えない方が良いのだが、表面が剥離して鉄筋の格子模様が見えている)

そしてよく見ると……(↓)。



おおおっ!
橋の袂から、この中二階へ降りる階段らしき構造物がある!

手摺りっぽいものが全く見当らないのが嫌だが……、せっかく用意してくれているんだから、上に戻ったらあれを使って中二階へアクセスしてみよう!
入ってみれば何のための空間や構造なのかが分かるかも。
わざわざ永久的なコンクリート構造でアクセス手段を提供してくれているくらいだ、何かしら意味があるんだろう。



次の行動の目標は定まったが、もう少しだけ水面すれすれの橋下空間を堪能していこう。
ぶ厚く流木が堆積したところを、足を取られつつ踏越えて、上流側へ。
とはいえ、こちらはそもそも陸地がアーチ下まで続いていないので、歩ける余地はほとんどない。



15:45

う〜ん! 水面に浮かべた小舟から見上げたに近しい良い眺め!
この橋台のこちら側は、あらゆる洪水に直撃されてきたと思うが、ひび割れも傾きもなく、非常に堅牢に保っているように見える。
橋台と橋脚は、橋桁を支える絶対不可欠のものであり、まさしく橋の生命線だ。名にし負う暴れ川への対策は、たとえ古い時代の橋だとしても、その時代における最大限の工夫が盛り込まれていたと考えたい。敢えてアーチ構造としたことも、部材の節約だけでなく、ぶつかってくる水勢をかわす工夫でもあったのかも知れない。
そしてこの橋台は、おそらく成功と言えるだけの強度をここに証明して見せていると思う。

(チェンジ後の画像)
こちら側(下流側)には、中二階と地上を行き来する構造がないな。
この橋の構造的なシンメトリーが、初めて破れた。


さあ、一旦橋の袂へ戻ろう。
降りてきた岩場のような斜面を、ガッシガシ攀じるッ!



15:49

う〜〜ん、迂闊にも最初は気付かなかったな。
実はこの場所、先に橋台の突端まで行くときに通りがかっている。
そして高欄を跨いだりしているのだが、その足元(矢印の位置)から橋の下へ向かって降りていく階段があることには気付かなかった。
そんなものがあることを全く疑っていないと、緑に紛れて見つけづらかったと思う(自己弁護)。



この写真でもイマイチ分かりづらいが、確かにコンクリート造りの階段通路がここにある。
幅は1mもなく、手摺りのようなものもないので正直心許ないが、斜面に沿っているので、地形との比高感はそれほど大きくない。
植物が侵入しているが、階段の段差もしっかり残っていた。
怖いのは、実は既に階段全体が腐っていて、鉄筋ごとポッキリ外れて落ちないかってことだが、大丈夫そう。(本当に大丈夫かは分からない)



ほとんど下りきった辺りから振り返った階段。
いまは手摺りがないが、おそらく木製のものがかつてあったのだろう。支柱の基礎になりそうな短い鉄筋が階段隅の地覆から等間隔に突き出していた。
こんな地味な……今日となってはほとんど“隠し階段”のような部分を通って……

いざ、初めての“中二階”へ!



中二階到達。

直ちに右折して、アーチ直下へ!

やっぱり手摺りがないから、この角の辺りはヒヤヒヤする。
現実として転落するリスクは低いとしても、高さと形状が自然と恐怖を惹起する。
さっき下から見上げた鉄筋入りのコンクリート床板を信じるよ俺は。(人が立ち入るのは、何年ぶりなのか知らんが…)



15:50

アーチ天井…… なのは外観から予想できていたことだが、右側の壁に複数のアーチ形の横穴がある! ナンダコレ?!

印象は、無骨。
壁のレリーフとか、そういう装飾的な要素が乏しい。アーチが多用されているから曲線的な印象はあるけれど、なおも無骨だ。
むしろこの印象は……あれだ、横穴の存在にさえ目を瞑れば、コンクリートトンネルそのものだ。
サイズ感的にも、やや小さな一昔前の道路トンネルっぽい。

それにしても、こんな元来は土っけの全くないところにまで結構な量の植物が侵入してきている。ほんとやつらの生存欲の旺盛さよ。



とりあえずトンネル感のある風景。

しかし道はない。道の代わりに見えるのは、遙か脚下に広がる川面と1km先のダム。
“額縁”込みで、ここでしか撮れない“画”だとは思うが、如何せん頽廃色が濃すぎる眺めだ。廃の匂いを全く隠せていない。健全なコンクール向きではなさそう。

川面を吹き抜ける風が、ほとんど遮られずにこの穴にも飛び込んでくるので、今日は地上ではそよ風だったが、この場所では少々落ち着かない風の強さを感じる。あと、寒い。橋の上よりも寒々としているのはは、冷え切ったコンクリートに囲まれた薄暗さのせいもある。



これと言った感想の浮かばない、対岸方向の眺め。
まあ、こちらを見たいなら橋の上一択だ。アーチの壁が邪魔で視界不良。その壁にも特段意匠のようなものがないので無味乾燥だ。
ひび割れとか大きな欠けがないのは橋台全体に共通した美点だが、複雑な橋台の形状をしている割には、アーチそのものを(迫石の模様とかで)飾り立てようという意識が見られず、総じて無骨である。

……その一方で、複雑な形状を持っているのが……(↓)。



なんなんだこれ?! っていう。

陸側の側面には、シンメトリー配置で大小3つのアーチ形の横穴が開けられていた。
中央の穴が各段に大きく、そのアーチの天井は、橋台側のアーチのカーブにまで割り込んでいる。
そのため複雑な曲線の複合が見られるが、秀美な印象は受けない。むしろマッシブな印象を受ける。こんなに曲線ばかりなのに、無骨としか思えないのが面白い。

そんな外観の印象はさておき、いったいこの3つのアーチ横穴にはどんな意味があるのか?
まずは大きな中央の穴だが……。



う〜〜〜ん……  謎!

奥行きは全然小さくて、ちょうど地山にぶつかる手前くらいまでしかない。
だから実質的に横穴の効用としては、橋台の一部を中空の構造として空間を確保した? あるいは部材を節約した? ……という程度に過ぎない。どこにも通じてはいない。
しかし、他の場所にはない複雑な形状がここにだけある。奥の壁には意味深に二つのアーチ形の窪みが並んでいるほか、横の壁にも窓状の穴があって、それぞれ左右の小さな横穴に抜けていた。

これらについて、何か器械を据え置くための窪みとか、そんな想像もしてみたが、正直わざわざ橋台の中に置くような施設は想像できず、結局は、この中二階全体が巨大な橋を一層モニュメンタルに際立たせるための空間……ようは観賞・観光の施設……ということくらいしか、用途が想像できなかった。



そして、左右の小さな穴だが……。
サイズは、幅が60〜70cm、高さは2mくらい。窮屈である。

(ここにもハニーボックスが置いてあるじゃねーか……。マジでハニーマンはオブローダーを先回りしてくるな…。)



で、窮屈な内部は中央の穴と同じく、地山まで辿り着くことなく終わる。
ただ、この空間には、天井に木の板と梁があった。
それで余計に狭苦しくなっているうえ、不審火の形跡まであった。

この木の天井が橋の現役当時からの構造物なのか、後年棲み着いた何者かが設置して失火したものかは不明である。判断できる材料がない。



こちらは中央の穴と左右の穴を結ぶ窓状の構造。
やはり窓でしかないと思うが、何のためにあるんだろう。
……窓だったら、大した意味もなく設計者の好みでそこにある可能性が高いが…。

私は根っからのオブローダー的な考えで、あらゆる形に構造上や設計上の意味を見出したいと思ってしまう癖がある。だがそれが通用するのは基本的に意匠以外の要素だ。たとえば、建物の外観のようなものの個性の多くは、設計者の事情に起因していて、そうでなければという合理性が乏しい。
基本的に公共物であることによって、合理性を優先して設計された橋やトンネルのようなものとは別種である。



そうなると、この左右の穴(この写真は右の穴)の正体は、男女別々のトイレとか……?
いや、さすがに狭すぎるか。
トイレらしい何かが残っているわけでもないし、ただ左右に2つあるからそう思っただけだ。
右の穴には木の天井のようなものはなく、おそらくここで使われていたわけでもない木製の引き戸などの廃材?が置かれていた。
中二階は誰かの一軒家だった?!   ……なんてことも、さすがに立地が奇抜すぎて考えにくいだろうし。

結局、この中二階空間の目的は、橋を観光地として利用するための何かくらいしか思いつかないというのが、現地を見た私の印象だ。

つうか、ちょっと不気味なんだよな。この空間全体の居心地が悪い。
その一番の原因は、足元の堅牢性になんとなく信頼が置けていないからだと思う。
廃橋であっても、橋のうえなら私にとって慣れた空間だが、こっちは得体が知れないのがまず気持ち悪い。

脱出します!






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