橋梁レポート 宝仙湖底の岩ノ目橋 後編

所在地 秋田県仙北市
探索日 2012.11.07
公開日 2014.02.03

湖底の橋とご対面


2012/11/7 16:28 《現在地》

今日いちばんの目的地を、発見&到着!

既に辺りは薄暗くなっており、雨も相変わらず降り止まない。
身体は足の先までびっしょりで、底冷えがする。
渇水の為に干上がった湖底の探索とは思えない、水まみれのシチュエーションだった。

そしてこれは、今年の夏から4ヶ月近くも地上に出現し続けていたこの橋が、再び長い湖底の旅へと発つ直前の風景である。
次に逢える時を誰も予言出来ない再度の別れだが、今日はそれよりも差し迫った夜闇が、私と橋との逢瀬を妨害する。
じっくり感傷に浸っている余裕は無い。
明るいうちに橋の隅々を記録しておきたいというのはもちろんだったが、こんな目印に乏しい荒野で真っ暗になってしまった場合、手持ちのライトでは安全に林道へ戻れない恐れもある。




橋の全貌。

本橋との遭遇は、このように特殊な状況でなかったとしたら、容易く看過されていたことだろう。

規模、構造、高さなど、スペック的には全く平凡であり、日本中に数十万とあるだろう「フツーの橋」の一つに過ぎない。
だが、その規模の広壮でないがゆえに、撤去されないままに水没という末路を辿った。
しかもギリギリ水没するというような標高ではなく、通常は通年にわたって地表に現れることのない強深度の湖底に沈んだ。

現在地の海抜(約)360mというのは、玉川ダムが定める平常時最高水位である397mより37m低く、これ以上は取水・放流が出来ないという最低水位の353mよりも僅かに高いだけである。洪水時など、ダムが最大限に湛水した場合の水位は402mだから、水深40mもの漆黒の水底に沈むこともあるのである。40mといえば、水圧も相当のものであろう。
それゆえ、周囲一面は不毛である。



本橋には4本中3本の親柱が健在である。

まずは右岸上流側の親柱には、「いわのめはし」の銘板。
失われた1本の親柱には漢字表記の橋名が記されていたと推定され、本橋の名前を知る唯一の現存する手掛かりが、この平仮名の橋銘板ということになる。

なので、実は本橋の正式名には表記ぶれが存在しうる。
私は地形図に「岩ノ目沢」と注記された沢を渡る「いわのめはし」なので、本橋の正式名を「岩目橋」と判断したが、レポート初回に登場した附近の公園の名前は「岩目公園」だったし、或いは全く別の当て字をしている可能性も否定は出来ない。

なお、先ほどからどの写真にも写っている、錆びた欄干。
この正体は廃レールである。
本橋が、森林鉄道の後釜に建設された林道である事を象徴するアイテムといえるだろう。
今も秋田県内の林道には、数多くこのような欄干を有する橋が残っている。




今度は対面にある右岸下流側の親柱だが、ここにはオブローダー的には一番欲している情報が刻まれていた。
橋の竣工年月、「昭和四十年三月竣功」という情報である。
「年」の文字が強烈な崩し字になっているのが、珍しい。

昭和40年といえば、玉川森林鉄道の本線と支線が一斉に廃止された昭和38年の2年後であり、林鉄の代替として(自動車道の)林道が開設されたことと矛盾しない。

そして、架設からわずか8年後の昭和48年に玉川ダムの建設が決定し、昭和53年から工事が本格化している。
架設から25年後の平成2年にダムが完成しているが、実際にはそれよりも早い時期から通行止めになっていたであろうし、試験湛水なども経験していると思われる。
おそらく、実質的な供用期間は20年程度では無かったかと思う。
これは永久橋として作られた橋としては明らかに寿命を残したままでの湛水(生き埋めならぬ“生き沈み”)であった。

ところで、親柱を見ると随分と傷ついている。
それに、色もコンクリートの本来の色ではない。銘板もそうだ。
傷の方は、おそらく地上で橋が使われていた時代の“戦傷”であろうと思うが、この色は明らかに水没が原因であろう。
それも、この玉川ダムならではの変色ではないかと思われるのだ。




橋を渡る前に下にも潜り込んでみたが、コンクリートの変色(というか赤化現象)は、親柱のみでなく、橋台と橋桁の全体に及んでいた。
コンクリートは、水没すると赤くなるのであろうか?

玉川ダム(宝仙湖)と云えば、日本有数の酸性湖として知られている。
玉川ダムの公式サイトの解説によると、湛水当初の湖水は、土木構造物に影響を及ぼさない限界とされるpH4.0よりも低い数値であったとのことで、様々な中和処理が行われている現在でも、湖水はpH4.0という酸性を示している(水道水はpH6〜8程度)。

これは素人の考えだが、酸性である湖水が、アルカリ性であるコンクリートと何らかの化学的作用をおこし、満遍なく赤く染めているのではないかと思われる。
詳しい事情をご存じの方がいたら、ご教示いただきたい。

なお、橋の構造は見ての通り、鋼鉄のプレートガーダーに(鉄筋)コンクリートの桁を乗せた、混合桁橋である。
鉄の部分は当然のように腐食が進んで、無惨に錆を噴いていた。
また、橋は高さが低く水面が随分近いが、これは泥の堆積で河床が上昇したためと思われる。




色合いからは、コンクリートと鋼鉄の区別が付かなくなっている、橋の裏面。

なお、小規模な道路橋としてはやや珍しいプレートガーダーを採用していることから、
これが林鉄用プレートガーダーの転用ではないかという期待と疑惑を持っていたが、残念ながらその線は無さそうだ。
両側の主桁の間隔がレールや枕木を敷設するには離れすぎている。

しかし、ここに林鉄橋そっくりな道路橋を架設した理由は… ↓



秋田林鉄界の総本山秋田営林局の橋なんだもの!!

なんとも堂々たる筆致!! 例の赤化現象でさえも、風合いを増さしめる手業のように思われてしまう。
確かに小さな橋ではあるが、林道の目的を果たすための大切で掛け替えのない一部であった事が伺える。
そしてこれらの達筆極まる文字の数々を経文に、泥を褥(しとね)とする暗中の湖底で眠るのが、この橋の定めである。




橋の上の路面の様子。

渡るには差し支えないが、堅い泥が分厚く堆積しており、
常の居場所がここではないことを物語っていた。




16:32

おそらく、当分はもう訪れる人も無いだろうからと、
少し多めに橋の上を往復し、渡られる感覚を念入りに思い出させた後、

我々は、我々が本来住む世界へと戻る事にした。



でも、その前に、この道が本当に水没する地点まで行ってみよう。

橋の先、おおよそ200mほどの地点が、この日の水際であった。

この辺りまで来ると、対岸の男神山がいよいよ間近に見える。
前方に横たわる湖も、ちょっとした大河くらいの幅に見えている。
泳ぎの達者な細田氏ならば、泳いで対岸に辿り着けそうだ。




16:37 《現在地》

水際に到着。
時間とともに水位が上がってきていることは、岸の間近の水底にも続くひびの割れた湖底から窺えた。真夏の渇水ピーク時には、まだ先まで歩いて行くことが出来たであろうが、今は岸の1m先までしか見えなかった。

なお、我々が歩き出した現在の林道に架かる岩ノ目橋からここまでの距離は、沢伝いに約900mであった。 撤収を開始する。




戻りは別のルート(最短で林道に辿り着ける尾根ルート)を取ることにしたが、その過程で今回探索した区域を一望出来る場面があった。

干上がった湖底に連なる築堤は、どこか人智を越えた神秘のもののように見えたし、
みるみる暮れていく状況は、水没を間近とした現状とシンクロして、幕引きの哀愁を漂わせていた。

黄色いラインが水没した旧林道で、赤いのが岩ノ目橋。
また、奥の赤い矢印は現林道の岩ノ目橋(スタート地点)である。



このあと、15分ほどかけて道の無い深い森を突破して、林道へ脱出した。

一人であったらと思うと、寂しさに涙が出てしまいそうな場所と行程だったと思う。
これも湖底探索の醍醐味なんだろうけど、玉川ダムはとても広大なだけに、余計、湖底は寂しかった。






地形図は湖をほぼ満水の時の形で描くので、湖底に眠る岩ノ目橋の周囲の地形を見る事も、前後にあった道を知ることも出来ない。
そこで、岩ノ目橋が現役だった当時の地形図を改めて見てみることにしよう。

昭和48年の地形図により、岩ノ目橋が岩ノ目沢沿いの林道に架かる橋であることが分かった。
と同時に、あともう少し水位が低ければ、この岩ノ目沢を渡るもう1本の橋も地上に出る可能性があることを知った。
それは小和瀬川沿いの林道に架かる橋で、規模としては今回見た岩ノ目橋と同程度と考えられた。

私の探索は、更に水位の低い時期がいずれ来るまでお預けだが、情報提供者の柴犬氏に問い合わせたところ、案の定、彼は見ていたのである。
岩ノ目沢に眠る、もう1本の水没橋の姿を。
画像を提供していただいたので、最後に紹介したい。




これが、柴犬氏によって2012年11月5日に撮影された、もう1本の橋の姿である。

橋というか、暗渠のような姿のものであったことが分かる。
欄干は腐食して流失した可能性もあるが、親柱さえないというのは意外だ。
ダム工事のための仮設橋かと思えるような簡素な姿だが、前後の石垣は時代相応のものだし、位置的にもこれが昭和48年地形図に描かれた橋なのだろう。

だが、はっきり言って一番驚いたのは、この水位で撮影されたのが、11月5日。
我々が探索したのは11月7日。

つまり、たった2日間の雨で、少なくとも5mは水位が上昇してしまっていたのである。
集水面積が相当広いとはいえ、あの巨大な水面がそんなスピードで上下しているというのは驚きだ。 ダム怖い!






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