橋梁レポート 宝仙湖底の岩ノ目橋 前編

所在地 秋田県仙北市
探索日 2012.11.07
公開日 2014.01.24


2年前の2012年(平成24年)の夏は全国的に猛暑で、降水量も少なかったため、渇水に見舞われる地域が多かった。
東北地方の秋田県も例外ではなく、2012年8月28日には地元の高校生鈴木ヤス太さんから、当サイト宛にこんな情報が寄せられるまでになっていた。

このたびメールさせて頂いたのは、玉川ダムの渇水についてです。秋田ではこの夏例年にないほど雨の日が少なく、ここ2週間ほどは30度を超える真夏日が続いています。そのため、玉川ダムでは平成16年(2004年)の最低渇水水位を大幅に下回り、8月28日現在の貯水量は15%となっています。まだ確認はしていないのですがもしかしたら国道341号の旧道の探索ができるかもしれません。

玉川ダムといえば、私にとってはなじみ深い場所で、秋田在住の時代には良く訪れている。(関連する一番古いレポートは、2001年のこれだろう)
しかし、このダム湖が干上がりそうになっているというのは、私は聞いたことがなかった。
とても山深く水も豊かな場所だし、そもそもがとても巨大な湖だったからである。
だが、もし干上がったのであれば、玉川ダムは湖底に様々なものが眠っている可能性という意味で、期待度が高いダムだった。

早速だが、ダムが出来る前の古い地形図を、今の地形図と見較べてみよう。


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現在昭和48年昭和28年

玉川ダムは、平成2年(1990年)に雄物川水系玉川に完成したまだ新しいダムで、高さ100mの堤防によって湛水された人造湖「宝仙湖」は、総貯水容量が約2億5000万トンと、東北地方の人造湖では奥只見湖、田子倉湖に次いで三番目の規模を誇る全国屈指の大貯水池である。

このダム建設により、当時の田沢湖町(現:仙北市)の玉川と田沢という二つの地区に属する129世帯が水没し、ダムサイト上流の集落は全て無人となった。
もちろん水没したのは集落だけではなく、国道341号が約11kmにわたって付け替えられたほか、町道や林道なども相当距離が水没し、付替が行われている。

集落移転が始まる前の昭和48年当時の地形図を見て頂くと、谷底の広い範囲に集落が点在し、多くの道路が敷かれていたことが分かるだろう。

また、さらに時代を遡って昭和28年当時の地形図を見ると、集落は変わらず存在するが、道路はほとんど無く、その代わり多くの軌道が敷かれていたことが分かる。
これらは「林用軌道」と注記があるとおり、秋田営林局生保内営林署が運用する玉川森林鉄道とその支線網である。

このように、昭和60年まで地上に存在した広大な玉川湖底域には、様々な人類活動の痕跡が残っている可能性があったのだ。





だがしかし、

残念ながら、私はこの“旬”に現場へ赴く事は出来なかった。
東京に暮らす私が、実家のある秋田に帰る機会が、なかなか訪れなかったのである。
渇水の報が連日のように聞かれた8月はむろん、9月、10月を過ぎても帰郷のチャンスは訪れず、11月になってようやく冬枯れ迫る秋田の地へ入った次第。

全国的にも渇水であったこの夏も、秋になると普通に雨が降り始め、私がチェックしていたいくつかのダムの貯水率も次々と探索不可能領域まで回復した。
玉川ダムの場合もきっとそうであろうと、11月の私は半ば諦めていたし、事実、日に日に水位も回復していたのである。
だが、秋田在住の探索仲間である柴犬氏が8月から何度も現地へ通って撮影していた湖底の写真を見た私は、これに刺激を受け、遅ればせながら行ってみることにした。
そしれこれには、ミリンダ細田氏が同行してくれた。




目指すは、柴犬氏撮影の湖底画像に収められていた、褐色の廃橋。

岩ノ目橋。


名前を姿まで知りながら、詳しい場所を知らない廃橋探しが、冷たい雨の中で始まる。


干上がりし大湖


2012/11/7 12:15

おおーっ! 水位低い!!

めっちゃ干上がってるぜぇ〜!


…鎧畑ダム(秋扇湖)がな。

これは目指す玉川ダムのすぐ下流にある、別のダム湖である。 【現在地(マピオン)】

玉川ダムへ行く通り道なので車を止めてチェックしたら、この状態であった。
これは、玉川ダムの水位も期待していいのだろうか。(実際は県営の鎧畑ダムと国の玉川ダムは運用が別なので、両者の水位は余り関係ない)


対岸には見覚えのある隧道が2本見えているが、玉川ダムよりも遙かに早く昭和32年(1957年)以来ここに沈んでいるのは、主に玉川森林鉄道の旧線の遺構である。
2005年に探索(レポート)し、さらに2007年に再訪(レポート)もしている。



こんな水位なので、上の写真の位置よりも上流の位置にある玉川林鉄旧線の5号と6号隧道(加えてフレーム外だが7号隧道)も地上に露出していた。
もちろんこれらも2005年に探索済みだ(レポート)。


と、これまで玉川森林鉄道の遺構を紹介してきたものの、そこにあるから紹介しただけで、今回のメインテーマである岩ノ目橋は林鉄橋ではない。

それに問題はこの鎧畑ダムの水位ではなく、玉川ダムである。

気持ちを切り替え、細田氏の車で更に先へ進む。




【現在地(マピオン)】

国道341号から脇道に逸れ、これまた2001年に自転車で探索した旧国道の懐かしい玉川大橋へやって来た。

ここからだと玉川ダムを真っ正面に眺める事が出来るのだが、この旧道はそろそろ自動車では走れなくなりそうなほど荒れ始めていた。

さて、次はいよいよ玉川ダムの水位チェックだ。まずは最初の関門といえる。これ次第で、今日はもう帰宅ということも…。




12:33 【現在地(マピオン)】

・・・・・・ 。

どうなんだろう、これは。

元々のダム湖がデカ過ぎるので、湖面を見ていても余り水位の低さを感じないのだが、
堤体の方を見てみると、確かに満水位からは“目も眩む”くらいの高さで水位が下がっているのが分かる。

さすがに8月のピーク時の「貯水率15%」のようなインパクトではないのだろうけど、
河川を堰き止めた湖は、湖底からの高さが増すほど飛躍的に1mあたりの容積が増えるので、
これだけ水位が下がっていれば、貯水率は30%とか、そのくらいには低いと思う。

さて、次は全長10kmくらいあるダム湖の中間に架かる男神橋からの眺めである。
橋はここからもよく見える「男神山」の下に架かっている。

そういえば、2004年には向かって右の岸に見えるソッケ林道も探索したなぁ。



13:21 【現在地(マピオン)】

車を走らせ男神橋へ到着。
前述したとおり、ダム湖の全長の中間附近だ。
なぜか50分も経過しているが、これは少し寄り道したため。

で、この男神橋から上流を眺めると、

いよいよ本格的に異変に気づく。




これは確かに、今まで玉川ダムでは見たことのない低水位である。

全長10km有るダム湖が、見ての通り中間地点の少し先…6kmくらいの所で尻切れトンボになっている。
本来はこの先に見える2つの谷、左の玉川本流と、右の小和瀬川へ両方に長い湖面を連ねるのであるが、泥色に濁ったバックウォーターが近い。

そもそも男神橋は高い橋という印象はあったが、いつもに増して今日は高く聳え立っていた。
眼下には旧国道らしきラインも見える。
泥に埋もれかけてはいるが、まだジープなら通行出来そうに見える。
その隣の四角い敷地は何だろう?
人工的な地形なのは間違いない。

旧国道探索をするのもありだと思ったが、基本的にこの旧国道は全線が橋や湖畔から見えるし、何より現役当時に通った事があって(子供だったが)、まだ廃道としての熟成度が足りないというか、今はそれよりも、柴犬氏が撮影した橋を探したかった。
岩ノ目橋という銘板の写真も見ているから、名前は分かるのだが、詳しい場所は知らない。

まあ、この地形である。
目印もないし、口では場所を説明しづらかったのが、いまやっと理解出来た(苦笑)。
まあいい、うろうろしていれば見つかるだろう…。




その後すぐに岩ノ目橋を探し始めれば良かったが、実際はまだ時間に余裕があるからと、別の寄り道を始めた。
私と細田氏が一緒だとこれがあるからイケナイ(けど楽しいこともある)。

写真は男神橋よりもさらに上流の7km附近から見た湖だ。
普段はこの辺でさえも湖面は幅広で悠々としているが、今日はご覧の通り。
大洪水の跡のような壮絶な風景へ変化していた。雨に煙ってはいても、
陸の紅葉は盛りであるだけに、余計この湖底の哀れな風景が際立った。




14:22 【現在地(マピオン)】

湖の上流を一巡りしてきて、再び男神橋の袂へやって来た。
ここにある「岩の目公園」には、湖畔へ下りる(本来は乗船施設か何かと思われる)階段がある。
今日は雨の平日ということで公園には人気もなく寂しかったが、人目を忍んで湖底へ下り立とうという我々にとっては逆に好都合であった。

車を降りて、今日はじめて探索らしいことを始める。

【アネコムシ(=カメムシ)注意情報】
ここに見える公衆トイレ(擬木の切り株みたいなの)は、尋常ではないアネコムシ大繁殖地でした。
現在もそうかは分かりませんが、トイレの便器が白く見えないほど…といえばお分かりいただけるでしょう。
越冬のためかは知りませんが、異常密集繁殖となっていました。
普通の感性の持ち主は近寄らない方が無難です。トラウマになる人も居るかも…。

もちろん写真はありますが、見せませんよ。大丈夫です。




長い長い階段とスロープを下って行く。
左に見えているのはもちろん男神橋である。

また、目の前に見える鉄の棒は、船を結わいておくアンカーらしい。
つまり、この辺りから下は水没する領域である。
(実際の満水位はもっと上だが、普段はあまりそこまで上がらない)。




進むほど辺りの植生は貧相になり、最後は赤茶けた禿げ山に。
さらに進むと、スロープも終わってしまった。
これ以上ダムの水位が下がることは、通常想定していないのだろう。
しかし今日の水位はまだまだ低い。

《現在地》】はこの辺だ。
地形図では一面の水面として描かれていて、湖底の地形はまるで分からないが、実際は複雑な起伏があって、一筋縄ではなかった。




岩ノ目橋というくらいだから、岩ノ目沢に架かっているに違いない。

そして、岩ノ目沢は確かに見える。
500mくらい先に。

だが、ここからは行けないのだ。目の前の銅屋沢が邪魔すぎる。
橋が無いのはやむを得ないとしても、一面の泥沼で、渡渉も出来ない。
対岸へ行くには、上流にある林道を迂回するしかないようだ。

結局、ここから岩ノ目橋は発見出来なかったし、岩ノ目沢へ近付く事も出来なかった。

案外難敵。

一旦、陸の上へ撤収だ。


…というか、

そもそもこの水位で岩ノ目橋が陸上にあるのかどうかは、分からなかったりする。
もしかしたら、既に水の下かも知れない。
そうしたら、全部無駄骨ということに……。




15:20 《現在地》

その後、また悪い流れになった。

岩ノ目橋を探せばいいのに、なぜか小和瀬川沿いの林鉄跡を探し始める。
まあ、この林鉄跡を突き詰めても、最終的にはどこかで岩ノ目沢を渡るはずなので、全く見当違いではなかったのだが、寄り道に違いなかった。

しかもこの満水時には水没するが、そこそこ高い位置にある林鉄跡の、なんと探索し甲斐のないこと…。
基本的に、な〜んにもないのである。
全ては泥と、泥の上に育った植生の下ということか…。




一面の茅原を黙々と進むが、雨も強くなってきて、薄暗くもなってきた。

時計を見れば、いよいよ夕暮れが近いことを知り、愕然とする。
この流れは、やばい。
一番の目的に迫らぬまま、探索終了の時刻が迫りつつあった。




約1時間、茅野を彷徨って得たもの。

1.忍耐。

2.大量の草の実(着衣を処分したくなるほど量)。

3. ↓↓↓




15:35 《現在地》

サシ沢に架かる、ごく小さな林鉄橋梁。

まあ、橋というか暗渠? コンクリート製であった。

以上。林鉄探索はここまでにする! 岩ノ目沢へ急げ!!



16:11 《現在地》

戻るのにさらに30分を要して、やっと、やって来た。
もう一つの、岩ノ目橋。
岩ノ目沢の上流に架かる、現在の岩ノ目橋である。

ここから沢をムリヤリ下って、湖底の橋を探しに行く。
時間的にもこれがラストチャンス!!





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