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2026/4/20 11:17 《現在地》
奇絶なる“二階建て”の橋である千石橋。
まずはその2階部分にあたる橋を渡ってみよう。
この橋、地理院地図などでは普通に車道として描かれているし、現地にも国道からここまで特に封鎖もないのであるが、実際は見ての通り、廃橋であることを強く窺わせる路面状態である。
封鎖されていないとはいえ、徒歩や自転車、バイクならともかく、この状態の橋に、重い自動車で乗り込むことには、リスクを感じる人も多いと思う。
……しかも、この橋を支えている2本の橋脚は、おそらくこの橋よりも古いであろう旧橋らしきものに立脚しているのであって、すなわちこの橋はその“旧橋らしきもの”に支えられているのであって、なんとも“耐荷重性能の得体の知れない橋”といえる。
そんな構造的には怪しすぎる橋だが、とりあえず草生した古橋の佇まいは素晴らしい。
チェンジ後の画像には、四隅の親柱に刻まれている銘板の文字を書きだした。
四隅の親柱は、花崗岩らしき石材を組み合わせた、古橋に相応しい重厚な構造物であった。
完成当時は、この上にさらに街灯柱が取りつけられていたのかもしれない。モルタルで何かを固定していた痕跡があったが、失われていた。
また、各親柱に1枚ずつ銘板があり、それは石材の表面に直接陰刻されていた。
橋の上の路面は、後年の舗装ではなく、本来の橋面であるコンクリートが露出していた。
ただそれは一部で、大部分は浅い草生えで隠されている。
橋は3径間連続になっている。
床板の継ぎ目は見えづらいが、コンクリート造りの高欄にも切れ目がある。
また、よく見ると、各径間の床板は水平ではなく、中央径間に向かって両側から山なりの勾配が付いている。
ただ、それが本来の意図した構造なのか、老朽化による変状の結果なのかは判断が付かなかった。
チェンジ後の画像は、橋の中央付近から振り返った。
交通量の多い現道が間近にあるが、両者の空気は混じり合っていない。そんな印象を受けた。
橋は羽咋市の大字境になっており、右岸は神子原町、左岸は千石町である。
両者は明治22(1889)年の町村制施行時に早くも一体となって北邑智(おおち)村を形成し、以後は邑智村、邑智町、羽咋町、羽咋市と数回の合併や改名を経て現在に至っている。
橋を渡った先が千石町だが、竹林が路上に覆い被さるようになっていて見通しが悪い。だが道自体はしっかり残っている。
チェンジ後の画像は、橋の上から上流方向を撮影。
すぐ先に、先ほど自分がこの橋を眺める視座とした取水堰堤があり、それによって堰き止められた広い河原がある。神子原ダムが200m上流にあるが、鬱蒼とした竹林に隠されて見通せない。
千石町側の2本の親柱を撮影した。
片方が竣工年、もう片方が橋名のコンビで、内容的にこちらが起点側のようである。
現在の国道415号も、羽咋市が起点で富山を終点とする東行の路線であるから、こちら側が起点である。
その国道昇格直前の前身は主要地方道氷見羽咋線といって、これは西向路線であるから、逆だった。
なんてことを銘板を見ながら思ったが、本橋架設当時の路線名については、机上調査で調べたい。
そして、銘板に刻まれた昭和8年という竣工年もなかなかの古さであるが、古橋巡りの活動をやっていると既視感が強い年代でもある。
昭和7〜10年辺りの竣工年を持つ古い橋が多いのは、当時の全国的な不況対策として国策的に行われた時局匡救土木事業によって、各地の主要な道路橋の“永久橋化”(木橋をコンクリート橋へ更新する)が積極的に行われたからである。
本橋も、偶然の一致でなければ、この事業の助けを受けて架けられた橋の可能性は高いと思う。
それにしても、私がいままで目にした“橋オンザ橋”の現橋側として、昭和8年竣工は最古である。
普通に考えて、この下にある橋は、これよりも古い世代の橋なのだろうから、なかなかである。
確かに、コンクリートアーチ形式からは古い橋っぽさを感じはしたが、昭和8年以前とは、……やりおる。
11:20 《現在地》
渡った橋を振り返り。
この写真だと、橋が山なりの勾配を持っていることが分かると思う。
特に高欄の部分が分かりやすいか。
改めて、橋の規模としては、目測で、全長25m、幅5mほどである。
橋の先には、こんな感じの廃道なりかけのような“草道”が伸びている。
通常であれば、これで「千石橋終わり」で先へ進むところだが、
主役の登場は、こっからだ。
今一度振り返り、千石橋の下にある“謎の橋”へと向かうぞ!
左岸の上流側の岸は密生した竹藪で、一見踏み込みがたいが、他の三隅よりも地形が穏やかなので、豊富な手掛かり足掛かりを使いながら安全に下りていくことができそうだった。
実際の落差は、ほんの数メートル。
橋から谷底までの高さのおおよそ3分の1くらいを下りるイメージで……
11:22:22
来られた〜! 橋の下の橋!
【このアーチ橋】
部分に入り込んだのであるが、ふだん利用者として目にする“橋のどの部分”にも該当しないイレギュラーな眺めで混乱する(笑)。
あと単純に、現状を適切に伝えるにはカメラの広角性能が圧倒的に足りない。
先に客観で見た構造物の中に一員となるような形で入り込むと、どこを撮影しても1枚では足りない。
この空間にたどり着いた瞬間は、目にする四方八方が同時に未知であったから。
……そんな、伝えきれない歯がゆさに覿面に効くのが、これだ……(↓)
そう! こんな撮影対象に急に内包された場面こそ、“全天球写真”が最も輝くときだ!
(↑)まずはこれを見てくれ。凄いぞこれ。
本当に、橋の上に橋が建てられている。
下の橋の路面に、上の橋を支える橋脚が建つという、【側面から観察した構造】
通りの実態が、目の前に展開している。
しかも、ここへ来てはっきりと分かったこととして、上下の橋の幅がほぼ等しい。
さらに、微妙に斜行しているなんてこともなく、上下の橋は完璧に同方向に重なり合っている。
橋長だけは、アーチ橋である下の橋の方が短いが…。
……マジで、なんなんだこの奇妙な構造……?!