http://yamaiga.com/road/kitami/ の公開中コメント一覧

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コメント
60,9782026-09-28 19:22:28/road/kitami/main4.html10
高度経済成長期の情報や古写真などを望むご意見がありました。
私も見てみたいです。
しかし、調査などで資料を発見しても、個人的な使用ではなく公にする場合には権利関係上許可なく転載・記載できないものもあるので、我々読者側もその点は留意しなければならないと思います。
レポを読んで興味を持ったら、ちょっとでも良いので調べてみましょう。
きっとヨッキさんの調査の大変さが身にしみて分かると思います。本当に大変(泣)。
60,5592026-07-24 11:22:58/road/kitami/main4.html10
患部で止まってすぐ溶けるw
60,0702026-05-24 18:33:28/road/kitami/main4.html10
囚人墓標なぎ倒し事件、お盆までに再建へ 防カメも設置 地元は憤り
https://www.asahi.com/articles/ASV593RGZV59IIPE01BM.html
北海道月形町の篠津山霊園で樺戸集治監(後の樺戸監獄)の囚人の墓標58基がなぎ倒された。
59,7332026-03-14 22:28:12/road/kitami/main4.html10
スプリコヤンベツ、最初は単なる誤記だったのでしょうが現在は確信犯的に誤記のまま残してる可能性もありそうです。
民間企業の地図になりますが、利用者に実害が出ない程度の間違いをコッソリ仕込んでいるらしいです。同企業の地図で『シラネアオイ』が『ツラネアオイ』になっているのを見つけた事があるので、不確定情報ながら何だか腑に落ちる理由でした。
59,6412026-03-01 16:16:49/road/kitami/main4.html10
金カム読んで網走監獄からの道路工事の歴史で飛んできて拝見しました。面白かったです!
59,4982026-02-19 10:48:36/road/kitami/main4.html10
中央道路跡の中でも北見峠旧道はまだ比較的ルートが判明してるから良いけど、本当の謎は共立峠(5号峠)の箇所では。
5号駅逓跡から共立峠までは林道として残ってるけど、共立峠から生田原旭野までの区間は、旭野側は一部残っているが、途中ルートが不明かつ、大正時代にすでに旭峠ルートに変わっているので、このルートが確定できると結構歴史的発見になるはずなんだよなー。
57,7162025-10-05 22:51:00/road/kitami/main4.html10
スプリコヤンベツよりもヌプリコヤンペツの方が柔らかく湿ってそうで語感が良いと思うなぁ
57,6602025-09-29 21:18:06/road/kitami/main4.html10
とても
よかった
57,6222025-09-20 06:03:10/road/kitami/main4.html10
国道333号線は、並行する石北本線の信号場に格下げされた廃駅巡りにも有効で、上川側より列挙すると中越、上越、奥白滝、下白滝には旧駅舎も残存しています。下白滝以外は人家が無い無人地帯なので、訪問するにもヒグマ対策必須ですが。
57,6202025-09-19 23:00:44/road/kitami/main4.html10
毎度興味深いレポートをありがとうございます。
北見峠からチトカニウシ山に登る際、肩への取り付きの所に掘削したような細く切れ込んだ谷があり、そこを旧道が通っていたんだと思っておりましたが、峠のすぐ近くを通っていたのですね。やたらと現行の峠から離れているので不思議な道形だと、当時は疑問に思っておりました。

ところで、先日道内の山に登り下山を終えると、登山口と車の間に羆の親子が転がっており、大変驚きました。どうしようもない状況でしたが、幸いにも羆のほうが逃げてくれたため、問題ございませんでした。
音を出していても直前まで気づかれないことがあるようです。また、人慣れしているためか、舗装の上や人工物の近くへ堂々と現れる個体も増えているようです。ご承知のこととは存じますが、何卒お気をつけてください。また面白いレポートをお待ちしております。
57,6172025-09-19 12:54:03/road/kitami/main4.html10
詳細な机上調査も含めいつも楽しみにしております。

北見峠(現道)は事実上高規格道路に取って変わられていますが、危険物積載車が北大雪トンネルを通行不能なことと、大雪の場合高規格道路は早めに通行止め処置が行われるので、冬季でも北見峠経由の国道は除雪されており、特に高規格道路通行止めの際に活用されており、生活のためにはなくてはならない道路です                           F生
57,6132025-09-18 21:05:52/road/kitami/main4.html10
魂を鎮める慰霊碑が旧道路の延長上に建てられていた、というくだりに心揺さぶられました。
苦難の道の一部を踏破して確かな写真をもって現状を伝えてくださったヨッキさんに感謝です。
57,6122025-09-18 13:10:15/road/kitami/main4.html10
この旧道がgoogleマップでは道として描かれていますよ!!
57,6112025-09-18 12:54:20/road/kitami/main4.html10
探索、お疲れ様でした。
YouTubeにあげたのですが、私はあの2m近い藪が盛夏の時はきつくて断念したんです。
また、時期をずらして行ってこようと思います。
57,6102025-09-18 10:34:33/road/kitami/main4.html10
大変勉強になりました。
57,6092025-09-18 10:24:59/road/kitami/main4.html10
9/17追記 が入る前に自前で調べていて初めて知りましたが、
山いが北海道編初期の 層雲峡隧道 のレポで出てきた
洞爺丸台風による風倒木 を急いで搬出する必要性が
この道路から国道39号の称号が奪い取られる一因になっていたというのは、
なかなか面白いというかせつないというか。

明治時代に、国をひとつに繋ぐ手段として道が必要になったとき、
多額の資金が必要で、債務の罠に陥る恐れのあった鉄道を避け、
人海戦術で拓かれた 近代車道 の、ここもまたありていに言えば
失敗の跡だったというわけですが、この失敗を礎として現在の
122万キロの道路網が築かれたのであれば、
無駄な事などではなかったのでしょう。
だから(以下略
57,6082025-09-18 06:32:07/road/kitami/main4.html10
読みました!
57,6072025-09-18 05:32:52/road/kitami/main4.html10
明治時代の、周りに何も無い北海道の山奥。その過酷な環境で沢山の犠牲者を出して拓いた道が、たった7年ほどしか活躍しなかったというのが・・・悲しい歴史ですね
57,6062025-09-18 02:10:50/road/kitami/main4.html10
10日ですって?
57,6042025-09-17 19:20:56/road/kitami/main4.html10
まさに。かつて道路を建設するために苦しみ斃れた、地に眠れるままの霊たちは、おそらく実際にその道を歩む誰かの足音によって、何よりも慰め鎮められると思います。
57,6032025-09-17 19:18:25/road/kitami/main4.html10
東映の昔の映画、網走番外地や大脱獄を彷彿とさせる道ですねえ。安部徹が湿地で溺れたり、室田日出男や郷��治が雪上で狂い、フルチンで凍死するシーンが目に浮かびました。
57,6022025-09-17 18:01:42/road/kitami/main4.html10
素晴らしい名文です。今までで一番かも。涙なしには読めなかったです(すみません、嘘言いました)。
57,6012025-09-17 17:56:44/road/kitami/main4.html10
追記でも触れられていますが、旭川(遡って札幌)から北見、網走へ到達した鉄道は、最初は

札幌〜(函館線)〜旭川〜(富良野線)〜富良野〜(根室線)〜帯広〜(根室線)〜池田〜(池北線)〜北見〜(石北線)〜網走

…という、気が遠くなるくらい迂遠なルートだったんですよね(汗)
それと比較して、鉄道に先んじて開通させた北見峠経由の中央道路は、かなり直截に理想のルートを追求した、いわば「弾丸道路」的な性格の道だったのだな…と思います
57,6002025-09-17 16:57:29/road/kitami/main4.html10
元がテツなもので,石北本線が網走方面へのメインルートと認識していましたが,道路にも大変な歴史が刻まれていますね.
藪こきお疲れ様でした.
57,5992025-09-17 09:57:26/road/kitami/main4.html10
探索現場に残る土木構造物が少なく 
明治時代そのままのような原始的な道路が 
昭和47(1972)年に現道が出来るまでの
(特に自動車が急増した戦後高度成長期において) 
どんな使われ方をしていたのかという所に
非常に興味を引かれていたのですが 
本文中にそのあたりの具体的な情報や 
古写真の一枚も無いというのはがっかりです 
  
『囚人道路』という重い歴史が 
レポの足取りさえ重くしてしまったのでしょうか
57,5982025-09-17 00:03:22/road/kitami/main4.html10
本文中の表現からよっきさんがクマに十分な覚悟を持って探索しておられることが分かりました。

その上であえて申し上げますと、釧路から根室のエリアはクマの密度が本当に段違いです。藪に入るまでもなく早朝夕暮れは普通に現役の国道そばで見ることもあります。実際私は廃駅となった初田牛でクマと100mのニアミスをしています。

どうぞその素晴らしい活動が誰も望まない最後を迎えることになりませんように。心から無事を願っています。
57,5972025-09-16 23:59:58/road/kitami/main4.html10
よくやった!
57,5962025-09-16 23:39:43/road/kitami/main4.html10
とてもよかった!
57,5952025-09-16 22:31:12/road/kitami/main4.html10
このように現道側から「慰霊碑」を眺めると、北見峠の最も美しい風景が背後に広がり、なんの予備知識を持たなくとも、雄大な自然に立ち向かった工事の様に思いを馳せることができる。
だが、地を這うが如く移動した監獄の恐るべき現場、囚人たちの死地たる旧道は、まだ見えない。
それを見るためには、というか、それが其処にあることを知るためには、各々が少し興味を持って調べることを要する。
調べて、初めて碑の背後を見れば、前述の通り、囚人道路がそこにある。
それどころか、碑の建つ場所自体がその路上であることを知る。
私は、自分自身が過ごした3時間で、このことを味わった。
そして、そんな二段構えの周到さを持つ慰霊碑は、道を道として使わないという最大の非礼 〜廃道化〜 を詫びるものでもあったかもしれない。

銘文ですね。
廃道とすることが、最大限の慰霊であり、このような容認しがたい方法で作った道は、もう公的には供用しない、という道庁の意図が感じられます。それが踏破によって明らかになる。趣味的踏破の極みでしょう。
57,5942025-09-16 22:14:19/road/kitami/main4.html10
いろんな感情が湧いてくる廃道ですね。
踏破ありがとうございました。

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