http://yamaiga.com/road/setoguti/ の公開中コメント一覧

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コメント
36,4622020-11-19 23:41:08/road/setoguti/main6.html10
読み終わった後、しばらく涙が止まらなかった
36,2272020-10-20 07:32:31/road/setoguti/main6.html10
いつも貴君の探検ならぬ調査には感動するばかりです。ありがとうございます。私は新潟滞在中、清津峡には訪れなかったが秋山渓谷には行きました。今から40年前です。私は只見渓谷には訪れてませんでしたが、1980〜1985年に駐在した新潟市期間中に只見渓谷に行けば良かったと思うばかりです。只見線は一部不通区間も残しては居ますが新潟県では最大に美しい所で有ります。只見渓谷の村道も豪雪の時代にはどうやって克服していたかを知りたい所です。確かに新潟は一年の12月から翌年の4月上旬まで雪に悩まされ特に12月上旬のカミナリがなる頃は大雪の警告とも言われる程翌日には必ず雪が降った物です。お陰で不通タイヤからスノータイヤに取り替えるのも4本で25分もあれば充分に出来る様に慣らされました。雪と戦う新潟県はそれが日常化してましたし冬には車にスコップとチェーン四つ、木片数個、手袋、帽子ーそして毛布二枚は必需品でした。
34,7532020-05-28 20:19:37/road/setoguti/main6.html10
今日は川の上流も天気が良く、水量も少ないので清津峡橋を渡ったところから河原に降り、歩いてまた川を渡り戻ってから遡上する形で穴沢付近を探索しました。(ウェーダー着用)
雪中隧道と穴沢橋の中間の真下に謎の小トンネルを発見しました。
大きさからしてたぶん道ではなく、橋の竣工前の穴沢の水抜き穴かな、と憶測してます。
http://photozou.jp/photo/photo_only/3259187/265634242?size=1024#content
ちなみにこのトンネル口と穴沢橋の間をよじ登る事はできました。逆に降りるのは足元が見えないので危険そうです。
橋台の反対側に残置ロープがありましたが、とても使う気がしない古いものでした。

http://photozou.jp/photo/photo_only/3259187/265634120?size=1024#content
オコジョかなにか、かなり小さいイタチ科の小動物が住処にしてました。
33,4852019-12-19 05:58:31/road/setoguti/main6.html10
地元民です。時々ドライブがてら通る道ですが、気軽に車で通れる今の道路にここまで過酷な歴史が隠されていたのですね。まったく想像だにせずトンネルで通過してしまっていました。
33,2092019-11-18 19:14:36/road/setoguti/main6.html10
隅々まで読ませていただき、廃道の魅力を味わえました。
32,9352019-10-12 23:15:50/road/setoguti/main6.html9
(´Д`)ノ こんばんはー
32,7922019-09-23 23:57:52/road/setoguti/main6.html10
地元の者ですが、昭和33年生まれの母がこのサイトを見て「6歳くらいの時バスに乗って、ここを通って土倉という集落へ行った覚えがある。」という事を言いました。さらに当時はこの先の葎沢(むぐりざわ)という集落までしかバスが行っておらず、そこから夜の山道を延々と歩いて峠まで登っていったそうです。免許を取ってからもこのトンネルを通っていたため、対向車のライトが見えると入り口や内部の少し広くなっていた場所ですれ違いをしたそうです。
今は冬でも快適に峠越えが出来るのも先人たちの知恵や努力の積み重ねがあるおかげという事を改めて思いました。
32,6182019-08-29 10:30:53/road/setoguti/main6.html10
素晴らしい、ケガには気を付けてください
32,4892019-08-19 18:29:49/road/setoguti/main6.html10
歴史的な背景まで記してあり楽しく読ませていただきました。
32,4252019-08-15 04:33:10/road/setoguti/main6.html10
温暖な地域に住んでいるため、雪中隧道の記事は何度か読んでいても最初からピンとこないのが正直なところでしたが相当厳しい場所であったことが伝わってきました。
32,3052019-08-01 22:17:01/road/setoguti/main6.html10
よく調べていて歓心しました
32,0462019-06-25 13:28:32/road/setoguti/main6.html10
小学校低学年だった昭和50年代後半にテレビで見た、冬は閉ざされる村や分校まで2時間歩いて通学する小学生はこういう場所だったのではないかと思いました。
それから、観光地の一極集中のところは、本当にそう思います。
32,0142019-06-19 08:54:21/road/setoguti/main6.html9
昨夜の地震で被害に遭われた方に、お見舞い申し上げます。ここの片洞門辺りは、大丈夫だったんでしょうか。
31,8342019-05-28 02:24:19/road/setoguti/main6.html10
今回もよかった。東京在住で秋山郷(長野県)に釣りに行くときに関越越後湯沢から十二峠〜津南を経由する際に何度も通っているところでした。渓流釣り解禁の5月でもまだ雪がところどころ残っていることも多く、十二峠から先は結構気を遣うところです。津南から長野県に入るころには間違いなく雪が残っていますが。津南までも怖いところというのが理解できました。単に酷道・廃道ということではなく、その歴史までレポートは、非常に深く、読み手に感銘を与えるものです。労力は大変でしょうが、『机上調査編』も結構楽しみにしています。先に行くか?、先に調べるか?私は、公私ともに現場主義なので、まずは行ってみる!そんなライフワークを応援しています。
31,8072019-05-21 21:08:51/road/setoguti/main6.html10
原付ツーリングで通った場所(おいらん淵)を調べていたら、このサイトにたどり着きました就活中の男子大学生です。
今や何の苦労も無く通過できるトンネルの陰には、先人のかけた数々の努力と多大な犠牲があったのですね…
廃道になったことで地元の方でさえ忘れかけていたその道の物語を、身体を張って発掘するヨッキれんさんには畏れ入るばかりです。
これからもお身体に気を付けて廃道探検なさってください。
山行が読んで応援してます!
31,6862019-05-08 15:17:10/road/setoguti/main6.html10
雪害との斗い。アツいぜ!
BY道東民
31,6732019-05-06 12:02:49/road/setoguti/main6.html10
清津峡のレポート、ありがとうございます。
私は、今から30年ほど前(平成2年〜4年まで)仕事で旧十日町市に住んでいました。
仕事で時々、R353(十二峠)を通ることがありましたが、カーブも多く狭い危険な道で、トラックの通行量も多く、あまり通りたくない道でした。
職場の先輩から、「この道は自衛隊が作った」と聞いていましたが半信半疑でした。
今回、疑問が解けました。
まさか、自衛隊どころか旧陸軍まで関係するとは思っていませんでした。
トンネル周辺の様子(もう少し旧道がはっきり残っていたと思います)や、清津峡ホテルなど懐かしいです。
31,6542019-05-04 17:14:14/road/setoguti/main6.html10
15000文字は長かったが読後感は最高に良かった。雪中隧道の話になると山古志や栃折が思い出されてうるっときた。
31,6462019-05-03 22:58:38/road/setoguti/main6.html10
へつり道は危険すぎて少ししか利用されなかったんですね。
軍隊は単に爆破演習がしたかっただけじゃないの?
31,6282019-05-01 23:17:14/road/setoguti/main6.html10
写真29は岩盤の爆破のシーンを撮影したものでしょうかね。
31,6072019-04-29 21:49:24/road/setoguti/main6.html8
以前、匿名でメールした者です。
雪崩事故の慰霊碑についてですが、画像の岩盤崩落は平成16〜17年の発生であり、
その後 平成22年に崩落箇所より少し上流側の道路脇(山側)で無事な慰霊碑を確認しています。
今回調査の画像と平成22年の画像を見比べても当時から増破していないようなので、
おそらく慰霊碑は土砂には埋まっておらず、単に見落としだと思います。(たぶん草の下ですね)
31,6052019-04-29 11:10:13/road/setoguti/main6.html10
いやもう「凄い」しか出てこないレポでした。
滅多に雪なんか見ない地方に住んでいる自分としては、もう信じられないと言うしかないほどの困難な越冬生活です。
「それでも人は故郷に生きようとす」ですね。
31,6012019-04-28 11:55:54/road/setoguti/main6.html10
ほくほく線(北越北線)が、もし北越南線ルート案の方を選択していたらここをどうにかして通っていた事になっているけど、土木的にどうするかだけじゃなく机上調査編に出てくる各地の生活がどう変わっていたかと考えるとそれもおもしろいかも
31,6002019-04-28 09:36:57/road/setoguti/main6.html10
素晴らしいレポートです!
31,5992019-04-27 20:40:37/road/setoguti/main6.html10
ふおーん、読了しました、大満足!!
ヨッキさま、井ノ川さま、ありがとうございました。(お)
31,5982019-04-27 14:57:31/road/setoguti/main6.html10
まとめたものを石碑にしてトンネル入り口に建てたい位のお話でした。写真に桟道を切り開いたという注釈があったので、桟道で検索したら、桟橋が付いている道というよりは、つま先歩きの恐ろし気な画像が出てきました。あれは桟道の基礎遺構だったのでしょうね。ロープや板が残ってないのに空手走破した人、ヨッキれん。。
31,5962019-04-27 09:25:37/road/setoguti/main6.html10
読み終えて、長文お疲れ様でした!との思い。知られていない歴史、特に軍隊の協力などが判明して貴重な調査でした。
31,5952019-04-27 03:38:18/road/setoguti/main6.html9
さすがは大陸打通一号作戦を成功させた帝國陸軍工兵隊
31,5942019-04-27 01:05:16/road/setoguti/main6.html8
近くにある清津峡渓谷トンネルって何かと思ったら観光用トンネルなのか
本レポ机上調査の描写とは隔世の感がありますなや
31,5932019-04-27 00:34:26/road/setoguti/main6.html9
現代の文明生活を享受する身からは想像もできない話だ
ほら!てめえの足元の安全くらいてめえで確認しろや
スマホ弄りながら歩いていると気付かないようだが踏んでも死にはしないだろうが
人糞が転がっていたりゲロがぶちまけられていたりするのだから

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