http://yamaiga.com/road/sukki/ の公開中コメント一覧

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コメント
30,2612018-10-26 10:11:06/road/sukki/main5.html9
茂津多トンネル開通前の、古い地図にも描かれている茂津多岬を登ってく道が気になりますw
生活道路というより灯台へのアクセス道なんですかね?
でも灯台守さん一家にとっては生活道路でもあったのか…。
なお、GoogleMapによると高重力でも発生してるのか、時空にゆがみが発生している模様w
https://goo.gl/maps/HWPnDQ3K8m52
30,2602018-10-25 23:38:51/road/sukki/main5.html10
この道は他の人も書いてるように、郵便、電報、召集令状の配達に必要なものだったのだろう。
当時の召集令状は、役所や役場の兵事係が受領後、2時間以内に配達していたという。どんなに海が荒れてても夜中でも配達していたのだろう。
30,2552018-10-24 13:20:45/road/sukki/main5.html10
今回の廃道は興奮しました。
30,2522018-10-23 23:28:30/road/sukki/main5.html10
この道が生活道路とは怖すぎです。ワイヤーにすがって歩くなんて水平歩道まんまじゃないですか。
まあ普段の行き来は船でしょうが、船が出せない時に行き来出来るように新潟の中山隧道みたいに集落の人が手作業で建設したのでしょうか。
30,2502018-10-23 17:27:43/road/sukki/main5.html10
ヨッキさん
探索も調査もレポートもどれもすばらしいです。凡人が全く気づかないようなわずかな痕跡をみつけ、ここまで掘り下げて結論を導き出すなんて、すごいとしか言えません。ここまできたら廃道学という新しい学問ですね。ありがとうございます。
30,2492018-10-23 10:38:49/road/sukki/main5.html10
卓上調査、良く記述のある本を見つけてきたなぁ
30,2452018-10-23 00:02:37/road/sukki/main5.html10
この度は素晴らしいレポートを、最終回までありがとうございました。
 ご指摘のように、北海道の歴史については資料の不十分なものが多数あり、苦労します。

工事用道路の可能性は最初からあり得ないと考えて良かったと思います。資材を運搬するなど、この細道ではどだい無理で、船による海上輸送一択でしょう。
 場所は須築とは違いますが、知り合いで神恵内村出身の古老がいましたが、やはり道路開通までは岩内町からの海路のみだったと言っていました

郵便配達がこの細道を使う理由ですが、目的地が須築だけならば船舶利用可能ですが、途中の番屋など一軒一軒に立ち寄る必要があるので仕方ありません。ただ、往路または復路の何れか片道は船舶を利用した可能性はあります。
また、時化で船が欠航した場合、基本休めない郵便配達は往復とも細道利用でしたでしょう

> 海が荒れた日はこの道もヤバいでしょ…

確かにその通りですが、死人が出た時など、船の出せないような時にどうしても伝達する手段が欲しいですから、やはり。

細道の開設時期が気になりますが、1948年米軍撮影の空中写真には道形が写っているので、少なくとも第二次大戦以前のようです。正確なところは現時点で当方もわかりません。       F生
30,2432018-10-22 16:56:06/road/sukki/main5.html9
藻岩トンネルの上を越えた道の続きは…
え?わからない?引き返す?
ええぇぇェェーーー?
珍しい
それはそうと昭和32年の地形図には描かれていて良さそうに思うが
まさか国土地理院が道と認めずひっかき傷と見做したというわけではなかろうな
江戸時代の浦田兵次が切り開いたという道のコースも引っ掛かる
1000mに届きそうな登山コースなら相当ハードな
30,2422018-10-22 13:53:57/road/sukki/main5.html10
ロープを張ったうえで、蟹歩きで進んでいくような道を、荒廃した後に、徒手で写真を撮りながら歩いていくような人がいたんですけどね。
30,2412018-10-22 13:17:39/road/sukki/main5.html10
作られた時期はさすがにわからずじまいでしたか。現役のときは手入れもされていたわけで、昭和期にコンクリ補強されたりしたのでしょうね。

...ブナオ峠といい利賀村お好きですなあ......あそこは誰だって惚れるよ。
30,2402018-10-22 09:02:20/road/sukki/main5.html10
更なる調査報告を期待します。おねがい。
30,2382018-10-21 23:52:35/road/sukki/main5.html10
終戦までは召集令状によって入営の日時が指定されていたので郵便配達人も危険を顧みずこのような道を通ったのでしょうし 入営に遅れると処罰されるので住民も必死の思いで通ったのではないでしょうか
そういう必要もあって開かれた道だと思います
30,2372018-10-21 22:56:57/road/sukki/main5.html10
あの橋は死亡遊戯再びって感じ。
どうやって作ったんだろう?
30,2362018-10-21 21:13:21/road/sukki/main5.html10
生活道路でしたか。凄い!
そして難所を実踏したのも、回想を見つけだしたのも凄いです!お疲れさまでした。

ひっかき傷のような頼りない道も、海からは距離をとりたいけどあんまり高巻きはしたくない、藻岩岬は急斜面すぎるし長大な隧道も掘れないから岩場に下りざるを得ない…といったように、とても合理的に考えられているようですね。
この道を(たぶん)普請した須築の人たちは、日頃船上から現地を眺めてルート取りを決めたのでしょうか?
シケの時のいわば生命線の道なので、こんなことを言うと不謹慎ですが…ルーティングの仕事すごく楽しそう!(おい)

>30,224さん
もしかすると須築トンネルの工事で、古道が何らかの形で活用されたのかもしれませんよね。
30,2352018-10-21 20:29:36/road/sukki/main5.html10
怖〜〜〜〜〜っ
30,2342018-10-21 18:59:30/road/sukki/main5.html10
この道と非常に似た当時の映像がニコニコ動画の【ニュースで見る鉄道の歴史2】に有ります、ただ
釧路町跡永賀〜十町瀬間ですが...
映像を見る限り昭和三十年代当時の北海道には同様な道が多数存在していた模様です。
30,2332018-10-21 16:56:54/road/sukki/main5.html10
すげえなあ。。昭和30年代の北海道の僻地の交通がこんなんだったとは。。

それにしても
>現在のせたな町と島牧村の海岸線に沿う新道、太田山道と狩場山道だった。長大である。距離にして実に36里余(約144km)もの新道
とか
>安政4(1857)年から、昭和44(1969)年の国道229号が須築へ通じた日まで。この二つの時を隔てる100余年の空白
とか北海道スケール矢鱈でかすぎw
30,2312018-10-21 16:33:16/road/sukki/main5.html10
エスケープルートで無事降りられたから良かったが、奈川渡ダムを思い出してしまった。気をつけてください。ところで須築トンネルの須築側坑口の右上に写っている黒々とした穴はなに?
30,2302018-10-21 15:49:12/road/sukki/main5.html8
紫色の花はカタクリ(片栗)ですね。
雪解け後の初春に開花しますが、ていていは日当たりのよい林床で群生をなします。海岸線に分布するのは珍しいかもしれません。
ちなみに、カタクリはエゾエンゴサクなどとともに、アイヌの伝統的な食用植物でした。
30,2292018-10-21 14:21:06/road/sukki/main5.html10
「昭和33年 あの道、この道」という動画を紹介して下ってありがとうございます!
旧標識が写っていたりと道路趣味者眉唾ものですね。
ナレーションも言いたい放題言ってて傑作ですw
30,2282018-10-21 13:39:32/road/sukki/main5.html10
平沼さま
メール失礼します。
既に他の方からもご指摘があったかようですが、
掲載されているピンクの花はカタクリです。
この辺りの急斜面には広く分布しています。
30,2272018-10-21 10:38:40/road/sukki/main5.html9
ヤギのような急坂に対応した足持っていたら楽に通過できるけど人間様でここを通るのは危険すぎ。当時絶対にシニンやけが人いたはずだ
30,2262018-10-21 08:38:26/road/sukki/main5.html10
今回の探索、凄い発見だと思います。
いつも素晴らしいレポートありがとうございます。

P.S.
旧道の最後、無事に下りられて良かったですね。
30,2242018-10-21 04:43:56/road/sukki/main5.html8
江戸時代に拓かれたという古道が気になったので
国土地理院の航空写真を見てみたのですが
1976(昭51)年の写真に、不自然なほどクッキリと
写っている道っぽいラインが古道なのでしょうか
だとすると須築トンネルより先から藻岩トンネルを
超えた先までのエリアではだいぶ内陸寄りの高い所を
通っていたことになりますが
藻岩トンネルの上あたりに隧道あるかも知れませんね

ただこのラインは戦時中や戦後間もなくの物では
写真自体が不鮮明な事を抜きにしてもはっきりしなくて
2000(平12)年撮影の写真のほうがまだ良く見えるので
古道の跡だとしても戦後に何らかの再利用で
改変を受けているのかもしれませんけれども

それと1947(昭22)年撮影の写真には
古道は見当たりませんがそのかわりに今回探索で
踏破断念した部分がかなりハッキリと写っていますね
特に藻岩トンネルの上あたりは明瞭ですがこの道には
尾根を突っ切るような隧道は無さそう
30,2212018-10-21 00:48:34/road/sukki/main5.html10
http://hokkaidoufish.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
>ガイド見ると完全に根魚場的な場所です。
>素掘りのトンネルも非常に気になりますね。

http://michiiro.blog.fc2.com/blog-entry-25.html
>奥の岬には、車も通れない徒歩道時代の旧道が崖に刻まれている。

ネット上では断片的な(現在の)情報しか見つかりませんねぇ……

モイワ繋がりで茂岩2号トンネルというトンネルもあるようで。
http://www.geocities.jp/tenku_kaihatsu/challenge008-01
https://goo.gl/maps/QcxMnZQ5z8J2

いや、229号沿いはイロイロ凄いですねぇ……
30,2202018-10-21 00:30:56/road/sukki/main5.html10
修正後の締めもいいですけど、後日、あの世でお伝えします!で笑いましたw
30,2162018-10-20 18:16:42/road/sukki/main5.html10
最高に面白い!
30,2122018-10-19 22:34:40/road/sukki/main5.html9
これは人類の戦いの記録である。
かつてこの険しい土地に道を切り開き、隧道を掘った過去の名もなき人々と、埋もれたその道を歩き探すヨッキれんさんとの、戦いの記録である・・・
30,2102018-10-19 19:00:16/road/sukki/main5.html10
紫色の花は前の方も書いていますがカタクリっぽいですね。拡大した写真の右下にある細長いのがカタクリの葉のようです。
自然の中に咲いている花に萌え〜!

もちろん、素敵な廃道レポートも楽しませてもらっています。
あとは藻岩トンネルの先と机上調査もでしょうか。この道は解明されるのか?
30,2092018-10-19 16:09:48/road/sukki/main5.html9
国道に入れない−−>「入国拒否」ですね、わかります。

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