http://yamaiga.com/tunnel/nenbutsu/ の公開中コメント一覧

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コメント
39,7932021-12-27 01:48:12/tunnel/nenbutsu/main4.html9
有名どころだと、島根県の隠岐の島にもこのような海岸沿いに手彫り隧道が点在しています。
落石の恐れがあるため一応立ち入り禁止にはなっていますが、バリケードのようなものはなく徒歩なら通行することができました。
(車止めはある)
事前に観光協会に確認した所、「おすすめは出来ない」「事故等あっても責任は取れない」とのことでした。
そのうちバリケード封鎖されるかもしれませんが、現道トンネルよりはるかに景色が良く楽しい場所で笑いながら歩きました。
観光と安全、一般観光客のみならず旧道廃道好きにとっても悩ましい部分だと思います。
39,7012021-12-12 23:00:24/tunnel/nenbutsu/main4.html10
悲しいお話しがこのレポートを名文にしてくれましたね。合掌…
39,6922021-12-12 17:01:35/tunnel/nenbutsu/main4.html10
つい見入ってしまいました。これからもレポートたのしみにしています!
39,6472021-12-05 21:08:02/tunnel/nenbutsu/main4.html10
神威岬に行ってみたくなりました。その時はもちろん尾根道を通りますが。
ところで、余談ですが、中学2、3年生なら児童ではなく、生徒かと思います
39,5472021-11-26 04:24:35/tunnel/nenbutsu/main4.html10
厳しい環境で灯台を守る仕事をしている人への尊敬と哀悼の念が掘らせた隧道。
内部で大きくズレていた未熟な隧道ですが、それ故に、素人普請でもいいから
急いで安全な道を造りたいという切実で真摯な思いが表れた隧道だと感じました。
素晴らしいレポ、ありがとうございました。
39,4432021-11-13 23:06:56/tunnel/nenbutsu/main4.html10
今回も,悲劇と歴史を遺憾無く語られ,亡くなられた方の供養になったものと感銘しております
39,4102021-11-08 23:49:25/tunnel/nenbutsu/main4.html10
町史の福井君の文章力が素晴らしい、感動した
39,4042021-11-07 21:45:33/tunnel/nenbutsu/main4.html10
そこに道があること(あったこと)の尊さが痛切に伝わる素晴らしいレポートでした。どうもありがとうございました。
39,3782021-11-03 22:55:08/tunnel/nenbutsu/main4.html10
とても面白かったです。大変勉強になりました。
39,3742021-11-02 13:28:19/tunnel/nenbutsu/main4.html9
昔、美国に チニカ山荘という山頂の宿があり、家族で毎年夏には泊まりに行っていました。40年も前の事です。その山にはなぜかスキー場のリフトのような設備があり、ケーブルと塔があったのを覚えています。スキー場にしては場所も変でしたが、あれはなんだったのか、今でも時々不思議に思います。
39,3652021-10-31 15:45:13/tunnel/nenbutsu/main4.html10
最後の一文に心動かされました.
39,3642021-10-30 22:31:23/tunnel/nenbutsu/main4.html10
快適で安全な道が出来て廃道になってしまったためにもう見られなくなった絶景が全国にはたくさんあるんだろうな。たびたびそういうレポありますよね。そういう絶景を再び世に知らしめ、当時の暮らしや利用者の声もしょうかいしてくれるヨッキさんの存在は大きい。廃道や絶景を紹介するサイトは他にもあるが、ヨッキさんほど深掘りしてくれる人はなかなかいない。
39,3632021-10-30 22:00:48/tunnel/nenbutsu/main4.html10
興味深く読みました。
福井二三男氏はフクイ製作所の創業者と同一人物かもしれませんね。「社会に役立つような立派な人」になられたようです。
https://e-kensin.net/news/130009.html
39,3552021-10-30 10:30:49/tunnel/nenbutsu/main4.html10
おりょっ 歩道ですか
かつては車道にこだわっていたと思いますが、、、
人は変わっていくもの、隧道だからストライクゾーンに入ってきたんですかね?
新たな切り口として面白い。
39,3542021-10-30 08:26:55/tunnel/nenbutsu/main4.html10
秋田市の土崎築港についての明治期の文献で、「港の北は流氷の激衝で崩壊して」いた旨の記述を見たことがあります。
であれば、北海道は秋田よりさらに寒く、10月でも十分冬季だったのではないでしょうか。
すくなくとも大正初年ころなら、日々の生活には、より寒冷だったという江戸期の記憶と習慣が残っていて、それに従ったのかもしれません。
傍証でもなんでもない憶測ですが・・・・・・
39,3532021-10-29 23:23:57/tunnel/nenbutsu/main4.html10
大学生のころ(S54〜S58)、何度か積丹に行き、念仏トンネルを通りました。通過した後の光景とそのあと浜から綴れ折りで尾根へと登っていく道が印象的でした。その数十年後、整備された尾根の遊歩道もいきましたが、その綴れ折りの道の柵とかも荒れ果てており、悲しい気持ちとなったことを覚えています
39,3522021-10-29 22:29:05/tunnel/nenbutsu/main4.html10
灯台の建設資材は海路で運んだのでしょう。尾根道かも知れませんが。
39,3512021-10-29 21:09:23/tunnel/nenbutsu/main4.html9
昭和44年頃に神威岬を旅行で訪れました。学生だったので国鉄の均一周遊券を使い、ユースホステルに泊まりながらの北海道、岬の雄大な眺めは思いだしたのですが、途中のトンネルは思い出せませんでした。
39,3502021-10-29 19:12:21/tunnel/nenbutsu/main4.html10
入念な机上調査から導かれる結論、相変わらずスゴイです。
悲劇がきっかけで『出来損ない』みたいな隧道が作られ、観光歩道として整備され放棄され。
酔狂な人が探索し発表し、薄れかけた記憶や散逸される資料がまとまって集まってくる。
そこにあるものには必ず何らかの由来がある、ヨッキさんのもっている信念がよくわかるレポでした
39,3492021-10-29 18:55:51/tunnel/nenbutsu/main4.html10
騎乗調査圧巻
39,3482021-10-29 10:46:28/tunnel/nenbutsu/main4.html8
1912年10月の気象データを気象庁のホームページから調べてみました。
神威岬から南に90kmほど離れた寿都の降水量および気温のデータしか得られませんでしたが、10月28日の最高気温が15.7℃で、翌29日の最高気温は5.1℃となっています。この急激な気温の低下は寒冷前線の通過か高気圧の接近とともに寒気が入り込んだかのどちらかですが、28日の降水量は8.2mmなのに対し、29日の降水量は0.0mmなので、前線の通過ではなく寒気が入り込んだと考えられます。実際、29日の最低気温は2.0℃まで下がっています。もしこの仮説が正しいとしたら、寿都より北に90km離れ、しかも絶えず強風を受けた山道では28日の降雨により29日には凍結が発生していたのではないでしょうか。山道を避けた理由はそんなところにあるかも知れないと思いました。
39,3472021-10-29 09:38:40/tunnel/nenbutsu/main4.html10
あひかわらず素晴らしい考察ですね。
39,3462021-10-29 08:38:31/tunnel/nenbutsu/main4.html10
机上調査も含めると更にインパクトが大きく読み応えありますね.流石です.
39,3452021-10-29 00:02:37/tunnel/nenbutsu/main4.html10
机上調査のまとめで、まとまりの良いレポになりましたね。
旧道のトンネルの多くが閉鎖措置されている中、手彫りのトンネルがそのまま残り、近代史の一部として今なお残るというのは、打ち捨てて良い代物ではないと思いました。
観光資源としての整備ができないにしろ、道徳情緒教育として、再生できないものかとも思いましたです。
39,3432021-10-28 22:36:49/tunnel/nenbutsu/main4.html10
大変興味を引くレポートでした。考証が素晴らしい。尾根道の探索が時間切れでできなかったことが少し残念ですね。付近に旧道の痕跡もちらほら、、、
39,3422021-10-28 18:41:44/tunnel/nenbutsu/main4.html10
さすがの調査力。脱帽です。
39,3412021-10-28 16:26:45/tunnel/nenbutsu/main4.html10
疑問を呈した者のひとりです。
文献調査、ありがとうございました。

現在(2021/10/28)wikipediaに記載されている、「かつては神威岬先端へ向かう唯一の路であった」という行は、記述をやや単純化しすぎている、といえるでしょうけれども、件の遭難事故の日時・時点においては、実質的に「唯一」利用できる・選択できる道であった、という意味では、真実を含んでいる、ということになりそうです。
あとは、(冬季の)風向きも考慮すべきかもしれませんね。卸下・陸揚げも北側の海岸から行っていたとすれぱ、一定の風よけ効果があったのかも、しれません。
観光資源としての効果的な位置づけもあるでしょうから、名所の説明には単純化という「演出」も考えなければなりませんが、公務を帯びた灯台職員の関係者・家族が亡くなったわけですから、もう少し、精確な記述が一般向けにも配慮されて、然るべきかと思いました。
39,3392021-10-27 22:42:00/tunnel/nenbutsu/main3.html10
面白い読み物でした。
40年近く前に何度かここに行きました。冬の水無の立岩も見た事があります。とても懐かしい、さらに先の灯台までの登りは崖か藪になってるでしょうね
39,3362021-10-25 12:34:34/tunnel/nenbutsu/main3.html9
「水無しの立岩」について、以前報告したユースホステルでは、「見る角度によっては水ぶくれの立岩になる」と説明していました。今回掲載の写真は「モアイ像」見たいにスマートですが、確かに見る場所によっては「巨神兵」みたいないかつい形になりますね。
39,3352021-10-25 10:44:19/tunnel/nenbutsu/main3.html10
現役当時よりは侵されて幅が狭くなっているのでしょうね

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