最近のgoogleマップは凄い。
日本国内の地図は“あの住宅地図の”ゼンリンに提供されているだけあって、特に高縮尺の精度においては、私が愛用する「スーパーマップル」シリーズも、「プロアトラス」シリーズも適わないようだ。
googleマップを見ていて、どうやってそこへ行けるのか分からない道を見つけたので、
そこがどうなっているのかを見てきて欲しいという、匿名での情報提供があったのは平成21年の8月。
今回だいぶ遅れてしまったが、実際にそこを見てきたので報告しよう。
右図は情報提供者が教えてくれたgoogleマップの問題の箇所だ。
地図のちょうど中央に薄い「坑口」の記号があり、そこから南南西の方向に伸びる道が描かれている。
その道は、おおよそ200mほど南下した地点で、中央自動車道の太い線にぶつかって消滅している。
確かにこの地図を見る限り、中央道以外のどの道とも繋がっていなさそうである。
そして、この一塊の道から東の沢を挟んだ所に、もう一本の道が描かれている。
これは地図をスクロールしてみると分かるが、ちゃんと外界に通じている。
末端か坑口で、その坑口の延長線上をトンネルが通っている…。
…なんとなく道の正体は予想できたものの、実際にどんな風景なのかを知りたいという気持ちもあり、“謎の道”へアプローチしてみることにした。
スーパーマップルで見るとこんな感じで、国道20号から北に突っ込む行き止まりの道の終点が、
目指す道(謎の道)の直近ということになる。
他に道はなく、途中から破線の表示が気にはなったが、これをアプローチルートとして選んだ。
2010/3/15 6:17
国道から1車線の舗装路を1.2kmほど登ると、相模川ゴルフ練習場がある。
さらに100mほど道なりに進んだところが、このレポートのスタート地点だ。
そこは数軒の民家が山肌に上下して建ち並ぶ小集落で、その先へ続く道はいかにも行き止まりっぽい枯れた感じであった。
ここから自転車で現場を目指す。
地図の通りなら、行き止まりまで1kmちょっとのハズだ。
朝日が射しはじめた冬枯れの道を少し行くと、左手に前述のゴルフ練習場が現れる。
道はこのすり鉢状になった練習場の周りを巡りつつ、高度をさらに上げていく。
まだ営業時間前なので、全く人の気配はない。
打ちっ放しの練習場と道路の間には高いネットフェンスが有るものの、なぜか大量のゴルフボールが道の周囲に散乱していた。
右の写真はそのごく一部で、それこそ辺りの山林を捜索すれば、何千個も拾うことが出来そうだった。
ゴルフボールが幾らするのか知らないが、なんか勿体ない。
出発から400mほど進んだ地点で、道が二手に分かれていた。
どちらが本道か分かりにくい感じだが、ここはgoogleマップを頼りに直進した。
なお、このすぐ先で路上に新しい倒木があり、車の場合はどかさないと進入できない状況であった。
6:23 《現在地》
両側から枯れ草が覆い被るような道は一時下り坂となった。
その前方には、高い築堤を従えた中央自動車道が出現。
しかし、今はまだこれ以上接近しない。
築堤にはね返されるように左に折れた道は、薄暗い杉の植林地から再び登り坂となった。
遠からず行き止まりになるだろうこの道だが、元々はどこかへ通じていたのかも知れぬ。
中央自動車道が開通するまでは、集落同士を結ぶ生活道路だったのではないだろうか。
そう思ったのは、このこじんまりとしたガードレールを見たときだ。
かなり薄っぺらで、思いっきり蹴りつければそれだけでひしゃげてしまいそうなガードレールだが、ただの林道や中央道の工事専用道路にこんなものが必要だろうか。
中央道が出来る前の昭和20年代の地形図に、この道は描かれていなかった。
だから確証はないのだが、ここへ来るときに通った集落だって、幹線道路(国道20号)から見ればずいぶん辺鄙な山中にあった。
さらに奥に、もうひとつくらい集落があっても不思議はないだろう。
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古いガードレールを肴に登っていくと小さな広場に突き当たり、そこから右へ折れて下りはじめた。
その行く手には、ひな壇のように前後立体的な配置となった、2本の大型橋。
中央道に他ならない。
しかし、このまま行くともろに平面交差となりそうな勢い。
左の谷は思っていた以上に深く険しく見え、道がなければ進むことは出来ないだろう。
「目指す道」はもう直線距離で200mくらいの至近にあるはずだが、そこへ行くには前方の中央道も左の谷も、両方乗り越えねばならない。
6:26 《現在地》
こう来たか!
平面交差じゃなくて、助かった(笑)。
橋の下にも一応道が続いていた。
しかし、この道はもう車道として使うつもりがないのだろう。
自転車に乗ったまま通行するのも頭が擦りそうなくらい、ぎりぎりの高さしかない。
しかも、大量のケーブルが頭上をうねっていて、そのあまりの無防備さに、悪いことをしている気になってしまった。
大丈夫! まだ一度も立入禁止などの表示も柵も出て来ていない。
来た!
こうなってたんだねぇ…。
中央道って、こうなってたんだねぇ…。
確かに普段通っていても、この辺りはかなり険しい地形だろうというのは感じられた。
でも、ここまで険しかろうとは、予想外だった。
なにせ、あっという間だもんな。この辺を通るのは。
中央道から見てここがどこかを簡単に説明しよう。
東京から名古屋方面に向かって走っていくと、談合坂サービスエリアを過ぎて暫くして、道が2本に分かれる所がある。
これを右ルート、左ルートと呼んでいるわけで、少し古いゲームファンはSEGAの「アウトラン」シリーズを連想するに違いない所だ。
かく言う私は「アウトラン2019」が最高傑作だと思っているが、まあそれはさておき…
現在地は、左右ルートに分かれてから4本目の「斧窪第三トンネル」を抜けて、次の「中野トンネル」に入るまでの、約300mの明かり区間である。
中野トンネルを出るとすぐに左右ルートが一つに戻るので、路上には合流注意の標識が多数並び、ドライバーは緊張を強いられている場面である。
そんな高速の “一瞬の風景” を、切り取ってお伝えしている。
左ルートの橋を潜り抜けると、すぐに右ルートの橋の下へと潜り込むが、このわずかな明かり区間は普通車が登れないくらいの急坂になっていた。
私のすぐ頭の上を、風切り音だけを残してビュンビュン車が走り抜けていく。
言いしれぬ背徳感を覚えるが、幸いこの地形ならば、右左どちらのルートのドライバーからも私の姿が補足される可能性は無いはずだ。
関東の住人には今さら説明の必要が無いかも知れないが、秋田自動車道や東北自動車道しか知らなかった私が最初この状況を見たときの驚きを思い出し、簡単に説明する。
以前はこの左ルートが下り線で、右ルートが上り線であった。
しかし上下線あわせて4車線では容量が不足して渋滞が頻発したことから、平成15年に3車線の新中野トンネルを上り線として建設した。
そして従来の上下線は全て下り線に改造され、上り3車線下り4車線という合計7車線の交通容量を確保したものである。
さらに昔を辿れば、中央道の相模湖~河口湖インター間が開通した昭和44年当時は、4車線どころかたった2車線しかなかった。
今では珍しくもない「暫定2車線開通」のはしりであったが、一般道路と同じように対向車線にはみ出して追い越しが可能であったことから、悲惨な正面衝突事故が多発。高速走行は危険だという批判から、「東名」より受け継いだ「中央“高速道路”」の名を改めて「中央自動車道」とした経緯がある。
同時期に建設が進められていた関越自動車道なども、計画中は関越高速とも呼ばれていたのであった。
とまあ本筋からだいぶ話が逸れてしまったが、その昭和44年開通のルートというのは現在の左ルートである。
そして、昭和48年に頭上の現:右ルートが開通している。
左ルート右ルートと2本の高速道路を潜るうち、すっかりやせ細ってしまった“我が道”である。
再びお天道様の元へ出たときには、冬とは思えぬ草道になっていた。
前途にあるのは、生か死か?
…なんてな、いくら何でも大袈裟だ。
問題は、この道がどこまで続いているかだ。
もう既に目指すべき道は対岸に見えている。
強引に行けないことはないかも知れないが、道があるなら辿りきりたい。
朝露湿める草むらへ、本日の第一歩を記す。
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