2010/3/15 6:30
ガタガタではあったが、ともかく我がアプローチルートは中央自動車道の下り線を突破。
googleマップが教えてくれた“坑口のある道”へ、谷一つ挟んで近接するに至った。
地形図では破線の道だけに廃道を覚悟はしてはいたが、全くその通りの道になってしまった。
まあ、先の“高速くぐり”によって、事実上車両通行が不可能な状態になってしまったので、無理からぬ事と思える。
中央道を管理するNEXCO中日本側も既にここを公道とは思っていないのか、普通ならば有りそうな「敷地内立入禁止」の柵や警告が、道沿いには一切見られない。
元は5mくらいの幅は有っただろう路面も、無普請の法面から崩れた土砂に埋もれ、そうでないところも笹やススキが地を這うように育っている。
3月でこれでは、夏場は前後不覚の体を現出するのではないだろうか。
藪の切れ目から対岸に見える白いガードレールを目的地と定め、小さな廃道を進んでいった。
坑 ★ 門!
坑門を発見しましたッ!
“穴”どれねぇ!googleマップ。
本当に坑門がありやがッた!
しかも、そう小さいもんじゃなさそうだぞ。
しかも、どうやらこの廃道が直接、あの坑門まで通じていそうだ。
もし通じていれば、元々は一本の道だったという線が濃くなる。
それでこそ、私の「旧道説」が裏付けられようというものだが。
…それにしても、灯台もと暗しとはよく言ったもので、こんな所に未発見の隧道が隠されていようとは…。
ワクワクしてきた。
道は順当に沢底まで下りると、左へカーブしながら築堤&暗渠で跨いでいた模様であったが、そこは流水に削り取られ原形を留めていなかった。
いずれにしても、橋ではなかったようだ。
そして沢から這い上がると、なお廃道の欠片のような平場が、坑口の真横にまで到達していることを、しっかりと確認した。
これは大きな収穫である。
つまり、現在の地図(googleマップ)では孤立の存在のように描かれていた道も、実は今私が辿ってきた廃道の続きであった可能性が極めて高いのだ。
まったくなんの繋がりもない道が、突如山の中に現れるはずはないと思っていたが、やはり下界の道と繋がっていた!
6:35
200mほどの廃道を乗り越えて、
いま目的地の一端へ到達!
ずばりこれは、新中野トンネルの避難坑だ。
地図を見ると、この位置からトンネル本坑までの直線距離は、わずか80mほどである。
また新中野トンネルの全長は1500mあり、長大トンネルにおける避難坑の設置基準(通行量多→1000m以上、少→3000m以上)に照らしても、避難坑が必要なはずである。
避難坑は本坑に並行して設けられることが多いが、新中野トンネル西口に避難坑の出口らしきモノを見た憶えがない(東口は不明だが)し、ここに出てくるようになっていたのである。
証拠だってあるぞ。
“高速色”の非常電話ポックスが、ポツンとひとつ…。
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当然電話ボックスに鍵はかかっておらず、素手で簡単に開いた。
そして、新品同然の内部を拝む。
もしもリアルに避難してきてこの電話に辿り着いた場合、使い方が分からなかったというのでは困る。
こうやって平時に予め使い方を把握しておくのは、いざというときの役に立つかもしれない。
私も初めて見るが、簡単そうである。
ただ受話器を外せば自動的に係員に繋がり、要件を伝えて受話器を元のように収めて終了である。
もし口がきけない状況であれば、受話器を上げた後で下にある4つの用件ボタン(故障・事故・救急・火災)のいずれかを押すことでも、通報ができる仕組みになっている。
万が一電話機が故障しているときは、道路緊急ダイヤル#9910に(自前で)電話してくれと言う注意書きもあり、万全だ。
もっとマジマジと機械を見たい人は、こちらの【リンク】からどうぞ。
ただ…
避難坑の扉は閉まっていた!!
いや、
まさかね、
さすがにこれは、向こう側から手をかければ開く仕組みになっているものと思う。
とりあえず、こちら側には鍵穴があって、しっかり施錠されていた。
あと、坑口の上部には照明と共にスピーカーが取り付けられているのが見えた。
私は、いつ「退去せよ!」とか呼びかけられるんじゃないかとビクビクしていたが、周りにカメラのようなものは無さそうである。
また、扉に耳を当ててみても全く無音で、同じような扉が何枚もある感じがした。
まあ、正直なところ、扉が閉まっていてくれてホッとしたよ。
開いていて、しかも立入禁止とか書いてないとしたら、自分はどこまで行っちゃうのか分からんし…。
振り返ると、そこから“謎の道”が始まる。
その最初に現れたのは、恐らく誰もが初めて見る“看板”だった。
この看板を見たことのある人は、どれくらいいるだろう?
自分がいる場所を、これほど強く意識させられるものは無い。
間違いなく、初めて見る。
こんな看板が有ること自体初めて知った。
この看板をニヤニヤしながら見れる我々は、間違いなく幸せだ。
動くな! と書いてある。
そして、
確かにその通りであるということを、私は間もなく思い知ることになる。
開かずの扉の前を離れ、その正面に伸びている舗装路を歩き出す。
先ほどまでとは反対に、今度は上りながら中央道の橋のある方へ近付いていく。
googleマップがこの先をどう描いていたかを思い出すまでもなく、嫌な予感しかしない。
しかし「通行止め」の一言もないこの状態で引き返したら、ただのチキンなのではないか?
そんな矜恃を頼りに、ビックンビックン進んでいくが……。
あわわっわわ…
誰かこの道を止めた方が、良いんじゃないか?
もろに高速と同じ高さに向かっているが、まさか…
この道の終点って…。
まさか…!
モロだった!
マジで最後まで立入禁止の表示等はナシ。
幾ら道路に関しては無遠慮な私でも、流石にこれは引いた。
モロに下り線右ルート本線に接続していたのである。
他にはどこにも行きようがない。
避難坑から出たは良いが、そこから下手に動くと大変危険だと言うことがよく分かる。
むしろ廃道に逃げ出せば、とりあえず下山は可能である。
なお、今は高速の本線とガードレール1枚を隔てた状態であるが、この状態をドライバーに見られると相当怖がらせてしまう(危険)と思ったので、絶対に車の来ていないタイミングでこの“最も本線に近付いた”写真を撮影した。
そして、シャッターを切り終わると同時に、跳ねるように最前線から離れた。
このくらい離れていても、私を見つけたドライバーはビックリするかもしれない。
この写真を最後に、速やかに撤収した。
今回は何も禁止されたことはしていないはずだが、冷たい手で首を絞められているような気持ちの悪さがあった。
また、ガードレール1枚を隔てて鉄の塊がカッ飛んでいく風景は、決して爽快なものではいという事を学んだ。
ほんの少し、アクセルを踏むのが怖くなってしまった。
皆さんも安全運転を心がけたし…。避難坑のお世話になることなど、一生涯なきように…。
最後に、今回見た物件の復習。
中央道が4車線で開通してまもなくの昭和51年版地形図では、今回私が最終的に辿り着いた地点までの一連の道が、ちゃんと車道として描かれていた。
一方、中央道など影も形もない昭和22年当時は、ここに車道は通じていなかったようだ。
つまり、今回の道は一連全てが中央道の工事用道路であった可能性が高い。
前半に「生活道路かも」と思ったのは、間違いだったようだ。
これといって集落跡らしい場所も沿道に見られなかったし。
そして、平成15年に新中野トンネルが建設された際に、既に用済みとなって廃道化していた工事用道路の末端部を再整備したようである。
その目的は二つ考えられ、ひとつは新中野トンネル建設のための工事用道路(実際その用途で使われた証拠は未発見)で、もうひとつ確実なのが、避難誘導路としての利用である。
完