ミニレポ第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道 

所在地 山形県天童市貫津〜山元
探索日 2009.7.30
公開日 2010.7.17

心に沁みる、山裾の旧道



山形県内陸部には山形盆地という日本有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日本有数の酷暑の地となる。
そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。
これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。

そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。
ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。
羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。

だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。
それは当たり前のことであるが、時にそんな道が県道の指定を受けていると、私のような好き者が訪れることになるわけだ。



今回の主役は一般県道279号、路線名は「荒谷原崎線」という。
荒谷も原崎も天童市内の大字で、全長7.7km。
使っているのは多分地元の人だけという、広域交通的には重要度の低い道で、強いて言うなら仙台方面から山寺への近道になったり。
あとは、平行する国道13号が渋滞したときの迂回には使えるかもだが、かの三島通庸が道路先進県を打ち立てた山形の伝統は今なお生きていて、国道13号は東北の他県がうらやむような完全4車線のバイパス路になっているので、そんな役目もまず回ってこない。

で、この道にはその中盤の貫津から山元にかけて、最近バイパスが建設されて供用された。
これが地図中の「新道」であり、それ以前の道が「旧道」である。
そしてこの旧道は、左図のような大縮尺の地図で見るとかなり細いし、古びた線形も何となくそそる物がある。
だから行ってみたというのが、今回のレポートである。

まあ、この地図を見て期待する人は居ないと思うが、この旧道は全線が生活道路であり現役で、大きな橋はないし、隧道は無いし、片洞門も、絶壁も、絶体絶命のピンチはおろか、名物の「抜けれないよオヤジ」も居ない。

じゃあ何が有るのかってーと…


私の好きな道がある。





2009/7/30 13:07 【撮影地】

良い景色だなぁ。

―終―









というネタを一度やってみたかったので、今やってみた。

この良い景色が県道279号の在処であり、今回紹介するほぼ全区間だ。

「道の駅天童」あたりから東を見ると、遙かな奥羽山脈へと連なる鵜沢山(730m)が、どっしりとした山脚を降ろしている。
そして、その裾野に配された家並みが、貫津(右側)と山元(左側)の集落ということになる。

まずは旧道の南口である貫津へ行ってみよう。
もちろん今回はチャリの出番だ!




《現在地》

天童市貫津字金比羅が旧道の南口。
背景は鵜沢山だ。

写真の交差点を左に行くのが旧道だが、奥に向こうを向いている青看は別の交差点を案内するものだ。
例によってなんら目印のない分岐地点ということで、地図が無ければこれが旧道とは思わない。




旧道は地図が描いているとおり、狭い道だった。
狭いと言っても色々あるが、乗用車が通る道としては限界といっても良い狭さ。
こんなに狭いにも拘わらず、特に道路標識は設置されておらず大型禁止などもない。
間違って進入してくる可能性もないような、“ど”ローカルの道という認識で良いのだろうか。
しかし、田圃の中を真っ直ぐショートカットしている新道とは違い、沿道には家並みがあり、冬になればちゃんと除雪もしているのだろう。



標識がないなど、あまりオブローダーを喜ばせる事に熱心ではない旧道だが、「山形県」のデリニエータが残っているのは嬉しかった。
しかも、珍しい木製のデリニエータだ。
山形県は、全国的に見ればまだまだ木製デリニエータが多く残る県だが、いずれ絶滅するのは間違いない。

金比羅集落を手短に抜けた旧道は、山裾に沿いながらゆるゆると登っていく。
両側は山形盆地らしくサクランボ畑らしい。(別の果実畑だったかも)




カーブにはカーブミラーが設置され、待避所も所々にある。
徐々に路肩の落差がきつくなってくると、ガードレールも現れ始めた。
法面にはできあいのコンクリートブロック擁壁。
狭いと言うことを除けば、至って平凡な県道の風景だ。
旧道になったのもほんの数年前らしく、荒れているようなことも期待に反して全くない。
強いて言うなら、夏草の繁茂が視距を阻害しつつあるくらいか。

だが、私はお宝を嗅ぎつけたような高揚感を感じ始めていた。
それがなぜなのか、自分でもよく分からない。
でも、なぜだか気持ちが良くなってきた。




道はひとしきり登ると、鬱蒼とした杉植林地に包まれた。
遠目で見たときにはずっと家並みが続いているようだったが、実際には貫津と山元の間には峠というのもおこがましいささやかな丘があって、奥羽山脈の最末端となる林が広がっていたのである。

30度を楽勝でオーバーする“いつも”の熱気も、緑陰にあっては夜気の余韻を僅かに残していた。
絶え間なく降り注ぐ蝉時雨さえも、この涼しさを喜んでいるようだった。

【自転車による走行シーン動画】

上の動画に今回の探索で私が感じた気持ちよさが集約されている気がする。




《現在地》

旧道入口から650mで、山裾を巡って丘を越える最高地点に着いた。

海抜は天童市街に加わること20m程度。
それでも遮るものの少ない盆地であるから、反対側を壁する出羽丘陵を遠く見通すことが出来た。
そしてそこには豊かな田園が青く輝いていた。

地形的に見る限り、集落も道路も全て盆地内に収まっていれば使い勝手が良さそうなのに、沃野は出来るだけ田や畠として活用し、人の暮らしは一歩引いた斜面に甘んじた。

果樹園と山岳を隔てるこの車一台分だけの旧道は、山形盆地という歴史ある生活圈の控えめな“輪郭”のように見えた。




緩やかに下り始めて間もなく現れたのは、武骨なコンクリートの欄干を真っ白に塗り固められた小さな橋。
銘板曰く「毘沙門橋」といい、また別の銘板が教える竣工年は「昭和五年十月」と、予想以上の老兵だった。

しかし小規模とはいえ、昭和ヒトケタ年代に当時は「永久橋」ともてはやされたコンクリート橋が架けられてている時点で、この道の地位がかつては今よりも高かったことを伺わせる。
逆にそうでもなければ、この程度の道が県道として今日生き長らえているとは思えない訳で、やはりそこには歴史的経緯を認めたい所だ。

で、そんな橋の下を流れているのはチョロチョロ水で、沢と言うよりは開渠のようだったが、名前は予想を超越していた。




銘板は嘘をつかないと信じたいが、いささか疑問が残る銘板。

川の名前が「隅田川」だったのは、この際問題にしないことにしよう。
たまたま東京の某川がメジャーすぎるだけで、小さな川がこの名を名乗れない訳ではない。

問題にしたいのは、「びしゃもんさわはし」という銘板である。
前述の通り、漢字で書いた名前は「毘沙門橋」。
これが読み方は「びしゃもんさわはし」となるのだとしたら、さすがに不可思議である。
いや、こうなると「隅田川」という名前も改めて怪しい。
川名は毘沙門沢じゃないの?
ちなみに、ここの字(あざ)は関の上といい、毘沙門とは関係ない。




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《現在地》

坂を下りきると字「寄際」で、ここはもう天童の中心市街地と地続きであるだけに、風景も平凡な郊外のものとなる。

まず最初に広域農道と交差し、旧県道も感化されて2車線化。
しかしまだ新道とは合流せず、むしろこの辺りが最も距離的には離れている。

そのまま集落内を進むこと200mほどで古瀬川を渡る「山元橋」が現れるが、その直前の丁字路が県道280号「天童停車場若松線」との合流点である。
こいつが今回の粋な脇役だ。




山元橋は開渠となった川と共にもはや昔日の面影を留めないが、丁字路の正面には時が止まったような土蔵の壁があった。

後藤医院、花輪ほねつぎ院、清酒出羽桜、槇外科医院、“皆様の庶民金融”毛利金融などの色褪せた琺瑯看板に混じって、鮮やかな「感冒ユイツ」が目を引く。
これだけあってマルフクが無い。もはやマルフクにさえ広告性能を見限られた道だったのか。
そういえば、2車線が空しくなるくらい先ほどから一台の車ともすれ違わない。
動画中に行き交ったお爺さんの自転車一台だけだ。




13:24 《現在地》

山元橋から先は県道279号(旧道)と280号の重複区間となる。
なお、このレポートを書いている時点では、旧道もまだ県道の指定を解除されていないようなので、重複区間として健在である。

しかしこのセンターラインの消えかけた重複区間はわずか70mばかりで、写真の突き当たりの丁字路で反対方向に分かれていく。
右折するのが県道280号、そして左折が県道279号だ。
ようはこの2本の県道は、あくまでもそれぞれの目的地へ向かうために山元橋をシェアしたに過ぎない関係だ。

ちなみに左角に写っている背の高い三角屋根は「ファミリーストア西カド」というお店である。




私は県道279号を追跡すべく左折する。
そこもこれまでと2車線の街路だが、すぐに市営バスのバス停がある。
「津山街道口」というバス停で、市役所と「わくわくランド」を結ぶバスが一日4往復発着するようだ。

さて、この「津山街道」という道だが、いったいどの道のことを指しているのだろう。
現地ではそれを知り得なかったが、津山という名前は明治22年から昭和29年まで貫津周辺に存在した東村山郡津山村に由来すると考えられる。
現在は天童市の大字としても残っていないが、県道279号の新道沿いにある「津山小学校」が唯一の名残であろう。(写真)

すなわち、津山街道とは私が辿ってきた県道279号旧道そのものであったようだ。
なるほど、その「カド」にあるバス停の名前としては、的を射たものである。




13:26 《現在地》

カドを左に曲がった「津山街道」こと県道279号旧道は、またしても僅か70mで右折することになる。
標識などは無く不案内極まりないので、おもわず「ナビクマ」ちゃんが欲しくなる所だ。

もっとも交差点の前方さらに70mの所には、最近開通したばかりの新道が横断しているので、この右折する旧道の存在意義はほとんど皆無になっている。

カーソルオン後の写真が、その新道の交差点だ。
新設道路と交差する無信号交差点は盲信事故が多いのだろう。
「止まれ」をありったけの声で叫んでいた。
背後は天童市街地だ。




この全体として鍵形となっている二連続の交差点をふりかえって撮影した。

右奥の大きな三角屋根の「西カド」を左折して手前に向かってきた道は、目の前の丁字路を今度は右折して路地に入っていく。
これが津山街道ということになる。

一方、手前から奥に真っ直ぐ伸びる道も歴史の深い道で、これは津山街道よりは幾分通りの良い「若松街道」の名がある。
道路配線的には天童市街と奥羽山脈の麓を結ぶ行き止まり道だが、その終点にあるのが最上三十三番札所第一番札所である鈴立山若松寺という、盆地内では山寺の立石寺に匹敵する知名度を持つ古刹である。(ちなみに山寺に第二番札所がある)
若松街道は信仰の道であったろう。




この一帯の山元という大字も、おそらくは若松寺の門前集落という意味合いから生じたのであろうが、ここはその中の字「的場」である。
緑豊かな家並みの合間を、いっときの状態を思い出させるような狭隘の道が伸びている。

しかしこの狭路も距離的にはわずかであり、緑のトンネルの先で新道に吸収されることになる。




13:30 《現在地》

典型的な三叉分岐を見せる山元の新旧道分岐地点。
旧道側は塞がれているように見えて、じつは通れる。

さて、これで一連の(といっても全長1.9kmほど)旧道は終了したわけだが、今一度「山元橋」に戻り、県道280号の狭隘区間に行ってみることにした。
こっから先は、オマケである。
あちらも、予想に違わぬユルさだった。






13:31 《現在地》

移動は一分(笑)。
この山元橋から県道280号の狭隘区間が始まる。
手前が先ほど紹介した県道279号の旧道で、奥に行くのが県道280号。右に山元橋が写る。

なお冒頭では説明しなかったが、この県道280号「天童停車場若松線」は全長4.7kmほどの一般県道で、経路のほぼ中央を分断する国道13号によって二分されている。
その起点側は、JR天童駅と国道13号を結ぶいわゆる目抜き通りであり、昼夜を問わず通行量が多い近代的な都市道路だ。
残りの終点側は、若松寺の参拝路としての機能を発揮していたのは昔の話で、今は市道や広域農道にその役割を負われ、これまた県道279号旧道に匹敵する“生活県道”となって辛うじて存続している有様である。
今からそのハイライトとなる1km弱を紹介する。




古瀬川沿いを200mほど下ると左折し、さらに200mで前にも紹介した広域農道と交差する。
そこを過ぎて間もなく、1.5車線有った道幅が1車線に狭まる所がこの写真の場所だ。

幹線道路じゃないので何でもありなんだろうが、せめて壁に反射材くらいは付けておいた方が…。
舗装は最近し直されたようだが…。





《現在地》

広域農道との交差点から150mほどで、今度は県道279号の新道と交差する。この区間の後半分が塀に囲まれた道中最狭の区間であった。
カーソルオン後の画像は、同交差点を反対方向からふりかえって撮影したもの。

県道の標識や表示物が一切無いため、まったく派手さはない“険道”であるが、既に快走できる道が縦横にあるなかで、その合間を縫う路地が執拗に県道指定を受けているこの界隈の変は、個人的に是非紹介したいと思った次第である。




で、この交差点のすぐ先に、極めて目立たない橋が架かっている。

この橋も交差点の改良に伴って近年架け替えられたようで、2車線の道幅よりも欄干の長さが短かったり、銘板も無かったり、川もほとんど水路のようであったりと、私が現場で橋の存在自体に気付けなかったのも無理はないくらいなのだが、

この川が、例の、隅田川である。

そして今度の県道280号の橋の名前は、そのものずばり隅田川橋といった。
ということを帰宅後に地図を見ていて気付いた次第である。
惜しむらくは、現橋に銘板はない。

ちなみに“有名なほう”の隅田川に、そのものずばりの「隅田川橋」は無い…かもしれない。
適当にググった限りでは、ヒットしなかった。




2車線になった道は、とりあえずは破綻無く天童市街を目指して進む。

そして、シケイン状になったカーブ端の植え込みに、青看無き県道における唯一の案内標識を発見した。

それは石の台座に立つ四角柱の道標石で、側面には昭和二年建立と刻まれていた。
そして街道を向く正面の“みちしるべ”は、かなり多くの文字数だったが、以下に書き出してみる。(原寸画像)

右 温泉ヲ経テ天童駅へ 一、七七粁(十五丁)
左 若松観音堂へ 三、四一粁(三一丁)山口村二達ス

この道のあり方をよく示した案内である。
「温泉」というのは天童温泉のことであろうか。




13:38 《現在地》

国道13号が間近となった所で、県道280号の最後の反抗がある。

センターラインのある道は何気なく左へ誘導するが、地図が示す県道はここで右の路地を選んでいる。
センターラインに従って行ってもほんの少し遅くなるだけで国道13号に合流するし、そこにはしっかりした信号もあって、直進すれば“県道のつづき”にすんなり入ることが出来るようになっている。

しかし、あくまでも県道を正確に辿りたいというならば、ここを矢印の方向に右折する必要があるわけだが…、これをやってしまうと…。




信号のないこんな所で、弾丸道路と言うに相応しい国道13号の天童バイパスに“衝突”してしまう。
一応左折は出来るが、中央分離帯があるために右方向には行けない。
これは逆方向からも同様である。

国道のバイパスが出来る昭和40年代までは、まっすぐ県道が天童駅の方へと伸びていたのだろう。

私の探索もここまでとした。
この先、100mだけ国道13号と重複してから、右折して天童駅までの県道の味は平凡である。




これは前述の交差点で、センターラインを素直に辿ったときに渡る角行橋である。

天童市街から真っ直ぐ伸びてきて国道13号を横断した道は、そのままのスペックでこの角行橋を架けた直後に直角に左折し、そして先ほどまでの狭隘区間に続いていくことになる。

思うにこれも小さな未成の道であり、都市計画的としては、このまま県道280号も正面の住宅地を切り開くバイパスを穿つつもりだったのだろう。






角行橋の隣には、関の上橋という小さな木橋が架かっていて風情を誘った。



一昔前ならばどうということのない、むしろありきたり過ぎた木橋だろうが、今となってはむしろ目を引く存在。

しかしまた、現実は厳しい。

古いと思われた橋の竣工がじつは平成7年であり、そんな新しい橋が既に車両通行止めとなっているのは、早くも木橋の限界ということである。
自動車を通るようにしたのが拙かったのかも知れない。
木橋を恒久的に架け替えて使い続けるような器量が、いまの山形県の一市町村にあるのかどうか、そもそもそれが許されるのか。(ここは市道である)

街中に架かっている木橋を見るに付け、そんなつまらないことに気を揉む自分に辟易する。




川の中にはかもが居た。

天童での“ユル探索”のフィナーレを飾るに相応しいユルい風景だった。








最後になったが、今回登場した津山街道と若松街道を古い地形図で眺めてみよう。

左図は昭和28年修正版の5万分の1地形図「楯岡」である。


これを見ると、津山街道という道の性格がより一層明らかとなる。
当時の津山街道は、現在の県道279号「荒谷原崎線」のように関山街道沿いの原崎にまでは伸びておらず(そこは非県道の表示)、純粋に若松街道と山寺街道とを“山越えをしない最短”で結ぶ道であったことが伺えるのだ。
信仰が生活に占める度合いのかつて無く低下しているこの平成時代、こんな性質の道が“王道”であるはずはない。
まずはそこに納得。

またここからは単なる妄想というか感想だが、広大な盆地の中を真っ直ぐに横断する羽州街道や関山街道と較べても、津山街道はより古びて見える。
両端に有名な寺社を従えた姿は、どことなく畿内の有名な古道「山辺(やまのべ)の道」を彷彿とさせるではないか。
そういえば、今は単なる山林や集落に名付けられた、金比羅や毘沙門(沢)といった地名も、何かありそうだと思わせる。

なんてな。

オブローディングとは、夏の日の逃げ水のようなものに夢をみる、無上の楽しみであることよ。







なんなんだよこの爺むさいレポートは…(笑)。


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