ミニレポ第167回 山形県道252号木地山九野本線 長井ダム付替道路 後編

所在地 山形県長井市
探索日 2011.7.19
公開日 2011.9. 5

謎が謎を呼ぶ、広すぎる路肩の正体は?



2011/7/19 5:40 《現在地》

左の舗装路は、この奥に見える杉の木立の所で行き止まりになっていたので、今度は右の道へ。




こちらが正規の県道だが、砂利敷きの奇妙な“余地”は依然として並行している。
そして堀割を過ぎて200mほど進むと、堰を切ったように下り始めた。




《現在地》

峠の分岐地点から400mほど進むと、再び地図にない分岐が現れた。

そして、奇妙な同伴者との別れも遂にやってきた。

県道は右。
しかし、その傍らにもはや“余地”は無い。
至って普通な1.5車線道路だ。

だが、それでも“余地”はしぶとい。
今度は左の“地図にはない道”に沿って、妙に明るい一帯へと、真っ直ぐ下って行っている。

今度もまた、左へGOだ!




と、その前に…

危うく見逃すところだったが、この左の道の入口には、真新しい看板が取り付けられていた。

そして、そこに書かれた文字を見た瞬間に、寒さというか、嫌な予感を感じた。

なぜなら、それが「ふれあい橋」を思い出させるような、いかにも行政の付けそうなネーミングセンスだったからだ。

21世紀 不伐の森
未来に残そう水源の森

見たところ、ダムの建設にともなって“何か”を“整備しようとした”ようだが、「不伐」の意味は、「木を伐採せず」ではなく、(木がないので)「伐採出来ず」のようである。

…なんて意地悪は止そう。
だって、不伐の森は禿げ山でも、その向こうにどこまでも広がっている森は、本当に不伐の世界に見えたから。
そこは伐採しませんよという、戒め(自戒)の森なのかも知れない。




相変わらず広大な余地を持つ“地図にない道”は、ズオーッと下って、最後は正面に見える広大な砂利の広場で終わっているようだった。
あそこまで下っちゃうと、戻ってくるのが大変すぎるので、サボりました(笑)。

でも、肝心の(?)余地の方はというと、最後の最後に裏切りを見せ、右の方に反れて行くではないか。

私は、右の砂利道を辿ってみることにした。


謎めいて私を悩ませた“余地”も、遂に年貢の納め時?
終点に何があるのか、めっちゃわくわくするで。






右の砂利道も、分岐から100m足らずですぐ行き止まりになっていた。

やはり、だだっ広い砂利の空き地で。

なにやら、遠くの方にベンチとテーブルのセットがひとつだけあるが、なんのつもり?

設置者の意図が全く読めない。

なんなの、この空き地。
これが公園なのだとしたら…、マジで空き地にテーブルセットひとつって……シュールネタ?




あたりを見回すと、テーブルセットからはだいぶ離れた見晴らしの良いところに、こんなモノがあった。
(ますますテーブルセットの設置位置が不明すぎる)

自然石で囲まれた玉座のような一角の中央に、ひときわ大きな丸石が置かれ、そこに黒御影のパネルがはめ込まれている。
パネルはこの場所からの見晴らしの概念図であり、入口にもあった「未来に残そう不伐の森」といった文言も認められていた。

確かに紫がかったような山々の眺めは素晴らしく、紅葉の時期など得も言われぬ光景が出現することだろう。




とはいえ、眼下にも広がるこの広大過ぎる空き地が、単に「不伐の森」という見晴らしが良いだけの公園として、最初から造成されたものでないことは明らかだ。流石にそこまで馬鹿な計画はあるまい。

ダムから近いということを考えれば、ここは原石山跡か残土処分場跡ではないだろうか。
長井ダムの場合、原石山がここでないことは把握しているので、消去法で残土処分場と思われる。

ダムの建設には、その堤体の築造をはじめ、膨大な量のコンクリートを消費する。
コンクリートの原料はセメントと骨材で、このうち大部分を占める骨材は、ダムのような大工事でしばしば現地調達が行われる。
骨材とは砕石(砂利)や砂であり、これは自然石を砕いて使う。この自然石を地山から調達するのが原石山である。
しかし、原石山やダム打設地点から削り取られた表土など、“土”は骨材にならないので、これが残土処分場に捨てられるという流れがある。




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県道に戻った。
そして先へ進む。

そこはもう、普通の県道だった。
1.5車線というのが、最近のダムの付替道路としては貧乏くさいが、探索中一台の車とすれ違うこともなかったから、計画者は実情に即した計画を立案したと褒められて良いかもしれない。

峠に登ったのと同じ分だけ下る。
やはり急坂が続く。

やがて谷底に近付くと、この先の道幅がさらに狭くなるという予告の標識が現れ始めた。
おそらくそれは、この付替区間の終わりを予告しているのだと分かった。




前方に竜神大橋を一回り小さくしたような形の橋が見えてきた。
そしてその先にはトンネルが。
神尾澤橋以来久々に現れたこれらの道路構造物は、橋が合地(がっち)沢橋、トンネルが西栃平(にしとちだいら)トンネルである。
橋は長井ダム湖(ながい百秋湖)のバックウォーター附近で野川支流の合地沢を渡っている。

また、この橋のすぐ手前に分岐があり、右折は「湖面広場」という親水公園で行き止まる。
この辺りは段階的な県道の付替が行われており、湖面へアプローチする脇道も一時的に県道だった時期があるが、その辺の話題はいずれ(水位の低いときに)行うだろう“旧道探索時”に紹介しようと思う。

この“付替県道”のレポートで紹介したい風景はもう全て紹介し終えているので、あとは終点まで駆け足で。




【現在地:付替県道終点】

内部でカーブしている全長344mの西栃平トンネルを抜けると、傍らにもう湖の姿はなく、合地沢の深淵な流れがV字の谷を噛んでいた。

写真は、西栃平トンネルの先に架かる「桂谷(かつらや)橋」から、振り返って撮影した。
右奥の山腹に見える橋は、先ほど渡った合地沢橋だ。

そして、この長井ダムによる付替県道の終点はこの桂谷橋であり、平成21年9月まで使われていた旧道は、橋の下をくぐって谷沿いのコンクリート斜面の下に続いている。

そこは、明らかに完全な廃道だった。
僅か2年で相当に荒れている様子が見て取れ、そそられたが、すぐ先で水没しているのが明らかなのと、時間的な都合で、今回は自重した。



桂谷橋の北側橋頭が、厳密な意味での付替県道終点である。
ちょうどそこには、ガードレールで塞がれた旧道が接続している。
また、正面には再び「幅員減少すれちがい不可能」の看板が立っている。

この先の道は本当に狭そうだった。
幅2.5mくらいしかないのでは?
しかも地図を見ると、こんな道が県道終点である木地山ダムの先まで、あと8km近く続いているらしい。

この“険道”に、2車線フル規格で作られた付替県道を直接させるというのは、いかにも不自然である。
両者の緩衝として1.5車線の“計画変更区間”が挟まっているのは、景観上も安全上も予算上も常識上も、正解だったように思った。






付替県道にある つの不自然 
1.直角カーブ2.広大な路肩の余地3.峠の行き止まり分岐

今回探索したのは、長井ダムによる付替区間(全長7.8km)の約半分で、残りは以前の探索で開通の直前に走っている。
そして今回探索した竜神大橋〜桂谷橋の約4.2kmには、上記に示した“3つの不思議な道路風景”が存在する。

これらの3つの謎は、どんなストーリーで結ばれているのか。
おそらく、そこには1本の巧妙で筋の通ったストーリーが隠されているはずだ。

私はそれを期待し、また予感もしていたのであるが、残念ながら「完全解明」にはいたらぬ点もある。
ややこしい話しを出来るだけ簡便に伝えるため、今回の現地探索とその後の机上調査によって判明した県道付替のあらましをまず見て貰おう。
歴史を仔細に知ることで、道路の謎は大抵解ける(はず)。

なお、あらましの作成には「最上川ダム統合管理事務所」サイトおよび、現在は閉鎖された「長井ダム建設事務所」サイト(インターネットアーカイブによる過去データ)を参考にした。


昭和54年4月、山形県は野川上流に新たな多目的ダムの建設に関わる実施計画調査に着手。
同年7月、従来は新野川ダムと呼ばれていた計画ダムの名称を、長井ダムに変更した。
この年が長井ダムの着手年だが、完成まではこれから33年の歳月を要することになる。

当時すでにこの地を県道252号木地山九野本線が通行しており、その途中には後に水没する管野第一・第二隧道や管野ダムなど、昭和20年代築造の構造物がいくつもあった。
そのラインを青線で示している。

そして、長井ダムの建設にともなって、この県道の一部が水没することが想定されたため、水面上位を通る付替県道が構想された。
その正確なルートは判明していないが、概ね赤破線で示したようなルートであったと考えられる。

なお、この区間の付替県道に計画変更があったのは、時期については不明な部分もあるが、間違いない事実であるようで、当レポート「前編」公開直後に、地元にお住まいの方から匿名でこんな情報をいただいた。

付替道の考察ですが、正に書かれている通りのいきさつになっています。
当初は旧道の上部にトンネルと橋梁でルートを計画していたのですが、急峻な地形で、雪崩や法面対策などに大分金額がかさむことから、計画を断念しています。




昭和59年、長井ダムは県の事業から国の事業に変更される。
昭和63年、基本計画が官報に告示され、ダム建設が確定。

平成元年、まず工事用道路が着工される(緑線)。
これは、ダムサイトの建設によって通行出来なくなる県道を左岸に迂回させるもので、平成11年に開通した。
以後しばらくは県道迂回路として利用されることになる。(この道は林道付替工事の名目で建設され、現在は長井市道「ながい百秋湖線」になっている)

平成3年7月、工事用道路に引き続いて付替県道の工事に着手。「神尾澤橋」の銘板にある竣工年が平成4年であることから、この時期に建設された付替県道は赤線の区間だったと考えられる。
なお、神尾澤橋よりも下流にあり、そこへのアクセスには不可欠な折草沢橋の竣工年は、平成9年である。
これは矛盾するようだが、おそらく折草沢には工事用の仮橋が架設されていたのではないだろうか。


この時点で既に当初の付替県道計画からは、ルートが変更されていた。
そしてこのルート変更の名残が、【不自然その1】の直角カーブなのだろう。




平成12年3月、いよいよ長井ダムの本体工事に着手
準備工事の後、平成14年10月から堤体を築造するコンクリート打設が開始された。

これに伴い、原石山が折草沢の上流に設定され、ダム堤体や残土処分場(湯沢準備工という名称)と原石山を結ぶ工事用道路(茶色)が敷設された。

破砕プラントと残土処分場を結ぶ工事用道路は、既に建設が進められていた付替県道を拡幅延伸する形で設けられた。
前述情報提供者さんによると、この区間の工事用道路は、“30トンダンプ”が離合出来る幅で建設されたという。

30トンダンプというのは、前に秋田県の森吉山ダム工事現場で見たことがあるが、こんなのである。重ダンプともいい、車幅5mを超える。
森吉山ダムにあった「重ダンプ走路」と呼ばれていた道の写真はこれ。今は湖底に沈んでしまったが、道幅は一般道路の4車線分くらいあった。



ダムの打設は工事用道路の活躍のもと順調に進み、平成17年10月には100万立方mを達成。翌18年11月に堤体積120万立方mの打設を完了し、遂に長井ダムがその姿を現した。

残土処分場(湯沢準備工)は不伐の森と名付けられ、工事用道路は再び付替県道として整備し直された。
だが、「県へ引き渡す際に、そのままの幅は不要だった」(前述情報提供者)ために、【不自然その2】広大な路肩の余地が生じた。
重ダンプ走路が一般道に転用されたケースは、珍しいと思う。

また、ここでも小規模な計画の変更があったようで(推定)、平成4年頃までに建設されていた付替県道の末端部が放棄され、工事用道路跡を利用して延伸が行われた。
この原因は分からないが、ごく微妙な変化なので、単なる線形改良程度の意味合いかも知れない。
いずれ、このことが【不自然その3】峠の行き止まりを生んだ。

赤線で示した峠越え区間の付替県道は、平成20年10月に供用された。




最終段階。

平成21年9月に、それまで唯一ダム湛水位以下に残っていた旧県道が、合地沢橋や西栃平トンネルを含む付替県道の開通によって廃止されると、ほぼ同時に試験湛水が開始される。

ダムサイト右岸の付替県道の工事も仕上げられ、平成23年3月25日、全長7.8kmの付替県道の全線が供用開始となった。
この日が長井ダムの竣工日にもなっている。


道路の付替を中心に見てきたダム建設のあらましは、以上。
3つの不自然(謎)については、一応納得出来る理由付けが出来たかと思うが、完全に謎というか、不審が無くなったわけではない。

私がいまだ謎に思っているのは、平成3年に付替県道を一旦着工し、途中まで完成させておきながら(この区間に平成4年竣工の神尾澤橋が存在する意味は大きい)、同じ事業の延長線上で、それをまた拡幅して工事用道路として利用したというのは、不自然ではないだろうか。

平成3年よりも以前に行われただろう県道の計画ルート変更とは別に、工事用道路(というか残土処分場の位置)についても何らかの計画の変更があって、そのためにせっかく途中まで作った付替県道を工事用道路として“破壊”し、工事完了後にもう一度整備し直すような“二重投資”が起きたのではないかと想像している。
(県道のルート変更のために、予定されていた工事用道路とルートが被ってしまった事もあるかも知れないが、その場合は「古い舗装」や「行き止まり」が非常に不自然な存在になる。工事用道路は未舗装で十分だったはずなので。)

この部分については、引き続き調査したいし、詳しい方の情報を待ちたい。





最後に、一連の机上調査を進める中で、当初は「【不自然その3】峠の行き止まり」との大きな関係性を期待していたが、最終的に否定された存在があるので、それについて言及したい。

その存在とは、昭和50年代に華々しく着工されるも、その後の時流の変化など色々な事情から平成10年に正式に建設が中止された、緑資源幹線林道「真室川小国線」のことである。

実は、真室川小国線の南半分を占める「朝日小国区間」と呼ばれた、全長62kmの林道(林道といっても計画では2車線フル舗装)は、長井市の木地山ダム附近で県道252号と重複する計画だった。

だが、この工事は予定通り進むことはなく、長井市内の建設はゼロに終わった。
1mも建設されなかったのである(にもかかわらず長井市は何十年ものあいだ、同林道に定められた受益者負担金を税金から拠出していた…『ルポ・東北の山と森』より)

当初、【不自然1】の折草沢橋から直角に西折して【不自然3】の峠の行き止まりに至る区間は、この林道の一部ではないかと考えたのだが、長井市内で同林道は着工していないという記録や、位置的にも計画線とだいぶ離れているので、その可能性はないようだ。



だが、この大規模林道(緑資源幹線林道)の計画が、長井ダム付替県道と完全に無関係であったとは、私は思っていない。

というのも、この道が計画通り建設されれば、県道252号はそれまでの行き止まりの道ではなくなる。
県の中央部を縦断する“山岳ハイウェイ”(これが建設推進派の謳い文句だった)へのアクセス道路になるのである。

付替県道のルートが変更されたと思われる平成3年頃は、まだ大規模林道の建設が続いており、将来的に完成する可能性があった。
また、上図中の「白鷹工区」については、非常に強い建設反対運動(主に葉山一帯の自然保護)が起きており、比較的早い段階から完成は絶望的になっていたが、木地山付近から小国町へ抜ける「小国工区」については、小国町側で9km以上も完成していたこともあり(この区間は「廃道をゆく2」でレポート済)、平成10年の計画全面中止まで開通の可能性をかなり残していた。

どちらかだけでも開通してくれれば、県道252号はアクセス道路になる。
その場合は、付替県道を本来の高規格な内容で建設出来るという余地を残しておきたい。

そんな野望が、右の写真の不自然な直角カーブを、未練たらしく残したのではないか。
私にはそう思えてならない。
折草沢橋の完成は平成9年とだいぶ遅く、直角カーブを避けるようなルート変更も、可能だったはずなのに…。






道路を読む。

優れたパズルや推理小説にも決して負けない上等な謎解きの存在も、道路の魅力のひとつだろう。

私のそれが当っているかは、さておき…。


【完結】




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