ミニレポ第191回 都計道久里浜田浦線にある“寂しい末端”

所在地 神奈川県横須賀市
探索日 2014.4.25
公開日 2014.4.30

まるで建設中止になった道のような…


おいおい!
いつの間にこんな寂しいものが作られてたんだ……。

冒頭、微妙に前回(ミニレポ190)をパクってみたが、今回も同じ道の別の場所を紹介したい。
といっても、まあ大したものではない。
前回は“すごい”と煽ったが、今回はマジで大したものではないし、そのため前回の最後にオマケで付けようかとも思った内容である。

さて、気を取り直して本題に入るが、今回は都計道久里浜田浦線について、もう少し掘り下げてみたいのである。
前回も利用した神奈川県の資料「都市計画道路久里浜田浦線整備事業(PDF)」には、「都市計画道路久里浜田浦線は、横須賀市の久里浜港を起点とし、田浦地区の国道16号へ至る主要な幹線道路です。」とあり、現在は平成28年度の完成を目指して、池上〜衣笠間3.2kmの整備が進められている。
そして、建設中の1.2kmが開通すると、横横道路の横須賀ICから久里浜までが中心市街地を迂回する4車線の道路で(無料にて)結ばれる事になり、国道16号の渋滞緩和に大きな効果が期待されるだろう。


だが、それでこの道が全線開通するわけではない。
最後の未開通区間として、横須賀ICから終点田浦までが残されている。

横須賀市が平成22年に策定した最新の都市計画(PDF)を見ると(右図はその一部)、横須賀ICから田浦までの計画線のおおよその位置が分かる。
この地図だと山岳の位置などが無いのでピンと来ないかもしれないが、道路地図と対照してみると(画像にカーソルオン)、この計画ルートはずばり、以前当サイトで紹介した明治国道ルート(十三峠)の近くを“抜こう”としているものである。
そしてこの区間には、4車線の全幅20mの都計道は、影も形もまだない。

十三峠附近は、市内でもかなり高低差が大きく、横浜横須賀道路にも大きな切り通しが連発している地勢である。
久里浜田浦線の方は、これより標高が低い位置を通過すると見られることや、一帯は既に風致地区であるため大規模な地形の改変は難しいだろうから、必然的に長大トンネルに頼ることになるのだろうが、田浦側に出てもm谷戸の奥まで住宅が密集しているし、国道16号からの分岐地点を建設する余地もないくらい市街化が進んでいる。

ひとことで言えば、相当に産みの苦しみを伴いそうな残区間なのである。
果たして、本当に建設が進められるのかどうかも分からないが、もし開通したら便利なのは確かだろう。
現状、田浦〜市街中心部を結ぶ道路は国道16号だけしかなく、そこには戦前〜戦時中に建設された双頭の一方通行隧道群が大量にあって、これ以上交通容量を増やす余地はない。
そのため、現在は横浜市の八景島で終わっている国道357号を、米軍基地がある海上を通って横須賀市街地へ延伸させる構想もあるが、構想よりはまだ都市計画決定済みの道路の方が実現性は高いかもしれない。

それはともかく、未だ机上の道路に過ぎない久里浜田浦線の横須賀IC〜田浦間であるが、ほんの僅かながら、既に道が完成している区間がある。
前置きが長くなりすぎた割に、現地でお見せしたいものは極めて小さい。
小さいが、一応地図にも現れているので、そこから見て頂こう。



左の図は、既設区間の末端部に当たる横須賀IC附近の大縮尺の地図である。

久里浜田浦線のうち、横須賀ICから池上交差点までの区間は、昭和59年に横横道路の逗子〜衣笠間開通に合わせ、横須賀ICへの唯一のアクセスルートとして開通したのであり、同路線の中では早くに開通している。
なお開通当時は、横須賀ICで降りても、横須賀市の中心市街地へ出るために池上や逸見など交通量の多い市街地をしばらく走る必要があり、不便であった。
そこで、横須賀ICと中心部を短絡するルートとして、有料道路本町山中道路が計画され、平成4年に開通している。

そのため現在の横須賀ICは、横横道路、本町山中道路、久里浜田浦線という3本の道路が会する三者会合の地点となっている。

そしてこの図で注目頂きたいのは、久里浜田浦線の末端部の“怪しい形状”である。
どうやら、昭和59年以前から田浦への延伸が考慮されており、その準備施設的な末端部があるようだ。
現地でご覧頂くのは、この小さな小さな末端部である。

はいどうぞ。




2014/4/25 18:37

いきなり、核心部。

横須賀IC前交差点である。

自転車でここへ来ると、何となく肩身が狭い思いがするのは、池上交差点以降のこの道を走っているのは、ほとんどが自専道(横横道路も本町中山道路も自専道である)目当ての車だと分かっているからだ。
気が小さい私などは、自転車で走る私の姿がドライバーに要らぬ心配を与えているのではないかと言う事さえ気にしてしまう。

それはさておき、この交差点を説明すると、右折が横横道路の入口(横須賀IC)、右斜め前が本町中山有料道路、そして左折……………

左折なんて言ってやらん! 道路標示のゼブラゾーンを除いた本来の道路線形的には、これが本当の直進なはずだからな!
この“直進”(でもウィンカーは左)こそが、田浦へ続く予定である久里浜田浦線の延伸部(末端部)である。




ほんの少しだけ時間を戻し、ここへ到着する直前に目撃した青看を2枚お見せする。
左側の画像は交差点の300mほど手前に、右側の画像は100mほど手前にそれぞれある。

いずれの青看でも、まあ当然のことながら、未開通である久里浜田浦線に行き先は記していない。
しかし、一応分岐の形は示されている。

横横道路という略称は青看公認のもので各地で見られるが、まだ慣れないせいか、違和感がある…。




さてさて、再び横須賀IC前交差点。

都計道久里浜田浦線の本線へ進んでみよう。
ここからが、いわゆる“末端部”である。

で、進もうとすると、早速くたびれた感じの「この先行き止まり」の看板がご忠告。
錆びた支柱には、横須賀市のシールが貼られている。

それだけではない。
最初にペイントされてから、おそらく1度もリフレッシュされたことがなさそうな横断歩道の向こう側に、明らかに現在使われていない道路用地が存在している。
ガードレールによって区分されているが、未成道には付きものの未使用路面である。



本編における最大の遺構、封鎖された2車線分の道路敷き×30m。
使われていない路面に、使われていない歩道。
なぜコンクリート鋪装なのかは分からないが、最近ではあまり見られない鋪装方法に、時間の経過を感じざるを得ない。

なお、まだ未成道と決まったわけではないので“遺構”という扱いは失礼かも知れないが、工事が当分進みそうな気配が無い上に、おそらくここまで道路が開通した昭和59年当時から少しも手が加えられていなさそうだということからも、未成道臭が半端無い。

都市計画によると、この道はこの先も全線が幅員20mの4車線で進むはずだが、行く手に立ちはだかる十三峠の山へは、軟弱地盤や地すべり地形だけでなく、環境保全運動との熾烈な争いをも制さなければ、とても延伸できそうにない。




なお、4車線(うち2車線封鎖)の末端部の先にも、1.5車線の市道がよろよろと伸びていて、数軒ある民家や工場の生活道路となっている。

そして、両側には将来の道路用地が確保されており、そのために横須賀の他の谷戸よりも路傍の緑が豊かであるという、やや皮肉な状況をもたらしていた。
ただ、周辺には美観的にはあまり宜しくないフェンスや木柵が多く構築され、道路用地への不法投棄や不法駐車への備えをなしているのは、物々しい感じがした。



18:44 《現在地》

交差点から250mほどで行き止まり。

一応徒歩ならば先へ行く事は出来る(15分ほどで十三峠に登ることが出来る)が、
この先には道路用地が確保されている様子がなく、むろん工事をしている様子もない。

横須賀IC前交差点に現存する田浦延伸の準備施設についての報告は、以上である。





なおオマケ程度にお伝えするが、田浦側には今のところ、久里浜田浦線の用地は少しも確保されていないようだ。

都市計画図によると、久里浜田浦線の終点は国道16号の上下線が分岐する地点で、その現況写真が(←)。
ここは田浦隧道前で、右に分かれる計画となっている。

そして十三峠の麓までは田浦地内の谷戸を通行するわけだが、ご覧の通り(→)民家が密集しており、2車線の道路さえ存在しない。
また、京急の線路も高架でここを横断しており、それとの交差も問題となるだろう。

ぶっちゃけこちら側の風景を見ていると、新たな4車線道路が整備されるイメージは全く湧かない。
横須賀市の多くの都市計画道路は、旧都市計画法(昭和43年6月以前)時代に決定されたらしい(出典:都市計画道路網の見直し)が、多分この道もそうなんだろうなぁというカンジだ。






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