おいおい!
いつの間にこんなスゲーのが作られてたんだ?!
横須賀はもう何度も行って、知らない道なんて無いんじゃないかと(←言い過ぎ)思っていた私だが、先日とんでもない、すごすぎる、あわあわする道路構造物に出会ってしまった!
事の次第はこうである。
2014年4月25日、私は横須賀市内で自転車を使って仕事をした。
そして夕方、久里浜で解散となったので、車を駐めてある田浦へと戻ることにした。
久里浜から田浦へ自転車で帰るコースは、まず国道134号と16号を使うのが一番シンプルであるが、さすがにそれでは面白みが薄い。
変化を求めて道路地図をくまなく眺めていると、内陸部を通る横浜横須賀道路の近くに、国道の色でも県道でも塗られていない、それでいて幅の広い立派な道が描かれていることに気付く。
その道は、自転車はおろか、車でも通った事が無かった。
私は帰路に、この内陸部を通る“無着色の道路”こと、都市計画道路 久里浜田浦線 を選ぶことにした。
(偶然だが、久里浜から田浦へ帰ろうという私のニッチな需要に、これほど合致した路線名も他に無かった。もっとも、この路線名を知ったのは帰宅後である)
そしてそこで “すごい構造物” に遭遇した。
2014/4/25 18:17 《現在地》
この道は、まだ全線は開通しておらず、久里浜から田浦まで通して走る事は出来ない。
だが、既に開通している一部区間を見ただけで、将来この道が横須賀市にとって重要な幹線道路となる使命を与えられていることが分かった。
自専道の横浜横須賀道路(横横道路)を除けば、これまで三浦半島の内陸丘陵地では見たことがない4車線道路として整備が進められてる光景を目の当たりにしたのである。
写真はその既設区間のうち、横須賀市阿部倉(あべくら)の風景である。
既に横横道路の横須賀ICへと結ばれているせいか、夕方ラッシュ時の交通量は、真新しい道路でありながら、なかなか多いように見えた。
そして、問題の“すごい構造物”は、この阿部倉地内にあった。
実はもう、その入口が見えている。
これが、その始まりの光景だった。
片側2車線の道路のうち、東側の2車線(上り線)だけが、ロックシェッドのような半トンネル状の物体に突入した。
だが、これは明らかにロックシェッドではない。
なぜなら、側壁だけでなく屋根もスカスカで、頭上から落ちてくるものを防ぐための道路構造物ではないのである。
とはいえ、柱の太さからも感じ取れる構造の頑丈さは、決してゴルフコースの近くにあるような飛来物防護用のシェルターでもない。
そもそも、なぜこちら側の車線だけが、この巨大な石門の如き構造物に覆われねばならないのか。
ハテナマークを頭上に点灯させながらも、なんら正体の手掛かりを得る事が出来ないまま、約50mほどで半トンネルの出口が近付いてきた。
だが、どうやらこれだけで終わりではないらしい。
外へ出てもまたすぐ、今度は反対車線も含めて、道路全体が半トンネルに突入していた。
ここから先、道路の両側が巨大なコンクリートの擁壁に閉ざされており、掘り割りになっているようだ。
都市圏の自動車専用道路などでは比較的よく見る、防音と景観の保全を兼ねた半地下構造であろうか。
だが、それでも冒頭の半トンネルの説明は付かない。
第2の半トンネルに入った。
もっとも、半トンネルとは言っても、屋根となる部分は第1の半トンネルよりも柱が細く、地上からの転落や飛来物防止のために設置された金属ネットを透かして、よく空が見えた。
それにしても、なぜ単なる掘り割りにせず、敢えて半トンネルのような複雑な構造にしているのだろう。
まだピンと来なかった。
しかし、さらなる驚きに満ちた風景が、そこに迫っていた!!
18:19 《現在地》
こ!これは2階建て?!
骨組みだけで建設が中止になったビル廃墟の中を、
道路が貫通しているような、奇妙で無機質的な景観。
個人的に、道路をイタズラに飾り立てるのは好きではないが、
ここまで視界の中に大きく飛び込んでくるものが装飾的な要素を一切持たされていないのは、
少々圧倒される。未だこの構造物の主旨が分からないだけに、なおさら印象が強かった。
そして、この先最終的には完全に天井が封鎖された、いわゆるトンネル。
全地下の構造物へと移行するようであるが、その過程で、
さらに大迫力のシーンが…!
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3階建てキターッ!
掘り割りの両側の地表が高くなるにつれて、道路上に張り出した梁もまた、
ビルの如くに高くなり、遂には3階建て。地上15mほどの高さにまで達したのである。
2階までならともかく、3階建てとなると今まで見た憶えが無い。
3階建てのビルを見上げるよりもだいぶ高く感じられる天井(1階が2階分くらいある)。
その1階にはネットが張られているが、そこに様々な飛来物が晒しものとなっていた。
サッカーボール、野球ボール、ゴムボールなど、子供がイタズラで投げこみそうなものから、
鳥が咥えて落としたような木の棒や、なぜかスニーカー(靴)があるのは謎だった。
しかし、いつか誰かが回収するのだろうか。 それなら、私がやってみたい気が…。
ここまですこぶる順調に育った半トンネルだが、
いよいよ空の見えない、本物(?)のトンネルへ突入。
と言いつつ、地下に入っても最初は相変わらず3階建ての格子構造の下を通るのが面白い。
完全に蓋をされた屋根があるのを除けば、先ほどまでの半トンネルと大差ない構造だ。
そして最後の最後で普通の四角い断面のボックストンネルとなって、
それが50mばかり続いてから、出口を迎えるのであった。
18:19 《現在地》
← 北口は、普通のボックストンネルの坑口のようである。
だが、扁額など、トンネルの名前を知る手掛かりはなく、どうもこれはトンネルという扱いではないのかも知れない。
このすぐ目と鼻の先にあるトンネル(→)には、「阿部倉トンネル」というちゃんとした扁額がある。
敢えて名乗るほどの者じゃございやせん。
そんな謙遜でも無かろうが、あの3階建て半トンネル構造は敢えて名乗って欲しい、レアな道路風景だと思うが。
この名無しの半トンネルがえらく気に入った私は、もう辺りが薄暗くなっているのに構わず、今度はこれを外から眺めて見ることにした。
トンネルのすぐ上にも住宅が見えるので、そこまで行く道がきっとあるはずだ。
18:22 《現在地》
というわけで、やって参りました。
特に苦労もせず、半トンネルが埋まっている地上部へ到達。
ここは中でも一番高い場所で、半トンネルの路面から見上げた3階部分のさらに上である。
見ての通り、道が埋まっている事を知らなければ、普通の郊外住宅地の風景だ。
しかし、アスファルトが敷かれている部分の正体は、人工地盤である。
元々あった山を路面の深さまで切り開き、それからトンネルを埋設し、再度埋め戻して作られた人工地盤である。
いわゆる、トンネルの開削工法である。(対して、阿部倉トンネルのように地山を刳り抜くのを山岳工法という)
元来の景観を出来るだけ保存するための開削工法とも思われるが、現実には、それがさほど上手く行っているようには見えなかった。
というのも、例の1〜3階建てに変化する半トンネルが、いかにも目立ちすぎるのだ。この写真の位置から左を見ると…。
大地を裂くような、巨大なコンクリート造りの“地割れ”が…。
周囲には転落防止用の柵が幾重にも物々しく張り巡らされ、
緑豊かな郊外風景の中にあって、もの凄い違和感を醸していた…。
そして、“地割れ”を覗いてみると…
高い。
3階建て、ぱねぇ…。
18:23 《現在地》
半トンネル部分には、1本だけだが、とても目立たない跨道橋が存在している。
今度はそこへやって来た。
写真奥の一番高い所が、直前までいた道に蓋する人工地盤で、現在地はそこより少し下がって、1〜3階建て半トンネルの2階建て部分だ。
橋には銘板も親柱も無く、渡った先にあるのは平屋建ての民家一軒だけだった。
道はそこで行き止まりであり、この橋は完全にこのお宅の専用道路の様相を呈している(そういった表示は無く、立入禁止でもないので、公道扱いかも知れない)。
ちなみに、橋が無ければこのお宅は道路から切り離され、車でアクセスする術が無くなってしまうようだ。
最後にご覧頂く風景は、この無名の橋の上から眺めた、“半トンネル”の景観。
↓↓↓
……!
改めて、不思議である。
なぜ、この半トンネル部分を埋め戻して、普通の開削工法トンネルのようにしなかったのかと。
さすがにこれが単なる意匠的な目的から来たものでは無いと思う。
結局、現地ではこの構造の意味と目的を知る事が出来なかった。
だが、帰宅後に見つけた神奈川県の資料により、この場所が特殊な工法によって建設されていた事が明らかとなった。
右の画像は、神奈川県の公式サイト内の「都市計画道路久里浜田浦線整備事業」というページから引用したもので、今回見つけた“半トンネル”について、「深礎擁壁区間」という注記がなされている。
また、別の図面では「阿部倉地すべり防止区域」ともあり、この特徴的な“半トンネル”区間は、深礎擁壁という特殊な工法で建設されていたことが分かった。
サイトの説明によると、半トンネル内区間の両側の壁に見られる写真の凹凸が深礎擁壁というもので、「深礎擁壁とは、地すべり地帯に用いられる工法で、通常より太い杭(径1.5〜3.0m)を壁状に並べた擁壁」
だそうである。
不勉強にも、私はこの工法や構造物をはじめて意識した。
半トンネル内に構築されたビルの骨組みのような格子状の梁構造についての説明はないが、これはおそらく深礎擁壁が地圧によって道路側へ傾いてくるのを防ぐためにあるものと推測する。
だが、この深礎擁壁の区間は、写真の奥に見えるボックストンネル内にも続いているのであって、必ずしも深礎擁壁が3階建てにまでおよぶ巨大な半トンネル構造を選んだ理由ではないはずである。技術的には、全体をトンネルにすることも普通に出来たと思われる。
今の私の経験値では、この構造の謎解きには届かないようである。なぜ、こんな特徴的な構造になっているのか、詳しい方のご教示をお待ちしています。
(案外、単に街路としての見栄え上、出来るだけ外光を取り入れた方が良さそうだから… だったりして?)