まずは右図をご覧頂きたい。
地理院地図は従来の(紙の)地形図や、それを単純に電子化した「ウオッちず」とは一部の図式(凡例)が異なっており、右図中でも国道や家屋の表現方法にその違いを見る事が出来る。中でも地理院地図の最大の(道路趣味者的)メリットは、都道府県道が表現されるようになったということだろう。右図中では黄色く着色された道路がそれである。
昔の図式でごく短期間だけ主要地方道が描かれた時期はあったが、すべての都道府県道が描かれるようになったのは、地形図史上初のことだ。
今回の本題は、
県道は国道とつながっているかどうか。
地図上では微妙に繋がっていないように描かれているが、実際にそうだとしたら、これはちょっと変わった光景が楽しめそうだと思った。
この図から想像される県道“起点”の風景は、そこが行き止まりであり、しかも行き止まりから線路を挟んだ向こう側に国道があるというものだ。
これはきっと、すごく、 も ど か し い ! はずだ。
そんな も ど か し い 起 点 をやんわり期待して、現地へといってみた。
2014/10/28 16:43 《現在地》
この近くに車を停めて自転車に乗り換え、県道368号を終点から起点へ向けて辿っている。
長野県道368号村山豊野停車場線は、長野市村山が起点で、信越本線の豊野駅が終点。全線が長野市内に収まる、6.1kmほどの短距離路線である。
路線内の高低差が千曲川の堤防を上り下りするくらいしかない平坦な路線であり、現地の案内板によれば、概ね近世以前の善光寺街道をなぞっているようだ。確かに旧街道路線らしく、道幅が全般に狭く、旧宿場町を思わせる鍵型のカーブも多かった。
ミニレポなので、もう本題の探索へ入る。
写真奥に見えてきたのが、国道406号の村山橋だ。
この県道が、あの国道と繋がっているのかどうかをチェックするのが、私の目的だ。シンプルだろー(笑)。
地図上の起点まで、あと100mくらい。
かなり迫ってるんだが、ここで異変が発生!
なにやら道路上の白線が、全力で脇道へそらせようとしてきた。
右の道へ誘導したがっているのが、痛いほど分かる!
でも……、地図だと県道はまっすぐですよ… (←がんこ)
あくまでも直進しようとする私に対して、さほど目立たない1枚の案内板が優しくレクチャーしてきた。
ふむふむ… ふむ……
ぶっちゃけ、何を伝えたいのかよく分からなかった。
現実に先の光景を見ていない人間に、この案内板だけでは少々説明不足なのである。
「屋島方面」へ行くには右折しなければならないのは分かるが、直進するとどうなるのかは、よく分からない。
もう地図上の県道起点は目と鼻の先。
しかし、道はその直前で封鎖されていた。
そこには簡単なバリケードが置かれている。
バリケードの旁らでは、どこかのワルい女がトリさんに不法投棄を厳しく叱られていた。
千曲川の対岸は須坂市で、こっちは長野市村山、向こうは須坂市村山という。
そして両者を結んでいるのが、今どき珍しい(私も予備知識無く見てビックリした)
道路鉄道併用橋の村山橋だ。
バリケードの先は、未舗装であった。
そして、地図とは道路の線形も異なっていた。
地理院地図(或いは市販の多くの地図)は、県道がこの地点で行き止まりであるかのように描いていたが、実際には「紫の矢印」のようにカーブして、さらに続いていたのである。
引き続き県道であると仮定して、探索を続けてみる。
おおぅ! 国道406号が見えた!
だが、ここでは繋がっていない。
邪魔をしているのは線路。長野電鉄長野線の単線の線路敷きである。
また、線路と国道の間にはフェンスが設置されており、県道から国道はほとんど見通せないものの、フェンスの代わりにゲートになっている部分があり、そこから国道が見えたのである。
しかし、国道へ接続するための踏切は存在せず、またそういう物を許す気配も感じられない。
とっても珍しい道路鉄道併用橋の村山橋。
極めて近接して2本のトラス橋が平行しており、国道の上下線2車線ずつを担っている。
また、その片方(上り線)は単線の線路との併用橋となっている。そのために幅も広い。
トラスの構造的に古い橋には見えないが、これは私が初めて目にした道路鉄道併用橋だった。
良い具合に、 も ど か し い !
線路の向こう側に国道があるのに、間に線路があるせいで合流できないでいる。
それで県道は諦めたように90度折れ、線路がある築堤の下へ向かっていく。
あれは。
“クズ” に埋め尽くされた道の先に…
こんなに立派な青看が既にある件について。
ヘキサもあるし!
これで、地図にはないこの道が、れっきとした県道であることが確かめられた。
それにしても、砂利道(クズ道)に、この巨大な青看(とヘキサ)は、強烈なミスマッチである。
青看によれば、あと220mで国道との交差点を迎えるらしいのだが……。
なるほど、なるほど。
先が読めたぞ。
線路の下に緩やかに下って行く“魂胆”が見えた。
この先で進路を再び90度チェンジし、今度は線路を潜って国道へと接続するつもりなのだろう。
それは良いアイデアだと思う。
道路状況からして、まだ開通していないのは確定的に明らかだが、行けるところまで行ってみよう。
おっ! 準備出来てるじゃん!
なんと、青看に引き続き、肝心の線路を潜る地下道(跨道橋)も、既に完成しているようである。
ここに来て急に緑が濃くなってきたことと、ガードレールが無頓着に通せんぼしているのが、ちょっと怪しい感じだが…。
突撃だ!
16:48 《現在地》
のぉ〜〜おお!
でぃーぷうぉーたぁ〜!
たぶんこれちゃんと路面はあるんだろうが、完全に水が溜まっていやがる。
もうすぐ先に国道はあり、その国道の側に立つ青看も見えているのに…。
しかも、写真を撮影する迄の僅かな時間で逃げてしまったが、カモたちが憩ってやがった。
ここは人間様の作った道路だというのに、なんというワルカモ軍団だろうか。
ボートでも用意しないと、この地下道は通過出来ない。
潔く近くにある別の地下道へ迂回して、反対側へ向かうことにした。
ここは国道406号の村山橋西という交差点。
現在この交差点は丁字路で、県道がある側へ入れないが、道路用地は既に存在している。
県道開通の暁には、晴れてここがその起点となるわけである。
県道側から見る村山橋西交差点。
残りの工事はあと僅かに見えるが、なぜ進めないで止めてあるのかは不明である。
使われていない道路標識やデリニエータの一時保管場所にもなっている、将来の道路用地。
背後に見えるのは、カモ軍団に支配された、浸水地下道である。
この道が完成すれば、今よりも着実に交通の流れは改善するだろうが、何かしらの障害があるのだろう。
今回探索したものは、明らかに未成道であった。
現地には右図に紫のラインで示したような道が、後は鋪装を待つだけといったくらいまで出来上がっているものの、現在は工事をしている様子がない。
特に長野電鉄の線路を潜る部分は周囲より低くなっているために水が溜まり、まずはこの水をどうにかしないと、工事の再開は出来ないだろう。
県道と国道は繋がっていたのか。
探索のきっかけとなったこの問への答えは、「NO」である。
だが、これを繋げようという計画が存在した事は確かめられた。
未成道区間に立ち尽くす立派な青看やヘキサはインパクトが絶大だったが、やがては普通の道路風景の一部として、平凡の海に沈むものと推察される。
ところで、現時点では接続されていない県道と国道だが、以前はどうだったのか。
少しだけ探ってみることにした。
左図は、新旧2枚の空中写真を同位置で比較したものだ。
カーソルをオンオフして図の変化を見ていただきたいのだが、どうやら以前(1974〜78年)はちゃんと繋がっていたようである。
それは、堤防道路と橋を渡る道が橋の袂で平面交差するという、良く見る光景である。
ただ、普通と少し違っていたのは、そこに踏切が存在した事である。
2007年以降に撮影された空中写真では、従来の村山橋が撤去を間近に控えた無用橋となっており、やや南に現在の村山橋が既に完成している。
国道も従来の2車線から4車線へと面目を一新しており、この改良にともなって安全性に問題がある、国道と県道と鉄道の「踏切+橋の袂での平面交差」という関係を改めるという決断が下されたのだと想像出来る。
良く見ると、新しい線路には当初から(現在は浸水している)跨道橋が用意されていたことも分かる。
また、google map で見られる空中写真は、上で比較した新旧2枚の間の時期に撮影したものであるようで、新旧村山橋が国道の上下線をシェアしているという、過渡期の状況が写し出されていた。
ギリギリこの当時までは、県道と国道は繋がっていたようである。
ただし、国道は上り線としか繋がっていない。
………この状況って……
←そうだ!
現地に残っていた、この「よく分からない」案内板は、google map に描かれている状況に対応したものだったのである。
この案内板をよく見ると、県道から国道へは左折だけ出来るという風に案内されている。右折と直進は出来ない。
現在は線路が間にあって、そもそも国道と繋がっていないし、完全な旧橋時代には国道を潜る右の地下道は影も形もなかった。消去法的に見て、この案内板は「過渡期」の状況を描いたものであったと考えられる。
「なぜ、ここまで出来上がっているのに、県道と国道を連絡させないのか」
という謎は未解決である。何かご存じの方はぜひともご一報下さい。m(_ _)m