ミニレポ第207回 日置大橋と日置小橋 前編

所在地 和歌山県白浜町
探索日 2015.7.26
公開日 2015.8.09

大橋と小橋の組合せは常に変化する


【周辺図(マピオン)】

今回紹介するのは、旅先で偶然出会った古橋である。

場所は和歌山県南部の白浜町、数年前までは日置川町と呼ばれていた辺りだ。
ここにはその名の通り、日置川という大きな川が流れているんだが、そいつは南紀の三大河川の末弟であるらしく“日置三郎”なんて呼ばれたりもするらしい(ちなみに兄弟は“熊野太郎”と“古座次郎”だそうだ)。
そしてそんな見所のありそうな“日置三郎”の最も河口に近いところに架かっているのが、今回紹介する2本の橋。
これまた、名前からしていかにも分かり易い兄弟橋の“日置小橋”と“日置大橋”なのである。

大きな川を、2本の橋を渡り継いで攻略するって、なんか浪漫を感じるぜ。


右図は、今回の探索地点を示した最新の地形図である。

これを見れば一目瞭然だが、日置川の河口近くを2本の橋で渡るというのは、このように川の真ん中に浮かんだ大きな中洲を中継点にして渡っていくということだったのである。

だいだい、川の中洲なんていうものは不安定なもので、洪水の度に位置が変わってしまったりするから、“橋休め”には余り役に立たないというのが定説だと思うのだが、調べてみるとこの日置川河口の「中芝」と呼ばれる中洲は、記録が残る江戸時代からずっと存在し続けているという、もし中洲界に長者番付なんてあったら西の関脇くらいにはノミネートされそうな奴なのである。

とまあ、少し話しが脱線したが、この中洲を挟んで南側(左岸側)が日置小橋、上流側が日置大橋と呼ばれている。
そして、これが本稿の真のポイント。
日置小橋も日置大橋も、それぞれ1本だけじゃないんですよ!!
なんと、良く並んで2本ずつ架かっていたりする。
しかも、片方は国道で片方は県道という太っ腹ぶり(?)である。


それでは現地の景色を見てもらいましょう。「現在地」の所から、いざ自転車に乗ってスタート!




2015/7/26 15:11 

日置兄弟橋の弟分にあたる日置小橋は、小橋なんて呼ぶのが申し訳なくなるような立派なトラス橋であった。
形式としては下路の曲弦ワーレントラスで、曲弦というところに、そこはかとない年代を感じる。
でも、そんな老朽橋という感じもしないしっかりとした橋である。
そいつが2径間並んで、日置川に浮かぶ大きな中洲の左岸側水路を跨いでいた。

そしてこの日置小橋に対して、やや斜行しながら並行して架かるのが、現国道の「名前の分からない橋」である。
…申し訳ないが、この橋の名前を私は調べてこなかった。帰宅してからでも分かるだろうと高を括っていたが、分からないままになっている。
なので、とりあえず今回は「新日置小橋」という仮称で稿を進めたい。(名前の分かる方がいたら、教えて下さい!)




それでは早速、日置小橋を渡っていこう。

橋に出会った時、まずは親柱に銘板を探して読むのが私のセオリーであるが、ここでは空振りを食らった。
親柱はあるのだが、そこに銘板が存在しないという肩すかしである。この規模の橋にしては珍しい。

そして、鋼橋の場合続いてチェックするのが、橋の部材(下路トラス橋の場合は端っこの斜材)に取り付けられていることが多い建造銘板である。
これについては、ちゃんと発見することが出来た。その内容は右写真の通り。

この内容から、本橋の桁が昭和30(1955)年に和歌山県の発注で横河橋梁株式会社によって制作されたことが分かる。
桁の製造年と橋の架設年は大抵プラス1年以内の差に収まるので、本橋は昭和30年ないしは31年に架けられたものと判断出来る。



さすがは多雨の国、紀伊半島の深いところから流れ出てくる“三郎”とまで呼ばれている大河川である。
“小橋”が跨いでいる部分だけでも、もうそこら辺の半島には見られないくらいのボリュームがある。
奥に水平線が見えるが、もちろんあれは海だ。
海岸からここまでの距離は、約1kmである。

そして、なんか違和感があるなと思って眺めていたら、分かった。違和感の正体。

この向かって左側の岸辺に人工的な護岸が見られないというのが、日本の大河川の河口部にしては珍しい事なのだ。
というか、だいたい日本の大河川の河口って川の両側に広い平野が広がっている事が多いので、片側だけとはいえ、こんな未開発の険しい山壁が海岸まで続いているというのはレアな地形ではないかと思う。
でも、日置川が毎年大量に海に押し出している土砂は、いったいどこへ流れて消えてしまっているんだろうな。
川幅の割に、日置川河口の沖積地は余りに狭いと思う。




今日も熱射の一日だが、海風が直接当たる橋の上だけは驚ほどに涼しく快適だった。
ついつい橋の上に長居して、海を眺めたりしてしまうのも道理である。

それに涼しいだけじゃなく、この橋の交通量はとても少ない。故に快適。
歩道も無い橋なので、自転車の私にはとても嬉しいことだ。
隣の現国道が開通するまでは、大型車の激風に緊張しながら渡ったのだと思うと、
それはそれで一抹の淋しさを感じもするがな。




15:20 《現在地》

じっくりと渡り終えて振り返ると、色々なものが目に飛び込んできた。
もちろん、飛び込んできたというのは比喩で、私の興味があるものがたくさんあったという意味である。(←言わなくても分かるよ)

う〜〜ん、どこから突っつこうか。目移りしちゃう。

まずは、すっかり色の消えた「急カーブ」の予告標識あたりから行こうか。
こいつなんて、いかにも旧国道らしいアイテムだ。色が消えたまま直されていないって所がな。今の道路管理者(県)は、これを撤去するつもりも無いんだろうか。
まあ、鉄橋を渡っていきなり急カーブなんて、絵に描いたような悪線形なので、隣に見える現道は成るべくして成ったのだろう。

次はこれ(←)だが、凄いなこれ。
「安全速度」の補助標識自体が既に絶滅危惧種レベルで、これを正式な標識だと思っていないドライバーも少なくないのでは無いかと思うが、「安全速度」はその名の通りの意味で、速度規制ではないけれども、このくらいの速度で走ると安全だよと道路管理者が教えてくれているのである。
この場合は、上にある本標識とあわせて、橋を渡った先の直角右カーブでの安全速度ということだ。

とまあ、これは速度違反が横行する現代社会では大抵無視されている悲しい標識なのだが、そこに書かれた速度の数字、10はさすがに低すぎる。

個人的に今まで見たことがある最低は20で、25みたいな5刻みもあるのが特徴なのだが、とりあえず10はダントツで最低速度更新である。
ここが現役だった当時、国道42号には時速10kmで走る事が期待された地点があったいうのは、ちょっとした衝撃だ。



あとこれ(→)

なぜか近寄って撮影するのを忘れるという初歩ミスをやらかしたが、見ての通り親柱に飾られた橋名板である。
こちら側の2本の親柱にはちゃんと銘板が取り付けられており、それぞれ「日置小 」「日置川」とあった。

なお、「日置小 」の4文字目の空白は脱字である。
文字が脱落していたのだ。(悲しい)


あと、さっきの沢山ハイライトの○印を付けた写真に戻ってもう一度だけ見てもらいたいが、橋の袂の両側に立派な門扉(ゲート)の痕跡がある。
かなり物々しい作りが、これまた「国道を塞ぐんだ!」という勢いを感じさせて好ましい。ひょろひょろゲートでは舐められるからな。



今話題にした橋の袂のゲートは、この「異常気象時通行規制区間」の通行規制を行うためのものであったのだろう。

通行規制について
これより7km(すさみ町周参見まで)の
間は下記の場合に通行止めをします。

1.連続雨量が250ミリに達した時
2.道路が危険な時

連絡先 和歌山県西牟婁振興局
      建設部 0739(22)1200

上記の項目2「道路が危険な時」に通行規制って、当たり前だけど大切な事だよね。

なお、連絡先の欄だけ文字が上書きされたようになっているが、国道時代には「建設省 紀南河川国道事務所」とか書かれていたはずだ。
そしてこれがちゃんと更新されているということは、旧国道を引き継いで県道として管理している和歌山県が通行規制も引き継いでいる。



なんか、微妙にグネグネしてる、中洲上の旧国道。
なんだこのだらしない線形は。 (このグネグネに、気まぐれ以上の理由があると知るのは、もう少し後のことだ)

さすがに中洲だけあって低地で起伏も余り無いが、砂利プラントなどが立地しており、他に建物や電柱なんかもある、ちゃんとした陸上の風景になっている。
昔からずっとある中洲ならば、こうして人間の活動に組み込まれるのも当然なのかも知れないが、なんか島っていうのがワクワクするし、中洲というのがソワソワする。

そして地図でもちゃんとそのように描かれているが、現国道と旧国道、或いは国道と県道の2路線は、非常に近接しながらも、相変わらず一つにならずに並走を続けている。
隣の国道をバンバン車が行き交っているが、県道の方は微かに砂埃が舞う、うらぶれた雰囲気を感じる。

これって、両者の高低差に重要な意味があるってことなんだろうな。
現国道は少しだけ旧国道より高い位置を保ったまま中洲を横断しているから、両者は交わることが出来ない。
ぶっちゃければ、現国道は中洲の土地を信頼していないのだな。



振り返ると、1本のヘキサがあった。
旧国道はいま、和歌山県道243号日置川すさみ線として第二の人生を歩んでいる。
埃っぽい路面に、まだ真新しいヘキサが少しだけ不釣り合いに見えた。

そして隣にある現国道は、独り勝手に陸橋を架けている。
川も無いのに橋である。私という地べた道が隣にあるのに、それを尻目に橋。

この不自然な橋は、いわゆる避溢橋という目的を持った橋だろうと思う。
中洲が大洪水時には水没する事を念頭に、その時に流れる川水を逃がすための橋である。
普通は川の両岸の河川敷部分を跨ぐ橋がこの目的を持っている。
なお、例によってこの現国道の避溢橋の橋名も確認出来なかった。




中洲の幅は400m以上もあり、もし地図を見ていなければ、さっきの日置小橋で日置川を渡り終えたと勘違いするかも知れない。
だが、私はまだ兄弟橋の兄貴分、日置大橋を見ていない。
このまま旧国道を進めば、じきに日置大橋が現れるはずだった。

だが、予想外の展開が待っていた。
旧国道は隣の国道が陸橋を終えると同時に国道の高さに登りだし、そのまま直角の右カーブを経て、国道と合流して終わっていたのである。
それ即ち、県道243号の終わりでもあった。


あれ? 日置大橋はどこ?

ま、まさか先に逝ってしまった?



この橋は、こわれています。
あぶないので
わたらないでください。


あにきぃ… 涙


……

…でも、

こわれた橋って……




私、気になります!!




つづく



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