ミニレポ第206回 菊川市の牛渕隧道

所在地 静岡県菊川市
探索日 2015.3.09
公開日 2015.4.23

容易く収穫できる割には充実感のある廃隧道


【周辺図(マピオン)】

静岡県の中西部、掛川市や菊川市などがある大井川と天竜川の両下流部に挟まれた丘陵地は、県内の隧道多産エリアとなっている。例えば関東の房総半島や三浦半島、或いは九州の国東半島など、全国区の名だたる“隧道王国”には及ばないものの、中部エリアでは最大の多産地と言えるだろう。当サイトでも、変わり種のこんな隧道を以前紹介しているが、もちろん氷山の一画であった。

なぜこの辺に隧道が沢山あるかという問いは重要だが、今回は肩肘張らないミニレポである。とりあえず物を見て頂きたい。

紹介するのは、菊川市にある牛渕隧道である。
市役所がある街の中心地から1〜2kmの近場にあり、現在の地図には“如何にも旧トンネル”といった感じで慎ましげに描かれている。
ここはとても気軽に訪れる事が出来る、夕暮れ前の時間埋めにも最適な探索対象だった。



2015/3/9 16:26 《現在地》 

さて、雨の日の少しだけ憂鬱な夕方にやって参りました、牛渕隧道が地図に描かれている峠。
峠と言っても相当に気軽なもので、広く切り開かれた切り通しと麓の高低差は20m程度かな。
この道の路線名は知らないが、普通に生活道路として利用されているから、菊川市道なのだと思う。


…お分かりいただけました?

もう、お目当ての物は、見えていますですよ。にぱー。




う〜〜ん、 お手軽だ!

でも、なかなか年季の入った佇まいが、ここからでも見て取れるぜ。

こいつは、ただの時間潰しや数稼ぎという気持ちで当たるには、勿体ない逸品だろう。
胸に熱いものを感じた私は、濡れた体の不快さも忘れて、案外に深そうな闇へ歩み寄った。



おうふ!

こいつは、ますます侮れねーゾ。

見所は年季の入った坑門だけではなく、
古隧道の箔付けに一役買う重要定番アイテムが、
勢揃いじゃないか!

それ即ち、

お地蔵 と、

記念碑 だ。

こいつは捗る!



しばしばこのように隧道前で見かける地蔵と記念碑は、共に思いを託された石という共通点を持ちつつも、異なる目的で存在している。

前者は、往来の安全を願うという他者に対する「優しさ」によるもので、道路や隧道と同じように敢えて功績を誇らない、無記名の精神によるものだろう。

後者は、隧道という利便を今日に与えてくれた先人に対する「感謝」と、それを子々孫々に伝えてゆきたいという「誇り」からなるものであり、記名することに意味がある。

これらが存在する事は、単に探索時に得られる情報量が増えるというだけでなく、隧道なり峠道なりがどれだけ愛用されてきたかを推し測るバロメータとしても働くから、だからこそとても嬉しく思うのだ。

…っと、つい語ってしまった。
今重要なのは、石碑の内容でしたな。
もちろんそれには私も興味津々で、勇んで向き合ったのであったが。
……。



漢文碑、キターーー  …orz

探索に使える明るい時間の残りが少ない状態で、出来ればこの辺りにある古隧道を後何本か探索したいと思っていた。
だから、いまここで(雨に打たれながら)漢文碑と睨めっこしている時間は、惜しまれた。

とりあえず、上部の題字が「 隧道之碑 」であり、本文の書き出しが「 牛淵隧道 」である時点で、この碑が核心的に重要なモノであることは確定している。万歳していいレベル。

なので、これを読み取るのは帰宅後に落ち着いてからでも良かろう。

今は撮影だけしっかりして、パシャ、パシャ、パシャ。 よしっ。

(碑の内容はレポートの最後らへんで紹介します)



さて、牛渕隧道の牛渕側坑口である。

元々土被りの小さな隧道だったようで、隧道上の目の届く高さに、かつて鞍部をなしていたであろう尾根が見えた。
今は隧道直上辺りから斜めに切り開かれ、現道の切り通しへ落ちているが、切り通しが如何にも現代的な幾何学的造形であるため、むしろ往時の地形を想像するのは容易かった。

喜ぶべきは、これほど近くに巨大な切り通しが作られながら、それにより用済みになるはずだった隧道が、簡単な封鎖措置だけで長らえたことであろう。
これも愛着のなせる業ではないかと本気で思ったりもするが、地図を見ても分かるとおり、隧道と切り通しの進行方向は少しずれていて、隧道内部と切り通しが極端には近接しないことも、隧道を長らえさせた大きな要因だと思う。かつて隧道が、技術的、予算的、或いはその他の事情から、切り通しほど良好な線形を選ばず、坑口の前後に曲線を交えた隧道長を最短にする線形であったことが利している。隧道がもう少し“頑張ってしまって”いたら、今頃は完全に開鑿され切り通しに変わっていたと思う。



坑門の外観は、遠目に見て感じたとおりの古色をふんだんに纏っていた。

全体の材質はコンクリートであるが、表面には装飾的な意図をもって洗い出し仕上げがなされている。
アーチ環は、コンクリートブロックである。
なので、トンネルの素材による分類では、コンクリートブロックトンネルとなる。
煉瓦積みや石積みの隧道と同じく、現代では新たに作られる事のない組積造りのトンネルであり、年代的には従来の組積造りからコンクリートの場所打ち(現場でコンクリートをアーチの型枠に流し込む)へ変化する最後の時期のスタイルである。

他に装飾的な要素としては、ぶ厚い笠石と、明治隧道を思わせるような手の込んだ扁額が見られ、のっぺりとしがちなコンクリートの外観を適度に引き締まらせている。

また、坑門にいくつかの碍子が取り付けられている(赤まる内)が、その数からいって、単に照明のために電線を引き込んでいただけではないだろう。隧道は人の通り道であっただけでなく、公用の電線などを通じるライフラインとしても働いていたことを物語っている。



思いのほか出来の良い坑門に沢山の文章を書き並べてしまったが、画竜点睛という言葉があるように、この坑門にとって扁額の出来映えは大きい。
右書きでバランスよく配置された達筆の4文字は、「牛渕隧道」とあり、記念碑の「牛淵」とは微妙に字が違っている。ちなみに、現在の地図に書かれている地名は、「牛渕」の字である。
そしてその題字の左端に、探索者にとって非常に重要な文字が刻まれていた。

昭和六年十二月竣功

この隧道は元々が都道府県道や国道にあったものではないため、『道路トンネル大鑑』に記載が無く、素性を知る上では現場の情報が非常に重要だった。
扁額の情報により、牛渕隧道の竣工年は昭和6(1931)年と了解される。これはコンクリートブロック造りであることとも矛盾がない。

ところで、坑門に見られる二重のアーチ環のうち、外側のそれは単なる装飾ではないかと思う。内側のアーチ環と風合いが違うし、亀裂の入り方も組積性らしからぬ(ありえないことはないが)形になっている点が気になる。



16:27 
坑門について沢山語ったが、時間がないというのも本当だ。
だから、ここに来て1分後には早くも入洞を開始する。
隧道を愛してやまない私の脳内では、わずか1分でこれだけ喋った(笑)。

木製のAバリ群をワンステップで乗り越えて、 いざ!



にゅど〜ん!

(↑入洞時の擬音、いま思い付いた、流行らせる気はない)



隧道の全長は50mくらいだろうか。
これでも土被りの小ささと見較べれば、短いとは思わない。
洞奥には照明がなければ足もとの覚束ない暗さがあり、侮りがたい。

内壁も、坑門に続いて見事なコンクリートブロックによるアーチが観察出来る。
坑門にはアーチ環があっても、内部はすっかり補修されて様変わりしている古隧道が多い中で、このように廃止されるまで建設当初の姿を保っていたのは喜ばしい。

しかも、おそらくはたった1枚だけの巻き厚であるにもかかわらず、アーチ環には些かの綻びも見られず、廃隧道とはいいながら、全く不安を感じさせない。
壁面が漏水で濡れているのも、外が雨であることと、土被りの小ささを考えれば、異常とは言えない。
全国の隧道多産エリアの多くがそうであるように、ここも地質に恵まれたエリアなのだろう。

もっとも、洞床は洞外から流入したらしい土砂が満遍なく堆積しており、折角アスファルト舗装があるのにぬかるんでいた。
また、側壁は場所打ちコンクリートであることも、他の多くのコンクリートブロックトンネルと同様である。(←組積造りから場所打ちへ至る過渡期の特徴)



私は東の牛渕から入り、西の本所へ抜けようとしている。
もう本所側の出口が近付いてきたが、外は少しばかり藪があるようだ。
ぜったいに大した距離ではないだろうが。

入洞から2分後、

これでも洞内はじっくり気味に味わって、完抜!



16:30 《現在地》

廃隧道でありながら、常に人目に触れ続けている明るさがある東口に較べ、現道からやや奥まった所にあるこの西口は、存分に「廃である」ことを感じさせる姿になっていた。

どちらの坑口が好みだと問われたら、こちらを選ぶ人も多いだろう。
もし私だったら、どうだろうな。
元々が凝ったデザインであっただけに、それがより良く残っている東口を選ぶかな。今回は。

そんなわけで、美しかった扁額も見るも無惨に形を失っていた。
書かれている内容は、東口と同じだったようだ。




四方八方の植生から容赦ない圧迫攻撃を受けている最中の西口。

春先でもこの有り様だから、夏場は相当に息苦しそうだ。



しかし案の定、西口に蔓延っていた藪はほんの10mほどで明けて、元々のアスファルト舗装の1車線道路が現れると、さらに50m先に幅の広い現道や人家が見えてきて、探索のゴールを教えてくれた。




16:32 牛渕隧道の現地探索を終了。
写真左の笹藪が三角形に切れ込んだところが、西口在処だった。

総所要時間6分。
これはいかにも“小ネタ”らしい軽探索であったが、記念碑文というお土産(宿題?)も頂き、ホクホク顔でこの場所を後にしたのだった。







「隧道之碑」 牛渕隧道の小考察


 隧道之碑    →【碑面の大きな画像】

牛淵隧道係于明治二十五年■開鑿爾来従経
年所修繕費漸如行人危険亦伴之放不乎■■
者胥謀建新道開鑿之計而成者即■隧道也明
治四十三年十二月起工明治四十四年十二月
竣工所要費額壱千八百拾七円也于茲記其来
歴併録関係者之氏名以為記念

 発起者
    後藤平作 内田金作 内田良平
    (以下9名 …略)
 石工
    (2名 …略)
 土工
    (2名 …略)
 大正元年八月一日 六郷村牛淵区

苦手な漢文なので完全な解読は出来ないが、文字を追っていくだけでも十分要点は理解できたと思う。
大要は以下の通りだろう。

牛淵隧道は明治25(1892)年に初めて開鑿され、以来年を経るごとに修繕を加えていたが、老朽化で危険となったため新道を建設する運びとなり、新しい隧道は明治43(1910)年12月起工し、翌年12月竣工した。要した金額は1807円であった。関係者の氏名をここに記して記念としたい。




なんと!
牛渕隧道は、扁額に記年があったように昭和6(1931)年12月竣工で間違いないと思ったが、記念碑の字が違う「牛淵隧道」は、明治25(1892)年に誕生し、明治43(1910)年に新隧道が開鑿されたという、遙かに歴史の深いものだったというのである。
記念碑の建立年は大正元(1912)年であるから、そこに昭和の牛渕隧道と、明治の牛淵隧道の関わりは記されていない。

もしかしたら、ここには私が目にしなかった、別の旧隧道があったかも? 
そんな疑問を当然持ったわけだが、残念ながら、その可能性は低そうだ。
右図のように、明治と昭和の地形図で隧道の位置に違いが見られないし、現地の土被りの浅さから見ても、他の隧道が存在する余地は無さそうだ。

ともあれ、明治の、それもかなり古い時期からの系譜を有する、相当に由緒正しい隧道というのが分かった。
その割には、今まで一度も県道以上の格付けになったことがないようで、やや目立たない存在だったようだが、そこもミステリアスで面白い。




なお、ご存じの人も多いだろうが、隧道多産地である掛川・菊川エリアには他にも明治隧道が存在する。
中でも右写真の「桧坂隧道」は、明治28(1895)年竣工以来、現在に至るまで(旧道として)現役を続ける希少な道路用煉瓦隧道として、同じ道沿いにある青田隧道(明治28年)や岩井寺隧道(明治38年)と共に、「旧県道の煉瓦トンネル群」として、土木学会による「日本の近代土木遺産」の選定を受けている。

今回の牛渕(淵)隧道は、竣工年においてこれらに比肩し、或いは上回る古さを持つ。
煉瓦造りであったかは不明(おそらく違うだろう)だが、昭和初期のコンクリートブロックによる現在の姿も十分に遺産と呼べる価値があるだろう。

最後になったが、この地域に数多くの古い隧道が存在する理由についての検討だ。
まずは、手堀による隧道建設に向いていた地質、そして低い尾根と谷が入り組んだ丘陵という地形。
この地質と地形の条件は、他の隧道多産地と同様であったと思う。

だが、もう一つ必要なのが、隧道に対する大きな需要の存在だ。
例えば三浦半島には、軍都横須賀による人口増を受け入れるための宅地拡大という要因があったし、房総半島にも東京という消費地に近いことから谷の奥まで農地や林産地として利用するという要因があった。
果たして掛川・菊川エリアの場合はどうであったか。

土木学会は近代土木遺産に選ばれた前出の隧道群の建造の背景を、「製茶等の搬送のため」としている。
そして、今のところ私にはこの説以外の有効な説が見出せない。

上の旧地形図をもう一度見て欲しいが、牛渕(淵)隧道の場合も、重要な茶産地である牧ノ原台地上の「牛淵原」から、その集散都市である「堀之内」(現在の菊川市中心街)へ向かう最短ルート上に存在しているのである。隧道以東の沿道に「∴」の茶畑記号が沢山あるのも見て取れるだろう。
日本一の茶産地として著名な地方に存在する特色ある隧道群には、やはりこれが妥当な説明となるであろうか。
(現在、さらなる情報を求めて「菊川市史」を入手手配中)


緊急証言!(2015/4/24)
読者さまからの情報により、この隧道の旧隧道(初代隧道)が付近に実在している可能性が高いことが判明した!
ぐぬーっ! 小隧道と侮り、時間に追われ軽く探索を終えたことで、まさに蜂の一刺しを食らった模様である。 再訪を待て!! 



再訪しました!



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