その56七座森林鉄道 後編2004.4.21撮影
秋田県二ツ井町 七座山



 七座林鉄を辿る短い旅は後半へ。
米代川が七座の連山によって大きく屈曲している、その突端部は意外に大人しい景色である。
しかし、道路の山側にある岩肌の険しさは、かつてここが白波渦巻く汀線であったことを今に伝えている。
現在は道路よりも川側に広く埋め立てされ、鬱蒼とした杉の森や、田圃になっている。
かつての軌道跡は、道路よりも川側にあったらしいが、痕跡は見つけられなかった。




 田圃の向こうは、国道や鉄道の新旧トンネルがひしめき合うきみまち坂。
一見してこの左岸の方が穏やかだし道路用地も豊富に思えるが、前後に長大な米代川を渡る橋を設けねばならないこの場所には、結局林鉄と、町道だけしか通わなかった。




 そして、見る見るうちに、道路右手の稜線はせり上がり、折り返しから100mほどでもう、その稜線との高低差は100mを越えてしまう。
また、この七座山は一帯が風致林に指定されており、市街部に近いにもかかわらず、よほどの山奥でも見られない巨木の森である。
樹高30m近い天然秋田杉や、広葉樹が驚くべき急傾斜地に根を下ろしている。

以降の区間、林鉄遺構を探す旅としては決して実りは多くないが、ハイキングや森林浴に最適と考え、紹介を続ける。
是非一度、生の目で見て欲しい森である。




 まさに「母なる河」と呼ぶに相応しいイメージの米代。
この北秋田地方全域や、果ては岩手県内よりも集水した膨大な雪解け水は、時として人々の生命に脅威を及ぼしたが、林鉄と連担して木材産業を支えたし、河口の能代を東洋一の木都と呼ばしめた。
その洪水すら、長い目で見れば湛水した水田の実りを最大化させてきた。
現在は、機能としてはただの巨大な水路となってしまった河だが、その母性はなお人々に愛される。



 町道の脇に米代が流れ、山肌との隙間は僅かである。
現在はここをアスファルトが覆っているが、かつては林鉄のみが通っていた。
いまでも、町道の土留めには所々当時の石垣の散見される。



 杉は、あなたも見たことがあるだろう。
しかし、そのイメージはどんなだろうか?
薄暗く息苦しい純林や、山肌に整理された区画線を描き出す植林地、そんな印象しか持たない人は多いはずだ。
しかし、元来の杉は違っている。
そんな杉のことを、各地で「天然杉」と呼び、貴重な存在になっている。
もともとは、日本中の杉林が、こんな景色だったのに。

人が木を切って生計を立て、それが社会全体の大きな生産活動となった頃から、植栽の容易い杉は重宝され、日本中を埋め尽くすことになった。
それらの木は、大概密集するから大きくなれないし、一定まで大きくなれば伐採適期を迎えるので、こんな天然杉の森は再生産されない。(例外もある、例えば仁別の巨大杉の森は江戸時代の植林だ)



 杉は、周りの広葉樹が葉を落とす時期、特にその存在感をアピールする。
一本一本が巨大な天然杉は、対岸からも何本生えているのか一本一本数えられるほど、それぞれ孤高に輝きを放っているのだ。
特にこの七座山の斜面は急峻なために、茶色の斜面に杉は目立つ。

河の蛇行の基部が見えてくると、終点も近い。
その少し手前に、木造の建物が見えてくる。




 河に突きだした巨石に手すりが設けられ、天然の展望台となっている。
付近に案内などはないが、道路からも容易に見つけられる。
ここに立って見る眺めは、まるで大河を往く舟の船首のそれのようだ。

多分居たはずだ。
数年前ならば、きっと。

 「空を飛んでいるみたい!」 (←古い?)

もちろん、私はそんなことをする為に突端まで行ったのではない。
スリルを味わうためでもない。
手すりが気になったのだ。




 手すりはすべて、廃レールを塗装して転用したものだった。
それにしても、ここはなんか怖かった。
手すりが低い上に、足元が天然の一枚岩だから、なんか不安定ですべるのだ。
しかも、岩の下はそのまま渦を巻く濁流になっている。
じっと見ていると、なんか酔って来た。




 今来たほうを振り返ると、それはそれはすばらしい眺めだった。
川の真ん中にいるように見えるのは、この岩が非常に突出しているためだ。




 さらに行くと、今にも崩れ落ちそうな木造の建物がある。
現在は廃墟のようであるが、これは名のある建物で、天神荘という。

昭和7年に、合川営林署の事務所及び宿泊施設として、天神貯木場の隣に建築された総秋田杉造りの建物だ。
併設する離れは、昭和10年に増設されたもの。
これらは貴重な林産遺構であるが、管理費の問題からか、殆ど放棄されている。
すばらしく景色と調和した建物であり、是非とも残して欲しいと思うのだが。




 今でも現役の天神貯木場が、七座林鉄の一端であった。
この先には小阿仁林鉄が多数の支線を派生させつつ、はるか秋田市境の太平山地まで伸びていた。
広大な貯木場に積まれた材木は少なく、いかにも手持ちぶさたに見える。
背景は、七座山の雑木林だ。
一本一本の杉が、はっきりと見て取れるだろう。
貯木場の周囲を囲う柵がレール利用だったが、それ以外には特に遺構も見あたらず、終了となる。

後半は観光案内に終始した感もあるが、七座林鉄の大部分は現在でも辿ることが出来る気持ちの良い舗装路。
たまには、こんな気軽な探索も良いだろう。



2004.6.24作成
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