今回紹介する橋梁は、林鉄の物としてはかなり巨大な現役遺構である。
これは、かつて上小阿仁森林軌道上に建設された物であるが、その来歴を簡単に紹介しておこう。
なお「南沢橋」は、仮称であり、正式な名前は分からない。
上小阿仁森林軌道は、大正4年に第一区間が完成した小阿仁森林鉄道の分岐線であり、南沢から小阿仁川本流に沿って、太平山地の奥地である萩形を目指した。
南沢から萩形より下流の八木沢までの工事は大正11年に完成している。
八木沢と萩形との間には、県営ダム第1号となる萩形ダムが昭和46年に竣工しており、昭和42年には廃止されていた本線だが、萩形集落と共にその軌道跡も大きく消失している。
表題の南沢橋は、その起点にほど近い南沢集落内に存在する小阿仁川を渡る大橋梁だ。
この橋梁が存在するという情報は、秋田市に在住の細田氏より頂戴した。
この探索日である6月13日は、森吉林鉄の第五次探索の日で、波乱含みの探索が終了した後、当日の参加者の一人でもある細田氏の薦めで帰り道に立ち寄った。
現地は、南沢地区の国道285号線旧道の鯉茶屋ドライブイン跡のすぐ傍で、旧国道から分かれて不動羅地区へ延びる舗装路から、川側に折れる砂利道のすぐ先に目的の橋はある。
その分岐点には、写真の通行禁止のバリケードがある。
もう、この時点で先に橋があるのは見えている。
橋の背後には民家が数軒あって、立地としては目立つ部類に入る。
今まで気が付かなかったのが不思議な程に大きな橋だが、旧国道からは直接は見えないし、地形図にも記載されていない。
特徴は、橋桁が木製であり、しかも自動車通行用に補強・拡幅されているということだ。
角度を変えてみると分かるが、この橋は立派なガーター橋で、いかにも鉄道用の橋なのだが、上を通るだけであれば、普通の木橋に見えるかも知れない。
まあ、これだけ長い木橋というのも、現在では普通ではない存在だが。
かなり老朽化しているようで、現在は通行止となっているのは、先のバリケードの通りだ。
欄干はなく、親柱も木製であり、銘板等は一切無い。
橋は小阿仁川を渡っている。
水面までの高さは10m程度あり、酔っぱらって歩けば落ちかねない危険橋梁だ。
橋の先には、もはや判然としないほどに荒廃した軌道跡と、僅かな耕地があるのみで、耕作者以外には往来はない橋だろうが、軌道橋をそのまま車道橋として再利用しているというのは、特筆に値する。
川の中央付近と対岸の河原には、2本のコンクリートの橋脚がしっかりと設置されており、役目を全うしている。
私とパタ氏と、ふみやん氏、そして初参加のYASI氏が続々と渡る。
ちなみに、森吉では行動を共にしたくじ氏と細田氏は、それぞれ別の帰途に就いており一緒ではない。
(くじ氏が居たら、この橋はきっと試練だったに違いない。)
写真は、渡りきった後、南沢側を振り返って撮影。
2トンの重量制限が掛けられている。
この車道は、間もなく農地にぶつかり行き止まりとなっている。
それでは、全体像を見ていこう。
まずは、右岸側から橋上の様子。
なんとも景観と調和した、いい橋である。
今度は、橋を再び渡り左岸へ戻る。
夏なんかは飛び込んだら気持ちが良さそうだったが、上流には萩形ダムがあり、ここでの水遊びは止めた方が無難だろう。
おそらくは、これが通行止となった元凶なのだろう。
一カ所だけだが、路肩の板が抜けている。
その周囲には、誤って踏まないように、棒が立てられている。
抜けているのは路肩であり、自動車でもまだ橋を渡ることは出来るだろうが、木製の部分が全体的に朽ちているのは明らかであり、通行止のバリケードは大事を取ってのことだろう。
しかし先に農地がある以上、今後もこの状況で使われ続けるものと思われた。
左岸のやや上流から撮影。
ここからはじめて、ガーター橋の全景が見て取れる。
今まで見てきた林鉄橋の中でも、現存する物としては最長ではないだろうか。
国鉄の物と比べても、見劣りしない、3スパンの好ましいガーター橋である。
大正11年という竣工は林鉄としても古い部類にはいるが、みたところ、最近に建設されている物と大きな
違いはない。
なんとも、息の長い橋梁形式である。
木橋はもちろん、コンクリート橋よりも遙かに高価で、その建設も難しいが、一度設置してしまえば非常に長く持つし、場合によっては他の場所へ移設したりと行ったことも可能なのが、ガーター橋の特徴であると聞く。
こんなに立派なものが、失礼だが農地一つの為に健在であることに、驚きを感じた。
(まあ、規格上林鉄以外への転用が難しいのだろうが、せいぜい歩道橋用か。)
今度は、橋の下へと回ってみる。
そこにあったのは、鋼鉄の頑丈な骨組みである。
赤いペンキは殆ど禿げてしまっているが、その迫力は衰えるばかりか、より増しているように見える。
林鉄のイメージを覆すような、大きな遺構である。
今まで何度となく通ってきた国道のすぐ傍に、この様な物が残っていたことに、改めて林鉄探険の奥深さと、面白さを感じたのであった。
近くで見ると、森吉林鉄で我々に沢山の思い出を残してくれた“梁渡り”ガーター橋群とは、また構造が違うことが分かる。
なんというか、極めて簡素な造りである。
二本の太い梁板と、梁板に対して垂直に伸びる梁が梁板同士を繋いでいる。
構造としては、それだけである。
この形状であれば、「梁渡り」という芸当は生まれなかったに違いない。
これが、古さによる形式の違いなのか、別の理由なのかは、分からなかった。
巨大な橋梁との素敵な出会いは、夕暮れと共に幕を閉じたのであった。
なんと、7月7日に再び行ってみると、すっかり橋桁が新しくなっていた!
以前のものと、全く同じ造りだが、すっかり見違えている。
新材の木の香りと、コールタールの臭いが強烈だ。
まだ、橋の基部にご覧のような隙間があって、通行止のままではあるが、間もなく復旧することだろう。
よもや、この橋が新築されるとは、思わなかった。
どこから予算が出ているのだろうかなどという下世話なことはひとまず置いておいて、これで林鉄由来橋の現役続行記録は更新間違い無しであろう。
良かった良かった。