その72仁鮒林鉄 揚吉支線   <後編>2004.10.22撮影
秋田県二ツ井町 揚石



 前回、かろうじて半身が残存している一号橋梁や、完全に開削されて消失したらしい隧道跡を紹介した。

今回は、連続して存在していた2号〜5号の各橋梁と、それを結ぶ区間を見ていこう。
なお、順に2.3.4.5と見ていくのではなく、変則的な巡り方になっているので、注意されたし。


 

 一号橋梁と2号橋梁を結ぶごく短い揚吉沢右岸の軌道敷き。
林道とは、対岸の関係である。
連続する5つの橋梁は、蛇行する揚吉沢を4度渡るものだ。
基本的には軌道跡を利用した現林道であるが、この区間では橋梁を利用せず、代わりにアップダウンを駆使してひたすらに左岸を突き進んでいる。

軌道敷きは、枕木も撤去されているが、掘り割りに敷き詰められたバラストに、その名残をとどめている。
カーブを一つ曲がると、再び揚吉沢が行く手を遮る。




 残念ながら、2号橋梁の痕跡はほとんど残されていない。
両岸共に脆い土質のため、かなり浸食を受けており、どうやら橋台もろとも流されてしまったようである。



 相変わらず、水面は穏やかで、長靴でも容易に渡ることができる。
また、よく見ると水面下にはときおり光を反射しナイフのように輝く魚影があった。
渓流ともまた違う、里山の豊かな水縁風景である。




 2号橋梁を渡ると、再び林道と合流する。
ここからまた100mほど現林道は軌道跡と重なるが、いずれ軌道は3号橋梁にて、対岸へ渡っていた。



 はじめ、3号橋梁の位置が林道から分からず、そのまま先へと進んでしまった。
そのために、本レポートでは、まずは先の5号橋梁へ進み、その後軌道敷きを、3号橋梁へと戻ってくることになる。

軌道跡からはずれた林道区間は、激しいアップダウンと、大規模な切り取りにより築かれた崖の道である。
ここを、歩いて進む。




 一帯の山やまは、ものの見事に(無惨に)皆伐されている。
ここは、東洋一と謳われた木都能代の、その栄光を永く支えた能代営林署管内の山林である。
網の目のように当時は張り巡らされていた林鉄と、その作業支線によって、里人の目が届かぬような出羽丘陵の奥の奥まで、切り出されたのである。
林道から見える範囲など、その一部に過ぎない。




 現林道を迂回して200mほど進むと、崖下に木橋の残骸を発見する。
これがまさしく、3号橋梁である。

林道と5号橋梁との接続地点は、強固なススキのバリケードが築かれており、なかなか分岐があったようには見えにくい。
強引に斜面を下って、橋梁を目指すことにする。





 河床に降りると、いよいよ間近に、5号橋梁の残骸が現れた。
近づいて見ると、さっき崖の上から見えた部分は、橋脚を失い沢へと落ちた橋桁だったことが判明。

川底には小さな碍子がひとつ、沈んでいた。
この上流には、今は廃村となって久しいが揚吉という集落がかつてあって、電線も引かれていたようだから、関連する遺物かも知れない。



 元来は3基の橋脚を持つ、比較的大きな橋だったようだが、現存するのは左岸よりの二基のみである。
しかも、河床に足を下ろしていたものは、著しく破壊されており、おそらくもう数年で完全に流出してしまうだろう。
今はこれほど穏やかな流れだが、残骸に押しかかるように枯れ木が堆積しており、時として荒れ狂うことを予感させる。

また、一基については、構造上存在したはずだと考えられるが、まったくその痕跡は残っていない。
完全に、押し流され消滅したようだ。

このように、破壊の進む橋脚であり、そこに乗っていた橋げたも無事であったはずはないが、奇跡的に、右岸側にかなり原形をとどめて、落ちていた。



 支えていた橋脚が消滅したために、そっくりそのまま地上に落ちた橋桁は、ご覧のように横たわっている。
この上を歩いて、右岸の軌道跡へと進もうとしたが、非常に不安定な状況で、何度も足を踏み抜きかけて危なかった。
だが、右岸の笹薮がかなり堅牢で、この橋桁跡を利用しないと、軌道敷きへ上るのはさらに困難である。

そうして、私はまたも、右岸へ。




 ここからは、今までと探索の進行方向が逆になり、下流へ向けて進む。
目指すは、まだ見ぬ3号橋梁である。

近年はまったく利用されていない軌道跡は、荒れに荒れ果て、3号と5号橋梁の間にあって、支沢を渡っていた4号橋梁も、ご覧の激藪に没しており判然とはしない。

ここは、ツタがものすごく、1m前進するのにも大変難儀した。



 藪の底に、4号橋梁の残骸が落ちていた。
この橋は、橋脚が腐築し落橋してしまったようである。

黴臭い濡れた残骸を這い蹲るように、身を低くして、藪をすり抜けつつ沢を渡る。
危険は少ないが、不快な難所であった。




 激藪を突破すると、空一面が杉に覆い隠されるようになり、足元はスッキリする。
いかにも人工的な生え方をした、杉の植林地である。
その林を突っ切って、軌道敷きのバラストは続いている。
今にも切り出しの列車が現れるような錯覚を覚える、リアルな林業の光景である。


 しかし、余りの密度に見通すこともできない林は、異様な景色である。
まさに、栽培されているのだと実感する。




 そして、まもなく3号橋梁の跡地に達した。

残念ながら、この橋もほとんど痕跡がなくなっていた。
唯一、痕跡と思われるのは、河床の岩肌に幾つも穿たれた、円形の窪み。
まるで天然の甌穴のようだが、橋があっただろう地点にだけ計算された間隔で存在しており、元々は橋脚を埋め込んでいた跡なのだと思われる。
それが、自然の侵食を受けて、今の姿になった考えられる。



 水位が浅く、中瀬のようになっている部分には、正方形の孔も残っていた。

この橋は、果たしてどこへと、消えてしまったのだろう。






 対岸に渡り、軌道敷きと思しき藪を数メートル進むと、現林道にぶつかる。
この場所は、さっき歩いて通り過ぎた場所である。
こうして、1周してきたわけだ。

私の、揚吉支線の探索も、ひとまずここで終わり。
チャリを回収したのち、私は旅を続けた。


2005.2.24作成
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