
2004年最大の林鉄系発見「定義林鉄 巨大木橋」の5kmほ下流には、古くから「定義さん」と呼ばれ親しまれてきた古刹「定義如来」がある。
この定義如来を起点として仙台市中西部に至る主要地方道が、主要地方道定義仙台線だ。
大都市近郊でありながら、その沿道には大倉川が流れ、大倉ダムがあり、山深い道という印象がある。
そして、いつの頃かは定かではないものの、起点付近の道筋はもともと大倉川右岸にあったものが、左岸へと大規模に付け替えられている。
この付け替えによって生じた旧道区間はおおよそ6km。
うち、最上流部の1kmが、現在は廃道となっている。
ご覧頂こう。
まずはオードブル。
県道の起点からさらに上流へと市道が続いている。
この市道の十里平と定義の中間付近、大倉川を渡る橋があるが、この橋の辺りから川原に降りる事が出来る。
そこから下流を見るとびっくり、
こんな場所によくぞ川が通ったもんだ。
特に観光ガイドブックにも触れられてはいないが、これは一見の価値あり。
このようなきわめて峻険な地形と、何とか折り合いを付けながら開通したのが、この市道であり、下流の県道なのだ。

そして、新旧道の分岐であり、県道そのものの起点でもある、定義如来の駐車場。
実はこのレポ、2004年11月のものであり、勿論自分の車はない。
でもチャリもない。
なにせ、あの定義林鉄合同調査の直後(帰り道)の寄り道なのだ。
では、何で探索するのかと言えば…。
不本意ながら、足である。
生足。
しかも、探索者は、私1人だけ。
同行のくじ氏と細田氏は、それぞれ自身の車があり、同行できない。
そこで、私だけが車から降り、地図上で僅か1kmの旧道区間を
駆け足で探索し、2人には現県道を車で先回りしてもらう事にした。(左図の通り)
現在時刻は午後4時を回り、雨模様と言うこともあって急速に辺りは暗くなっていたが、距離が短くおそらく20分もかからず合流できるだろう事から、
この山行が史上稀に見るランニング探索を開始したのである。
定義如来前 出発時刻 16:12


まずは、定義如来の駐車場を脇に見つつ、旧道への分かれ道に突入。
ここは十字路になっており、如来さんを背後にすると、正面が旧道、左が現道、右が国道48号線に続く林道である。
地元色豊かな青看板がたっており、それによれば…
さっそくにして、
正面は 「通行止め」。

とはいえ、まだ怪しいムードはない。
まず舗装路はなだらかに下りながら、大倉川支流の「たちみさわ」を小さなコンクリート橋で跨ぐ。
いたって平穏な景色だ。
橋を渡り、なんの気なしに振り返ってみる。
「なんか変だぞこの橋」と気がついたのは、
親柱が藪の中に埋もれかけていたからだ。
一見なんの代わり映えもない橋のようだったが、実はこれ、かなり奇妙な橋だ。
なんというか、橋の上に橋があるというか。
橋の上に道がある。
目立つガードレールの外側には、コンクリート製の欄干や親柱があり、その外が初めて、沢になっている。
朽ちかけた橋の上に土台を作り、現在の鉄板製の路面を置いて道にしたようである。
藪に埋もれながら、親柱は欄干と供に健在。
特に変わった意匠も見られない。
橋の名前は「たちみさわはし」(漢字は不明)
竣工年は「昭和38年4月」と読めた。
現在はこのような特殊な事情により一回り狭くなっているが、もともとは何とか2車線の幅があったかもしれない。
橋を渡ると再び登り。
数十メートル登ると、2度目の通行止め告知。
路傍には、お地蔵様。
先には、なんかいかにも宗教法人っぽい、巨大な施設。
ちょっとだけ、躊躇う。
全然人の気配がないし。

ちょっと宗教色への警戒心が鎌首をもたげ、私のランニングのペースを遅らせたが、すぐに私の「本文」を思い出させてくれる、“強力な援軍”があった。
いかにもな看板だ。
此より先 米の間
落石のおそれがあるので
御注意ください。
宮 城 県
この看板の立てられた年代を推定する手掛かりは、この古めかしい字体、「此れ」という言い回し、色あせぶりなど豊富にある。
私の予感では、やはり昭和40年代ではないかと。
そして、入り口から200mほどでいよいよ、道は役目を終える。
巨大な施設の脇をすり抜ける旧道は、左に落ち込んで行く。
そこには、大倉川が怒濤の流れを見せているはず。
前方には、霧雨に煙る夕べの森が谷へ迫る。
誰がどう見ても、この先が難所なのは明らかだ。

傍らには通行止めバリケードの成れの果て。
廃道の立役者は、これでもう十分にそろった感がある。
すなわち、「通行止め告知(青看)」「通行止め告知(看板)」「バリケード」
しかもこのバリケードが壊れているというのは、マジもんの廃道である公算が極めて高し!
此は一種の経験則だ。
まだ、舗装はちゃんとしている。
施設の真新しい擁壁を右手に、谷底へと下っていく。
おそらく、この壁が尽きたら、その先は純粋な廃道が待っている予感がした。
現在時刻は16時16分。
出発から4分経過である。
史上初のランニング探索は、本番へと突入だ。

廃道である。
やはり、道路地図から抹消された僅かな1kmは、廃道だった。
その廃道区間で最初に現れたのは、通称「びっくりマーク」
すなわち、「道路標識215番 その他の危険(警戒標識)」である。
肝心の補助標識の内容は、
「なだれ注意 宮城県」
と、もう一つ、
「路肩弱し」
である。
標識自体がかなり劣化してはいるが、大概の「雪崩注意」や「路肩弱し」の標識は、廃道で真っ先に谷に落ちるので、残っているだけでも貴重である。
たっ 滝だ!!
と、私が一瞬錯視したのも無理はないだろう。
すさまじい断崖絶壁が、路肩からそそり立っている。
そこには、ネットが掛けられてはいるが、そんなものがこの絶壁でなんの役に立つのだろうか?
そう思えるほど、圧倒的に切り立った断崖である。
せめて、鋼鉄製のスノーシェードが欲しいが、そんな物はない。
ちなみに、この道は現役当時、冬場も除雪して利用されていた。
現道が出来るまでは、上流の定義や十里平集落へ行くにも、当然「定義さん」参詣にも、この道が唯一だったのだ。(林鉄もあるにはあったが)
この状況で、雪崩に注意しろと言われても、ドライバーに何が出来たのか?
それこそ、「定義さん」のご加護に期待して、速やかに過ぎるしかなかっただろう。
廃道もやむなし!
余りにも過酷な道路環境は、なおも続いた。
以下、後編。