仲間達と別れ、単身旧道区間へと踏み込んで、7分が経過。
今回は、僅か1kmばかりの旧道を、ランニングにて攻略するという趣旨である。
何故ランニングなのかと訪われれば、仲間達は車で先回りして、私を拾ってくれる予定だからだ。
現道は旧道の1kmに対し倍近くの迂回があるものの、のんびりと歩いて探索していたのでは、仲間達を待たせてしまうことになるだろう。
そのような配慮に加え、すでに時刻は午後4時を大きく回っており、11月の夕暮れはすぐ迫っている。
その上に、我々は各々の自宅から何百キロも離れた場所にいるわけで、翌日は各自仕事があるわけで、そうのんびりしていられるわけでもなかったのだ。
天まで届くような垂直の法面をくぐり抜けると、今度は激しい藪が行く手を遮った。
霧雨の中、濡れた藪をフットワークでかわしながら先を急ぐ。
なんというか、廃道を走るという行為自体が新鮮で、妙に興奮する。
ちょっとこじつけっぽいかもしれないが、道がその機能を蘇らせたような錯覚を覚えた。
道は人が通るために築かれたものであり、そこを探索する目的ではなく、早急に通り過ぎる目的で駆けるとき、より端的にその機能が感じられたのだ。
また、このような状況になり果ててもなお、ただの藪とは異なり、それなりに素早く移動できることも、腐っても鯛、廃れても道という感じがして、愉快だった。
廃道を駆けるという試み、
なかなかに奥深いように思えた。
…以来、一度もしていないが…。
ガードレールの外は、そのまま大倉川の急流に落ち込んでいる。
ガードレールに近い路肩だけが、辛うじてアスファルトの路面を露出しており、山側はすでに草むらとなり果てている。
ここを、私は息を切らさぬ程度の速度で、駆けた。
快感だった。
見慣れない標識が、路肩に半ば倒れかけた姿で残っていた。
白地の丸い標識は、他に似たものを見たこともないオリジナリティ溢れる物だった。
凍結時 チェーン必要
と書いてある。
特につっこみ所はないが、この道が冬期間も使われていたという査証にはなろう。
当地の積雪がどの程度なのか私には実感が湧かないが、東北地方の山中ゆえ、冬期間の通行が容易であったとは思えない。
ましてや、この道幅、この雪崩の巣である。
この道の他に下界に降りる通路がなかった定義や十里平集落の人々は、朝夕に命の危険を感じて通勤していたのかもしれない。
いよいよ薄暗くなってきた。
藪の中には、たくさんの道路標識が、ある物は倒れ伏し、またある物は傾きつつも、存置されていた。
ここに写っているのは、時速20kmの最高速度制限と、落石注意の警戒標識だ。
ちなみに、時速20kmと言う制限速度は、公道における最低限の速度である。
国道や県道ではこの制限速度を見たときには、その道路の危険度が極めて高いということを自覚するべきだ。
なにせ、チャリがちょっと強めに漕いだだけで、速度違反となってしまう制限速度なのだから、尋常な道であろう筈がない。
(林鉄の世界では
時速6km制限などと言うのもあったようだが…)
アスファルトは落ち葉や雑草に隠されている。
この状態まで自然に還ってしまうと、後はもう廃道化のペースに歯止めはかからない。
いずれは舗装を飲み込んだまま、森の一部となる。
すでに道であることを放棄したように見えるアスファルト。
地図からも抹消された廃道。
しかしそこには、手持ちのライトに反応し、なおその役目を全うしようとする亡霊たちがいた。
しとしとと雨の落ちる宵の口、ひとたび立ち止まると、川音が大音響のノイズのように耳に押し寄せてくる。
次に、自分の呼吸の音が、耳に付く。
他には何の音もない。
冷静になれば、自分がいかに寂しい場所にいるのかを実感することになるだろう。
臆病の虫が少し出てきて、何か得体の知れない焦りのような感情が、私を再び突き動かした。
闇の廃道に、一人になっている自分がいた。
路傍の巨石。
道中最大の見所と思われたが、すでに闇は私の視界を大幅に制限していて、その全体像を掴むことは出来なかった。
道と岩との間には、何の境界線もなく、大きく張り出した岩場を迂回するように道は谷側へと突出している。
何らかのご神体のような神聖さを覚えたが、私は、この大岩の袂で、ある「奇妙な体験」をした。
この体験が奇妙だと思えるのは、すでに1年以上も前の事であって記憶がやや曖昧になっていることだけに起因するのか、あるいは実際に奇妙な出来事であったのか、その判断は皆様にお任せしたい…。
その奇妙な体験は、大岩の写真の直前に撮られている、数枚の写真に集約している。
一枚目は、左の写真である。
なぜか、
何故か七輪である。
七輪が、土のうえにぽつんと、置かれている。
どこで撮影したのか、よく覚えていないのだ。
七輪の上には、焼かれるのを待っているかのように、落ち葉が数枚乗っていた。
そして、その七輪や七輪が置かれている土の地面は、岩戸の下にあったようだ。
私は、不思議なことに、先ほどの大岩の何処かにある巨大な空洞に紛れていたのである。
その空洞は、なんと隧道のように貫通しており、その上流側の入口付近に、写真の七輪がある。
ただ、実際には隧道ではないようである。
というのも、車道からは数メートル高い位置に口を開けていたように記憶しているし、次の写真の通り、余りにも洞内は狭い。
ネタではなく、本当に私は不思議な気持ちでこの出来事を思い出している。
なぜ、車道外の穴に気がつけたのだろう。この暗さであるから、全く土地勘のない私に気がつけるとは思えない。
そして、七輪を見ているのに、写真を家に帰ってきて見るまで、全然そのことを覚えていなかった。
岩戸の反対側が、かすかに見えていた。
私は、躊躇うことなく潜り込んだ。
不思議と怖いとは思わなかったようだが、七輪の意味を深く考えたりしたら、長居しようとはしなかっただろう…。
また、この隙間のような穴はとても狭く、匍匐前進で突破した記憶がある。
穴は5mほどで貫通し、その後は岩場を降り車道に戻ったのだろう。
おそらく。
冗談のようだが、本当に記憶にないのだ。
この穴は、なんだったのだろうかと、思う。
今も、あるのだろうか?
脱出直後に振り返って撮影した写真(だと思う)。
この大岩の亀裂の中を、私は通り抜けたようだ。
まるで、出来の悪い創作のような話なのだが、事実、私はこの岩の穴を通り抜けて、今ここにいる。
別に不思議でもないことなのだろうか?
なんだか、狐につままれたような気持ちなのは、私だけなのだろうか?
こんな体験をした方が他にもおられるだろうか?
午後4時26分。
写真のタイムスタンプを見る限り、洞窟体験は2分以内の出来事だったようだ。
この岩場を突破した後は、道はやや上り基調となり、現道との合流地点へと近づいていく。
相変わらず道の荒廃は凄まじい物があり、幾度となく背丈より高い瓦礫の山を乗り越え、藪の枝葉を掻き分けて進んだ。
妙にひょろ長い道路標識が現れると、いよいよ旧道区間も終わりだ。
まるで、この廃道の経てきた時間が早回しで巻き戻されるかのように、道幅や路面の状況が改善していく。
数メートルごとに、藪は浅くなり、路面は鮮明に現れてくる。
脱出に成功した実感を覚え、ホッとする。
と同時に、仲間達の祝福が恋しく思えてくる。
なかなか極限に近い精神状態で探索していたらしく、途中全く休んだ記憶がなかった。
しかし、あの七輪は今も不思議だ。
なぜ、現場では存在に気がつかなかったのか。
そして、何故あの場所に七輪だけが、ぽつんと置かれていたのか。
周囲に人の暮らしていたような気配は感じなかっただけに、余計不思議だ。
非科学的な現象は信じていないが、探索しているのが人間という精神である以上、その理解を超えたことが起きないと言う根拠はない。
午後4時33分、突破、と同時に、仲間達と合流。
史上初のランニング廃道探索は、ぴったり予定通りの20分を要し、無事終了した。
これを書いている途中、地震が発生してちょっとギョッとした。
あ、今も揺れている。
結構大きいかも?