国内にここだけという極めて珍しいダブルアーチ形式の大倉ダムは、昭和36年に完成した多目的ダムである。
ダブルアーチ形式は、アーチダムを二つ繋げた独特の形状であり、上から見ると羽ばたくカモメのような形である。
ここ数年来、ダムサイトを通る県道を通行止めにしての大規模な改修工事が行われているのだが、その迂回路として利用されている市道には、かつて存在した隧道の痕跡が鮮明に残っている。
左の写真は、改良工事で通行止中のダムサイト。
冬真っ盛りの1月末、私が訪れた時には大倉湖は一面の厚い氷に閉ざされ、湖畔に僅かに残る集落を含め、動くものの何もない静寂の景色となっていた。
遠くに見える高い雪山は信仰の山でもある船形山だ。
山の向こうの山形側では御所山と呼ばれている。
この小倉隧道は、現在市販されている地図にも大半は普通に描かれているのだが、実際にはご覧の通り埋め戻され、通り抜けることはおろか、内部を伺うことさえ不可能である。
珍しいのは、隧道を廃止して代わりにそれを迂回するような屈曲した道が現道となっている点である。
線形的には現道より優れていた隧道だが、いかんせん、幅4m・高さ4mと記録が残っている寸法ではボトルネックとして交通の障害となってしまったのだろう。
廃止の時期については正確なことは分からないが、施工の様子から考えると、そう古いことでは無さそうだ。
あるいは、ここ数年間続いているダム工事に伴って、それまでは旧県道であったこの道が唯一の迂回路として利用されるに至り、改良されたものかもしれない。
コンクリートの変哲のない坑門であるが、完璧に塞がれており、断面は模様として残るのみである。
お馴染み「山形の廃道」さま提供による「全国隧道リスト(昭和43年)」によれば、隧道の名前は「小倉隧道」。
延長は僅か28.3m、高さ・幅については先ほども述べたとおり4mである。
竣功年度は昭和36年と記載されており、大倉ダムによって水没した大倉地区の付け替え道路として建設供用されたことが予想される。
また、その当時は県道だったようだが、後にダムサイトを渡って対岸の道が県道に指定され、この左岸の道は旧道となっていた。
現地には隧道の名前を知る手掛かりは一切無いと思われていたが、通りゆく車の中から観察したのではそう思うのも無理はない。
しかし、今回歩いて接近してみて初めて、小さな小さな御影石製の表札のような扁額が掲げられている事を確認した。
落石防止ネットに遮られそのさらに小さな文字の全てを解読することは出来なかったが、少なくとも「小」の文字が見えたので、単に「小倉隧道」と書かれているのだと思う。
隧道の規模にあわせたのか、何とも控えめな扁額である。
隧道を失う代わりに崖を削って築かれた現道は、2車線をギリギリ確保しており、隧道の頃よりは通りやすいだろう。
上流側の坑口は、現道の法面によって斜めに切り取られてしまい、既に本来の坑門は完全に消失している。
法面のコンクリートに不自然な模様が残されており、そこがかつて断面だったのだろうと想像する事しかできない。
今も地図には記載されている隧道は、すでに背景と化していた。
すぐ傍には、湖を望む崖に面してダム工事の慰霊塔が建っている。
その碑面の前を次々に車は通りかかるが、全てが凍てつくような景色の中にあって、顧みる者は誰もないのか。
なお、小倉隧道のもう少しダムサイト側に、もう一本の短い隧道を描いている地図が多いが、これについてはリストにも記載がないばかりか、痕跡と言える物も一切無いので、本当に存在していた物なのかも分からない。
場所は、ダムサイトと、ダム管理事務所の間あたりだと思うのだが、ご存じの方はご一報いただきたい。
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