右の地図を見ても、それがどこか分かる人はきっと少ないだろう。
例によって私が訪れたのは、日本地図の中でもそれなりにマイナーな場所とみられる、列島の辺境と言うべき半島地の一角だ。
京都府の北部は日本海に面する舞鶴市内で、大きな若狭湾から小さな舞鶴湾を画する役割をもった大浦半島の西部である。
この半島の存在が、舞鶴をして日本の近代史上に燦然と輝く港湾都市、あるいは軍港都市としての名を轟かしめたと言って良い。
だが、大浦半島は単なる波除けとして存在するわけではない。
この半島にも人の営む土地があり、道がある。
中でも平成16(2004)年に関西電力唯一の石炭火力発電所として開所した舞鶴火力発電所の存在は、半島西部の交通網に一大躍進を与えた。
この発電所へ通じる市道大波下(おおばしも…「おおばか」じゃないぞ)浦入線には、日本海側では最大のものである斜張橋「クレインブリッジ」が海上を横断し、長大な平トンネルとセットとなって、発電所の半島的不便を完全に解消している。
その一方で、海岸線を迂回する市道平瀬崎線は、多くの集落を結ぶ生活道路としての役割を与えられ、こちらも狭隘な部分は全てトンネル化された利便な道になっている。
今回紹介するのは、市道平瀬崎線に4本あるトンネルの一つ、上佐波賀(かみさばか)トンネルの旧道である。
これがなかなか印象深い景色であった。
2016/10/17 12:59
若狭湾の支湾である舞鶴湾の風景。
リアス式の入り組んだ湾内はまるで湖のように静穏で、透き通った海面が空を映して本当に美麗であった。
無数の小島が浮かぶ長閑な湾内を脇目に、のんびりサイクリングを楽しんでいる最中に、この旧道と出会ったのである。
平と瀬崎を結ぶ市道平瀬崎線を、平から西へ向ってクレインブリッジの下を潜ってなおしばらく進むと、佐波賀の集落にさしかかる。
この集落は東側の上佐波賀と西側の下佐波賀に分かれており、両者を隔てる二つの小さな岬に、それぞれ上佐波賀と下佐波賀の名を持つトンネルが穿たれている。
そして両トンネルには旧道が存在している。
地図にも掲載されている小さな旧道であり、半自動的にそちらを通るつもりでいた私であったが、先に現れた上佐波賀トンネル対応の旧道分岐を前に、ご覧の1枚の看板が現れたのだった。
看板には、「千歳 瀬崎方面 直進」と書かれており、旧道が通行止めになっていることを予感させる内容だった。
と、ここまではとてもよく見る景色である。
だが、看板の30m先にある実際の分岐に着いてみると――
特に旧道が封鎖されていたりは、しない。
もっともそれは当然のことであった。
上佐波賀集落は旧道沿いに存在しているのだ。
旧道が封鎖されていたら、集落へ行く術がないことになる。
ならば私もと、直前にあった看板のことを忘れて旧道へ入ろうとすると、またも何やら目につくものが。
それは、分岐の“ど真ん中”にあった。
うわ!
これは、すごく旧道へ入って欲しくなさそうだ!
強烈に、“バイパス”(現道)をアピールしてくるぞ! 「こちらへ→」「こちらへ→」って(笑)
それでも! それでも俺は旧道に行きたいんだと、旧道の方を向いてみれば――
離合困難!離合困難!離合困難!離合困難!
離合困難祭開催中かよ!www
なお、離合という用語は、日本の道路界の地域色の一つと解されている。
基本的にこの用語を使うのは西日本であり、東日本では「すれ違い」や「交差」と言い換えられる。
旧道の進行方向を見ると、そこには長閑そうな上佐波賀の集落が見えた。
なぜこんなにも執拗に旧道への進入を拒みたがるのか、逆に興味を誘う。
私の場合は、仮に封鎖されていたとしても旧道へ立ち入るつもりだったのだから、どう書いても方便にしかならないが。
改めて分岐地点の全体像を眺めてみても、集落に用事があるドライバー以外が旧道を選ぶことは
稀だと思えてくるくらいには自然に現道へと誘導される作りであるから、なおさら不思議な看板なのである。
旧道へ進む。
入口こそ“謎の大騒ぎ”だったが、その先は何の変哲もない集落道である。
…のかと思いきや、看板攻勢はまだ終わっていなかった!
入口での制止では止らなかった進入者に向けて、新たな発信が開始される。
幸い、非難や詰りの言葉が書いてあるわけではなかったが…
「村人に注意! 区長」
…というのも、いろいろと想像できる余地があるだけに、恐い表現ではある。
血気盛んな村人が進入者と見れば見境なく襲いかかってくるから注意しろよ? みたいな。
そもそも、ここに住むあなたたちは“村人”ではなく“市民”ではないのですかと思いつつも、「市民に注意!」だと全く別のイメージになってしまう気も(苦笑)。
なおも進み、集落の家並みが道の両側を埋め尽くすようになっても、看板攻勢は止むことがなかった。
50mと間隔を空けず、常に2枚先の看板が見えるくらいの頻度で、それは現れたのだった。
この2枚目の看板には…
「注意! 老人多い 区長」
…と、一般的には日本の地方における「悲しみ」と捉えられる現象を堂々と告白してきたのである。
私とてこれを見て、「老人が多い→運転に注意しろ」なのだと理解するくらいの想像力は持ち合わせているつもりだが、敢えて想像力をかなぐり捨てて看板の内容だけに目を向けると、面白くて仕方ないのである。
「村人に注意!」で、注意すべき村人は「老人多い」というのだから、この集落の老人は妖術使いか何かかよ(笑)
「注意! 老人多い 区長」
もうそれは分かったから。
…3枚目である。
なお、集落内に特に変わった様子は見られない。
道が狭いことを盛んにアピールしていたが、地方ではこれが現役の国道や県道であり、迂回路が存在しないような集落も珍しいことではない。離合困難というのは嘘ではないが、そこは譲り合いでどうにかしよう。
4枚目…
「村人に注意! 区長」
…これも、前にも見た内容である。
あまり語彙のレパートリーは豊富ではないようだが、枚数は執拗に存在する。
なにせこの地点までは、旧道の東口から200mほどである。50m刻みで看板があるというのは、決して大袈裟な表現ではない。
道や集落の姿が長閑で平凡なだけに、これらの看板の存在感が際立っているのである。
結局、一台の車や道を歩く誰とも遭遇することがないまま、集落のはずれに近づいてきた。
東口から250mほど進んでおり、旧道自体はもう半分くらい残っているが、そこは小さな岬を回り込む区間であり、集落は途絶えている。
そして、ここに来て現れた5枚目の看板は、ついに私に背を向けた。
私に対する警告を諦め、反対側からの進入者を相手にすることにしたようだ。
「村人に注意! 区長」
「注意! 老人多い 区長」
「私有地です 立入禁止 地主」
5〜7枚目である。
7枚目などは至極真っ当な内容なのだが、これまでの看板と同じフォーマットなので、この看板が集落全体に流通しているものなのだという感を強くした。
集落を外れた旧道は、道幅が少し広くなり、海岸のプロムナード的な色をより濃くする。
湾内はもとより波が静かだが、干満差も最大でも30cmくらいしかないとのことで、本当に海とは思えないほど道の間近に水面がある。
その水面が淀んだものではないのだから、素敵と言うよりない。
そして旧道に入って600m、わずか5分の走行で、西口の現道合流地点に辿り着いた。
集落から外れた区間には例の看板も見当たらず、謎の“嵐”は集落とともに過ぎ去ったのだと、そう思ったのだったが…。
13:04 《現在地》
こっち(西口)にも結構な数の看板が!笑
なおこの直後には、姉妹トンネルのような下佐波賀トンネルの旧道も走行したが、美しい船小屋が沿道にあるこちらの旧道には、一切そういう看板は見られなかった。
沿道に集落がないせいかもしれない。
結局、執拗な看板攻勢の正体は掴めなかった。何か過去にあったのだろうが。
完結。