今回紹介するのは、岡山県道300号宇治下原(うじしもはらせん)線にある羽山第一トンネルだ。地名としては、岡山県高梁(たかはし)市成羽(なりわ)町羽山(はやま)になる。
この路線名とトンネル名でピンと来た人は鋭い。普段から道路好きでいろいろな情報を仕入れている方だと思う。だが、まさにこの左の写真にある、おそらく“日本唯一の存在”として最近メディアで取り上げられることも増えた、鍾乳洞の一部が現役の道路トンネルとして使われているのは、羽山第二トンネルの方である。
2本のトンネルの位置関係は右図の通りで、両者は同じ県道の路線上に約1km離れて存在している。
このように近いので、第二トンネル目当ての旅の途中で第一トンネルも通ったという方も少なくないことだろう。かくいう私もほぼ同じ動機でこの探索に赴いていた。
何度見ても、(←)この第二トンネルの姿は凄まじいものがあり、人気が出るのも頷けるのであるが、それとほぼ同時期に同じ道の一部として開鑿され、同じように今日まで現役で頑張っている第一トンネルについては、あまり積極的に取り上げているレポートが多くないし、これは道路としてはむしろ褒め言葉なのかも知れないが、(第二トンネルと比較して)「思いのほか平凡」などと評されることもある第一トンネルを、今回はミニレポとして軽ーく取り上げてみたいと思う。
先に一言だけ言っておく。
侮ると死ぬぞ。
2022/2/21 16:51 《現在地》
さっそく目の前に、このレポートの主役、羽山第一トンネルの西口にご登場頂いた。
このトンネルがある県道300号宇治下原線は全長10.5kmの一般県道で、舗装はされているものの、全線の半分以上は乗用車同士でもすれ違いが難しい谷間の狭隘路線となっていて、いわゆる“険道”だ。中でも羽山第一〜第二トンネルがある前後2kmほどが地形的にも道路状況的にも最も険阻な部分で、路肩の下を深く刻んで流れる島木川には羽山渓という名前が付けられている。羽山渓に近づく道は他になく、県道は中国自然歩道に組み込まれている。道路状況は良くないものの、自然景観はすばらしいという道路だ。
今回の探索は、この県道を起点から終点へ向けて自転車で完走する行程になっていて、この前にも後にも見どころはいろいろとあったのだが、今回はあくまでも羽山第一トンネルに焦点を絞って紹介したい。路線全体の紹介や歴史の解説については、いずれ別のレポートを用意するかもしれない。
あと、私にはありがちな展開だが、既に午後5時近くになっているのが、地味に焦りを誘うぜ…。
加えてほんのりと路上にも積雪があって、日陰とかはガチガチに凍結してたけど、そっちは(自転車でも)慣れてるから平気だぜ。
まるで採石場の一角のように切り立った岩盤に設えられた、小ぶりなコンクリート坑門。そこに扁額はなく、他に案内標識など、トンネル名を記したものは現地にみられない。
積雪した路面に刻まれた轍との対比からも明らかだが、1車線の幅しかないトンネルだ。
そのため、センサーによって対向車の存在を予告する装置が設置されている。
この幅の狭さに加えて、「最大高2.5m」の規制もある。これは現役の道路トンネルとしてはかなり厳しめの数字である。(乗用車でもハイエースワゴンのように車高2285mmある車はギリギリだ。ただ、この後で紹介する実際の断面サイズの数字と比較すると、もう少し緩和できそうな気はする)
このトンネルのデータを、新旧二つの資料より紹介しよう。
資料名 (データ年) | 隧道名 | 竣功年 | 全長 | 幅 | 高さ | 覆工 | 舗装 |
道路トンネル大鑑 (1967年) | 羽山第一トンネル | ―― | 99.2m | 3.0m | 3.2m | 素掘 | 未 |
平成16年度道路施設現況調査 (2004年) | 大正8(1919)年 | 73m | 3.0m | 3.2m | 素掘 | 未 |
まず驚くのは、平成16(2004)年度道路施設現況調査にある竣工年のデータで、大正生まれの隧道なのである。なお、第一トンネルも同じだ。
そして全長の数字は、昭和42(1967)年の道路トンネル大鑑から30m近く減っているが、幅や高さは変わっていないので、おそらくは坑口を後退させて前後のカーブを緩和するような改築が行われたのだと思う。
さっそく入洞。
コンクリートの坑門はあったが、内部に巻立てはなく、素掘りにコンクリート吹付けという覆工状況である。
また、路面はコンクリート舗装である。
前掲の平成16年度道路施設現況調査では、素掘り&未舗装になっていたので、ここ十数年の間で改良が進んだのかも知れない。
入った時点で、73m先にある出口の光が正面に見通せるが、洞内を照らす照明はなく、強いて言えば、両側の壁面に数十メートル間隔で小さな反射板が取り付けられているだけだった。
この第一トンネルは、大正時代生まれという歴史を差し引いても、“険道”のムードを盛り上げるには十分な狭隘トンネルだと思うが、隣にあるのが天下有数の奇抜さを誇る“あの”羽山第二トンネルであるだけに、どうしても平凡な存在に見られてしまう定めなのだろう。
まあ私は、この時点でまだ第二トンネルを未見のため、そういう比較はしなかったのだが、確かにこのくらいのトンネルは見慣れているな。 …まあ、オブローダーだからね…。
さあ、通り抜けよう。
16:52 (入洞20秒後)
入口から20mほど入ったころで、足止る。
これ、なーに?
この先の右側の壁に、塞がれた横穴のようなものを、発見!
マジで、塞がれた横穴だ。
奥行きがあるのかどうかは分からないが、わざわざ“閉ざして”あるということは…。
そしてよく見ると、ただの封鎖ではなく、木の扉になっている。
その扉部分に、なにかの文字……。
…………
「べんぞう なりは」
…………なんぞこれ……。
開いたんだけど……。
鍵かかってない…。
16:53 (入洞1分後)
入洞1分後、
早くも“道”踏み外してて、 草生えそう…。
案の定というべきか、塞がれた扉の向こう側には、奥行きがあった。
断面サイズはとても小さく、明らかに人道の規模。天井に頭をぶつけそうだ。
そして、そんな極小断面の中に、道路にある側溝くらいの大きさの水路があって、
闇の奥から透き通った水が止めどなく流れてきていた。
どこかに水の発生源があるらしい……。 地下水か??
おそらく、現在地および発見された横坑の進行方向は、上図のような感じだと思う。
これまで、古い隧道で横坑に遭遇した経験は多く、その大半は地上へ通じるものだった。
だが、このトンネルのこの位置に横坑があるというのは、ちょっと感触が違う気がする。
もし仮に、この横坑が地上へ通じているとしたら、本坑(73m)以上に長い距離を要する予感が…。
まあ、案外地形図が間違っていて、すぐ近くに地表がある可能性はあると思うが。
じゃ、 じゃあ、 ちょっと行ってくるよ。
完全に予定外の発見だったが、
こうして首を突っ込んでしまった以上、
奥を見ないわけにはいかなくなった。
相棒には、しばし閉じた扉の前で待っていて貰おうと思う。
(しかし、無関係の通行人がこの自転車を見たら気持ち悪かったろうな。
こんなトンネルの内部にポツンと自転車が置いてあるとか、普通ないからな…苦笑)
むわーーー……
熱気というのは言い過ぎだが、外と同じ冷気に満ちていた本坑よりも明らかに空気が温い。
そして、湿気がハンパない。一瞬でカメラのレンズが真っ白に曇ってしまった。
立って歩くのがギリギリという天井の低さ、水路に幅を半分取られた床の狭さ、
これらと相まって、大変に息苦しい横坑である。 し か も 曲がってる。
とても嫌な感じのする穴だが、
いったいどこへ連れて行かれるんだろう…。
どうやら、外へ連れて行かれるらしい。
うねるようなカーブの先に、少し前までは見えなかった出口の光が現われた。
(なお、直前の写真と違って視界が曇っていないのは、レンズを拭いたからだ)
外へ通じているというのは、トンネルの横坑としては一番真っ当な行先だと思うけれど、
この横坑、たぶん本坑(73m)より長い。
それがルール違反だとは言わないが、とても変わっていると思う。
16:55 (横坑突入から2分後)
常にレンズを拭い続けないと、あっという間に曇ってしまう。
それはさておき、ヤバイ予感 がする。
この先、水没してるんじゃねーかという予感が。
出口の光が、水面に反射して二つに分裂して見えてるぞ……。
いやだなぁ…水没…。今日は濡れたくないなぁ、寒いのに。
また、洞床の3分の1を占拠している水路に蓋が付いたと思ったら、その先で天井がボロボロと崩れて、その蓋を埋めるほどの小山を作っていた。
これが廃な横坑なのかどうかは今のところ分からないが、崩れている。
崩れはじめたから蓋を付けたとしたら、水路は大切な現役施設ってことなのかも。
素掘りの壁面の岩質は、一見してそれと分かる石灰岩であり、周辺一帯が石灰岩地形であることを素肌で感じることが出来る。
そりゃそうだよな。なんつったってこのすぐ近くに、現役のトンネルを兼ねた鍾乳洞があるくらいなんだからな。以前レポートした無明谷も、直線距離なら10kmと離れていない。吉備山地に包含されるこの一帯は、山口県の秋吉台に匹敵する規模の石灰岩台地であり、阿哲台と呼ばれている。
だからこんなものも普通にある!
横坑の天井から、鍾乳石が垂れている!
鍾乳石自体は自然に生成されたものに間違いないが、この横坑は100%人工由来だろうし、鍾乳石も天井に穿たれた削岩ピット(削岩機の先端が開けた穴)から伸びている。
これはトンネルで良く目にするコンクリート鍾乳石ではなく、本物の石灰石から生じた鍾乳石なので成長速度もそれに準じているはず。
そう考えると、横坑もトンネル本体(大正8年完成)と同じくらい長い歴史があったりするのか?
まあ、即断は危険だな。環境によって鍾乳石の生成速度はずいぶん違うらしいし。
16:56 (横坑突入3分後)
めんどくせぇ……。
っと、暴言を失礼。
写真からは何が「面倒くさい」のか分からないと思うので説明するが、ここまで私が歩いてきた洞床左側の通路部分が、すっかり水没してしまった。
水深は20〜30cmあり、長靴でない私が歩けば確実に足を濡らすことになる。
こうして水が溜まっている原因は明確で、直前にあった天井の崩壊だ。
出来るだけ足を濡らしたくない私は(私にだってそういう感情はある)やむを得ず、洞床の右側にある水路の縁(へり)の部分を歩き出したのだが、ここは本来人が歩くことを想定していないらしく、起ち上がると天井に頭を打つことになる。だから、しゃがみ歩き(格ゲー以外でリアルにこの動作をするとは…)で狭い縁を歩いて進んでいくことにしたので、めんどくせぇ…となったのである。
これは、実際にやってるところを見てもらった方が早いだろうなというわけで、帰り道で撮影した全天球画像をどうぞ。
帰り道なんで、背中の向こうに出口の光が写っているが、この窮屈なところでのしゃがみ歩きのツラさ、伝わるよね?
これが本当に面倒くさいだけでなく地味に重労働であって、たちまち汗が垂れた。
10m、20mならとやかく言わないんだけど、思いのほか長いことやらされるんだよ…。靴の幅しかない縁の上で…。
16:58 (横坑突入5分後)
やっと洞床から水が引いてくれた。
おかげで、苦行のしゃがみ歩きから解放される。
チェンジ後の画像は、いま来た方向を振り返って撮影した。
帰りもきっとここを戻らないと行けないと思うと、面倒くさいなぁ…。
出口が近い。
結局この横坑、最初のうち少しだけグネグネしたものの、全体としては最初の進行方向へ真っ直ぐ伸びていたと思う。
そしてその長さだが、変な姿勢で歩かされたのでいまいちピンとこないが、100mはあったはず。絶対に本坑よりも長かったぞ。変な横坑だ。
っていうか、マジでどこへ出るんだ?
(→)地図を見ても、ぜんぜんイメージが湧かないんだが。
まず間違いなく島木川の傍には出ると思うが、最新の地形図に描かれた川沿いの地形は極めて険しいもので、両岸に落差50mを越えるような崖の記号が連なっている。
この険しさに、何か辿り着くべき価値があるとしたら……、絶壁の展望台へ通じる遊歩道とか?
でも、観光用という雰囲気じゃなかった気がするがな…。 だって、「べんぞう」だぜ…?
それに、洞床で幅で利かせていた水路は最後まで健在で、出口から水を洞内に引き込んでいる様子だ。
となると、水路用の横坑……?
まあいい、外へ出れば分かることがあるだろう。
なんだ?
外に何が見えている?
もしやこれは。
吊橋だ!
坑口から直に吊橋が架かってるぞ!
まさかこのまま渡ってるのか、島木川対岸へ?!
そんなもの、地図には無いぞ?!
16:59 (横坑突入6分後)
脱出、即、橋!
よく見りゃ水路もパイプとなって渡ってる。
背にするは、人道サイズの素掘り坑口。
左右方向には、三歩を超えては移動できない。両方崖である。
もう少し引きのアングルで撮影したいが、そのためには、橋上へ立つ必要が。
なんだけど、
この橋なんか怖い。
一つ、日陰でガッチガチに凍っている。
一つ、軽微だが右に傾いている。
一つ、地図に描かれていないので、廃橋かもしれない。
一つ、踏み板が絶対に薄っぺらい。
一つ、踏み板は木材だが、雪のため朽ち方が見えない。
一つ、谷の深さがマジやんべぇ…。
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