ミニレポート第291回 西武池袋線外環の2架道橋

所在地 東京都練馬区
探索日 2025.06.06
公開日 2025.06.23

 “外環”の開通を待つ橋が、もうひとつ


2019年3月に探索し同年6月に公開した、ミニレポ245「JR中央線外郭環状架道橋」をご存知だろうか。まだお読みでない方は、ご面倒でも一度お読みになってからの方が、このレポートは分かりやすいと思う。あちらを“前作”として、いろいろと比較しながら紹介するのが今回のレポートとなる。

と言いつつも、時間のない方(は山行がなんて読んでいないと思うが)のために“前作”をごく簡単にまとめると、国と都が昭和41(1966)年から事業を進めている東京外かく環状道路(外環道)という道路に関し、この道路と将来交差することが予定されているJR中央線には、昭和44(1969)年から「外郭環状架道橋」という構造物が用意されているが、未だに外環道との交差は実現していないという内容だった。

そして、このレポートを公開した後で読者さまから反響があり、西武池袋線にも将来外環道との交差を目的とした鉄道橋が存在するとのタレコミをいただいた。
それが今回紹介する物件である。
あるかもなーとは思ってたけど、やっぱり他にもあったか!



所在地は、前回の中央線の物件から約5km北へ離れた練馬区上石神井町で、西武池袋線の石神井公園駅と大泉学園駅の中間附近に、それはあるという。
目印は、都道444号石神井大泉線(井草通り)と西武池袋線が交差する地点で、そのすぐ西側とのこと。

最新の地理院地図を見ても、周辺の西武池袋線は高架線になっているため、その一部である問題の架道橋を区別することは出来ない。これは中央線の時も一緒だったが。

それではさっそく、現地をレポートしよう。
輪行で降り立ったのは、石神井公園駅だ。
同駅から目的地までは約1km、線路沿いの道を西に進めばよい。

ではスタート!






2025/6/6 10:35 【現在地】

石神井公園駅は真新しい橋上駅(写真)で、そのまま高架化された複線が次の大泉学園駅の直前まで続いている(チェンジ後の写真)。
高架橋はオーソドックスなPCラーメンで、ところどころ道路と交差する部分は少し径間が長いPC桁橋になっていた。

2019年に探索した中央線を思い出しながら比較してみると、あちらは線路が複々線であったから幅が倍広く、また橋の高さも中央線の方が高かったと思う。だが、基本は連続ラーメンで、道路との交差部分がPC桁橋であるところは共通している。
そして、全体的に年代が大きく違うことも感じた。中央線の高架化は昭和40年代と古いが、西武池袋線の石神井公園駅から大泉学園駅までの高架完成は平成27(2015)年であるというから、ざっくり半世紀も違うのだ。似通った構造物でも、さすがに年代の違いを感じる差である。

そのように大きく年代が違うことを前提に、この先に待ち受けるという外環道の架道橋には、どのような違いがあるだろうか。
ちなみに中央線のそれは2径間連続のプレートガーダーで、前後のPCラーメンとは一線を画していたが…。



2019年当時は中央線沿線住民であった私だが(京王線がさらに近かったが)、西武池袋線はとんと馴染みがなかった。約13年間に及んだ関東在住時代、一度も利用したことがなかった可能性もある。そのうえ秋田へ戻って早5年。もはや鉄道の連続高架橋がすっかり馴染みの薄い都会の風景と感じられた私であったが、順調に目的地への移動は進み、目印とされた都道444号との交差点を過ぎて間もなくだった……。

ん? あれは?!




10:42 《現在地》

デカイ!

一目でそれと分かる、強烈な違和感だ。

ここまであった道路交差部分のPC橋とは、明らかに歴然たる径間の差がある。
橋そのものの造りとしては、同じPC橋に属するものではあるのだが。PC箱桁だ。
近づいて“銘板”などを確かめるまでもなく、こんなものは前後に全くないので、すぐにそれと分かったぞ!

そして、中央線の時も全く同じことを思ったが、前後とは一線を画する大きな(長い)桁が、“何も跨いでいない”ことの強烈違和感よ!
半世紀も年代が違っていても、醸す違和感に違いはないか。
つうか、これだけで外環道が計画から半世紀経ってまだ出来ていないことが顕然だな!



桁の支承近くに製造銘板(黄色い矢印、次画像)、橋脚にも別のプレート(赤い矢印、チェンジ後の画像で拡大)が取り付けられていた。

後者のプレートには、一連の連続高架橋に関する橋名が記されており、問題の部分はまさに「外かん2号架道橋」という、外環道関連であることを強く窺わせる橋名が、記されていた!



そして、とっても楽しみだった銘板の表記がこちら!(↓)

外環の2架道橋
西武鉄道株式会社
設計荷重 電-17支間 50M57
施工 西武・大成・戸田・大豊建設工事共同企業体
橋梁制作 オリエンタル白石株式会社
竣工2014年11月

理由は不明であるが、橋脚に取り付けられていたプレートとは、橋名が違っていた。
前者は「外かん2号架道橋」だったが、銘板は「外環の2架道橋」である。
命名の要素としては似通っているが、素直に読んだ場合に解釈される意味合いは、だいぶ違ってくるように思う。

前者だと、「外環架道橋」が複数あり、その2号であるように読めるが、後者だと、「外環の2」という道路に対する架道橋だと読めるだろう。

前作を読んだ方や、そうでなくても外環道の計画をよくご存知の方であれば、この「外環の2」という道路名に心当たりがあると思う。
前作と内容が重複するが、「外環の2」という道路について、ここで少しおさらいしよう。
ここは重要なポイントである。



『道路建設 no.224』および「外環の地上部街路(外環の2)について
および『工事パンフレット』より加工

右図は、外環道こと都市計画道路としての正式名称「東京外かく環状道路」(旧称は「都市高速道路外郭環状線」)の新旧の計画断面図の変化を示している。

上の図は、昭和41(1966)年の雑誌『道路建設 no.224』に掲載された「外郭環状道路計画とその意義」という記事から引用した、同年の都市計画決定当初の計画断面図で、6車線の高架道路である「専用部」の両側の地上部に2車線ずつの「一般部」を配置したものとなっている。これが当初の設計で、外環道の最初の開通区間である埼玉県内の区間では、実際この形状で開通している。この専用部がいわゆる高速道路である「東京外環自動車道」であり、一般部はその名の通り一般道路で、既に開通している埼玉県内の区間では大部分が一般国道298号として供用されている。

ご存知の通り外環道の建設は未だ途上で、関越道(大泉JCT)〜中央道〜東名高速の区間は都市計画決定から半世紀以上経過して完成に至っていない(東名以南は都市計画決定もされていない)。
この区間についても当初は上記のような高架道路と地上道路の組み合せによる都市計画決定がなされたが、このうち大泉JCTから東八道路(中央道のすぐ近く)までの一般部は、東京都が事業主体となる都市計画道路「幹線街路外郭環状線の2」として都市計画決定された。これの略称が「外環の2」である。
つまり「外環の2」とは、外環道の一般部のうち関越道から東八道路までの約9kmの道路名である。【位置図】

が、この昭和41年の都市計画決定後、関越〜東名区間は紆余曲折する。沿線の反対運動から昭和45(1970)年に一旦計画が凍結されるも、平成19(2007)年に当初の高架構造から大深度地下(地下40m)を利用する計画へ変更したうえで37年ぶりに凍結が解除されて事業は再スタートした。

この都市計画変更によって関越〜東名間の専用部は大深度地下へ移行することになったが、地上道路である一般部の扱いが新たに問題となった。
ここでもやはりたいへんな紆余曲折があったのだが、平成26(2014)年に都は「外環の2」の大部分の幅員を当初計画の40m(4車線)から20m(2車線)へ縮小したうえで事業を継続することを決定した。(なお、東八道路以南の一般部は平成19年の都市計画変更時に廃止されている)


……以上が、「外環の2」という道路の変遷である。

これを踏まえると、ここにある西武池袋線の「外環の2架道橋」は、まさにその名の通りで、外環道の一般部(大泉JCT〜東八道路)である「外環の2」を跨ぐための構造物であることが明白である。
したがって、現地に併置されている「外かん2号架道橋」のプレートは、正直意味が通らない。失礼ながら間違いではないかとさえ思っている。
そもそも「外環」でなくて「外かん」ってなんだ? 「外郭環状道路」が平成3年頃の行政文書から「外かく環状道路」へ変更されたことに誤って附会したネーミングじゃないよな?

というわけで、本編ではこれ以降「外環の2架道橋」を橋梁の正式名と見なして続行するが、私が注目したいのはやはり以前紹介した、大きく年代が異なるが同じ「外環の2」を跨ぐ目的で整備された中央線の「外郭環状架道橋」との比較だ。
次はこのことに焦点を当てたい。



橋梁名中央線 「外郭環状架道橋」西武池袋線 「外環の2架道橋」
写真
交差対象東京都市計画道路幹線街路外郭環状線の2
竣工年昭和44(1969)年平成26(2014)年
橋長22.5m×2 (45.0m)50.57m×1
型式上路プレートガーダーPCボックスガーダー

並べてみると、全く同じ目的のために建設された橋ではあるが、45年という竣工年の差は大きい。
橋の型式が変わって短径2径間が長径1径間となっていることなどは、単純に技術の進歩を感じるし、外観もずいぶんとスマートになった。

どちらの橋も「外環の2」を待っているが、中央線の方の待ちぼうけぶりはさすがにエグい。
しかもこちらは設計時期的に専用部は高架計画であったから、専用部・鉄道・一般部というサンドイッチ立体交差になるはずだった(大深度地下利用なんて思いもしなかった時代の構造物)。

一方で西武池袋線の方は最新の都市計画に準拠して…… と言いたいところだったが、実はこちらも最近の計画変更の煽りを受けた部分がある。
というのも、こちらは竣工年的に間違いなく大深度地下利用が決定してから建設されてはいるが、「外環の2」の幅員が4車線(全幅40m)から2車線(全幅20m)へ変更されたことには準拠できていない。この計画変更は、本橋が竣工した年の出来事であるから、できるわけがなかった。



そんなわけで、4車線道路を余裕で一跨ぎにできる50mのワイドスパンは、将来ここに出来る外環の2を過剰にダイナミックに横断することになるはずだ。
したがってその後も我々には、外環道を巡る幾多の計画の変遷に思い馳せる余地が残る。
子か孫か分からないが、子孫に聞かれたら答えてくれ、昔はこの道路は盛大な4車線道路になるはずだったんだと。
そしてもしも、もしもその時代でも開通していなかったら、その場合は察してくれ。もう道路の時代じゃないんだと。



例によって、立派な架道橋は出来上がっているが、その前後に道がないことの実証だ。
まずは線路の北側、既設末端の大泉JCT方面であるが、ほのかに都市計画の進捗を感じさせる帯状の空間が存在し、区民農園として利用されている。
取り立ててそこに「道路予定地」であることの明示はないが、地元民なら当然事情は把握済みだろう。
ここから大泉JCTまで、おおよそ1.4kmである。

なお、当たり前ではあるが、この足元の遙か深くに既に存在している専用部トンネルの存在は、全く地表に窺い知れるものではない。
それが大深度地下利用の唯一にして最大の利点であるのだが、その地上不干渉が事故で破綻したために、専用部の建設も完成が見通せない状況にある…。



一方で線路の南側、中央道や東名の方向であるが、こちらは一見して民家が建ち並んでおり、「外環の2」の導入空間はない。
線路の向こう側を沿う道や、線路を潜る道がないので、近づくことが出来ないが、地図を見てもずっと先まで多数の家屋が建ち並んでいる状態だ。
いかにも、「外環の2」の完成は遠そうに見える状況である。


だが、都の最新の事業計画では、令和6(2024)年2月29日に「外環の2」のうち当区間を含む950mについて事業に着手している。(上図)

既に平成24(2012)年に事業着手済の大泉JCT側の1000mと合せると、「外環の2」全長約9kmのうち北側1950mが事業化済みということになる。
開通時期の見通しは示されていないものの、この西武池袋線の架道橋については都市計画決定済みなだけでなく、事業中の区間でもあるので、将来の活用には期待を持っても良いのかも知れない。

しかしその一方、ここからさらに5km近くも南にある中央線の「外郭環状架道橋」については、同じ外環の2ではあるが具体的な事業化の進展は全く聞こえないので、どうなることやらという感じだ…。



これは大泉学園駅側から振り返る架道橋の全貌。
その前後はそれぞれ石神井公園第6高架橋、同第7高架橋となっている。
連続ラーメンの中、川でもないのにここだけが長径間の橋梁になっていて、誰が見ても他とは違うと分かる存在感を醸す。
あとはちょっとばかり当初の目論見よりも幅が小さくなった道が、行儀良く橋の下に収まるのを待つばかり。



架道橋の地点を過ぎてもしばらくは高架橋が続くが、やがて次の大泉学園駅が近づいてくるとゆるゆると高度を下げ、地表に降り立つと踏切を一つ挟んで駅を迎えた。
この地点が、江古田駅付近より続く西武池袋線連続立体交差事業の終着なのである。

最後に、これまでは道路(外環道)側の視点から見ていた架道橋を、鉄道側の記録より振り返ってみようと思う。
そのための有用な手掛りとなったのが、平成14(2002)年4月に発行された『鉄道ピクトリアル No716』の記事である。
本号は西武鉄道の特集号となっており、1冊まるまる西武鉄道のことがマニアックに掘り下げられている。

特集記事「西武鉄道の鉄道事業を語る」は、同社常務取締役管理本部長へのインタビューで、インタビュアーとの間で次のようなやり取りがなされている。

石神井公園の立体化が遅れたのはどういう理由ですか。

これは、外環道との交差方法が決まっていませんので、それを含む都市計画決定の後になります。石神井公園まで立体化できれば、ここでホーム・ツー・ホームの緩急連絡ができますから、大変便利になります。

『鉄道ピクトリアル No716』(2002年4月)p.15 より

同号の別記事「池袋線高架複々線化事業の経過」に、この事業の経過がまとめられている。

それによると、昭和43(1968)年に練馬駅より地下高速鉄道へ直通する新線(有楽町線)の建設が都市計画決定し、同駅で池袋線と有楽町線の2ルートへ分岐させることで実質的な複々線容量を確保することになった。さらに渋滞対策や複々線化のため、江古田〜石神井公園間の連続立体交差化(練馬〜石神井公園間は複々線化も)が昭和46年に都市計画決定され、これらを合せた事業が進められることになった。


『鉄道ピクトリアル No716』(2002年4月)p.67 より

上図は同号に収録された高架化複々線化事業の概要図である。
そしてチェンジ後の画像には、同号発売後に追加された工事を赤字で付け加えた。

上述の記事にもあったように、石神井公園〜大泉学園間で交差する外環道の整備方法がなかなか決定しなかったことで、高架化も石神井公園駅手前までとされていたが、平成15(2003)年に外環道の大深度地下化方針が示されるなど、地上に整備される予定の「外環の2」との交差方法についても協議が進められ、平成17(2005)年に高架化を大泉学園駅まで延長する都市計画の変更が行われている。
石神井公園駅の高架化を含む実際の工事は平成19(2007)年8月に着手し、複雑な工程を経て平成27(2015)年1月に本区間の高架化は完了したのである。
「外環の2架道橋」は、この高架区間延長工事の賜物ということになる。


当たり前だが、どんな構造物一つを取っても、それが生まれた理由があり、経過がある。
外見はシンプルな1本の架道橋だが、大都会の都市計画のなかで複雑な相互関係を有する道路と鉄道の睦み合った申し子であるということを調べるほどに思い知った。
その行く末がどうなるのか、私も気にしてみていきたい。



最後にオマケというか付録というか。

これまでのところ、「外環の2」との交差を準備している鉄道架道橋が、中央線と西武池袋線に存在していることが確かめられた。
そうなると、果たしてこの2つで全部だろうかというのが気になると思う。
地図を見ると、「外環の2」と将来何らかの方法で交差する鉄道として、他に西武新宿線と京王井の頭線が該当すると思われる。

それぞれについて架道橋の有無を机上で確かめたが、まず京王井の頭線については三鷹台駅付近で交差することになるが、現状は高架化がされておらず、近い将来の高架化計画も見当らない。したがって外環の2との交差施設の準備はないと思われる。

西武新宿線については、上石神井駅付近で交差することになる。やはり同駅付近は高架化がされていないので、外環の2との交差施設の準備はない。が、練馬区サイト内ページ「上石神井駅周辺のまちづくり」によると、「この地区を縦断する「東京外かく環状道路」の計画による建築制限により、長期にわたって進展に制約を受けてきました。こうした中、外環については、平成21(2009)年4月には国および都より、地域の課題への「対応の方針」が示され(中略)、外環の2については、平成26(2014)年11月に都により鉄道の立体化を前提にした都市計画の変更が決定されました。さらに平成30(2018)年12月25日に都が、事業に着手しました。また、西武新宿線の立体化については、令和3(2021)年11月に都市計画決定されました。」などとあり、ようするに、将来上石神井駅付近にも西武新宿線版「外環の2架道橋」が誕生することが決定している。

……こちらは架橋からあまり待たされずに潜る道路が完成するといいですね……。





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