7:00 《現在地》
まだ少し薄暗いが、この登攀には結構時間がかかるだろうから、出発することにする。
現在時刻は午前7時ちょうど。高低差415m、全長1078mを完走するのに要する時間は、最低1時間といったところか。
(ちなみに、「お伊勢参り 農事電化十周年記念」(昭和11年刊)に、ケーブルカーは昇り15分下り10分が所用時間だったとあるが、昇りと下りで時間が違う理由は不明)
なお、ケーブルカー跡の探索は、他の種類の廃線・廃道探索とスケジューリングが大きく異なる。
それは概ね登山に近いと思われるが、登山とも違う部分があるので、おいおい説明していこう。
苔色に朽ちたプラットフォームを背に、朝熊登山鉄道鋼索線の登攀が、いま始まる。
最序盤は、まずは足慣らしと、路盤の状況確認である。
見たところ、廃線の路盤に沿って現役の電線が架設されているようだ。
この場合、電線の管理用通路として路盤が利用されている可能性が高くなるので、踏破のうえではプラスの材料である。
ただ、その割に草刈りが最近行われた形跡はなく、路盤上には昨年の雑草が腰丈まで茂っている。
おそらく夏場に訪れると路盤が見えず、傾斜した草原に見えるのではないだろうか。
もっとも、靴の下にある感触は堅く、路盤の全体にコンクリートが敷かれていることが分かる。
また、単線の路盤の左側には、路盤に沿って階段が刻まれている。
保線用の人道通路であり、ケーブルカー跡の探索で基本的に歩くべき部分になるのだが、今のところは傾斜がまだ緩やかで階段は冗長なので、普通に路盤の傾斜したスロープを歩いていく。
7:03 (登り始めから3分経過)
これは序盤にしては結構な急勾配である。
今まで色々なケーブルカーを探索してきたが、序盤はもっと緩やかな路線も多い。
ケーブルカーの路盤の傾斜は、大抵が高低差のある2点間の空中にぶらさげられた紐のような幾何的な勾配の変化を見せる。
したがって、経験上、序盤の勾配がきついと、中盤から終盤にかけては、さらにきつい勾配に挑まねばならない。
最終的に登るべき高さや長さは分かっているのだから、傾斜の変化など、さほど労力に影響が無いと思うかも知れないが、危険度には大きな影響を与えるので、重要なチェックポイントである。
下草が無くなり、かなり遠くまで路盤を見通せるようになったために、先へ行くほど傾斜がきつくなっているのがよく分かる。
だが、まだ階段に頼るほどではない。
段の高さも、段と段の間隔も、我々が日常的に利用している階段に較べれば遙かに緩やかなので歩きづらいし、余り使われていないからだろうが、路盤よりも階段の方が荒れている。
また、ここで予想外の遺構に出会った。
金属製の架線柱である。
これまで金属製の遺構はことごとく失われていた(供出のためだろう)ので、架線柱も同様と思われたのだが、ここではじめて残存しているものに出会った。
もともと余り上等な質でなかったのか、根元が朽ちて転倒しかけていた。
7:12 (12分経過) 《現在地》
再び下草が厚くなってきたので見通しが効かないが、相変わらず勾配は次第に増しており、そのことは階段の部分を比較してもらえば分かると思う。
藪が浅いところを選ぶと、自然に階段以外の場所を歩く事になっているのだが、脛の裏側の筋肉に緊張感が出て来た。
階段を上れば疲れるのは太腿だが、傾斜した斜面を登っていると、まずは脛の裏側に疲れが出てくる。
GPSを確かめると、登り始めから直線距離で200mくらい進んでいたので、スロープ長に換算すると250m、全体の4分の1くらいは進んだかと思われる。
一方、標高の上ではまだ50mくらいしか増えておらず、高低差ベースでは8分の1しかクリアしていないんだなぁ…。(……ちょっとゾクッとした)
なお、路盤に刻まれた凹凸は、枕木を埋め込むためのものである。
ケーブルカーの路盤はバラストが使えないので、枕木が路盤に固定されたスラブ軌道に近いものとなる。
ぬぬぬ。
ちょっと様相が怪しくなってきたか。
「鉄道廃線跡を歩くVII」に、「雑草が茂り直登が難しくなっている」と書いてあったので、慎重を期して冬場に訪れたわけだが、下草はともかく灌木は相変わらず脅威である。
しかも、トゲの生えたツタのような灌木が蔓延っており、真夏の探索は相当に苦難であろう。
今は登りなので、出来るだけ姿勢を低くして、藪の浅いコンクリートの路盤近くを、潜るようにして進んだ。
なお、先程来の路盤はずっと斜面に設けられた築堤である。
ケーブルカーは多くの路線が直線で、かつ勾配の変化にも硬直的(勾配の逆変化に弱い)なので、築堤や切割、隧道や橋梁などの土木構造物が多く用いられる。
必然的に探索は冗長になりづらく、これは私がケーブルカー廃線を愛する理由のひとつである。
このあと少しの間は藪との格闘となり、路盤の変化に注目できる状況でなかったのであるが。
それが明けたとき――
凄い勾配になっていた…。
これはいまどのくらいの勾配なんだろう。調べるための道具を持ってこなかったが…。
このくらいの勾配になると、これはもう完全に階段を使った方が歩きやすい。本来は。
だが、階段の部分は藪が深く、立ち入る事が無駄に大変だ。
これはもうこのままスロープを歩くしかないのだが、落ち葉を踏まないよう最大限注意しなければならない。
こんな堅くて急な斜面を歩くと、ふくらはぎの疲労蓄積はマッハだ…。適宜に休憩を入れないと筋を痛めかねない。
これだよこれ! これがケーブルカー探索の醍醐味なんだよな!
このように、見わたす限りに階段や斜面が続いているなんて状況は、おおよそケーブルカーかインクラインでしか見られないものだ。
というか、ケーブルカーとインクラインは構造的によく似ているので、風景が似るのも当たり前だが。
人間が登るための登山道とかは、幾ら急でも途中に一息を入れられるような休み場があったり、人間として共感できる部分がある。
それに対し、電車という機械の専用通路であるケーブルカーの路盤なんてものには、人対人の優しさが介在する余地が無い。
ひたすらにどこまでもスパルタである。機械が無感情であって良かったと思う。そうでなければ彼らは絶望か、叛乱を試みるはず。
人の身でありながら機械の領域に足を踏み入れ、そしてそれを征服する。これこそがケーブルカー跡探索の醍醐味だと思う。
――この苦痛も、やがては快楽となる…。
7:26 (26分経過) 《現在地》
おおおっ!
見上げた先に、本で見覚えのある橋が出て来たっ!
これは地形図にも破線で描かれている朝熊岳道という登山道で、ケーブルカーより遙かに古い由緒を持つようだ。また、現在では朝熊ヶ岳の最もメジャーな登山道になっているらしい。(もっとも、今は山頂近くまで伊勢志摩スカイラインが通じているので、登山者自体が昔に較べれば激減しているわけだが)
この登山道の跨線橋は、朝熊登山鉄道の貴重な置き土産である。
当時の絵葉書にも描かれているので、間違いない。
形式はアーチ橋で、主要な部材には加工された軌条が用いられている。
この点も昔の鉄道跨道橋らしい。
この橋自体も嬉しい遺構だが、なにより苦闘を演じる登攀者にとって、この橋から先は後半戦となる意義がある。
厳密にはもう少しだけ先が中間地点だが、ここが分かり易いはずだ。
出発から26分でここまで来た。直線距離はもう余り意味がないだろうからスロープ長だけ書くが、ここまで約500mである。
しかし、不安なのは標高で、平岩駅からプラス150m弱である。
短時間でよく登ったとは思うが、今なお残りの高低差が250m強もあるのだ。
すなわち…
今後、これまで以上に急な場面が現れることが、ほぼ確定している状況。