4年前にもここを通って隧道へ向かった。
しかしそのときは午後7時頃であり、日の長い9月とはいえ、ほとんど真っ暗だった。
しかも、ちょうど林道の終点あたりで“相方が行方不明になってしまった”と狼狽えるおじさんに出会って、爆竹や大声で行方不明の人を呼び出しながらの探索だった。
こっちの人数は5人もいたが、夕暮れと遭難騒ぎのため、何となく気持ちの悪い道として記憶されている。
…ちなみにその遭難者は、翌朝無事に保護されたと聞いている。
4年前の記憶では土が露出した「ブル道」だったが、今回は藪のひどい廃道に逆戻りしていた。
前回はこんなに進みにくくはなかったはずだ。
背丈よりも育った雑草は、枝にトゲのあるもので、我々はここで予想外の苦戦を強いられたのである。
最小限にナタを振るいながら前進していく。
杉の伐採地を右手に見ながら、浅い掘り割り左カーブ。
トンネル or 行き止まり という決断を迫る地形となった。
さすがにこの場面は強く印象に残っている。
11:19
出発から約20分。
てきぱき歩けば10分くらいでも来られる場所だが、大滝隧道(仮称)の西口擬定地へ到着した。
旧版地形図にトンネルの記載があることや、あからさまなこの“すり鉢形”地形、前回この中で支保工と思しき木の骨組みを発見したことなど、当地を坑口跡と特定する材料は豊富にある。
さらに、前回はブル道の先にあった隧道跡という認識だったが、今回は林鉄跡と断言できる。
昭和42年頃の廃止までは、ここに推定全長100mほどの隧道が存在していたのだ。
今回の探索は、この隧道の裏側坑口を探ることが第一の目的であり、それを成し遂げたとき初めて、「大滝又支線」の扉は開かれると考えられる。
我々は、まず目の前に立ちはだかる尾根の裏側へ、直接嶺越えのアプローチを敢行することにした。
かなり急ではあるが、杉の造林地であるから這って歩けないことはないし、4年前の薄闇の中でも私と「くじ」氏はすでにアタックしていた。
地形図から読み取れる尾根までの高低差は40〜50m。
早くも息が上がる。
11:24
赤倉沢と大滝又沢の間の尾根へたどり着く。
尾根は伐採の対象外であるらしく、周辺にないモミやミズナラの巨木が茂っていた。
第一次充実感を体感するが、まだ気を抜ける場面ではない。
むしろ、問題はこの後なのだ。
これだ! この急勾配!
4年前、今より怖いもの知らずだった私とくじ氏は、谷底もほとんど見えない状況下で、ライト片手にここを下った。
そして半ばまで下ったところで、今回は落葉のため尾根からも見通せているが、眼下の巨大な砂防ダムの存在を知った。
大滝又沢と中芝沢の合流地点には砂防ダムがあって、目指す隧道の出口はその右岸のどこかにあるはずだが、辺りは背丈を超える草藪と、油断ならない砂地の斜面とが複雑に交錯していて、手探りでの坑門捜索は早々に断念せざるを得なかった。
そして、再び尾根へと戻る最中。
…恥ずかしかったので当時誰にも言わなかったのだが…
私は足を踏み外し、咄嗟に伸ばした手がたまたまツタを掴んで宙ぶらりん。
それで九死に一生を得たという、怖い体験をしている。
細田氏にもその話は今回初めて告白したのだが、いま私は、またこの斜面に挑もうとしている。
これで緊張しないはずがない。
地形図を見れば見るほど、この尾根から東へ下ることは難しいように思える。
この等高線の密度は「崖」の記号に変わってしまう限界の密度であり、我々も普段ならば真っ先に避けるエリアである。
そこは、一見して山林であっても、実際には限りなく崖に近い斜面であるはずなのだ。
だが、対岸を通る県道もまた河床からはかなり高いうえ、谷底には砂防ダムと落差20m近い「大滝」があって、対岸アプローチを忌避させた。
11:27
また宙ぶらりんになるのではないかという恐怖は、尾根の上に立ちつくす限りいつまでも振り払えそうもなく、意を決して下降を開始した。
前回に比べれば条件は比較にならないほど良い。
慎重に行けば、問題は無いはずだ。
下り始めてからは早かった。
というよりも、一歩一歩下ることがむしろ難しい急斜面。
油断すると、ズルズルと加速してしまう。
夕闇の中で私が足を踏み外したのも頷ける、砂地の嫌らしい斜面であった。
しかも、今回はその上に落ち葉がうっすら乗っていて、手掛かりとなる灌木の茂らないエリアに立ち入ることは、即墜落を意味していた。
その点に注意し、やや北側(川の上流方向)へ向かって下りつづけた。
先ほど登った高さとの比較を、頭の中で勘定しながら。