その衝撃を、私は『鉄廃ショック』と呼んでいる。
さる10月27日の20時頃のことである。
相互リンク先サイトの「鉄の廃路」(管理人:けな氏)の掲示板に速報的にアップされた画像は、何気なく見た私の脳天を貫通して、なお股間から出た。
失禁したのである。
これまで、そんなことは一度たりとも無かった。
流石に、27歳にもなってお漏らしをしたとなれば、問題である。
だが、これはやむを得ないことであった。
なぜならば、けな氏がその日の午前中に発見したという、
その写真の「橋」が、あまりに衝撃的であったのだから!
私は、すぐ行くしかないと思った。
あの橋は、もう待ってくれないかも知れない。
写真を見る限り、いつ崩れ落ちるかわからない、その姿を留めていることが、不思議で仕方がないような橋である。
間もなく訪れる、廃止後45回目の冬を乗り越えられるか分からないのだ。
ただですら、日本列島は今年多くの台風に見舞われていた。
ダメージが蓄積していることは想像に難くない。
しかし、私が現地に行くための障害もあった。
最大の物は、その距離である。
距離は、時間的な制約を生む。
また、地の利がないこと、事前情報の少なさも、頭を悩ませる要因だった。
そこで私は、やはりあの写真を見て衝撃を受けていないはずがないと確信できる、そんな仲間達に打診した。
そして、共に旅する仲間と、現地への足を同時に手に入れた私だった。
首尾良く1週間後の11月3日を決行日と定め、待ちきれない気持ちで悶々と6晩を過ごしたのである。
私たちが挑もうとしているのは、私の住む秋田市からは隣県だが遠い宮城県の仙台市。
東北の盟主たる仙台市中心部のごく近郊20kmの位置に、驚くべき橋梁は、今日まで息を潜めていたのである。
探索当日までに私が行うべきことは、今まで一度も踏み込んだことのない山域で、飛び入りの探索になるハンデを少しでも埋めることであった。
確かな踏査を行うには、軌道の姿が描かれた地図が最も確かだが、それを手に入れる時間はなかった。
また、けな氏は実際に踏査の前に地元の図書館を調べたそうだが、やはり林鉄の資料というのは少なく、我々が挑もうとする部分までを描いた地図はなかったとのことである。
そうなると、次に頼りになるのが、航空写真である。
幸いにして、これは全国の大部分について、家に居ながらにしてみることが出来る。
そして、この航空写真により、幾つかの重要なヒントを得ることが出来た。
私が事前調査で得られたのは、この航空写真に見える微かな痕跡と、バイブル「全国森林鉄道(JTB刊)」巻末の一覧に示された僅かな数字(竣工年・廃止年・延長)、そして、偉大なる先人けな氏の記した「鉄廃」のレポートである。
名称、定義(じょうげ)林道。
区分、2級(森林軌道)。
竣工、昭和13年。 廃止、昭和35年。
延長、113000m。
私を一目惚れさせた決死の橋梁。
そして、その奥に広がる未知の世界。
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