2006/12/17 13:13 《現在地》
2つ目の野球ボールを拾い上げた地点(ものは置いてきた)から3分ほど進むと、そろそろ数える事もしなくなっていた、“何度目か”の枝谷が現れた。
今度は築堤ではなく橋があったようだが、この時点で既に橋が原形を留めていない事が見えていた。
ただ、その背後の本来ならば茶色い山肌があるはずの場所に、灰色の部分が広がっている(破線で囲んだ辺り)ことが、気掛かりだった。
今回は位置的に軌道跡と直接の交渉を持っていないようだが、あれが“予感通り”のものだとしたら、それは“先行きに不安を与える”ものに他ならない。
小さな枝沢に架かる8番目の橋は、橋台と橋脚の基礎だけを残して、木造であった主要な部分を完全に消失させていた。
本橋はもとより規模の大きなものではなく、前進のために要する迂回は僅かだが、こういう微妙なアップダウンの積み重ねこそ、木戸川林鉄の路盤を踏破する上での(現時点での)最大の障害である。
まあ、実際に河床まで大きく迂回しなければならないような場所がこれまで現れていないのは幸運なのだと思ったが、現役の道ではない以上、今後の展開には何の保証もない。
特に、この枝谷の上手に先ほどから見えていた“灰色のもの”の正体が明らかになったことで、その不安はより現実味を帯びた。
その正体は、灰色の大岩盤。
こんなものが、軌道脇にニョッキニョッキし始めたと言う事は……。
そ れ に…
地形図を見ると、(→)
この先がクランク状の谷になっている…。
ここから先のおおよそ500mは、今回の計画を立てる際に、
最も険しいエリアとしてマークしていた部分に他ならない。
そこは、現代の道が寄りつこうとしない“魔のエリア”に見える。
(左岸の遙か上方に林道は迂回している…)
そして、その始まりを意識していた矢先に
まるで計ったかのように現れた、灰色の大岩盤である。
これで先行きに不安を覚えないはずがないだろう。
8番目の橋があった枝沢を過ぎると、案の定、
明るくなった。
廃道探索において、「風景が明るくなる」ことは、喜ばしい事ではない場合が多い。
大抵それは、日光や視界を遮るものが少ない、すなわち傾斜の急な地形の出現を意味するのだ。
今回も、完全にそのパターンだった。
直前で“顔見せ”をしていた灰色の岩盤は、
呆気なく路盤の周囲を取り囲み、
我々の進路を前後2方向だけに、限定したのである。
…この先の展開を見るのが、怖い…。
←
灰色の大岩盤に完全支配された法面と…
クランクの“折れ”のところまで一直線に見通せる、路肩からの眺め →
いま私は紛れもなく、高崖に刻まれた一本の細い線の上にいるのである。
そして、次の展開への畏れから、自然と歩速を早めた我々の前に、
とうとう…
現れてしまった!
濡れた、
朽木の桟橋が…。
連続する4径間の木造桟橋。
いちおう…
一応は、
“架かっている”
けども……。
濡れていて、腐っていて、高くて、
それでいて、回避が出来ない……!
路肩は、先程来続く絶壁である。
ここから下へ降りて迂回する事は不可能だ。
そして、その遙か下方の河原には、
橋上に見あたらない路肩側の主桁(らしき丸太)が散乱していた。
なるほど…、
橋から落ちたら “あそこ行き” なワケ…。
13:20 《現在地》
この橋は、1時間以上前に通過した「橋4」によく似ている。
橋自体の形も、架かっている立地もだ。(線形には曲線と直線という違いがあるが)
さらに傷み方というか、保存状態についても、よく似ている。
そして、「橋4」の時は大事を取って、渡橋を回避した。
それは、運良く比較的簡単に迂回が出来たからだ。
でも今回は、渡ってみようと思う。
山側にある主桁ならば、最悪の事態(橋の崩壊)が起きたとしても、咄嗟に山側の斜面に飛び移るとか、笹にしがみつくというような事が出来ると思うし、木橋の耐用年数を遙かに過ぎてなお架かったままになっている頑丈さを、今回は信じよう。朽ちてはいても、巨木でなければ作り出せない立派な太い桁だしな…。
← 第1径間を無事に攻略完了。
残りはあと3径間。
引き続き、左の主桁を選ぶ。
束の間の安寧の地。 →
それが、コンクリートに支えられた橋脚上だ。
しかし、不用意に路肩方向を眺めると、
その尋常ではない高低差に肝を冷やすことになる。
…私がそうなった。
それにしてもだ。
留めるべき桁材を失って虚空へ突き出た、この金具の長さを見よ。
かつてここにあった主桁の太さを現わしている。
木橋の部材は現地調達が原則であり、かつての木戸川一帯が巨木の森に覆われていたことを窺わせる橋の姿だ。
怖い。
特に、人が渡っている姿を見るのが怖かった。
13:26
何とか4径間全てを渡り終え、振り返る。
この橋を渡り切るのには6分近くもかかったが、
それで谷底への迂回を回避出来たと思えば、まあ上出来である。
そして、ここから振り返る橋の全体像は凄まじかった。
橋とその前後の地形の険しさが、全く隠れていなかった。
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「さて」と、再び前に向かって歩き出した我々を、
続けざまの難場が待ち受けていた。
橋の先で一旦は復活した路盤が、
20mも行かないうちにまた途絶え、
しかも今度は、橋も落ちていた。
タノムカラ、ココデ引キ返エサザルヲ得ナイ展開ダケハ勘弁シテネ…。
後には引けない我々は、
濡れた岩場にしがみついて、この「橋10」崩壊現場を、
突破した。
1分後、
またしても、落ちた橋が行く手を阻んだ。
相も変わらぬ、灰色じみた背景。
“クランク谷の難所”は、まだ続く。
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