2006/12/17 13:32
右図を見て欲しい。
木戸川の流れがクランク状に折れ曲がった部分へ近づくと、大量の橋が連続で出現し始めた。
もちろん、好んでそうしたのではなく、地形がそうさせている。
私が勝手に命名した“クランク谷”。
その入口が現在地だ。
「橋8」から始まった橋の連続出現は、路盤を歩き通そうとする我々に課せられた試練に他なるまい。
我々としては、この難所を回避出来る平易なルートがあったとしても、難所の中にこそ見るべきものがあるというのが探索における一つの真理である以上、可能な限り正面突破を目指す考えだった。
また現在時刻を考えると、正面突破が最短ルートである以上は、出来るだけそれを選びたい状況でもあった。
そのうえで、クランク谷を迂回できる容易なルートは見当らなかった。つまり、選択の余地無く正面突破が要求された。
この探索を始めてから、もう10回以上は見てきた石造橋台だが、この「橋11」の左岸側のそれは、特に美しい姿であった。
ここで過ごした長い年月を感じさせる苔生しの風合は、周囲の岩肌と全く同じものであり、素材を現地調達した構造物ならでは、景色に調和した美しさだった。
美しい橋台の脇を登って路盤に立つと、そこには見慣れない1本の看板が立っていた。
「木戸川 自然環境保全地域 福島県
」
帰宅後に調べてみると、福島県が県内に47箇所ある自然環境保全地域の一つとして当地を指定したのは昭和54(1979)年3月2日とのことで、「モミ、ブナ等の天然林」の保全が目的であったようだ。
したがって、林鉄の廃止(昭和36年)からは18年も経過した時期であったことが分かった。
この標識を設置した当時は、いまのように軌道跡は荒れ果てていなかったに違いない。
おそらく大量の木橋が現存する夢のような歩道だったのではないだろうか。
なお、県営木戸ダムの事業着手は昭和58(1983)年なので、自然環境保全地域の指定後に、その一部を水没させるようなダム計画が、同じ県の手で着手されたことになる。
ただ、木戸ダムの着手は早かったが、その後はなかなか進展せず、ダム本体工事がようやく始まったのは平成13(2001)年で完成は平成20年だ。
この標柱の周辺で新たな開発行為が行われた形跡はなく、結果的に自然環境は保全されているようだが、これはすぐ下流のダム事業によって周辺に人が近づき難かったことも利していそうである。
うぉっ! 鮮やか!
今まで、雨が煙る淡色ばかりの世界にいたせいで、
ここに前触れも無く現れた“緋色の絨毯”が、目に沁みた。
美しい。
掛け値無くそう思う場面だが、気は抜くまいぞ。
少し進んで振り返れば、ここもきっと険しい場所だと分かるはず。
廃道で「キリッ」と目が覚める風景というのは、大抵難所なんだから…。
少し進んで振り返ると、予言した通りの険しさを見て取れた。
苔色の石垣が、この緋色の道の護り主なのだ。
思えば、ここしばらく笹藪が目立たない事も、地形の険しさと関わっているのだろう。
キター!
小さい橋だが、綺麗に架かってる!
なんと愛らしい!
緊張の最中に現れた小橋は、私の心を妙に和ませてくれた。
こんなに小さく低いのに、橋台の作りの細やかさが他の橋に全くひけを取っていないのも高得点だ。
(←)
雨のせいかもしれないが、可愛らしい橋台を作っている石材と石材の隙間から、滾々と水が湧き出していた。
まるで天然の水汲み場のようで、もし天気が良かったら喜んで口や顔を浸したことだろう。
→
こんなに小さな橋にも、忘れずに数字を振っておく。
美小の橋は、「橋12」だ。
一帯は険しい地形になっているが、「橋11」からこの「橋12」までの短い区間は長らく続いた笹ヤブ漕ぎから開放された、我々にとってとても好ましい廃線跡だった。
そしてこの時点で、“クランクの頂点”に近付いていた。
はい来た!
やっぱり来た!
もう一発険しいの、来マシタ!
今度の「橋13」は、橋台と、橋脚の基部という、石やコンクリートの構造物だけが残っているというお馴染みのパターン。
見下ろす木戸川の谷は相変わらず30mも下にあり、そこまで下りて迂回するのは現実的ではない。
地形を観察し、矢印線のようなコースを突破ルートに選択した。
ルートファインディングの醍醐味はあるけど、この繰り返しは、精神的にも肉体的にも、甘くないぜぇ……。
←「橋13」の橋台を振り返る。
この橋の橋台は、これまでのような人工的な石積みの構造物ではなく、切り立った岩山を上手に使っていたようだ。
なかなか高度な技術だと思う。
そして、落差のある橋台のような岩山を滑り落ちずに下りる動きには、緊張を余儀なくされた。
「橋13」の迂回完了→
対岸の橋台(こちらも天然橋台)から振り返る「橋13」。
★印が、左の写真の撮影地である。
我々が緊張したということも、納得して貰えるだろう。
杉の木が邪魔で分かりにくいが、右奥の辺りが“クランク”の頂点である岩の尾根だと思う。
果して林鉄は、如何にして、この岩尾根を越えていたのだろう?
… … …
旧版地形図には描かれていないが、
もしかしたら、
隧道があったりして?
↓↓
13:49 【現在地:“クランク”の頂点】
切り通し!
隧道の夢は破れて、深い切り通しがそこにはあった。
「橋14」
さあて、これをどう越えようか。
現存する遺構から想像するに、3径間の木橋である。
とても高い。
まずは、斜面を下って橋脚を目指そう。
(太い矢印のところまで)
その後で、対岸の斜面を堀割までよじ登ろう。
(破線の矢印のルート)
このうち此岸は問題が無さそうだが、
対岸をよじ登る部分が… 不安だ。
正直、登り果せるという確信はなかったが、他にルートも無さそうだしな…。
行けるのか?
かなり、ヤバそうな感じがするが、
倒れた木造橋脚を上手く足場に使えば、なんとかなるか…。
その“線”で、登攀を開始する。
実際に斜面に取り付くと、すぐにルートの変更を検討する事となった。
(2枚上の写真の★印のところ)
くじ氏が立っているところから、ギリギリ手が届く立ち木を手掛かりにして、
目の前の岩盤を一気によじ登ってしまった方が良かろうという判断になったのだ。
こうした岩場では、ロッククライマーとして修行を積んでいるくじ氏の判断が頼もしかった。
ということで、くじ氏を先頭にして岩場をよじ登る。
今日これまでの中では、一二を争う危険地帯だったと思う。
堀割へと無事“登頂”成功!
13:53 《現在地》
約4分間の「橋14」攻略作戦であった。
そして、木戸川がクランク状に折れ曲がった頂点へ辿り着いた。
またこの位置は、今回の踏破区間(乙次郎沢出合〜第1発電所)の中間であり、約2kmを終えた。
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