2007/10/30 14:08
車を離れてからまだ50分足らずだが、もう既に腹一杯に林鉄を味わってしまった。
ここまで林鉄の橋と隧道しか歩いてないし。
まだ全然地面の上の軌道跡を歩いてない(笑)。
写真は、2本目の橋の上流側橋台のちょうど対岸に見付けたコンクリートの小屋へ接近する細田氏の様子。
殆ど崩れた土砂に埋もれていて、窓と壁の一部が見えているだけだ。
細田氏によれば、小屋はポンプ小屋の廃墟で、中には錆び付いたポンプ器が設置されているそうだ。
旧国道の真下であるが両者を結ぶ道は無く、このポンプを操作する為には軌道跡を歩いたり、沢を徒渉したりしなければならなかったのかも知れない。
近くの台地上に心当たりのある農地があるが、昔はここから揚水していたのかもしれない。
細田氏が対岸のポンプ小屋を覗いてる間も、私は沢底から振り返っては、ガーダー橋を撮るためのベストアングルを探していた。
浅い水面を蹴って歩いているうちに、何か大きな金属製の物体を河床の土の中に見付けた。
触れるとそれは確かに金属の手触りだが、完全に表面の他は地中に埋まっていて、ビクともしない。
一体、この金属の塊の正体は何だろう。
見えている部分だけで推測すると、それは橇のような形に思える。
2本の太い平行な梁をプレートで繋げたような形か。
見えている部分で物体の上面は全部のようであるが、その形は長方形で、しかも一方が窄まっている。
だから、橇のように見えたのだが、或いは林鉄で使ったトロッコの台車なのではないかとか、そのパーツの一部ではないかという妄想も、捨てがたい。
刺すような冷たい水に腕を突っ込んでは、相方も呼んで散々引っ張ったが、全く動こうとはしなかった。
二人は水から上がり、左岸の軌道跡へと登った。
軌道跡は水面からほぼ45度の斜面で隔てられており、高低差は5mほどだろうか。
シダ植物や広葉樹が茂る斜面である。
ここから本格的に上流を目指すことにする。
まず最初に現れたのは、巨大な倒木のガード。
その日陰側の表面には、思わず痒くなるくらい無数の白キノコが生えていた。
ブナシメジかもしれない。(なら食える事になるが)
ちなみに、細田氏は昔から毒キノコの「ツキヨタケ」に異常な興味を示しており、キノコの話題を振ると必ず「闇夜でボーッと緑に光るキノコ」こと「ツキヨタケ」の話になるのだ。
誰か、彼にツキヨタケをプレゼントしてあげてください。
そう言えば、我々が最初に軌道跡へ辿り着いた地点から下流方向を写した写真は一枚もない。
それだけ目の前の橋に意識を奪われ、背後なんて気にしていなかった証拠のようだが、いやいや、ちゃんとチラリと見てはいた。
そこには、腰丈以下のさして深くもない笹藪に覆われた、なだらかで歩きやすそうな軌道跡が、森の中にずっと続いていた。
で、翻ってこの写真は、今いる上流側。
なんつーか… 乱れまくりだ…。
丸太ではなく、生のままの杉の木が軌道跡を塞いでいた。
しかも、その幹の太さは並ではない。
植林地で見られるようなサイズではなく、樹齢200年は下らないと思われる巨木である。(首尾良く運び出せれば数百万にはなるだろう)
厚い樹皮と脂に守られた杉は枯れても腐りにくいのだが、この巨大な倒木もまだ生きているような質感があった。
下の隙間を潜りながら、この倒木が転落してきただろう崖を見上げると、そこにはさらに巨大な杉が何本も。
そのうちの一本は、もう落ちまいと必死なのが痛いほど伝わってくる。
目の前の倒木以上に太い立派な幹に比しては、その樹幹の上の緑は痩せていて、本当に辛そうだ。
軌道に足元の岩盤を削られて間もなく100年。
役目を終え捨てられた軌道敷きが、今なお森を破壊し続けていた。
…この破壊は我々の手によるものではないが、逆恨みで最期の一撃という豪斧を振り下ろされないとも限らない。
長居は無用だ。
倒木に危険を感じながらも、その合間を縫ってさらに進むと、もっと直接的な難場が現れた。
「 …こ、 行けるべーが?細田。 」
私の珍しく気弱な発言に彼は無言だった。
一目見たときに、ここは困難そうだと直感した。
目の前の路盤が、小さな谷によって全部持って行かれている。
さらに、それを越えてもすんなりと平場が待っているのではなく、次の足場は何故か随分上の方だ。
向側は土砂崩れで埋もれているのだろう。
“凹”の“凸”のコンビネーション崩壊だ。
まずは私が一歩一歩確かめるように斜面を横断。
そこは脆く風化した花崗岩が土の下に隠れている斜面で、表面に生える灌木の根付きを頼りに進んだ。
横断しながら登っていかねばならない展開だが、それはむしろ好都合だった。
斜面は登りながら横断した方が楽である。
逆に辿るのは難しかったろう。
とりあえず安定した場所まで登ったので、後続の細田氏の一挙手一投足を見守る。
ここは、谷底に迂回することは難しそうだ。高低差が予想以上に大きい。
斜面を横断して辿り着いた取りあえずの足置き場。
だが、ここは軌道跡ではない。
どう考えてもここは高すぎる。
直前の軌道敷きよりも5メートルくらいは登っているだろう。
左写真は前方の様子。
数メートル先で地面は再び切れ落ちたようになっており先は見えない。
その下に、本来の軌道敷きがありそうだ。
右写真は難波を振り返って撮影。
光を反射する水面の遠さに注目。ここまで歩いてきた軌道跡も、藪のため判別が付かない。
案の定、我々が登り着いた地点は軌道跡を埋め尽くす土砂の上だった。
切れ落ちた先を覗き込むと、その下に両側を崖に区画された平場が見えた。
岩盤に穿った掘り割りが崩れて、埋もれてしまったのだろう。
二人は慎重に瓦礫の斜面を下り、平場へと降りた。
細田さん、それ豪快に滑落しすぎだから…(笑)。
それはともかく、この膨大な土砂で埋め戻されてしまった掘り割りだが、もしかしたら隧道だったのではないか と私は思う。
根拠は、見たところ頭上の斜面や崖にはこれだけの崩土を供給したような崩壊跡が見あたらない事、掘り割りの両側がいずれもオーバーハング気味に見える事、以上二点だ。
もしここに幻の隧道が存在したとしても、その規模はせいぜい長さ5mほどのごく小さなものであったろうが、地形を見る限り、隧道があった可能性は高いように思う。
直前の崩壊地にも木橋が架かっていた可能性もあるし、となると「林鉄スペシャルコンボ」だったのかも。