2007/10/30 13:18
現地は、秋田県中北部を占める北秋田郡に唯一残された自治体である上小阿仁村の山間にある。
この村は県都秋田と県北部の大館地方、さらに青森県とを結ぶ最短ルート上に位置し、古くは「五城目街道」が、現在は国道285号が村を縦断する交通の要衝である。
また、広大な村域の9割以上が山林で占められており、著名な天然秋田杉を始めとする豊富な森林資源に恵まれるため、明治以降林業に依存した村政を行ってきた。村内には昭和40年代まで盛んに利用された森林鉄道の跡が散在している。
このように山間部でありながら、国道や林鉄といった交通ファクターに密着してきた村ゆえ、多くの“廃道”も残されている。
『山いが』としても、以前の自宅からそう遠くなかったこともあり、最初期から盛んに探索したエリアなのである。
そのレポートの一例としては、「道路レポ 秋田峠旧道」や「同 笹森峠」などがある。
廃道歩きの正装(本人談)に身を包んだ細田氏とまず向かったのは、情報提供者の書いていた「南沢トンネル脇の旧道」である。
【現在地:Mapionに接続】
南沢トンネルというのは国道285号のトンネルで、南沢地区から朦(もう)沢沿いに秋田峠へと続くルート上にある。
トンネルは平成13年と比較的最近に完成したもので、それ以前の沢沿いの旧道約800mも普段は封鎖されておらず、サボリーマンが車を止めて休んでいる光景によく遭遇したものだ。
だが久々に訪れてみると、なんとこの区間の代表的な構造物であった一基のスノーシェッドが、いままさに重機によって崩されようとしていた。
旧道の入口は峠側と下流側に2カ所有るが、下流側の入口は封鎖されていなかった。
だから、よもやこのような大がかりな作業が行われているとは思わなかった。
また、崩されつつあるスノーシェッドもまだ半分ほど、約30mほどの長さを残しており、はじめこれらの重機が何をしているのかが飲み込めなかった。
ちょうど我々がここへ着いたときには昼休み時だったようで、あたりに誰もいなかったのも、不思議な感じを強くさせた。
だが、あたりをよく見てみると、まさにシェッドを取り壊している最中だったのである。
乱暴に壊された鋼材の行く末は果たして…。
異様な光景に目を奪われながらも、シェッドのまだ残っている片隅に車を停めて、山歩きの準備を始める。
この旧道の「下」の沢沿いに「トンネルがある」という情報だが、それ以上の詳細は不明である。旧道といっても結構な距離もあるのである。
どこから下ればいいかが最初の難問であったが(今までこの旧道の下の様子など確かめたこともなかったし)、とりあえずは旧道の下流側起点付近が地形的には比較的下りやすそうだと言うことで、歩いてそこへ向かった。
ちょうど車を離れるときに、作業員達が戻ってきた。
我々が車を置いていってもいいかと尋ねると、問題はないとのことであった。
シェッドを完全に撤去するにはまだ何日もかかるのであろう。
13:28
我々が車を止めたスノーシェッドは、旧道の下流側入口から200mほどの地点であった。
そこから来た道を戻るようにして、落ち葉の積もる舗装路を歩く。
そして、大きなS字カーブの向こうに現道を走る車の姿が見え始める、その場所から我々は谷底へと進路を取った。
ちょうど、この写真に写る黄色い標識の場所である。
谷底を見下ろすと、そこは結構な急斜面だった。
ここよりも下流側は植林地になっているが、上流は雑木林。
一度は伐採された後なのか、大きな木は見えない。
全く道の気配はないが、とりあえずは「水面の見えるところまで降りるべ」ということになり、腰までの笹藪をかき分けるようにして、斜面を下り始める。
今まで旧道から谷底を見下ろした覚えはないが、想像していたよりも谷は深く感じられた。
旧道自体は何度となく通行しているのだが、この谷底に未発見の道が有ったとしても不思議はない感じだ。
一気に谷底へは至らず、途中で小規模な河岸段丘地形なのか、勾配がゆるんだ。
そこに何か道の痕跡を探したが、それらしいものも見つけられず、数分後には更に谷底へ下る決定を下していた。
そして13:35頃、初めて水面を確認したのである。
これは朦沢という米代水系小阿仁川の支谷である。下流の小阿仁川を含めて国道285号とは結構な長距離を並行しているのだが、この南沢付近では谷底から道路が高く、その水面を目にするのは初めてであった。旧道からおおよそ50m近い高低差があろうか。
その水面は所々が瀞のように碧く静まりかえっており、紅葉の森に包まれてとても幻想的な雰囲気だった。
この谷底に情報提供者は15年前、いかなるトンネルを見たというのだろうか……。
谷底が近づくと、斜面は大変滑りやすい土の草付きとなり、慎重に谷に背を向けて下る必要があった。
細田氏よりも一足早く谷底へ辿り着いた私は、大きな期待感を胸に谷の上流へと向き直った。
次の瞬間、私は目を疑った!!
鉄橋出現!
なんと、これまで来たことの無かった谷底には、広い川幅を一またぎにするような巨大な鉄橋が架かっていたのだ!
この発見に、私は一瞬で興奮の沸点を越え、水蒸気爆発並みの勢いで、まだ背後の急斜面にへばり付いている細田氏に叫んだ。
「すっげ! 鉄橋だ! 大鉄橋だ!!」
上方の斜面にへばり付いたまま、首だけを私の指さす方へ向けた細田氏もすぐに発見。
そのまま、「しゅんで!しゅんで!」(秋田弁:すごい)の大合唱となった。
細田氏、滑り落ちるような勢いで私の横へ下降。
そのまま二人並んで、対岸の河原から伸びる繊細かつ大胆なシルエットのガーダーに、熱い視線を送りまくった!
見れば見るほどすばらしいフォルム。
トンネルを探しに崖を降り、そこで見つけたものが予期せぬ鉄橋であったというこの興奮!
秋田を離れて10ヶ月。初の帰郷というこのタイミングで、まさかこれほどの「取りこぼし」物件に遭遇するとは。
…しかも、さして人里から離れた場所でもない。
この発見の感動と衝撃は、ここ数年の内で最大級だったと言って良い。
だが、
鉄橋発見の興奮そのままに、
次なる衝撃が視覚より進入!
私の脳幹を打ち据えた!!
隧道だッ!
あわわわわ。
鉄橋がそのまま黒い穴へと突き刺さっている!
情報提供者も、お人が悪い!
鉄橋の事など、少しも書かれていなかったじゃないかッ。
「鉄橋→隧道」の“林鉄スペシャルコンボ”!!
こんなものは、森吉林鉄の5号橋梁と7号隧道(※)以来かも知れない!
我々が遭遇したものは、
小阿仁森林鉄道の未知の遺構群!
二人は長靴の中を濡らさないように、飛び石伝いで朦沢を渡った。
そして、対岸の氾濫原である笹原を突破し、築堤の上にある橋の袂へと迫った。
近づくと、いよいよ赤錆色の躯体は迫力を増してきた。
その巨大さが実感される。
全長は25mほどだろうか、中央に一本だけ華奢な感じの橋脚が立っており、大重量の鋼製ガーダー桁を支えていた。
右の写真は、我々が最初に辿り着いた右岸の橋台の様子。
かなり風化してはいるが、橋台はコンクリート、ウィングは丸石練り積みであった。
また、そこでは間近に支承部を見ることが出来る。(写真上)
これは「線支承(小判型)」という形式だろうか。
13:42
異常に興奮した状態のまま、我々はついに橋の袂へと達した。
これから、この橋を渡って隧道を目指すことになろう。
しかし、渡れるだろうか…。
まだ、一部枕木も残っているが、何の足しにもならなそうだ。
それに、なんというか、 …セッ せッ
狭いッ!
次回は、この小阿仁林鉄の簡単な素性を紹介するとともに、
この橋を渡って先へと進む。